別話§終活のおはなし~年下の知人が~ [終活]
[承前]
パソコン通信の時代に知り合った……昨今は年賀状のやり取りだけの知人が昨年5月に亡くなったと、年明け早々に家族からの葉書で知った。
古稀を迎える年齢となった人間にとって、10歳近く年下の人間に先立たれることほど堪えるものはない。
人間――可能であればだが――年齢の順に旅立っていくのがベターと考えるのは当然のことで、年齢を経れば経るほど、歳若い知り合いに先立たれるのは辛いことだとしみじみ思う。
せめては心安らかに天に昇っていってくれればと願うばかりである。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
パソコン通信の時代に知り合った……昨今は年賀状のやり取りだけの知人が昨年5月に亡くなったと、年明け早々に家族からの葉書で知った。
古稀を迎える年齢となった人間にとって、10歳近く年下の人間に先立たれることほど堪えるものはない。
人間――可能であればだが――年齢の順に旅立っていくのがベターと考えるのは当然のことで、年齢を経れば経るほど、歳若い知り合いに先立たれるのは辛いことだとしみじみ思う。
せめては心安らかに天に昇っていってくれればと願うばかりである。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~メメント・モリ~ [終活]
[承前]
“Memento Mori(メメント・モリ)”……ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味である。
この世の生きとし生けるもの、そのすべてが生きているということを実感しているだろうが、その先にある“死”について考えるのは人間だけではないかと考えた。
いやそんなことはない、ミジンコだって象だって考えているかもしれないぞと言う人がいるかもしれないが。ごくごく常識的な人の思考構造であれば、しかるべく年齢に行き着いたところで“死”について思いを馳せるのは自然なのである。
まあ、その後どのように自分の中で死というものを解釈、理解していくかは人それぞれだろう。だが、世の中には、理由はわからないけれど“自分は死なない”みたいな根拠なき発想を持っている人がいるようで、そうした人は自分が死に直面した時に、どのようなことを考えるのだろうかと思うのだ。
“メメント・モリ”……死を考えることで、死という瞬間を受け容れることではないだろうか。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
“Memento Mori(メメント・モリ)”……ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味である。
この世の生きとし生けるもの、そのすべてが生きているということを実感しているだろうが、その先にある“死”について考えるのは人間だけではないかと考えた。
いやそんなことはない、ミジンコだって象だって考えているかもしれないぞと言う人がいるかもしれないが。ごくごく常識的な人の思考構造であれば、しかるべく年齢に行き着いたところで“死”について思いを馳せるのは自然なのである。
まあ、その後どのように自分の中で死というものを解釈、理解していくかは人それぞれだろう。だが、世の中には、理由はわからないけれど“自分は死なない”みたいな根拠なき発想を持っている人がいるようで、そうした人は自分が死に直面した時に、どのようなことを考えるのだろうかと思うのだ。
“メメント・モリ”……死を考えることで、死という瞬間を受け容れることではないだろうか。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~長生きですとか~ [終活]
[承前]
寿命……こればかりは自分で決めることができない。長生きしたいとかしたくないとか、そんな了見などお門違いでしかなく、そうした考えは、実のところ先々について何も見通していないからではないかと考える。
長生きすることのメリットとデメリットを考えるなら、デメリットの多さについて危惧しながら、他の人たちはそうした可能性の類に関して、どれだけシミュレーションしているのだろう。
何度も書いているが生き物である人間は必ず死ぬ、いつか死ぬ。夭折するのか、平均寿命どおりか、百歳を超えてしまうのか……生きている存在は必ず死を迎えるのだ。来るものが来たなら、我々は黙ってそれに従うしかない。
古の中国の秦始皇帝は、不老不死の薬を求めて多くの手下たちをあちこちに派遣してそれを探させたという。もちろん、見つかるはずもなく、皇帝もまた誰もがたどる同じ道をたどって逝ってしまったわけだが。
いずれ“お迎え”が来ることは、否が応でも受け容れるしかないことだが、現世の未練もそれなりにあって……気になっている若手歌舞伎役者の行く末とか、お気に入りのテレビ番組の結末がどうなるものか、まあ要するに他愛のないことばかりではある。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
寿命……こればかりは自分で決めることができない。長生きしたいとかしたくないとか、そんな了見などお門違いでしかなく、そうした考えは、実のところ先々について何も見通していないからではないかと考える。
