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悼話§鳥山明さん(漫画家) [漫画]

『Dr.スランプ』を目にした瞬間の印象は鮮烈なものだった。

宮仕えを始めてまだ3年ほど。何気なく手にして読んでみたのだが、これがメチャおもしろい。何より絵がポップでうまく、一気にはまってしまったのである。

ドイツを旅行していた時、書店に入ったら日本のコミック本のコーナーにもアラレちゃんが置かれていて、そういえば彼女の「んちゃ!」はドイツ語でどう表現されているのかとページをめくってみたら……

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……“ターク!”とあり、なるほどうまいものだ!とうなずいたのだった。

一歳下の鳥山明が生まれた1955年はタレント揃いの学年で、十八代目勘九郎に始まって、野田秀樹、サザンの桑田佳祐、プロ野球の掛布雅之や江川卓と錚々たる存在が輩出されている。そんな中で“超”と呼んでもおかしくない鳥山の死は単に残念であるとか、その程度の表現でおさまるものではない。享年六十八

合掌

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狡話§贋作者ハン・ファン・メーヘレン [漫画]

オランダの画家ヨハネス・フェルメールを知ったのは、いつで、どのようにだったのか、何とも記憶が曖昧である。

……と思っていたら、ひょんなことから記憶が甦ってきた。確かコミック誌に連載されていた『ギャラリーフェイク』という漫画ではなかったろうか。

フェイク(偽)絵画を扱う画廊が舞台で、フェルメールの贋作が登場してきた時に、オランダの贋作者ハン・ファン・メーヘレンが関わってきてとそんな一話があったと記憶している。

それでフェルメールという画家の存在を知ることになったのだが、合わせてメーヘレンという天才的贋作者に興味を惹かれたのだ。

彼の手法は徹底していて、フェルメールの時代のキャンバスを使い、当時の材料を使って絵具を調合し、その画力と合わせて鑑定人たちの眼を眩ませたのだった。

そうした彼の“犯行”が発覚したのは第二次世界大戦直後、ナチス・ドイツの高官たちにフェルメールの偽作を売却した容疑による。

メーヘレンは犯行を自白し、実際に“フェルメール風”の絵を描いてみせ、彼が類稀な贋作者であると証明したのだ。

その後、フェルメールへの興味は増していったが、メーヘレンに対する興味は徐々に消えていきつつあった。それが、またふとしたことでメーヘレンの記憶が甦り、再び興味を掻き立てられているのだった。

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闊話§漫画のキャラクターが勝手に動きだす [漫画]

何点か、最初から最後までコミック本を買って読み通したことがある。その時、作者が意図しなくても、登場するキャラクターが自然に動き出して話が進んでいくと感じる時があるのだ。

一番顕著にそれを感じたのは『じゃりン子チエ』を読んだ時で、全67巻に及ぶ作品の中で、およそ真ん中あたりに達しようとした頃、キャラクターが何とも自然にコマの中で動いていることに気がついたのである。

まさに、作品の中で個々のキャラクターが確立され、登場人物の存在感が際立つようになっていった。

もちろん、漫画家が描いている以上、キャラクターが勝手に動き出すなどということはないのだが、あたかも……という意味で言っているのである。

ただし、自由に動いていた時期からしばらくすると、明らかに漫画としてのパワーが激落ちし、最後の三分の一くらいは凪(なぎ)の状態に落ち着いて、不完全燃焼の最終回を迎えてしまうことになったのだ。

またいずれ、全巻を再読できればと考えているが、一巻一巻買い揃えていた時は、買ったタイミングで読み進められたが、これを第1巻から淡々と読んでいくことを考えると、さすがに気が遠くなるような思いがするのである。

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週話§土曜有閑~アニメ映画は・・・・・・~ [漫画]

ほとんど、というかまったくアニメ映画は観ない。だから宮崎駿作品の類も一度も観たことがない。テレビで放送しているのをちらりと観たことはあるが、どうやら自分たちとは合わないようで、チャンネルを替えてしまった。観続ける根気がなさそうで、それは同居人も同じであるようだ。

何事も最初が肝腎だから、もしも一作目から律義に観ていたら、あるいは愛好家になっていたかもしれない。

ある日、遠く遠くへと車を走らせていたら、どうってことのないところを、何組ものカップルが仲良く歩いているところに出くわし、何だ何だと思い、帰って調べてみたら、そのあたりがアニメの“聖地”で、彼らが“巡礼者”だとわかり、熱心なものだと感心したのだった。

相変わらずアニメの人気は高いが、すっかり取り残されてしまった人間もいるのである。

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悼話§水島新司さん(あぶさん) [漫画]

水島新司の中で、一番に読んでいた作品が『あぶさん』だった。弱小球団の南海ホークスに所属して、代打の一振りで生きてきた……なかなかに潔い、その覚悟は、打席に向かう直前、口に含んだ酒をバットに吹きかける“酒しぶき”に現れていたのではないか。

