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異話§雀始巣~七十二候~春分 [七十二候]

春分の初候“雀始巣(すずめはじめてすくう)”である。

春分の初候である。この日、東京の日の出は5時43分、日没は17時56分で、いつも書いているとおりで、昼と夜の長さがほぼ同じになる日だが、今年は数日早い3月16日である。

日の出が5時台になるのは早起き組にはありがたい。目が覚めて明るくなっていれば、いつ起きてもかまわない。だが冬の間は6時近くなっても暗い夜状態なので、何時なのか見当もつかない。それでとりあえず起きてみれば、まだ3時過ぎだったりしてガックリとなり、トイレを済ませて二度寝を試みるのだ。

そんな朝の寝起きも、この先はどんどん見極めがつきやすくなってくれる。

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滑話§スピアーズ対イーグルス[第12節] [ラグビー]

先週土曜日、雨の江戸陸でスピアーズ対イーグルスの試合を観戦した。競馬風に言うなら、グラウンド・コンディションは“重馬場”である。弱い雨が間断なく降り注ぎ、特に後半は、選手が激しく動くたびに盛大な水しぶきが上がるほどだった。

↓雨にもかかわらず4,142人の観客が集まった
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↓ライアン・クロッティ・・・・・・選手との距離が近い
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そんなコンディションゆえ、パスで展開していくシーンは少なく、キック多
めで相手のミス待ち……我慢比べのような試合になったのはやむを得ない。

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両チームがあげた3トライは、いずれもラインアウトからのもので、ゲームを決めたスピアーズのトライは相手のラインアウトのボールをもぎ取っての力技だった。このあたりはフォワードの力の差が出たというところか。



というわけで、特に楽しみにしていたファフ・デクラークは意外なほど影が薄く、両チームのバックス陣は、もっぱら飛んできたキックの処理に追われることになったのだ。

なお試合終了後、前節で100キャップを達成したスピアーズの立川理道選手に対する祝賀セレモニーが行われた。

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さすがに我が家から江戸川陸上競技場は遠い。電車を乗り継いで1時間半。この日も西葛西の駅を出る時は明るかったが、最寄駅に着いた時はすっかり暗くなってしまったのである。

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春話§桜・・・・・・開花 [桜]

東京の桜があっという間に開花したが、春分前の開花というのは、いかにも早いと思ってしまう。

我が身が小学校に入学したその日は、北関東端っこの町の桜はほぼ満開なのだった。今の開花ペースだったら、4月初めには既に満開になってしまっているのではなかろうか。

ちなみに去年の三多摩丘の上の我が家は3月29日頃が満開で、満開の状態は四日か五日はもってくれたが、一週間もすれば散り始めるのだった。

そして今年……どんな桜が咲くのだろう。住んでいるあたりは、あちこちに桜が咲いて“おや、こんなところにも”というくらい、本当に咲きまくっていて、花見するのに事欠かないのだ。

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タグ: 東京 自然
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祝話§歌舞伎座が新開場して十年に [歌舞伎]

来月の四月大歌舞伎で新しい歌舞伎座の柿落としからちょうど10年となる。

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写真は新開場45日前に初ライトアップされた時のもので、もうすぐ柿落としのワクワク感が横溢していたようだ。

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そうして、新開場の歌舞伎座に初めて足を踏み入れたのは4月の半ば。柿落とし公演は6月まで三部制、せっせとお客さんを呼び込んでいたのである。

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新しい歌舞伎座の中に入れば、それ以前のつぎはぎで雑然とした様子が一変していて、その取り留めのなさを懐かしく、新しい様子に物足りなさを覚えなくもなかったが、客席空間はかつての歌舞伎座とほぼ生き写しで、それについては再現してくれた隈研吾に感謝したいと思った。

だが、そんな歌舞伎座新開場を目にしないまま、十八世勘三郎や十二世團十郎、さらに五世富十郎、七世芝翫、四世雀右衛門が身罷ってしまったことは何とも切ないことである。

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愉話§一日一句~老木愛おしく~ [俳句]

季語は・・・

花老いて 我もまた老いの道行

【去年の今日】週話§土曜有閑~換気の歌~
タグ:俳句 老化
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週話§日曜枯寂~団地やマンションの交流~ [日常]