長生きすることのメリットとデメリットを考えるなら、デメリットの多さについて危惧しながら、他の人たちはそうした可能性の類に関して、どれだけシミュレーションしているのだろう。
何度も書いているが生き物である人間は必ず死ぬ、いつか死ぬ。夭折するのか、平均寿命どおりか、百歳を超えてしまうのか……生きている存在は必ず死を迎えるのだ。来るものが来たなら、我々は黙ってそれに従うしかない。
古の中国の秦始皇帝は、不老不死の薬を求めて多くの手下たちをあちこちに派遣してそれを探させたという。もちろん、見つかるはずもなく、皇帝もまた誰もがたどる同じ道をたどって逝ってしまったわけだが。
いずれ“お迎え”が来ることは、否が応でも受け容れるしかないことだが、現世の未練もそれなりにあって……気になっている若手歌舞伎役者の行く末とか、お気に入りのテレビ番組の結末がどうなるものか、まあ要するに他愛のないことばかりではある。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~さてその先は~ [終活]
[承前]
人は死ぬ。いずれ死ぬ……いったい自分は、どこから来て、どこに去っていくのだろう。
死んでしまえば、荼毘に付され“灰”になってそこまでである。死後の世界がどうのこうのとかまびすしいが、これまで誰一人として死後の世界を見た人間などいない。臨死体験は単なる“体験”でしかなく、それをもって死後の世界を見たわけではない……ただの夢である。
意識がなくなり、呼吸が止まり、心臓が止まり。意識が途絶えたら、我々はこの世からおさらばするのだ。もうその先はない。
来年、古希七十を迎えるが、いよいよ秒読みに入っているのは間違いない。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
人は死ぬ。いずれ死ぬ……いったい自分は、どこから来て、どこに去っていくのだろう。
死んでしまえば、荼毘に付され“灰”になってそこまでである。死後の世界がどうのこうのとかまびすしいが、これまで誰一人として死後の世界を見た人間などいない。臨死体験は単なる“体験”でしかなく、それをもって死後の世界を見たわけではない……ただの夢である。
意識がなくなり、呼吸が止まり、心臓が止まり。意識が途絶えたら、我々はこの世からおさらばするのだ。もうその先はない。
来年、古希七十を迎えるが、いよいよ秒読みに入っているのは間違いない。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~SNSは生存証明~ [終活]
[承前]
生存証明が必要な年齢になってきた。どのようにして自分が何とか生きていることを発信できるか。それはまあ、頭と身体が動いていてさえしていればブログとか参加しているSNSに存在証明として発信し続けられるはずだ。
だが、身体が不如意になって余命いくばくもない……そうなった時に、最期が近いことを何らかの形で知らせる方法はないものかと思う。
生体反応をブルートゥースでパソコンに発信して、自分が身罷ったことを知らしめるなんていう装置があればいいと思うが、そんなものなどできるとは思えない。
そして問題なのは、死んだ後も様々な料金が銀行から引き落とされ続けるということで、こうしたことだって誰かに手続きでもしてもらえればいいが、そうでなければ残高がゼロになるまで延々と引き落とされ続けるのである。
あの世に行ってしまえば現世の金のことなどどうでもいいことではあれど、何とか役に立つ方向に持って行けないものかと思う。できれば、あの世からコントールできたらいいのにとすら思ってしまう……そのあたりが人情とかいうやつだろうか。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
生存証明が必要な年齢になってきた。どのようにして自分が何とか生きていることを発信できるか。それはまあ、頭と身体が動いていてさえしていればブログとか参加しているSNSに存在証明として発信し続けられるはずだ。
だが、身体が不如意になって余命いくばくもない……そうなった時に、最期が近いことを何らかの形で知らせる方法はないものかと思う。
生体反応をブルートゥースでパソコンに発信して、自分が身罷ったことを知らしめるなんていう装置があればいいと思うが、そんなものなどできるとは思えない。
そして問題なのは、死んだ後も様々な料金が銀行から引き落とされ続けるということで、こうしたことだって誰かに手続きでもしてもらえればいいが、そうでなければ残高がゼロになるまで延々と引き落とされ続けるのである。
あの世に行ってしまえば現世の金のことなどどうでもいいことではあれど、何とか役に立つ方向に持って行けないものかと思う。できれば、あの世からコントールできたらいいのにとすら思ってしまう……そのあたりが人情とかいうやつだろうか。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~我々はお先に失礼~ [終活]
[承前]
不定期連載を久々に……まあ、中身はそれほど真新しいわけではなけれど。
