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像話§大きなテレビを? [テレビ]

今見ているテレビは、2007年に購入した32インチサイズ。買った当時はそこ大きいほうだったのではなかったかという記憶だが、あっという間に小さいサイズになってしまっていた。

それはともかく、買ってもう17年も経っていたとは、丈夫で長持ちである。ただ、リモコンのご機嫌があまりよくなかったりとか、細部で不都合が出るようになったので、ぼちぼち買い替えてもいいかなとは考えているのだが。

ただ、我が家の事情を考えても50インチ以上はさすがに大きくて、せいぜい42インチが限界ではないかと考えている。それでも対角線にすれば25センチほど大きくなるわけで、それくらいでも個人的には十分な大きさと感じる。

合わせてビデオレコーダーもかなり古くなったので、これも買い替えなくてはならないだろう。

どうやら、買い替えるテレビは、我が人生最後のテレビとなりそうである。家に最初のテレビがやって来たのは、1962年のこと。気がつけばテレビとの付き合いも60年を超えていた。

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創話§原作と脚本と [テレビ]

漫画をテレビドラマ化するにあたって、脚本家が原作者が望まない脚色を施したことが引き金となって、原作者が自殺する大きな事件になった。

原作を元にして映画化やテレビ化された作品を見ると、原作と映像の内容が大きく食い違っていると思うことは珍しくなく、個人的にも思い入れのある原作が、まるで違ったストーリーや原作に存在しないキャラクターが登場して戸惑うという以上に、不信感を抱いたことが何度もあったのである。

こうしたことは原作者が了承していたのだろうかと思っていたら、どうやら“勝手”に改変していたようだ。

まずもって原作の愛読者が多ければ多いほど、彼らが原作に対して抱いている思い入れは深いものがあり、いわばアンタッチャブルな世界なのである。そうしたことを知ってか知らずか、脚本家が自分のイメージで原作をズタズタにすることがあまりにも多すぎるような気がする。

もっと原作者と映像制作の側とが密接に打ち合わせしているのかと思っていたら、どうもそうではなさそうで、中には映像化がOKされたら白紙委任とすら思い込んでいた脚本家もいたようだ。

「原作を脚本家に渡したら脚本家の作品」……なわけねえだろ!というわけで、今後は同じトラブルを避けるべく、より一層密な打ち合わせが求められることになるだろう。

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週話§土曜流転~タモリ倶楽部~ [テレビ]

「毎度おなじみ流浪の番組……」で始まる『タモリ倶楽部』が終了したのは一年前の今頃のことだった。深夜の放送時刻に見ることはできず、毎回予約録画して後でゆっくりという流れがデフォルトだった。

そもそも緩い作りの番組だったので、番組の出来の歩留まりは半分行ったか行かないかくらいだったと思うが、それはテーマ自体のおもしろさに負うところが大きく、おもしろいかどうかは、タモリがテーマに喰いついてくれるかどうかだったのである。

そしてもう一つ……MCを担当するキャラクターによって、おもしろいか、つまらないかが決まるのだ。若手芸人が担当すると、時としてタモリに媚びるような、へりくだり過ぎるようなスタンスで進行すると、おもしろいはずのテーマがぶち壊しになってしまうのだ。

要するに、タモリの“機嫌”が番組がおもしろいかどうかの成否を決めるとこと大なのに、それができないMCがたまに残念な番組に仕立ててしまうのである。

そして今年『ブラタモリ』も終了してしまう。

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顧話§今日の歴史~教養特集も~ [テレビ]

1959年1月10日、NHK教育テレビ放送開始。

我が家にテレビがやって来たのは東京オリンピックに先立つ1962年のこと。その3年前に教育テレビが放送を始めていたというから、誕生して間もなくから見ているということだ。

といっても、その頃によく見ていたのは『みんなの科学』という科学実験番組だった。



夕方17時半から30分、簡単にできる実験をあれこれ見せてくれたが、そうはいっても、なかなか実験材料が手に入らず、実際にやりたいと思いながら、テレビ画面を見るばかりが多かったという記憶である。

もう一つは『教養特集』という、NHK特集とかクローズアップ現代のような番組だったが、放送時間が夕食後だったので、何回も見ていたとは思えないのけれど、テーマ音楽と合わせて記憶に残っている教育テレビの番組だ。