団地暮らしも40年を超えた。

よくも悪くも“隣人”のみなさんとの付き合いは希薄でしかない。もちろん顔を合わせれば挨拶もするし、ちょっとした立ち話くらいはする。だが、それ以上の深い付き合いまではしていない。

家のドアを閉じてロックすれば、それぞれの家族の世界なのだ。団地住まいで人との関係が希薄になって人情も薄れたとか言われているが、逆に密な人間関係で息が詰まりそうな人だっていくらでも存在している。

ムラ社会にいいところもあれば、悪いところもある。悪いところといえば、それぞれの人の事情を斟酌することなく、一つのコミュニティの中に、無理矢理括り込んでしまうことだ。

おそらく、全世帯のうち半数以上が既に入れ替わってしまっているに違いなく、そういうことを考えれば人的交流が希薄になる要素は多彩なのである。

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愉話§一日一句~荒れる土俵~ [俳句]

季語は・・・春場所

春場所や 波乱小波乱 大波乱

【去年の今日】革話§靴を選ぶ時
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週話§土曜枯寂~癖のある蜂蜜~ [健康]

毎朝、ほんの少しだが蜂蜜を嘗めている。糖分以外にも色々と成分が入っているので、健康にもいいだろうと、まあ“鰯の頭”である。

それで、せっかく嘗めるのだから、そのへんで売っている淡色は、いかにも砂糖の味しかしないと思われて、ある時からひと味違う蜂蜜を探してみることにした。

あれやこれや試している中で、クセが強めの2種類をデフォルトと決めて、嘗めるようになったのだが、それは“栗”蜂蜜と“蕎麦”蜂蜜なのである。

どちらも、色は濃い目で黒に近く、味はなかなかの曲者なのである。そんな蜂蜜を嘗めていつと、何となくだが、さらに身体にいいような気がしてきてその日一日を健やかに過ごせるような気がするのだ。

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愉話§一日一句~朝陽に向かって~ [俳句]

季語は・・・春暁

逆光の 春暁眩し 中央道

【去年の今日】床話§うなされる
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学話§第二十六期歌舞伎俳優研修修了発表会 [歌舞伎]

伝統芸能の担い手を育成する国立劇場養成所研修生による修了発表会を観てきた。

↓桜も開花した隼町の国立劇場
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↓プログラムも立派
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13時開演、19時終演という長丁場なので無理はせず、途中の長唄『小鍛冶』からスタートして、最後『歌舞伎の立廻り』まで。

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そのうち第二十六期修了生の西澤大峰は、小鍛冶の三味線に始まって、日本舞踊『玉屋』から『鳴神』の鳴神上人、そして最後の『歌舞伎の立廻り』までフル回転。歌舞伎俳優は彼と第二十七期研修中の望月大夢の二人である。

多い年は9人くらいの研修生が歌舞伎の世界に巣立っていくのだが、2年の研修は相当に厳しいと聞いているので、志半ばで挫折した研修生もいたことは想像に難くない。

2年間で、歌舞伎芝居全般だけでなく、長唄三味線まで会得させるのだとは『小鍛冶』で西澤大峰が三味線を弾いていたことで、ところどころ怪しいところが垣間見えたりもしたが、まがりなりにもというレベルまで到達していたと感心したのである。

さらに日本舞踊も丁寧にこなし、この日のメイン演目『鳴神』で鳴神上人を立派に務め上げた……舞台指導をした中村芝翫が客席で眼を光らせていたのだ。

そして最後の『歌舞伎の立廻り』と、西澤大峰“ワンマンショー”は、彼にとって生涯忘れることのできない出来事となっただろう。そしてくたくたに疲れ切ったのは間違いない。

それ以外に、太神楽で研修を始めて一年目の研修生(女性)3人が芸を披露してくれた。今後の成長を楽しみにしている。

この発表会は、クラウドファンディング“伝統芸能の明日をになう、国立劇場の研修生にご支援を!”にささやかな支援をしたことで招待券をいただいての鑑賞だった。

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最後に、プログラム最後にこれまでの養成所研修生から歌舞伎俳優になった人たちの一覧があったので、紹介しておきたい。彼らなかりせば、歌舞伎は成り立たなくなっていたかもしれないのだ

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森話§タモリ倶楽部が三月一杯で終了 [テレビ]