人生の残り時間が徐々に減っている。増えることなどないとはあたりまえのことで、この先元気で30年も生きられるはずはなく、贔屓目に見積もっても20年足らずか、まあそんなところだろう。
生を享けていた間に何を為したかといえば、はなはだお寒いものがあって、結局はほとんど市井の片隅でひっそりと生きてきただけとしか思えない。
まあせいぜい、選挙の時は必ず投票してきた。そうして不思議だと思うのは「自分が投票に行っても何が変わるわけではない」とうそぶいて棄権する人たちのことで、それはもう変わらなくてもいいと言っているだけである。
何かがおかしいと感じたら、投票することで状況を変えてみる必要がありはしないか。昨今の他の民主主義国家の選挙の様子を見ていると、政権交代を躊躇していないことがわかるだろう。
そうして新しい政権がうまくいかないようであれば、次の選挙で交代を模索するということが当然のように行われる。長期政権は、一見すると安定して安心できるような錯覚に陥ってしまうが、内部的には腐敗が顕著に進んでいて、気がついた時は手遅れになりかねない。
そんな政権を交代させられないのは明らかに我々の責任で、力不足は否めなかった。そんな状況を残してお先に失礼してしまうわけだが“その先”をどう考えていくかは、残った世代の問題で、少なくとも何もせずに“見てるだけー!”ではいられないことに気がついてもらいたいと思っている。我々はとっくに御役御免となっているが、もうひと踏ん張りしようと思っている。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
不定期連載を久々に……まあ、中身はそれほど真新しいわけではなけれど。
人生の残り時間が徐々に減っている。増えることなどないとはあたりまえのことで、この先元気で30年も生きられるはずはなく、贔屓目に見積もっても20年足らずか、まあそんなところだろう。
生を享けていた間に何を為したかといえば、はなはだお寒いものがあって、結局はほとんど市井の片隅でひっそりと生きてきただけとしか思えない。
まあせいぜい、選挙の時は必ず投票してきた。そうして不思議だと思うのは「自分が投票に行っても何が変わるわけではない」とうそぶいて棄権する人たちのことで、それはもう変わらなくてもいいと言っているだけである。
何かがおかしいと感じたら、投票することで状況を変えてみる必要がありはしないか。昨今の他の民主主義国家の選挙の様子を見ていると、政権交代を躊躇していないことがわかるだろう。
そうして新しい政権がうまくいかないようであれば、次の選挙で交代を模索するということが当然のように行われる。長期政権は、一見すると安定して安心できるような錯覚に陥ってしまうが、内部的には腐敗が顕著に進んでいて、気がついた時は手遅れになりかねない。
そんな政権を交代させられないのは明らかに我々の責任で、力不足は否めなかった。そんな状況を残してお先に失礼してしまうわけだが“その先”をどう考えていくかは、残った世代の問題で、少なくとも何もせずに“見てるだけー!”ではいられないことに気がついてもらいたいと思っている。我々はとっくに御役御免となっているが、もうひと踏ん張りしようと思っている。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~自動車と運転免許~ [終活]
[承前]
1984年秋に運転免許を取得。今の車が4台目で、ついこの間4回目の車検を済ませたところである。
年齢を考えるなら、今の車が最後で、乗り潰してさようならということだ。後は何歳で免許を手放そうかということだが、自分的には75歳あたりが目処となるかと踏んでいる。いつまでも運転し続けられるわけではない。
まずもって免許そのものを放棄し、身分証明に使える“運転経歴証明書”を交付してもらうか、さらに更新を繰り返すのか……さすがに、車そのものを手放してしまったら、免許を持ち続けていても意味はなさそうだ。
とはいえ、ただでさえ狭い行動範囲が、さらに狭まる可能性は否定できず、車を手放した後をどう動いていくのか、悩ましい問題になっていくだろう。
現時点で、実際にそういう状況になった時にどうなるものか、まったく想像ができておらず、なかなかに微妙なせめぎ合いになるような気がしている。
とりあえず、高速道路を走っての遠距離移動は70歳あたりで打ち止めとし、その先数年は近場の“スーパーカー”で無難かつ不可欠な足の便として活用していくつもりでいるが。
《老化のトピックス一覧》
1984年秋に運転免許を取得。今の車が4台目で、ついこの間4回目の車検を済ませたところである。
年齢を考えるなら、今の車が最後で、乗り潰してさようならということだ。後は何歳で免許を手放そうかということだが、自分的には75歳あたりが目処となるかと踏んでいる。いつまでも運転し続けられるわけではない。
まずもって免許そのものを放棄し、身分証明に使える“運転経歴証明書”を交付してもらうか、さらに更新を繰り返すのか……さすがに、車そのものを手放してしまったら、免許を持ち続けていても意味はなさそうだ。
とはいえ、ただでさえ狭い行動範囲が、さらに狭まる可能性は否定できず、車を手放した後をどう動いていくのか、悩ましい問題になっていくだろう。
現時点で、実際にそういう状況になった時にどうなるものか、まったく想像ができておらず、なかなかに微妙なせめぎ合いになるような気がしている。
