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顧話§今日の歴史~カーネル・サンダース~ [野球]

1985年10月16日、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝。

人気はあるのに勝てない勝てない阪神タイガースが優勝した。優勝の最大の起爆剤になったのが、あの甲子園球場“バックスクリーン三連発”だったのは言うを待たないだろう。

そして、この時に優勝を確信した虎キチも少なくなかったのは間違いなく、つまり優勝するためには、ある種の“勢い”が必要なわけで、その雰囲気を醸成したのが甲子園三連発だったのだ。

この後、11月2日にタイガースは西武ライオンズを4勝2敗で下し、日本シリーズでも勝利を収めた。

だが、その後40年近く日本シリーズの勝利から遠ざかってしまった。それが“カーネル・サンダースの呪い”というアレで、リーグ優勝した夜の道頓堀で優勝を“祝う”―呪うではない―群衆が勢いのままに、ケンタッキー・フライド・チキン店頭に立つカーネル・サンダース像を道頓堀に放り込んでしまったのである。

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かくして2009年3月10日、カーネル・サンダース像は、大阪市建設局による水辺整備事業の最中に発見され、しばらく丁重に保管されていたが、老朽化が著しく、今年の3月に大阪は住吉大社で“人形納め”を行い廃棄された。

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阪神タイガースが日本シリーズを制して日本一になったのは去年の話だ。

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週話§土曜流転~天と地と~ [野球]

事が発覚した3月20日まで“彼”は評価100%のスーパー通訳だった。だが、その日を境に“彼”の評価は0%へと落ちたのである。否、0%という表現では足りるようなレベルですらないのだ。

まさに天と地とが一瞬で舞台転換したような……何というか、どのように表現できるものか、不可能でしかない出来事と言っていいだろう。

この先“彼”を待ち構えているのは、場合によっては20~30年に及ぶであろう刑務所の生活と、一切合切を失ったその後の生涯である。

それが、依存症であるがゆえの所業であろうが、犯した現実のとてつもない巨大さに眼が眩む思いしかない。

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顧話§今日の歴史~4打席連続空振三振~ [野球]

1958年4月5日、巨人の長嶋茂雄がデビュー。

鮮烈なデビューである。少なからぬ野球選手は、自らのデビュー戦をホームランや、鮮烈な当たりのクリーンヒット、投手であれば完封勝利であり、また完投勝利を飾ってという、幸運なスタートを切ることになる。

だが“ミスタージャイアンツ”は、そのデビューを全打席空振三振を記録して、野球ファンの記憶に刻み込んだのだ。

我々のような世代にとって、長嶋茂雄は日本のプロ野球における紛れもないスーパースターなのだった。

そして六十数年が過ぎた今、大谷翔平という企画外の新しいスーパースターが活躍をしている。よもや自分たちが生きている間に、大リーガーの頂点に立つような存在が現れるなどとは、およそ予測できることではなかったが、彼の悠揚迫らぬ立ち居振る舞い一つ一つが新しい世代の台頭を如実に表し、長嶋茂雄が遠い過去の記憶として片隅に追いやられる日が来るのだろうか。

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西話§東大阪花園ラグビーの陣[5]球場の跡 [野球]

[承前]

実は、もう一つ気になっている場所があった。1998年にクローズした大阪スタヂアム(通称大阪球場)の今である。

1977年の夏、一度だけ大阪スタヂアムで野球を観ている。野村克也監督率いる南海ホークスと金田正一監督率いるロッテオリオンズのナイターだった。

その当時パリーグの人気はどん底の底にあって、もちろん当日売りでも楽々チケットを買うことはできたし、球場に入れば客席は閑散たるもので、目視でお客さんの人数を数えらえるほどだったのだ。

というわけで、ネットで調べてみれば、何と宿泊しているホテルの真下が、探している大阪スタヂアムだったということがわかったのである。

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なんばパークスという商業施設がそれで、球場の記念碑も設置されていると知って、ホテルの部屋から撮影を試みた。そうして見つけたのが下の写真。最初に何とも不思議な屋上庭園に目を奪われた。

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手前にホームプレートが埋め込まれ、奥にピッチャーズプレートが埋め込まれているのが確認できた。こんな狭いスペースに球場があったのかと驚く。かつての球場があったすぐ横を、南海電車が難波駅を出入りして、かつては鉄道会社のアピール材料として利用されていたことがよく理解できる。

かくして追憶の大阪スタヂアムは“すぐそこ”にあったのだ。
                               [続く]

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週話§土曜枯寂~とらほー!~ [野球]

長いこと、推しチームが勝った時に、阪神だったら……

とらほー!