連載が続いていく中、いつまで続くのだろうと考えた結果、半ばで読むことをやめてしまった。ストーリーが、あまりにも都合のいい造りだったこともやめた理由かもしれない。虚実混在のおもしろい漫画だったが。享年八十二

合掌

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歴話§我が漫画小史④そして今は [漫画]

[承前]

漫画を読み始めて60年以上が経過した。読まないことはなかったけれど、手塚治虫や石ノ森章太郎といった“巨匠”の王道作品とは無関係に、どちらかといえばスキマ的におもしろそうな作品を拾い読みをしていたようである。

そして今は、といえば……コミック誌の類はもう20年近く読んでいないので漫画の動静についてはさっぱりで、手にして読んだ作品は、同居人が買ってきた、佐々木倫子の『動物のお医者さん』や『おたんこナース』とか羽海野チカの『三月のライオン』そして、自分の嗜好だが、石川雅之の『もやしもん』でビールをテーマに取り上げた第8巻は買って読んだけれど、ずいぶん昔の話。

というわけで当然のことというわけではないが『ワンピース』とか『鬼滅の刃』といったメガヒット少年漫画の類とは縁がないままに、我が漫画人生は幕を閉じそうだ。
                                [了]

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歴話§我が漫画小史③コミックの頃 [漫画]

[承前]

少年マガジンやサンデーなどの少年漫画週刊誌と離れて、10年くらいの空白期があり、再び漫画を手にしたのは大学を卒業して宮仕えを始めたタイミングだった。

大学生の貧乏生活から、少しは自由に金も使えるようになったのをいいことに、主にビッグコミック系のコミック誌を買っては読んでいたが、その中のいくつかをまとめ読みしたくなって、コミック単行本を買うようになったのだ。

その中でも、強烈な印象を残した二人は『バイトくん』のいしいひさいちと『じゃりン子チエ』のはるき悦巳である。

特にいしいひさいちは、朝日新聞朝刊の『ののちゃん』に至るまで40年以上読み続けた作家だし、はるき悦巳の『じゃりン子チエ』は単行本のすべてを購入して、最後まで見届けている。

このコミックを最初から最後まで読んだことで、作中の登場人物が作者とは関係なく勝手に動き出す瞬間を見ることができたのだ。連載漫画の中には、どれでも必ずそんな瞬間があって、それが漫画を読む醍醐味ではないか。

そんな『じゃりン子チエ』だったが、三分の二を過ぎたあたりから、中身がグダグダになっていって、残念な最後を見ることになってしまった。
                               [続く]

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歴話§我が漫画小史②少年マガジン、サンデー [漫画]

[承前]

少年画報と入れ替わるように我が眼の前に現れたのが、創刊して間もない週刊少年マガジンと週刊少年サンデーだった。読み始めたのは確か創刊翌年の1960年頃からだったと記憶。

少年マガジンは『マッハ三四郎』『ちかいの魔球』『8マン』を、少年サンデーは『スポーツマン金太郎』『伊賀の影丸』『少年ケニヤ』と、両誌一歩も引くことなく、人気漫画で対抗していたのだ。

そんな中、少年サンデーは赤塚不二夫の『おそ松くん』がメガヒット。それに対して少年マガジンは、川崎のぼるの『巨人の星』が大ヒット。さらに、ちばてつやの『あしたのジョー』が社会現象を引き起こすほどのインパクトで大ブームとなったのである。

そんな超人気漫画の連載が続いている最中の1970年頃に、漫画週刊誌2冊の購入をやめた。そのあたりの経緯はあまり記憶にないが、おそらくは高校に入って今さら漫画でもないだろうという漠然とした発想があったのではなかろうか……あまり説得力はないが。なので“力石の死”は見ていないのだ。

その後、漫画読みを再開するまでには10年近い年月を経ることになってしまう。
                               [続く]

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歴話§我が漫画小史①少年画報 [漫画]

我が漫画事始めは、保育園年長だった1960年に読み始めた少年画報だった。

まだようやく平仮名片仮名が読めるようになった程度だったのに、どうして親が毎月買い与えてくれたのか、今もってさっぱり理解できないが、まさか絵本代わりではあるまいな……。

というわけで、フキダシの中の文字を読んでストーリーをどれほど把握できていたものか、今となっては思い出せるはずもなく、ただ単に描かれたもので何となく理解していたとしか思えない。

その当時連載されていた代表的な作品には、武内つなよしの『赤胴鈴之助』や桑田次郎『まぼろし探偵』という人気漫画が揃っていて賑やかだったのは間違いない。

そんな、読んだか読まないかすら記憶のなかった少年画報から、気がつけば1959年に創刊された週刊少年サンデーと週刊少年マガジンに代わったのは、小学校に入学した1961年のことだったと思う。その頃、徐々に月刊漫画雑誌の人気が落ちていって、週刊誌へと移行する時期にあたっていたのだ。

次回は、そんな少年サンデーと少年マガジンについて。
                               [続く]

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