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勉話§別学と共学と [教育]

第二次世界大戦が終わり、敗戦国となった日本にアメリカから占領軍がやって来た。そうして始めた一つに学制改革がある。

GHQの“命令”で新制高校については男女共学、小学区制、総合制という“高校三原則”を定めて実施を促した。おおむね西日本地域では、そうした改革が進んだが、東日本においては、特に男女共学に関して頑強な抵抗が繰り広げられ、改革は半ば以上に頓挫したのだ。

我が、北関東端っこの高校も同様で、市内には普通科の男子高校と女子高校の二つが存在していて、相入れることはなかった。

それがどうしたことか、1998年には男女共学の理数科が設置され、そうしていよいよ、2021年には男子高と女子高が合併という運びになったのである。

個人的には、公立高校は共学であるべきという考え方を永年持ってきたので共学化したことはめでたいことではあるが、どうにも釈然としないのは、共学化の経緯が少子化の影響であることは否定できず、背に腹は代えられない状況での消極的動機によるものとしか考えられないのだ。

半世紀も前の高校時代、細々ながら共学化を実現しろと小さな声をあげていた時は、何の反応もなかったのが“不都合”が生じた結果のなし崩し共学化という場当たり的な対応に、何だかな的な思いを抱くのである。

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週話§日曜流転~卒業式~ [教育]

保育園に始まって大学まで“卒業式”は合わせて5回通過している。その内大学の卒業式には出られなかった。卒業式当日に行った謝恩パーティの幹事をしていて、その打ち合わせに追われていたからである。

もっとも、卒業生全員を収容できるようなホールもなく、卒業証書を授与されたのは、学科ごとに分かれて行われたのだった。

保育園の“卒園式”の時のことは何となく覚えていて、それは保育園の居心地がよくて、その先の小学校に進むことに不安を感じていたからだ。発想は幼稚だが、何となくその時の心情は理解できなくもない。

そして、小学校を卒業する時も、中学校に対する不安があったことは、よく覚えている。

その後は、ずいぶんと醒めていたようで、高校の卒業式がどうであったのか記憶はほとんどなく、ただ“せいせいした”ことだけは記憶に残っていて、大学の学科に分かれての授与式の時は、何の理由もなく一番に呼ばれたのに慌てて“はて、成績順でも、五十音順でも、アルファベット順でもなく、なぜ一番に呼ばれたのか?”と訝しく思ったが、出来の悪い一番で“さっさと卒業して出ていきなさい”ということだったのかもしれない。

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努話§学習塾に通ったこと [教育]

中学校に入り、新しい教科として英語が加わった。先々どうなることか……不安要素も大きいと感じたからかどうか、英語の塾に通おうと考えたら、親もすんなりとOKしてくれたのは意外なことだった。

入ったのは、地元でも定評のある英語専門の塾で、当時は本部以外に間借り教室が3か所ほどはあったと記憶している。人口10万ちょっとの田舎町にしては、なかなか積極的な展開ではなかったか。

学び始めて安心したのは、講師が話す英語の発音がカタカナ英語ではなかったことで、そうしたことが英語への興味をかき立て、成績も向上していったのは間違いない。

テキストは中学校で使っているそのままで、加えて内容を深堀してくれるから、相乗効果となって成績も上がっていったのだ。

塾の効果はもう一つ別なところにあって、それは他の中学校の同学年と交流ができたことである。自分の中学校だけでは井の中の蛙になってしまうところを、塾のおかげで視野を広げることができた。

そうして“世の中広い、彼や彼女にはかなわない”と我が身の実力も認識できたのである。結果、それが高校での落ちこぼれに繋がっていったかどうかわからないが、塾が教えてくれたのは勉強だけではなかったのである。

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定話§大学の学部選び [教育]

大学では文学部教育学科で学んだ。確たるモチベーションがあって専攻したとか、そんなことなどまったく考えず、同じく文学部系統をいくつか選んで受験したら引っかかってきたのが、教育学という専攻だけだった……かなり正直に白状するなら、一浪している間に志望がわからなくなってしまった。

いかに先々のビジョンを持ち合わせていなかったか、バレバレではないか。自分の適性がどこにあるものかもまるでわかっておらず。一応は何ちゃって進学校だったから、3年の時に進路指導はあったはずだが、教師もおざなりなアドバイスしかしてくれなかったという記憶である。

教育学科に入った当初は、殊勝に教職の道に進もうと考えたりもしたが、ある年の4年生が教育実習をする現場を見て“こりゃあ、自分はできない”と見切りをつけた後は、さらに混迷を深めていってしまった。

そんな宙ぶらりんの大学生活を、ほぼ4年間続けた挙句、就職活動まで迷走することになったのは我が身の不徳である。

卒論の提出も済み、年末も押し詰まった頃になって、辛うじて卒業後の進路が決まったが、これはも悪運が強いとしか言いようがない。

追記:遅まきながら、自分が何を専攻したかったか……それは、大学を卒業して会社に入り、仕事していく中でわかってきた。たぶんおそらく、社会学的な何かなのだが、気づくのが遅過ぎである。