……と叫び、オリックスであれば……

おりほー!

……と叫んでいる“ほー!”が何を意味しているのかわからないでいた。調べればすぐに判明することを、永らく放置していたのだが、その意味は……

わんだほー!

……の“ほー!”だとわかった。その他、中日だったら“どらほー”だし、ソフトバンクなら“たかほー”だが、巨人は“きょほー”なのかというと、違っていて“うさほー”なんだそうだ。キャラクターがうさぎのジャビットだからということだ。

まあ、贔屓球団を持たないままここまで来た身にしてみれば、そんな勝利の雄叫びをあげられるのは、さぞうれしいことと思うわけです。それでは……

スピほー!(?

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顧話§今日の歴史~空白の一日~ [野球]

1978年11月21日、江川卓が読売ジャイアンツと契約。

政治家が絡んでのこの出来事を見ていて、どうしてこんなあからさまとしか思えない“ズル”をするのだろうかと考えていた。あまりにも次元が低すぎるさもしい話でしかなかった。

江川は一歳下で、一浪した自分と同じ年に法政に入学した。六大学野球の対法政戦を2回ほど観に行ったと思うが、とにかくボールが速くて、当時どん底にあった我が大学の野球部は手も足も出なかったのだ。

そんな江川が、どのプロ球団に入るものか、本人は巨人一本の意志が固いことを示していたが、ドラフト次第でしかない。ところが……誰かが悪知恵を働かせて“空白の一日”の間隙を縫って、巨人と契約するという前代未聞の暴挙を為したのである。

結果、様々な軋轢が生じ、現役時代は言うまでもなく、引退して以降も、あの一件でダーティーの烙印を押されて、それを拭い去ることができないまま間もなく七十代を迎える。ドラフト制度が完璧な制度だなどとは思わないがそれを蔑ろにするべきではなかった。

どの面下げて「巨人軍は常に紳士たれ」と言えたものだ……ズルをしてまで自軍に利をなどとは、紳士がすることではない。

事件から40年以上経過しても忘れていない人間は少なくないのだぞ。

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丸話§野球とヘアスタイル [野球]

高校野球の姿が、ようやくまっとうになりつつあるように思われる。

普通に伸ばした髪型で甲子園出場を果たした高校が増えていた……これが伝統だとか、つまらん意味不明なことを呟いているところもあるようだが、これから先も、普通の髪型の野球部の出場が増えていってくれることを望む。

何より“みんな同じ”とか横並びといったやつが大嫌いなので、いい加減に甲子園も普通の髪型で出場する野球部が増えればいいのにと思っていたが、ここに来てようやく徐々に増えつつあることは佳きかな。

なお、いかに坊主の“強制”が不快なものかについては、わがエントリーを読んでいただきたい。多様性の時代にあって、今だに逆行を良しとする空気にも反発したい。

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悼話§毒島章一さん(プロ野球選手) [野球]

今年の5月に亡くなっていたことを知った……高校の大先輩である。



高校卒業後、東映フライヤーズに入団、1971年に現役引退するまで、シュアなバッティングで、後に阪急ブレーブスの福本豊(盗塁王)に抜かれるまで、その当時の三塁打プロ野球記録106本を持っていた。

当然ながら三塁打は、安打の中で最も打つのが難しい。バッティングだけでなく走力が必要なのは言うまでもない。だから“地元民”としては、福本に抜かれたことが本当に悔しかったのだ。

毒島章一以降、我が田舎町から、彼ほどのプロ野球選手が輩出されなかったのは残念……蛇足ながら“ハンカチ王子”は隣町の出身である。享年八十七

合掌

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則話§ヤングと野球のルール [野球]

先月下旬のこと。電車の隣りに立っていたのは、ちょっとちゃらい、昨今の“ヤング(死語)”二人だった。

折しもWBCたけなわだった時で、会話はその話に進んで、一人が「おれ、明日の決勝見ようかな」と話したところ、もう一人が「あれ、お前って野球のルールを知ってるの?」と返すと「いや、全然知らない」と答えたのだ。