2月下旬、3月末に終了すると、唐突なお知らせに驚いた。40年半というもの、脱力系番組としてゆるーく長く続いていたのだ。



放送が始まったのは1982年秋。当時は午前様&朝帰りの日々で、ビデオ録画機も持っておらず……というよりも番組の存在自体を知らなかった。

頻繁に観るようになったのは21世紀に入ってからではなかっただろうか。強烈な記憶として残っているのは、空耳アワーの“農協牛乳!”であろうか。



メインテーマの中では“鉄”ものの水準は高め安定だったし、意外な切り口での番組構成は侮れないものが多々あった。

時に空回り、空振りの企画もないわけではなかった……歩留まりとしては、おおよそ五分五分前後というあたりというのが個人的感想である。

1945年生まれのタモリも齢八十近くとなり、持ち味のゆるさが、単なる緩みに変容していたと言えなくもなく、そりゃあ40年も続けていれば、いつかは“この日”が来ることは間違いないことだった。

ただし、その“ゆるさ”のゆえに、放送終了などという、いかにも事務的なボキャブラリーとは無縁だったように思っていたことも、また事実である。

そして最終回は、再来週の金曜深夜(土曜未明)なのだ。

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異話§菜虫化蝶~七十二候~啓蟄 [七十二候]

啓蟄の末候“菜虫化蝶(なむしちょうとなる)”である。

春分を控えて、朝方の外気温はコンスタントに10度台前半を記録している。春へのステップがもう一段上がったようだ。

もちろん、日によっては冬のように寒い日もあるが、ここまで来ればしめたもので、気分も軽く外出するのも億劫にはならないで済む。

冬の間、あれだけありがたくいただいていた鍋物もそろそろお引き取りの時期となって、鍋納めをいつにしようかと考える……とか言いながら、4月に鍋という心変わりもないことはないのだが。

そんな季節の変わり目が“今”なのだ。

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過話§備忘録的な何か~2023年3月16日付~ [備忘録]

3月14日……東京の桜が開花した。去年より10日早く、2020年、2021年と同じ日の開花は最速タイである。ということは、3月中には桜が散ってしまうということなのか。

毎年のことながら、我が家の場合は辛夷(コブシ)が露払いとして咲き出す。そして桜の開花は都心よりは何日か遅いのが例年のことで、辛夷の開花からは3週間ほど遅れて桜が開花するのだ。

この日は、我が家の冬物あれこれの思い切った片付けを行った。まずはガスストーブを納戸に仕舞いこんだ。ストーブさえ片付くと、居間のスペースが広がってくれるのは佳き。

そうして、ウールのセーター類もクリアケースに入れた。春用の長袖類は、ラグビージャージなどなどが既に出ていて、とりあえずは軽いジャブ程度のプチ衣替えである。

さらに、夫婦で一枚ずつ使っているシングルの羽毛布団の一枚を片付けた。全身に掛けるのはさすがに暑くなってきたので、それぞれが毛布を掛けて、一枚の羽毛布団を下半身に掛ける“春仕様”にしたのだ。

最後に、結露防止のキッチン換気扇を回すのも、そろそろ終了となる。

3月16日……我が家のある団地内のソメイヨシノが開花した。都内の標準木より2日遅かった。

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愉話§一日一句~土手は春~ [俳句]

季語は・・・ぺんぺん草

かそけきや ぺんぺん草を 鳴らす音

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告話§ビッグイシュー451号発売中! [ビッグイシュー]

ビッグイシュー451号は3月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。きかんしゃトーマスが表紙。

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表紙&スペシャルインタビュー きかんしゃトーマス

リレーインタビュー 麻生要一郎(料理家)

特集 装いサステナブル

私たちの装いは選択肢が豊かで自由になりました。安価な衣服が街にあふれ、流行にも縛られなくなったからです。反面、服の大量生産・大量廃棄は多大な温室効果ガスを排出するなど、地球環境に悪影響を与えています。

そんな中、注目を集めているのが「エコ」「エシカル」「スロー」ファッションを発展させる「サステナブル・ファッション」です。キノコや食品廃棄物などを活用する「バイオマテリアル」、コンピュータを使って型紙を制作する「コンピューテーショナル・デザイン」、衣服を脱物質化する「バーチャルファッション」など、それは衣服の素材・生産・流通を刷新し、持続可能な世界を目指しています。