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週話§日曜枯寂~やっぱり九月入学ですよ~ [教育]

様々な要素を合わせて鑑みるに、その結論はというと9月入学にチェンジすすほうがよさそうだとは、大昔から主張していることだ。

まずもって、受験の時期を4月から5月という気候のいい時期に行うことができるから受験生にとっての心理的負担は、かなり軽減されると思われる。

もちろん「9月入学?まだ暑いじゃないか。それに台風だって来るぞ!」と言う向きもあることは百も承知で、なお9月入学のメリットのほうが大きいと声を大にして言いたい。

そうれはもう、欧米の大学が秋入学を採用しているからで、先々日本が生き残るためには、数多くの留学生を外に出していく必要がある。そうでもしないと、この状況を打開することなど無理なのだ。

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光話§坊主頭~無意味な校則~ [教育]

中学に入った時は髪の毛に関する規定は存在していなかった。ただ、我々が入学したのと同時に校長が変わって、男子は坊主頭にさせるのではないかと噂が飛び交ったが、そうなることなく3年に進級した。

ところが、3年になった年の1年生が坊主頭にさせられたのである。校長が校則を変えてしまったのだ。

今でもそうだが、坊主頭にする校則など何の意味もない、ナンセンスな校則だと思っていたのが、我々はお目こぼしされ新入生が坊主という、身勝手な校長の振る舞いに怒りを覚えたのである。

というわけで、そんなある日、機会を見つけて校長室に直談判に出向いた。自分一人で考えてのことで、30分くらい校長と話をしたのではないかと記憶しているが、校長から明確な回答はなく、何だかのらりくらりな物言いに終始……昔ながらの発想でしかないことに失望したのだった。

まあ、最初から管理ありきみたいな態度で校長をしていた人だから、何か深い思想を基にしてというわけでないことはわかりきっていたことなのだが。

というわけで、今思い出しても“頭ごなし”みたいな姿勢でしか仕事ができない、無能で教育者と呼べるはずなどない残念な人物だったと思っている。

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週話§土曜枯寂~2階の職員室~ [教育]

お願いごとがあって地域の小学校を30校ほど回ったことがある。

あれっと思ったのはどの学校も職員室が2階にあったことで、生徒の教室は1階にあるということだった。

学校が襲われて生徒に被害がという過去の事例を持ち出すまでもなく、なぜ職員室が2階なのだろうという素朴な疑問を抱いたが、我々が小学校や中学校に通っていた時の職員室は1階にあって、それが普通のことだと思っていたからなのだ。

疑問は単純で、職員室を2回に置く合理的な理由は何かということである。

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導話§プレゼンテーションの要領 [教育]

とある会合で、2時間ほどのレクチャーを聞いたら、ただ用意してきた講義ノートをだらだらと味気なく読み進めただけで閉口したことがあった。

自分よりも年齢が若い講師だったので、後日その感想を述べつつ、どのようなレクチャーを行ったらいいのか、手前味噌ながら自分の感想と合わせて、次回にどのようなレクチャーをすればいいのかを差し出がましくもアドバイスさせてもらったのである。

話は単純で、同じ内容でも“メリハリ”を加えればいいのではないかと考えた……そういう段取りを考えるのは得意なのだ。

学問を究めるとか、そうした能力はないが、話すべき中身を膨らませて興味を持たせようと試みる術(すべ)だが、それだったら少しくらいは持っているかもしれない。

というわけで、講義録をただ単に棒読みするだけでなく、要所要所の肝心な場面に工夫をさせてみた。本題とは別に、周辺状況などを付け足すことで、本題に彩を加えさせたりしたのだ。

それは“立体的構築”とでも呼べばいいかもしれず、通り一遍の平坦でしかない無表情なレクチャーに、豊かさが加わるのだった。

大学の教師の中には講義よりも研究のほうに重点を置くような……つまりは講義下手なタイプも少なくはないだろう。そしてそんな人間に対して偉そうなアドバイスをして、その時の一度はうまくいったはずである。

岡目八目で何とも頼りなく、その後も心を入れ替えて充実したレクチャーに励んだかどうかはわからないが、それなりの地位に滑り込んだようだった。

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問話§大学って何?~お仕着せではない~ [教育]

中学生の頃、地元の大学に通っている大学生と話をする機会があった。何を話したか、とんと記憶はない。

一つだけ残っていることは、自分で講義を選択して組み立てるということでそのことに興味を惹かれた。

その当時は“単位”なる概念を理解できず、卒業要件である必修科目と、卒業要件とはならない任意の選択科目の違いなどもちんぷんかんぷん……実は大学に入っても正しく認識していたかどうか怪しいものがある。

そうして、4年間で必修科目をきちんと受講して卒業に必要な単位を取るのに、うまいことスケジューリングを無駄なく組んでやらねばならないことに気がついた。

1年から2年にかけては可能な限り受講して、3年以降は登校日数を減らすと決め、それを実行に移した結果、3年では火曜から金曜の週4日、そして4年次では卒業論ゼミを含めて受講した必修科目は合わせて4科目だったと記憶している。大学に通ったのも週3日で済み、残りはアルバイトに精を出したのだ。