自分なりに教育テレビ理解して活用していたということなのだろう。

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M話§動画は横位置で [テレビ]

テレビのニュースで視聴者が撮った“スクープ映像”が頻繁に使われるようになって久しい。スマホの普及が様々なシーンで起きた映像が録画されて、それがニュースで取り上げられるのだ。

そんな映像を見ていて気になるのは、8割から9割はスマホをそのまま縦位置アングルで撮影していることである。もちろん縦横どちらで撮影しても、それは撮影者の自由だが、テレビ画面やパソコン画面で見るなら、横位置で撮影したほうが、全体に広がりが出るような気がする。

さらに、人間の視界も横仕様になっているから、縦アングルでは窮屈としか感じられない。

スマホの習い性で縦位置そのままで撮ってしまうのだろうが、一手間かけて横位置で撮影してみることをお勧めしたい。是非一度試してみてください。視野が広がると思いますよ。

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悼話§財津一郎さん(キビシ~ッ!) [テレビ]

財津一郎を初めて見たのは1966年頃の『てなもんや三度笠』の浪人蛇口一角だった。何の予告もなく、唐突に登場して奇声を発しつつ刀を舐め回し……

ヒッジョーにキビシ~ッ!



……何ともな異様さに、視聴者の度肝を抜いたのだった。あまりにも唐突、あまりにもナンセンスな芝居に強烈な衝撃を受けたのだった。それまでテレビで見ていたコメディアンとは、まったく違う感覚を覚えたのである。

最近はコマーシャルの「ピアノを売ってチョーダイ!」ばかりが目立って、訃報の見出しがそればかりだったのは、本人にとっては、いささか不本意なことではなかっただろうか。享年八十九

合掌

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術話§通販番組の妙技 [テレビ]

テレビで時折見入ってしまうものに通販の商品紹介販促番組、いわゆるテレビショッピングがある。

あの“JパネットTかた”がそれで、その売り口上の見事さに思わず長々と見てしまうのだ。一人で商品紹介をすることもあるが、さらにパワーアップするのは男女一組での紹介で、これがもう二人が、立て板に水&丁々発止を繰り広げるのだ。

実は、番組を見て紹介された商品を購入したことは一度もないのだが、このやり取りを観ていて、思わず電話をしてしまった人も少なくはないのではないか。

それほど、二人のやり取りは淀みながく、いかに商品が魅力的であるかを、微に入り細を穿って徹底的にプレゼンするのである。

そんな中に電化製品とかではなく、一週間ほどの日本一周クルーズがあって何とも見事なばかりにクルーズの内容が紹介されるのだ。

全日程が豪華食事付き、ほとんどの飲み物(アルコールもノンアルコールも)フリーであることに始まり、船内での楽しい催し物などを、実際にクルーズ体験したMCがそれらを魅力的に紹介。

そして代金は……窓付き、バルコニー付きの部屋がいくらなのかを紹介し、そして「別に窓がなくてもかまわない人もいらっしゃるでしょうから」と、格安の窓なし部屋を紹介してくれる……JパネットTかたのMCのみなさんのプレゼン能力の巧みさには舌を巻くしかないのである。

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森話§タモリ倶楽部が三月一杯で終了 [テレビ]

2月下旬、3月末に終了すると、唐突なお知らせに驚いた。40年半というもの、脱力系番組としてゆるーく長く続いていたのだ。



放送が始まったのは1982年秋。当時は午前様&朝帰りの日々で、ビデオ録画機も持っておらず……というよりも番組の存在自体を知らなかった。

頻繁に観るようになったのは21世紀に入ってからではなかっただろうか。強烈な記憶として残っているのは、空耳アワーの“農協牛乳!”であろうか。



メインテーマの中では“鉄”ものの水準は高め安定だったし、意外な切り口での番組構成は侮れないものが多々あった。

時に空回り、空振りの企画もないわけではなかった……歩留まりとしては、おおよそ五分五分前後というあたりというのが個人的感想である。

1945年生まれのタモリも齢八十近くとなり、持ち味のゆるさが、単なる緩みに変容していたと言えなくもなく、そりゃあ40年も続けていれば、いつかは“この日”が来ることは間違いないことだった。