それを聞いて、さすがに驚いた。もちろん、野球のルールを知らない人間などはいくらでもいるだろうが、それにしても二十代半ばくらいの元気そうな“ヤング”が知らないとはと思ったのである。

確かに、そもそも興味がなかったらルールを知らないのは当然かもしれないが、小学生の頃には一通りおおまかなルールを把握していた人間にしたら、ちょっと腑に落ちないことだった。

まあ、我々のような世代は、スポーツといえば野球か大相撲で、昭和の半ば頃はテレビ局がこぞって二つのスポーツの中継をしていたから、否応もなく自然に約束事くらいは覚えてしまった。それが今は、様々な選択肢が提供されていることで、野球のルールを知らないなどと、さほど驚くに値しないのかもと思ったのである。

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顧話§今日の歴史~打者27人、走者ゼロ~ [野球]

1968年9月14日、広島東洋カープの外木場義郎が完全試合を達成。

言うまでもなく、塁上に一人の走者も出すことなく、1イニング3人ずつ、9イニング21人をアウトで片づけることが完全試合である。

1968年のこの日、広島東洋カープの外木場が完全試合を達成した。日本プロ野球10人目の快挙だった。

完全試合がいかに達成困難な記録であるか……外木場が達成した後、1994年に巨人の槙原が達成したものの、そこから達成する投手が出てきてくれず、今年4月、ロッテの佐々木朗希が達成するまで、実に28年もの巨大な空白があったのだ。

昨今、9回最後まで完投してというシステムではなく、一定の投球数で交代するのが常識になってきている今日、完全試合への関門はいよいよ狭く狭くなってしまっているのである。

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延話§野球は長い~ラグビーやサッカーは~ [野球]

最後にプロ野球の公式戦を観たのはいつだったか記憶が薄れているが、確か東京ドームの巨人対広島(中日?)で、1990年代初めだったから、もう30年ということか。

観なくなったのは、野球への興味が失われたことが第一、そして試合時間の長さが大きな理由である。

ラグビーやサッカーのように、およそ2時間で終わるようなゲームは稀で、確実に3時間は要しているのが当たり前のことのようだ。

大昔、予備校に通っていた頃、神宮球場が近かったので、なぜか行われていたパリーグのゲームを観に行ったことがある。当時は前期&後期制で、前期の行方がかかった試合だったが、初回から打ち合いとなって、確か4回までで2時間もかかったのだった。

このままいったら4時間超えになるんじゃないかと思っていたら、後半はそこそこスムーズになって(それでも)3時間半はかかった記憶である。

とにかく野球は試合時間が長い。ナイターの場合、18時試合開始で21時を過ぎても試合たけなわなことなど珍しくもない。

先月、秩父宮ラグビー場15時キックオフの日本対ウルグアイ戦を観に行った時、お隣の神宮球場では、14時試合開始のヤクルト対広島が始まっていた。

↓左端にお隣のスコアボードが
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そうして、17時ちょっと前にノーサイドとなった時、お隣はまだ7回あたりでぐすぐずし、調べてみたら試合終了は17時57分……試合時間3時間57分とラグビーの倍の時間がかかっていたのだ。

というわけで、もはやプロ野球をスタジアムで観ようとはゆめゆめ思わず、2時間で必ず終わるラグビーやサッカーに宗旨替えしているのである。

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解話§プロ野球の日本シリーズ [野球]

今年のプロ野球日本シリーズは11月20日から28日までの日程で行わている。かつては長くても11月はじめには日本シリーズも終わっていたのだが、12月近くになってもゲームが行われるようになったのは、ペナントレースと日本シリーズの間に“クライマックスシリーズ(CS)”が行われるからだ。

何とも不可解なこのシリーズは、ペナントレースの1位から3位までが、日本シリーズ出場を賭けてという名目の試合なのである。観客動員を目論んでのシリーズであることは明らかだが、当然のことながら、どうしてペナントレースの1位同士をもって日本シリーズを戦わないのかと思う。

あまつさえ、3位のチームがクライマックスシリーズを勝ち上がって優勝するなど冗談ではないか。

11月はじめに日本シリーズが終われば、自主トレが始まる2月まで3か月の休養期間が取れるところ、日本シリーズ出場チームは2か月の休みしかないというのもいかがなものかである。