4年の受講科目を選ぶ時、卒業するのに必要な単位を間違えないよう、念の為と2科目ほど多めに受講しておいたのだが、就職が内定したところで、さて自分は卒業要件を満たしているだろうかと、取得単位を神経質なまでに計算しては自分自身を安心させていたのである。

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タグ:教育 大学 私事
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立話§教育学科でした~それで~ [教育]

腰を据えてきちんと何かを勉強しようとか、そんな確固たる意志のないまま何とか辛うじて合格して引っかかってきたのが“文学部教育学科”というところだった。

2年次までは基本的な教育学の基礎を学び、3年次からは教育学専攻と小学校教諭資格取得専攻に分かれるのだが、論理的な思考に欠け、他者を教え育てることなど到底できないと見切りをつけ、これまた“でもしか”的に教育学を学ぶことにしたのである。

学んだ知識を使ってたつきの道をどうこうしようというつもりなどまったくないものだから、例えばジャン=ジャック・ルソーであったり、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトといった教育思想家に関する講義を聞いても、耳に入ることはなかった。

講義でおもしろかったのは教育社会学や社会教育学あたりで、特に教育社会学は、事象を社会学的な見地から読み取っていく、実践的な講座が展開されて、けっこう食いついていた記憶で、それならば純粋な社会学を学んでもよかったかもしれない。

卒業論文も、教育社会学的アプローチでまとめはしたが、明らかに実践的な成果をあげることはできないままに終わった。

そうした経験がかすかにでも残った形で卒業することはできたが、宮仕えを初めて一年もしないうちに、大学時代に学んだらしき痕跡も残らず消え去ってしまったのだ。

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顧話§今日の歴史~共通一次試験初め~ [教育]

1977年5月2日、大学入試センター設置。

大学入試に臨んだ時、まだ国立大学は一期校と二期校に分かれていた。その状況が続いていくと思っていたのだが、気がつけば我が在学中に大学入試センターが設置されていたのだ。

そうして、大学を卒業した翌年には共通一次試験が実施されるようになり、国立一期校、二期校という制度は廃止され、国立受験は一回しかできないとなってしまったのである。

というわけで、一連の大学入試改革……共通一次から大学入試センター試験が30年続いた後、昨年度からは大学入学共通テストと変わって実施されるようになった。

とっくに大学入試とは完全に無縁になってしまったので、今だにどういったシステムであるのかさっぱりわかっていないし、わかろうという気も起きない。

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週話§日曜有閑~卒業確定・・・・・・~ [教育]

大学を卒業したのは45年も前のことになってしまった。そんな4年次の秋、目まぐるしくも多忙で、就職活動と並行して卒業論文も書き上げなくてはならなかった。

経済的事情ゆえ、留年するなど考えられず、とにかく卒業しなくてはならず取得単位数の不足がないように何度も計算し、さらには念の為と確か2講座ほど多めに申請して最終学年の履修届を出したのだ。

その後、卒論の提出と前後して、あろうことか就職の内定ももらったので、いよいよ“きちんと卒業”できるかどうかが懸案となり、改めて所得単位が充足できているか、単位数計算ばかり毎日毎日していたという記憶である。

幸いにも計算は合っていたようで、年明けてほどなく学内の掲示板に卒業確定者名簿が貼り出され、その中に我が名もあったのだ。

というわけで、大学を卒業するにあたっては、高校までのようにお仕着せの受け身的に単位を取るのではなく、単位数計算まで自分で行ってあくまでも最後まで自己責任でやり遂げなくてはならないのだった。

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勉話§卒業した高校が合併するのは・・・・・・ [教育]

明日から、我が母校が共学校となる。いや、正確に言うのであれば、23年前から“共学の状態”にはあったのだ。

ただ、その共学というのが理数科専攻に限られていて、普通科までを含めた全校が共学になるのが明日からということなのである。

1945年、日本が敗戦国となっところに、占領軍の教育方針が示された中に、公立高校の共学化なるものがあったが、おおよそ西日本の高校では共学化が推進されたのに対し、東日本の共学化は遅々として進まずなのだった。

我が出身県もその一つで、どうやら占領軍の方針に頑強に抗った節がある。かくして我が高校生活は男子校の中で味気ない3年間を過ごす羽目になったのだ。

そうして、21世紀も20年が過ぎ、少子化という現実の中で、ようよう共学化が実現することになった。在りし日、共学でないなら“合同ホームルーム”をしようと、我が校から女子高に、あるいは女子高のほうから我が校に働きかけがあって、行われることがあった……あがいていたのである。

色々な考え方はあるとは思うが、少なくとも公立高校については共学するべきだと、ずうっと思っていて、何というか、ようやく遅まきながら我が高校が共学化をしたことは寿ぎたい。よかったよかった……1970年代に共学化していればさらによかったのだが!

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タグ:私事 教育 群馬
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