ただし、その“ゆるさ”のゆえに、放送終了などという、いかにも事務的なボキャブラリーとは無縁だったように思っていたことも、また事実である。

そして最終回は、再来週の金曜深夜(土曜未明)なのだ。

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顧話§今日の歴史~ザ・ドリフターズ~ [テレビ]

1969年10月4日、『8時だョ!全員集合』放送開始。

思えば、テレビの絶頂期は20世紀の間のことだったのではないか。日本という国の範囲で考えれば、時を経るごとに、コンテンツの質は明らかに低下していったと思われる。

いや、もちろん20世紀にあっても、低劣なとか下品なとか呼ばれる番組は存在して隆盛にあったわけだが、同じ低劣であっても番組自体の勢いの差は歴然としていて、あまつさえ昨今のヴァラエティ番組で、動画サイトで人気の動画を、ひな壇のタレントが云々するお手軽な作りには辟易させられてしまう。まさに安易に走った結果による劣化ではないか。

というわけで『8時だョ!全員集合』である。毎週土曜日夜に生中継生放送という体を張りまくったことで、お化け番組と呼ばれるようになり、様々な話題を提供していったのだ。そこには当時のパワーとかエネルギーを感じずにはいられない。

今、テレビを見て“元気をもらえる”ような番組があるか……既に報道番組とは名ばかりの、グルメの類ばかりが垂れ流され、これを見れば明日への活力がモリモリと、なんていうパワーチャージ番組などは影も形もなく、ただひたすらに惰性で見ている視聴者の図なのだ。

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顧話§今日の歴史~人生楽ありゃ苦もあるさ~ [テレビ]

1969年8月4日、TBSテレビ系で時代劇『水戸黄門』放送開始。

葵の紋の印籠を手に「こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも、前副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」とまあ、お約束の“身バレ”で、悪人は成敗される……正義の味方によって解決されるカタルシスの見本のような時代劇が2011年12月まで42年の長きにわたって放送された『水戸黄門』である。

そんな御長寿番組であるから、当然のように出演者は代替わりを繰り返し、水戸黄門は初代の東野英次郎から里見浩太朗まで六代も変わっていった。

複雑な筋立てはない……“善人”が“悪人”に苦しめられていて、いよいよ危機一髪というところで、黄門さまが登場して悪人をバッタバッタとなぎ倒し、最後は印籠を出して鎮め、めでたしめでたしなのだ。

この世は、そんな印籠を出したくらいで事が解決するほど簡単ではないが、そんなヒーローが現れてくれればなあと心の片隅で考えるのもまた人情。

だがヒーロー願望もまた、諸刃の剣であると肝に銘じておかなくてはならない。

そういえば、6月下旬に三代目黄門さまの佐野浅夫が96歳で逝去していた。

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時話§タイムマシンのルール [テレビ]

タイムマシンに乗って、過去のあれやこれやな黒歴史を消し去りたいと考えたことは何度もある。だが、タイムマシンのルールには過去に戻っても、過去のあるがままにしておかなくてはならないという厳然としたルールが存在している。

過去に向かうタイムマシン・ツアーみたいな話の中で“添乗員”が口を酸っぱくしながら「いいですか、決して何もしないでください。蟻一匹踏まないようにしてください」と言うシーンがあるらしい。

だが……1960年代に放送されたアメリカの『タイムトンネル』というSFドラマには、過去のアメリカの災害現場に現れた主人公が、洪水に流されそうになった少女を救ってしまうということがあった。

その少女の孫が、タイムトンネル計画の予算削減の急先鋒だったのだが、その様子を目の当たりにして「祖母は見知らぬ人に助けられたと言っていた」と語って、今の自分があるのは彼らのおかげと知る……そんなエピソードがあったのだ。

こうなると“何でもあり”ではないかと思えてしまうし、そもそもルールなるものが存在したとしても、それはほとんど無理筋であるとしか思えない。

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顧話§今日の歴史~あたり前田の~ [テレビ]

1962年5月6日、喜劇番組『てなもんや三度笠』放送開始。

我が家にようやくテレビがやって来たのとほぼ同じタイミングで『てなもんや三度笠』の放送が始まった。記憶はほとんどないが、おそらく第一回あたりから観始めたのではと思われる。

