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悼話§犬塚弘さん(クレージーキャッツ) [追悼]

先月、クレイジーキャッツ7人のメンバーで最後の一人だった犬塚弘が逝去した。

1950年代から60年代と、ギャグバンドとして一世を風靡した7人はもういない。ダークダックスのメンバーも全員鬼籍に入って、我々の“昭和”がいよいよ消えていく。

地味なようで、実は個性的な存在だった犬塚が、終戦後間もなく進駐軍の統計調査をしていたIBMに勤務していたとは、ずいぶん後になって知ったことである。享年九十四

合掌

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悼話§享年六十一・・・・・・ [追悼]

先月中旬のこと、SNSで薄く繋がっていた知り合いが急逝した。詳しい病名や様子は知らないが……61歳という、還暦を過ぎたばかりの逝去だった。

当たり前といえば当たり前のこととして、年齢の順で旅立っていくものだと思っているので、毎度毎度のことながら自分より年若い人間の死は、何ともやりきれないものがある。

自分自身を考えても、この先20年も30年も生きるなどとはほとんど考えられなくなってきてしまった。もう既に、いつお迎えが来ても何もおかしくない年齢になっているのだ。

今時は、七十代で亡くなっても“ちょっと早い”と感じてしまうこと多い。八十代になってようやく“寿命”と考える昨今ということか。

達者でいるのなら、八十代の人生も悪くはないと思うが、多くの人の手を煩わせるような状況となると話は別なのである。

まあ、人生が自分の思い通りに幕引きとなってくれるとは限らず、ここまで来てしまえば“なるようにしかならない”と考えるしかない。

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悼話§バート・バカラックさん(作曲家) [追悼]

良質なアメリカン・ポップスのセンスの塊のような、聴いていて気持ちのいい音楽を生み出した稀代のメロディーメーカーである。

ディオンヌ・ワーウィック、B・J・トーマス、カーペンターズなどなどの歌い手に曲を提供し、多くのヒットを飛ばしたのだった。

個人的に記憶に残る曲としては、映画『明日に向かって撃て』の主題曲である『雨にぬれても』を挙げておきたい。もちろん、それ以外にも印象的な曲を数多く残してくれたのは言うまでもない。享年九十四

合掌

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悼話§寺内タケシさん(エレキギター) [追悼]

寺内タケシを初めて聴いたのは小学校の3年か4年の頃。アメリカからは、ザ・ベンチャーズが来日したり、イギリスではザ・ビートルズの人気が高まりつつある時代だった。

世に言う“エレキギター・ブーム”の立役者の一人として、華麗なギターテクニックを武器に、ベートーヴェンの交響曲第5番や津軽じょんがら節の編曲物でファンを沸かせたのである。

寺内タケシに触発されて“グループサウンズ・ブーム”が始まったと言っても過言ではないが、彼自身はインストゥルメンタルに重点を置いていたのでグループサウンズとは微妙な立ち位置にあったような気がする。享年八十二

合掌

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悼話§田中邦衛さん(青大将) [追悼]

加山雄三が主演した東宝映画『若大将シリーズ』に若大将のライバル青大将として登場していたのが田中邦衛を見た最初である。癖のある敵役としての存在感は抜群で、それを小学生にも感じさせたのだから大したものである。

後年、テレビドラマ『北の国から』で主役を演じていたが、なかなか観る機会に恵まれず、切れ切れでしか観ることができなかった。享年八十八

合掌

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悼話§ルー・オッテンスさん(カセットテープ) [追悼]

オランダ・フィリップスの研究者として1960年代にカセットテープを開発、世界にあまねく広めたのだ。

もちろん、1970年代から30年ほどの間はカセットテープを手放せない時代が続いていて、特にカーオーディオにおけるカセットテープの位置は揺るぎなく、2013年まで乗っていた車にはカセットデッキが健在だった。そして今やカーオーディオからCDプレイヤーすら消えつつあり、スマホに落とした音楽を聴く時代へと移りつつある。

後年、CDの開発も行っていたとのこと。享年九十四

合掌

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悼話§安野光雅さん(画家) [追悼]

昨年のクリスマス・イヴの日、画家の安野光雅が亡くなった。彼の作品に出会ったのは1970年代の終わり頃だったと記憶している。会社に入って配属されたグラビア雑誌が、彼の作品を使った特集をしたのだ。

そこで、彼の原画に触れる機会があって、直接眼にした、その繊細な筆致と色遣いに感心したことをよく覚えている。

img413 - コピー.jpg

そんな彼の画集の一つが『ロマンチック街道』で、久々に我が家にあったのを繙いてみたが、瑞々しさは変わってなどいない。享年九十四

合掌

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悼話§ディエゴ・マラドーナさん(サッカー) [追悼]

サッカーの“神”ディエゴ・マラドーナが11月25日に死去した。



上の映像は、11月28日にオーストラリアで行われた、ラグビー三か国対抗戦のニュージーランド対アルゼンチンのキックオフ前、オールブラックス主将のサム・ケインがハーフウェイラインまで歩み出て、背番号10にマラドーナと書かれたオールブラックスのジャージを静かに置き、追悼の意を表したのだった。