「サステナブル・ファッションとは何か」について水野大二郎さん(京都工芸繊維大学教授)に「サステナブル・ファッションのつくり方」についてデザインラボ・Synfluxのみなさんに話を聞きました。

[国際記事]
ソマリア。過去40年で最も深刻な干ばつ。780万人が食糧不安

オーストラリア バンを使った移動診療所。医療格差の解消目指す

[世界短信]
滝田明日香のケニア便り 野生動物獣医になると誓って23年

[連載記事]
浜矩子の新ストリート・エコノミクス
                  子供を無理やりに大人化させるもの

コミック 『マムアンちゃん』 ウィスット・ポンニミット

ついに日本で「不同意性交罪」の可能性 小川たまか

池内了の市民科学メガネ プラシーボ効果とノーシーボ効果

販売者に会いにゆく 『プロスター・ノヴィ』ヨゼフ
                              [その他]

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民話§その昔「帰れ!」コールが [フォークソング]

フォークソングがブームになったのは、もう半世紀前のことになっていた。

けっこうな盛り上がりを見せつけたブームだったが、ちょうど実家暮らしで高校に通っていた頃がピークにあたっていて、しがない田舎町であっても、一か月おきくらいに、ヒットメーカーのフォークシンガーたちがやって来てはコンサートが開かれていたのである。

そんなコンサートで、何とも幼稚なやり取りが繰り広げられたことを記憶しているのだが、それは舞台に登場した歌手に向かって、客席の方々から……

帰れ! 帰れ!

……と飛び交っていたのだ。

この意味不明な“挨拶”とも言えぬコールが、どのようにして始まったのか定かではなく、時には「じゃあ、帰る!」と怒って、本当に帰ってしまった歌手もいたと記憶している。

何というか、今にして思えば微妙な“アンビバレンツ”的な空気が存在していて、それが帰れコールとして表出したということなのだろうかと想像するが、実際はさしたる動機などなかったのは間違いなく、とにもかくにも意味不明で不思議な“風物詩”として、訳若布なまま消え去ってしまったのだ。

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顧話§今日の歴史~なかなかに計算高くて~ [クラシック]

1681年3月14日、作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン誕生。

ライプツィヒの聖トーマス教会のトマスカントル(音楽監督)に空席ができた時、教会当局がまず声を掛けたのがテレマンだった。テレマンはハンブルクの音楽監督と天秤にかけたようで、ハンブルク市からギャランティのアップを交渉で勝ち取り、ライプツィヒに断りを入れたのだ。

そして当局は“二流どころで我慢するしかない”とバッハにトマスカントルを依頼。バッハは、1723年から死去する1750年までその地位にあった。

18世紀のドイツにあって、トップの作曲家はテレマンで、バッハは彼の下の“その他大勢”と見なされていたのだ。

もちろん、今もテレマンはバロック音楽の重要な作曲家だが、21世紀の今、バロック音楽の作曲家といえば、まず第一にバッハ!となってしまった。当時の人々がそのことを知ったら、どのようなことを考えるのだろうか……ちなみに我が家にあるテレマンの録音はたった一枚。無伴奏フルートのための12のファンタジアのみである。

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巻話§サンゴリアス対ワイルドナイツ[第11節] [ラグビー]

東日本大震災から12年、快晴の秩父宮ラグビー場には19,079人のラグビー好きが集結、ほぼ満員の客席を前に熱戦が展開されたのだ。

3・11東日本大震災から12年なるこの日は、キックオフ前に黙祷も行われた。

↓キックオフ一時間前だが、観客は続々と入場してきた
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↓半旗が掲げられての黙祷
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個人的には予想していたことだが、サンゴリアスの意気込みは半端ないもので、積極的な攻撃に果敢なディフェンスが功を奏し、前半はワイルドナイツをノートライに封じ込め、ひょっとしたら勝利を手にできるのではと思ったのだったが……

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後半に入ると、ワイルドナイツの本領が牙を剥いたのである。



そして、後半13分過ぎから15分足らずの間に立て続けの4トライ&ゴールであっさり逆転し、楽々と逃げ切っての勝利、全勝をキープした。

ワイルドナイツ自体、スロースターターなのかどうかわからないが、前半はリードされる試合が少なくないのだが、リードを広げられても、決して慌てるような素振りも見せずに、気がついたら逆転しているのがお約束なのだ。