子ども心にも、とにかくおもしろかったのは間違いない。開始早々の他愛ないショートコントで藤田まこと扮するあんかけの時次郎が敵役を切った後の「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー!」と見得を切るところからわくわくさせられた。



そして、白木みのるの珍念、唄子・啓助のスリコンビ、といったメンバーのサービス精神にあふれたステージは、後年になって実演を観た吉本新喜劇のそれと違うものではなかったし、おそらく関西弁を聞いた初めてではなかったかと思われる。

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真話§ブラウン管のテレビ [テレビ]

何をするにも世間から常に後れを取っていた実家にテレビが入ったのは、本放送開始からようよう9年後の1962年、小学校2年の時だった。

確か14型か16型の白黒テレビで、その時はブラウン管で画像を映していたのだ。テレビ本体の箱の奥行きは数十cmほどもあって、それくらいなかったらブラウン管を納めることができなかったのである。

それから10年足らずでカラーテレビに移行したが、もちろんまだまだブラウン管の天下で、置き場所には苦労していたのだ。

その後、東京で暮らし始めてしばらくはテレビなしの生活が続き、きちんとしたテレビを買ったのは宮仕えを始めてからで、当時評価が高かったソニーのプロフィールと呼ばれるテレビモニターだったが、もちろんブラウン管。

それを10年ちょっと使ったところで映らなくなって、ブラウン管を買った最後が1994年のことだが、こいつが外れで数年使ってオシャカとなり、21世紀に入ったところで液晶画面のテレビに買い替えた。

あろうことかこのテレビも外れだったようで、とうとう2007年に地上デジタル放送の横長テレビを買って、今に至っている。

そんなテレビ遍歴だが、考えるまでもなく、我が家においては、ブラウン管テレビは20世紀の終わりとともに消え去って、21世紀とともに液晶テレビと変わったのだった。

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顧話§今日の歴史~いらっしゃーい!~ [テレビ]

1971年1月31日、朝日放送『新婚さんいらっしゃい!』放送開始。

桂文枝(三枝)が半世紀にわたって司会を続けた『新婚さんいらっしゃい』が51年前のこの日に放送を開始した。

観ていたかと聞かれたら、積極的に観たことはない。たまたまチャンネルが合っていて目にすることはあるが、数分もしないうちにチャンネルを替えてしまう。

何というか……登場する素人の新婚夫婦のテンションのようなものが、自分とはまったく合わないのである。多少のおかしみ、ユーモアであるのならばまだしも、アドレナリン出まくってテンションがハイになって、ウケ狙いしようとしているのが見え見えで、長時間観ることなどできるものではない。

[素]人と書くとおりで“素”が画面にそのまま出てしまう。ある種えげつなさを引き出せばテレビ的には成功なのだろうが、素人のえげつなさは、時に鼻につき過ぎて、目を覆いたくなってしまうのである。

とはいえ、文枝が椅子から転げ落ちるお約束を見ていないわけではないが。
なお、文枝は3月で引退。後任はタレントの藤井隆と決まった。

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週話§日曜有閑~やっぱりテレビは~ [テレビ]

本当につまらなくなった。正月三が日の手抜き番組などほとんど見ることもない。出てくる顔ぶれも金太郎飴のように代わり映えしない。せいぜいが、歌舞伎中継やスポーツ中継を眺める程度で終わってしまう。

とにかく、通常番組に始まってマンネリ以外の何物でもなく、テレビ制作者の貧困さを露呈し続けている。ちょっと眼を離した隙にはびこっているのはYOUTUBEなどの動画サイトから拝借して手軽に編集した番組ばかり。

結局、見ているのはニュースに天気予報、スポーツ中継にドキュメンタリーといったところで、あとは録画しておいたものをせっせと見るのだ。

それにしても、いつ頃からテレビの内容が劣化していったものか……しかとは記憶にないけれど、世紀が変わるあたりからだったのか、少なくとも、ここ10年以上であることは間違いない。

日本でテレビが放送開始したのは1953年、間もなく70年となる。間違いなく半世紀ほどはコンテンツ産業の頂点にあったはずだが、その凋落ぶりには、驚かされるばかりである。

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