黙禱くらいはするのではと思っていたが、もっと形ある、なかなかに感動的な追悼の表現で、加えるなら直後のハカ“カパ・オ・パンゴ”がいつも以上の気迫と感じられたのである。享年六十

合掌

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悼話§筒美京平さん(作曲家) [追悼]

グループサウンズ全盛期にヴィレッジ・シンガーズが歌った『バラ色の雲』を皮切りに、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』や南沙織の『17才』などなど、ポップで屈託のない筒美京平の作品群が昭和後半を彩った。まさに“我々の時代”の作曲家だったことを否定できるものなどではない。

個人的には平山三紀の『真夏の出来事』が、何とも不思議な魅力を持って聴こえていたことを忘れることはないだろう。享年八十

合掌

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悼話§日下部将之さん(デモ呼びかけ人) [追悼]

東京給水クルー(TQC)、怒りの可視化などなどで、アグレッシブにデモや集会を呼びかけ主催していた日下部将之が、先月27日に急逝した。

アイデアと実行力で、多くのデモや集会を主催し、SNSの呼びかけだけで時には数千人を動員したこともあって、彼のパワフルさについて、畏敬することに何の躊躇もなかったのである。いつの日か、日本でもデモの力が状況を変えるようになるかもしれない。

そうなるまで、我々は彼の名前を決して忘れることはないのだ。享年四十六

合掌

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悼話§志村けんさん(コメディアン) [追悼]

著名人だからといってコロナウイルスの災禍からは逃れることはできない。

荒井注脱退の後を引き継いでドリフターズに参加、様々なギャグを連発して一躍テレビの寵児となったことは鮮やかな記憶として残っている。まだまだ活躍できる年齢だったのに、何とも残念なことだとしか言えない。享年七十

合掌

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悼話§野村克也さん(名野球選手&名監督) [追悼]

自らを“月見草”と称した何回ホークスの名捕手、名打者であり名監督としても名を馳せた野村克也の現役時代だが、我々のような世代でも眼にした記憶はほとんどない。

それはもう、セリーグのあまつさえ巨人偏重の悪しきスポーツ中継の時代のせいである。彼を目にすることができたのは、辛うじてオールスターゲーム程度でしかなく、しかもなぜかはわからないが、オールスターでの打席は湿りがちで、あまり芳しい成績ではなかったと記憶している。

結局のところ、野村克也の記憶はヤクルトや阪神、楽天の監督として辣腕をふるっていた時のもので、とりわけヤクルトで4回のリーグ優勝と3回の日本シリーズ制覇した頃が最も脂がのっていたと思われるのだ……享年八十四

合掌

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悼話§ミレルラ・フレーニさん(オペラ歌手) [追悼]

1981年、ミラノ・スカラ座引越し公演で、カルロス・クライバーが指揮した『ラ・ボエーム』のミミを歌ったのがフレーニを聴いた最初だった。

艶があって瑞々しい歌声で、その時フレーニはまさに歌い盛りの46歳。その後、1986年のウィーン国立歌劇場来日公演『マノン・レスコー』と、さらに1988年には再びクライバー指揮のミラノ・スカラ座来日公演でミミを歌ってくれたのだ。享年八十四

合掌

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悼話§宍戸錠さん(映画俳優) [追悼]

“エースのジョー”と呼ばれ、日活アクション映画の看板俳優の一人として大活躍していたことを思い出す。

キャラクター作りのために、含み綿をすれば済むところをわざわざ頬に詰め物を入れる手術を受けたのを知った時には驚かされた。

テレビのバラエティでも彼のキャラクターは遺憾なく発揮されたのだが、晩年に近く、とある知り合いがバスに乗り込んでくる彼を見かけたことがあって、何というかブスっとした表情で運転手に老人パスを見せていたと……そんな様子を教えてくれた。かつての強面アクション俳優と老人パスの対比が何とも興味深いことと感じたのだ。享年八十六

合掌

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悼話§ハリー・クプファーさん(演出家) [追悼]

旧東ドイツ出身の演出家ハリー・クプファーの舞台はいくつか観ているが、一番に刺激的だった舞台は、1991年に初めて訪れたバイロイト音楽祭で観た『ニーベルングの指環』四部作だった。

↓バイロイト音楽祭『ラインの黄金』冒頭
ラインの黄金.jpg

『ラインの黄金』冒頭、舞台最奥部から緑のレーザー光線が、最初は一筋でそれが4本になってライン河を表し、ラインの乙女がスモークの中から登場する……この先、何が起こるのだろうと胸をワクワクさせて座っていたことを今さらながら思い出す。

最後に彼が手掛けた舞台を観たのは新国立劇場の『パルジファル』だったがこれもまた示唆に富む演出だと感じた。享年八十四

合掌

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