とりあえず、高速道路を走っての遠距離移動は70歳あたりで打ち止めとし、その先数年は近場の“スーパーカー”で無難かつ不可欠な足の便として活用していくつもりでいるが。
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~どうなるんだろ~ [終活]
[承前]
というわけで、我が“生”の行く末について短期集中で考えてみた……が、とても考え切れるものでないということも理解できた。考えられないものは考えられないということだ。
とにもかくにも、思いついてできることは少しずつ進めていくしかないし、パソコンだのネット関連については、こちらが先の場合は同居人にお願いをするとして、自分が後になったら、優先順位を付けて不要と思われるあれこれを片付けていくしかない。
繰り返し繰り返し何度も書いていることだが、終の栖(すみか)として、散骨墓地は確保してある。後は首尾よく処理をしてくれる人間が納めてくれれば我が人生は完了となる。
この先、長くて20年(さすがに30年はない)、短ければ数年のうちにはお迎えが来るだろう。さて、この世で最後に眼にする光景はどんなものだろうか。
“終活のおはなし”だが、一旦終了とするけれど、この先も断続的に再開させるつもりである。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
というわけで、我が“生”の行く末について短期集中で考えてみた……が、とても考え切れるものでないということも理解できた。考えられないものは考えられないということだ。
とにもかくにも、思いついてできることは少しずつ進めていくしかないし、パソコンだのネット関連については、こちらが先の場合は同居人にお願いをするとして、自分が後になったら、優先順位を付けて不要と思われるあれこれを片付けていくしかない。
繰り返し繰り返し何度も書いていることだが、終の栖(すみか)として、散骨墓地は確保してある。後は首尾よく処理をしてくれる人間が納めてくれれば我が人生は完了となる。
この先、長くて20年(さすがに30年はない)、短ければ数年のうちにはお迎えが来るだろう。さて、この世で最後に眼にする光景はどんなものだろうか。
“終活のおはなし”だが、一旦終了とするけれど、この先も断続的に再開させるつもりである。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~所有物~ [終活]
[承前]
生活するためのあれやこれやに始まって、膨大な“物”が我が家に存在している。他人から見れば何の役にも立たないあれやこれやもあるが、そんな中に、自分の趣味の領域で後生大事に集めた、ささやかなアンチック的コレクションもあったりする。
それらを買った時、自分の所有物になったという意識を抱いていたのだが、お迎えが近づきつつある今、気がついたこととして、確かに金を出して買いはしたけれど、未来永劫“自分のもの”ということはあり得ず、実は“一時預かり”のようだということなのだ。
そうして、そうした物は誰かに引き継いでもらえれば、それが理想だと思っている。
上は17世紀の銅版画家マテウス・メリアンが作成したミュンヘンの都市図で、目下数点を額装して飾っている。それらを極楽浄土に持って行くことなど叶うはずもないから、次の預かり先を考えなくてはならない。
結局、最後の最後は自分のものというものなど何一つ存在せず、無となって我が身も何処かへと消え去っていくのである。まだ、もう少し時間は残っているとは思うけれど。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
生活するためのあれやこれやに始まって、膨大な“物”が我が家に存在している。他人から見れば何の役にも立たないあれやこれやもあるが、そんな中に、自分の趣味の領域で後生大事に集めた、ささやかなアンチック的コレクションもあったりする。
それらを買った時、自分の所有物になったという意識を抱いていたのだが、お迎えが近づきつつある今、気がついたこととして、確かに金を出して買いはしたけれど、未来永劫“自分のもの”ということはあり得ず、実は“一時預かり”のようだということなのだ。
そうして、そうした物は誰かに引き継いでもらえれば、それが理想だと思っている。
上は17世紀の銅版画家マテウス・メリアンが作成したミュンヘンの都市図で、目下数点を額装して飾っている。それらを極楽浄土に持って行くことなど叶うはずもないから、次の預かり先を考えなくてはならない。
結局、最後の最後は自分のものというものなど何一つ存在せず、無となって我が身も何処かへと消え去っていくのである。まだ、もう少し時間は残っているとは思うけれど。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~インターネットは~ [終活]
[承前]
インターネットとパソコンが、終活をより複雑かつ難しくしているようだ。前世紀、パソコンを所有している一般家庭がどれほどだったのかはわからないが、今世紀になり、インターネットの爆発的な普及によって、ネット内における繋がりが発生した。
