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愉話§一日一句~獅子座の右下に~ [俳句]

季語は・・・酒星

酒星や 李白今宵も 酔いどれか

【去年の今日】降話§スキーで遊んだ頃
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風話§レ・ヴァン・フランセ[オペラシティ] [クラシック]

2005年10月以来だから、およそ18年ぶりのレ・ヴァン・フランセのコンサートに行ってきた。

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エマニュエル・パユ(フルート)
フランソワ・ルルー(オーボエ)
ポール・メイエ(クラリネット)
ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)
ジルベール・オダン(バソン)
エリック・ル・サージュ(ピアノ)

ライネッケ:オーボエ、ホルン、ピアノのための三重奏曲a-moll Op.188
テュイレ:六重奏曲 B-Dur Op.6

**********************休憩**********************

タンギー:六重奏曲(委嘱新作/日本初演)
ミヨー:フルート、クラリネット、オーボエ、ピアノのためのソナタ Op.47
プーランク:六重奏曲

[アンコール]
テュイレ:ピアノと管楽器のための六重奏曲 B-Dur Op.6 第3楽章
     ガヴォット・アンダンテ・クアジ・アレグレット
プーランク:六重奏曲 第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ



……何というか“変わらぬ巧さ”で、そこにさらに年齢による“貫禄”とでもいったものが加わって、一曲目のライネッケから凄味を感じる演奏を聴かされた。オーボエとホルンの音色が、ここまで融合するものかと舌を巻いたのである。

アンサンブルに瑕瑾などありようもないのもまた言うまでもなく、音色の多彩さは、まさに耳の愉悦であろう。

とはいえ、テュイレの六重奏曲は個人的には物足りない音楽と感じた。日本初演と謳われたタンギーの六重奏曲は、現代音楽というよりも印象派に近いのではなかったか。

ライネッケと並んで楽しめたのはミヨーのソナタ。2年間のブラジル滞在に想を得てか、ミヨーの作風とブラジル的なる楽想が混じり合って、刺激的な一曲。

そしてお約束のプーランクはもう、彼らの自家薬籠中にして独壇場である。間違いなく世界で一番多くこの曲を演奏しているグループのゆえ、アンサンブルがいとも軽々とな成り立っていく様子を3階席てっぺんから惚れ惚れと眺めていた。久々にバソンの艶めかしい音色も楽しめた。

アンコール2曲で終演は21時20分過ぎ。前回の終演は21時半頃だったのだ。

会場は、吹奏楽をしていると思しき若い世代が多く、我々のような高齢者は少ないという、先々に期待したい構成だったのは吉である。

22時半前の帰宅で、風呂を済ませてベッドに潜り込んだのは23時ちょっと過ぎと、自分的には超夜更かしとなってしまった。

↓オマケ客席横の壁に“どーもくん”がおった
IMG_4238.JPG
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滞話§写研という会社ありき [インターネット]

“ありき”とタイトルに書いたが、もちろん会社は存在している。だが、今のネット社会から大きく後れを取ってしまったという意味では“ありき”と書いてしまいたくもなる。

20世紀が終わる頃まで、印刷物は写真植字(写植)で文字打つのに、下の写真のような文字母型に光を当て、印画紙に文字を焼き付けて“版下”を作成していた。

↓ウィキペディアより
Shaken_subplate1.jpg

宮仕えを始めた頃、既に活版印刷の姿はなく、写植が主流だった。そんな写植のフォントや写真植字機を製作して販売していたのが写研で、モリサワというもう一社が日本の写植メーカーだったのである。

もっぱら写研の植字書体を使っていて、以下のようなフォントに慣れ親しん
でいたのだ。

↓石井明朝体
MMOKL.jpg
↓ナール書体
nar.jpg
↓ゴナ書体
NAG.jpg

まず石井明朝体だが、中でもMM-A-OKLという略称の石井中明朝体オールドスタイル大がなを基本として、すべての中心に置かれていた。それから70年代にデザインされたナールや、80年代初期のゴナなどを組み合わせていた。

写研フォントは何よりシンプルに姿がよくて、モリサワ書体の泥臭さとは好対照で、写研フォントで仕事をするのが楽しかったのである。

だが、そんな順風満帆だった写研を揺るがすことになったのが、DTPと呼ばれる“デスクトップ・パブリッシング”とインターネットなのだった。

DTPは、デザイン作成したテキストデータを入力すれば組版が出来てしまうというもので、これで校正作業が一手間省けたりと、そのメリットは大きかったのだ。

そして何と、写研がDTPとインターネットに乗り遅れてしまった。それは創業者一族が、頑としてDTPやインターネットに自社フォントを公開しなかったのである。

そのあたり、少しでも知識のある人なら気がつくだろうが、パソコンで使われているフォントの中に写研のそれはまったく存在していない。あまつさえホームページすら開設されておらず、ようやく公開されたのは創業者一族の社長が逝去して3年後の2021年だったが、公開されていない写研フォントを使うために、一風変わったデザインとなっているのだ。

そんな写研の迷走だが、およそ四半世紀以上後れた2024年、ようやくフォントの提供を始めることになったが……何とも遅過ぎる。

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