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顧話§今日の歴史~三部作の1曲目~ [ストラヴィンスキー]

1910年6月25日、ストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』が初演。

ストラヴィンスキーは10曲ものバレエ音楽を作曲した。その中にあって三大バレエ音楽と呼ばれる『火の鳥』(1910年)、『ペトルーシュカ』(1911年)、そして『春の祭典』(1913年)の三曲で『火の鳥』が一番最初に作曲されたのである。

3作目の『春の祭典』がアヴァンギャルドの極致だったのに比べれば『火の鳥』はむしろ後期ロマン主義的で、耳に聴きやすい音楽だったと言えよう。

個人的にはハルサイよりも後に聴いたので“何だ、まともな音楽も書けるんじゃないか”などと生意気なことを考えたりもした。

そして毎度のことながら“版”の問題がある。ストラヴィンスキーは1911年版に始まって、1919年版、1945年版とある。相変わらずズボラなので、いきなり聴いて何年版であるとわかるわけではない。

ちなみに我が家にある『火の鳥』は1枚だけで“1910年原典版”と呼ばれているものである。

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祭話§ストラヴィンスキー没後五十年 [ストラヴィンスキー]

そういえば4月6日は作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの命日だった。ちょうど没後50年である。

1971年に彼が死去した時の様子はクラシック音楽月刊誌で読んだので、よく覚えている。旧制ロシアに生まれ、ロシア革命後はフランスの市民権を得たが、最後はニューヨークで死去した。

彼の遺骨はヴェネツィアの墓地島であるサン・ミケーレ島に埋葬されたが、音楽月刊誌には、ゴンドラで柩が運ばれていく写真が掲載されていたのだ。

1971年当時、ストラヴィンスキーの音楽など一つも聴いたことがなかったはずなのに、なぜにここまで記憶が残っているのかは不思議だが、その時考えたことはといえば、ストラヴィンスキーの作品の著作権が切れるのは50年後2021年のことかと、まあそんなことだったが、気がつけば著作権保持期間は70年にまで伸びてしまっていて、さらにあと20年……2041年まで待たなくてはならない。

さすがに生き伸びて、著作権が切れるのが見届けられるとしたら、その時、我が年齢はストラヴィンスキーの没年齢とほぼ同じということになってしまうのである。

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贄話§春の祭典~ストラヴィンスキー~ [ストラヴィンスキー]

ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽『春の祭典』は衝撃的な音楽だと初めて聴いた時から強烈な印象をもたらして、今に至っている。

1913年、ディアギレフ率いる“バレエ・リュス”によって初演された時の騒ぎは伝説にすらなっていて、どんな状況だったか誰でも知りたいと思うはずだろう。

音楽以前に作品の存在を知ったのは、中学生くらいの頃だったか、百科事典でモーリス・ベジャール振付による春の祭典の舞台写真を見た時が初めてのことだった。その時以来、何となく気になる存在なのだった。

ようやく音楽を聴けたのは大学生になってからのことで、聴いた最初は……訳若布としか言いようがなかったが、なぜかはわからねど、どこか惹かれるものがあったのかどうか、聴き続けていくうちに、音楽に引きこまれるようになってしまったのだ。

とはいえ、変拍子満載の音楽をどう捉えようかと考えた揚句、しかたないとブージー&ホークスの――高い――輸入スコアを買って聴き始めたが、素人がどうこうできるような代物ではなく、表面を眺めるだけに終始したのは言うまでもない。

そうしてようやくモーリス・ベジャール振付の舞台を観たのは、1980年代になってのことだった。音楽だけでも十分に成立はするけれど、ベジャールの舞台の衝撃は、観て40年近くが経っても強烈な印象として残っている。

そうして、我が現代音楽の限界点は“ハルサイ”どまりでもあるのだ。

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