ネットショッピングなどで、多くのショップと“取引”をするたび、それぞれ登録をする必要が生じる、その都度ログインするためのIDとパスワードを作成していかなくてはならない。ネットの初期は、それほどネットで買い物をしていなかったのでそれほどではなかったが、ここ10年ほどは、IDとパスワードの数が半端ではなくなったので、某所に保存している。
そして、同居人が先に旅立ってしまったら、まあ同居人のパソコン処理は、さほど難しくはないが、こちらが先になってしまったら、これはもう大変な作業が待っていることは間違いない。
それに加えるなら、ネット内での課金もいくつかあって、我が死後に誰も処理をしてくれなかったら、死後であっても口座から勝手に延々と引き落とされてしまう。
そうしたあれこれを、どうしたらいいのか……とにかく“その日”がいつ来るのかわからないまま、今だに大きな課題として頭の上にあることなのだ。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
インターネットとパソコンが、終活をより複雑かつ難しくしているようだ。前世紀、パソコンを所有している一般家庭がどれほどだったのかはわからないが、今世紀になり、インターネットの爆発的な普及によって、ネット内における繋がりが発生した。
ネットショッピングなどで、多くのショップと“取引”をするたび、それぞれ登録をする必要が生じる、その都度ログインするためのIDとパスワードを作成していかなくてはならない。ネットの初期は、それほどネットで買い物をしていなかったのでそれほどではなかったが、ここ10年ほどは、IDとパスワードの数が半端ではなくなったので、某所に保存している。
そして、同居人が先に旅立ってしまったら、まあ同居人のパソコン処理は、さほど難しくはないが、こちらが先になってしまったら、これはもう大変な作業が待っていることは間違いない。
それに加えるなら、ネット内での課金もいくつかあって、我が死後に誰も処理をしてくれなかったら、死後であっても口座から勝手に延々と引き落とされてしまう。
そうしたあれこれを、どうしたらいいのか……とにかく“その日”がいつ来るのかわからないまま、今だに大きな課題として頭の上にあることなのだ。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~不定期連載~ [終活]
不定期的に終活の話を書こうと思う。もはや“まじめ”に終活を考えなくてはならない年齢になってしまっているのだ。あまりにも当たり前に過ぎる話だが、これまで生きてきた時間と同じ時間をこの先生きられるはずなどないという、わかりきった前提である。
では、あと何年生きられるものか……そんなことわかるはずなどはないだろう。ひょんなことで30年くらい生き永らえるかもしれなければ、来週あたりあっけなくお迎えが来てしまうかもしれない。
いつお迎えが来るものか、それがわかっていれば話は簡単で、それを目安に終活を進めていけばいいだけのことである。
だが、その“いつ”がわからないから、あれこれ頭を悩ませなければならないし、ぐずぐずしている間に中途半端な終活のまま逝ってしまいかねない。
逝ってしまったが最後後戻りはできないことになっているので、残るすべてはほったらかしのままで、後を託すことになってしまう。
常々書いていることだが、一応公正遺言証書は作成してあって、それに従ってもらえればいいし、散骨墓地も用意してあるので、最後はそこに撒いてもらえば万事終了なわけだが、そこまで指示どおりに事が進んでいってくれるかどうかも問題なのだ。
同居人とどちらが先なのかというのも、なかなかに難しい話で、後に残ったほうには、けっこうな負担がかかってしまうような気がする。というわけでいよいよ待ったなしになりつつある終活について、考えていかなくてはならなくなってきた……という、終活の心構えについて時折書いていくつもり。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
では、あと何年生きられるものか……そんなことわかるはずなどはないだろう。ひょんなことで30年くらい生き永らえるかもしれなければ、来週あたりあっけなくお迎えが来てしまうかもしれない。
いつお迎えが来るものか、それがわかっていれば話は簡単で、それを目安に終活を進めていけばいいだけのことである。
だが、その“いつ”がわからないから、あれこれ頭を悩ませなければならないし、ぐずぐずしている間に中途半端な終活のまま逝ってしまいかねない。
逝ってしまったが最後後戻りはできないことになっているので、残るすべてはほったらかしのままで、後を託すことになってしまう。
常々書いていることだが、一応公正遺言証書は作成してあって、それに従ってもらえればいいし、散骨墓地も用意してあるので、最後はそこに撒いてもらえば万事終了なわけだが、そこまで指示どおりに事が進んでいってくれるかどうかも問題なのだ。
同居人とどちらが先なのかというのも、なかなかに難しい話で、後に残ったほうには、けっこうな負担がかかってしまうような気がする。というわけでいよいよ待ったなしになりつつある終活について、考えていかなくてはならなくなってきた……という、終活の心構えについて時折書いていくつもり。
[続く]
《老化のトピックス一覧》