週話§日曜流転~映画館があった~ [映画]
実家があったあたりは、町の中心街で、ちょっと歩くとスナックや居酒屋、バーなどが林立していた。
今だったら色めきたって徘徊したかもしれないが、アルコールの“あ”の字も知らない十代にとっては、ちょっと派手めな外観の街並みでしかなかったのだ。
その代わりではないが、歩いて2分以内に映画館が3館あった。東宝系、日活系、洋画封切である。小学生の頃にもっぱら通ったのは東宝系の映画館でおめあては円谷監督の特撮映画だった。
『ゴジラ対キングコング』や『モスラ対ゴジラ』といった作品から観始めた記憶だが、観ていたのは小学生時代で、中学に入ったら特撮映画熱はあっさり消え去ってしまったのである。
当時は二本立て上映がデフォルトで、おめあての特撮にもう一本……例えば“社長シリーズ”や“駅前シリーズ”などの喜劇ものと“若大将シリーズ”がお約束なのだったが、社長や駅前は適当に見つつ、他愛のない青春ものとして若大将シリーズはたのしみだったのだ。
まあ、小学校時代の時間つぶしに出かけていたが、それでもせいぜい一年に二度くらいの映画館通いで、中学で部活が忙しくなるとあっという間に行かなくなってしまったのである。
《昭和のトピックス一覧》
今だったら色めきたって徘徊したかもしれないが、アルコールの“あ”の字も知らない十代にとっては、ちょっと派手めな外観の街並みでしかなかったのだ。
その代わりではないが、歩いて2分以内に映画館が3館あった。東宝系、日活系、洋画封切である。小学生の頃にもっぱら通ったのは東宝系の映画館でおめあては円谷監督の特撮映画だった。
『ゴジラ対キングコング』や『モスラ対ゴジラ』といった作品から観始めた記憶だが、観ていたのは小学生時代で、中学に入ったら特撮映画熱はあっさり消え去ってしまったのである。
当時は二本立て上映がデフォルトで、おめあての特撮にもう一本……例えば“社長シリーズ”や“駅前シリーズ”などの喜劇ものと“若大将シリーズ”がお約束なのだったが、社長や駅前は適当に見つつ、他愛のない青春ものとして若大将シリーズはたのしみだったのだ。
まあ、小学校時代の時間つぶしに出かけていたが、それでもせいぜい一年に二度くらいの映画館通いで、中学で部活が忙しくなるとあっという間に行かなくなってしまったのである。
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顧話§今日の歴史~円谷特撮映画~ [映画]
1954年11月3日、特撮怪獣映画『ゴジラ』のシリーズ第1作公開。
この年のこの日『ゴジラ』が公開された。ゆえにゴジラとは同い年である。
この第1作は観ていないが、その後公開された『キングコング対ゴジラ』と『モスラ対ゴジラ』そして『三大怪獣 地球最大の決戦』の3つを観ている。
デビュー当時の身長は50mだったが、建物の高層化に伴って、1980年代には80mとなり、21世紀には100mに達した。だが100mの身長をもってしても、新宿の高層ビル群の中では半分以下の存在でしかなく、かつてスクリーンで見た巨大な存在からは、すっかり様変わりしていたのだと思い知らされるのだ。
《歴史のトピックス一覧》
この年のこの日『ゴジラ』が公開された。ゆえにゴジラとは同い年である。
この第1作は観ていないが、その後公開された『キングコング対ゴジラ』と『モスラ対ゴジラ』そして『三大怪獣 地球最大の決戦』の3つを観ている。
デビュー当時の身長は50mだったが、建物の高層化に伴って、1980年代には80mとなり、21世紀には100mに達した。だが100mの身長をもってしても、新宿の高層ビル群の中では半分以下の存在でしかなく、かつてスクリーンで見た巨大な存在からは、すっかり様変わりしていたのだと思い知らされるのだ。
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