ついでに書くならば、今年のドラフト会議が行われたのはシーズン中の10月11日のことだった。優勝争いをしている真っ最中にドラフトをするなどと、驚いたのだが、翌年のチーム編成……それこそ監督人事も未定な段階でのドラフトってどうなのだろう。

シーズンが延々と伸びたことで、何かプロ野球に歪みが生じているような気がしてならない。

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浪話§南海ホークス対ロッテ・オリオンズ [野球]

プロ野球の公式戦を観たのは10試合に満たないはずだ。かつての後楽園から東京ドーム、神宮球場と都内の球場に始まり、甲子園で虎巨戦も観ている。

そんな中で一番の珍品は、難波にあった大阪球場で南海ホークス対ロッテ・オリオンズという試合を観たことだろうか。

1977年7月、京都の祇園祭見物に行った東京に戻る最終日、神戸で知り合いに会ったりと時間を潰したが、大阪駅から東京駅八重洲口への夜行バスまで時間がたっぷり残っていたので、調べれば大阪球場でナイターをやっていることがわかったので、いそいそと行ってみた。繁華街の中に造られた球場は敷地が狭いこともあって、急角度のすり鉢状なのが印象的だった。

一番安い外野席の上方に座って観戦を始めたが、入っていたお客さんの少なさに驚かされた。ざっと見渡しても、目視で数えられるほどで、おそらくは200人も入ってなかったのではなかろうか。

関西だなあと笑ったのは、南海ファンのおっさんが、ロッテの外野手得津を大声でいじりまくることだった。まあ、他愛もなく「得津がんばれえぇ!」とか声を掛け続けるのだが、得津はそれに振り向いては苦笑いするという、和やかな(嘘)光景が繰り広げられたのだ。

そうして、得津のところに打球が飛んできて後逸した時に、おっさんのボルテージはさらに上がって「得津がんばれえぇ!」を連呼するのであった。

肝腎の野球の中身など覚えているはずもなく、千人に満たない観客席と対戦相手をいじりまくるおっさんしか記憶にない。ちなみに南海の監督は野村克也、ロッテは金田正一である。

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顧話§今日の歴史~無走者打者27人~ [野球]

1968年9月14日、外木場義郎がプロ野球史上10人目の完全試合を達成。

ノーヒットノーランであれば、1シーズンに一回くらいは達成されていると思うが、一人の走者も出さず、打者27人できっちり9回を投げ通す完全試合となると、プロ野球においては1950年に最初の完全試合が達成されて以来、1994年の槙原を最後に27年……今世紀に入ってからは一度も記録されていないのである。

完全試合が達成されるかどうか、野球中継を見ていると、5回か6回あたりで解説ブースが気がついて、話題はそこに集中していく。同じタイミングでダッグアウトでも薄っすらと気づき始めるが、特に完全試合をやろうとしているチームでは話題にすることはないはずだ。だがこれが、8回ともなれば球場全体が気がついて、おそらく異様な雰囲気に包まれるのは間違いない。

そんなプレッシャーの中で投げ続けるピッチャーと、それ以外の8人、そして相手チームの心理はいかなるものか。言わずもがなだが“自分のところにボールが飛んでこないよう”祈っていて、ましてそれが27人目だったりしたらえらいことなのだろう。これはもうピッチャー一人だけで記録するものではなく、チームとして達成させるべき記録なのだ

広島カープのエースだった外木場投手は、完全試合というとてつもない記録を打ち立てただけでなく、2回のノーヒットノーランまで記録している。

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顧話§今日の歴史~プロ入り一年目で~ [野球]

1987年8月9日、中日の近藤真一投手がノーヒットノーランを達成。

これは確かテレビ中継を観ていたような気がする……調べたら日曜日だったので間違いない。ナゴヤ球場で行われた、対巨人戦のことである。

1回と5回に中日が3点ずつ取ったことで、初先発の近藤としては楽に投げられる環境になってくれたようだ。

最後まで中継を観ていたが、まさかノーヒットノーランを達成するとは思いもしなかった。

得てして、こうした記憶に残るような記録を作る選手の中には、その後を不遇のまま過ごすケースが少なくなく、近藤もまた6年という短い現役期間の白星は12……だが、現役引退後はコーチやスコアラー、スカウトとして野球に携わることができたのである。

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