それは後半に入って数分で、フォワード一列目の3人がフッカーの堀江を中心とする3人に総入れ替えした時から始まるような気がするのだ。使い古した表現だが“勝利の方程式”とは、まさにこのことではないだろうか。

ジャパンラグビーリーグワン2年目になったが、今年もワイルドナイツの優位は変わらなさそうである。

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風話§入浴剤の楽しみ [健康]

日々の入浴のために用意している入浴剤は3種類と決めている。

白濁したいかにも温泉を思わせるような炭酸系を2種類……一つは強炭酸系と謳っているのだが。

もう一つは、生薬ハーブをふんだんに使った“くすり湯”の類で、これはもう寒い時期には欠かせない入浴剤なのだ。おかげで、汗も出るし何より抜群に温まってくれる。

そんなあたりが冬の入浴剤のラインアップだが、夏場は、じっくり温まることよりも、すっきりさっぱりと入れることを主眼にした入浴剤を選んでいるが、おおむね夏らしく爽やかなブルー系の湯の色の入浴剤を選ぶ。バスソルトと炭酸系だが“森の香り”みたいなのも選択肢だ。

あまり考えずに選んでいるようでいて、自分なりに季節季節で考えていることに気がつくのである。

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網話§添付ファイルの技 [インターネット]

インターネットを使っていて、それはもう便利この上ない仕組みだと感心、感謝しているが、そんな中でもメイルの添付ファイルの存在はアクティブにして実にありがたい機能なのだ。

そのままでも、およそ30MBほどの容量を先方に送ることができる。30MBというと、大きめの写真でも10枚くらいは軽々と送れてしまう。

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それ以上の大きなデータであったら、ギガ容量を送れる方法もあるが、それを利用することはほとんどない。

ともかくも、自宅用のパソコンでここまでのことができるようになったのは今世紀に入ってからのことではないだろうか。そして、情報のやり取りは、格段にスムーズかつクォリティが上がっていったのだ。

そして地球上で夥しい量のデータが刻々と送受信されているのである。

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愉話§一日一句~十日が経って~ [俳句]

季語は・・・雛納(ひなおさめ)

老妻が 惜しみて今朝の 雛納

【去年の今日】週話§土曜有閑~贔屓のあれこれ~
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週話§日曜枯寂~確定申告~ [私事]

宮仕えの頃から“確定申告”を続けている。ささやかではあるが、定期的な寄付を続けていたり、生命保険料控除のためである。

30年前の申告書作成は手書き記入の煩雑な作業だった。それが終わると税率計算をするのだが、このやり方が年に一度程度では覚えることができず、税務署の申告部屋で待機している税理士に見てもらって計算してもらうのが常のことだった。

そうして出来上がった申告書類を窓口に提出して完了……毎年のことながら何とも面倒なことだったが、インターネットの国税庁ホームページで申告書を作成できるようになった。もう15年くらいにはなるだろうか。

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書式の中に該当する数字を放り込めば、正確に(たぶん)、勝手に計算して、申告書の出来上がりである。後はプリントアウトして領収書類を添付、税務署に郵送すれば、還付金の振り込みを待つだけである。

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異話§桃始笑~七十二候~啓蟄 [七十二候]

啓蟄の次候“桃始笑(ももはじめてさく)”である。

2月の半ば頃あたりだったか、表に出ると太陽の光を暖かいと感じたのだ。

もちろん年によって違いはするけれど、そうか“春の日差し”は立春とともにやってくるということかと思った。

ちょっと出かけるのにバスに乗ろうと停留所で待っていたら、思わぬ角度から太陽が背中に当たってありがたかったが、そういえば似たような時間でも冬の間は建物が太陽の邪魔をして、まったく陽当たりがなかったのである。

だから待つ間は、日なたに出てバスを待っていたのだ……あと10日もすれば春分がやって来て、いよいよ春本番。

我が家の“勝手に標準木”の辛夷(コブシ)も白い花が満開となった。

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週話§土曜枯寂~東日本大震災十二年~ [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時から12年が経過した。

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改めて、12年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに、徒歩帰宅は諦めて夕食をとるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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