SSブログ
オリンピック ブログトップ

継話§オリンピックのレガシー? [オリンピック]

1964年に開催された第18回東京オリンピックの“レガシー”は多い。当時はレガシー(遺産)などと呼ばれることなどはなかったが、錚々たる建築設計家がデザインした競技場は、古びることもない。当時、いかに彼らが持てる力を発揮して取り組んだかがわかるというものだ。



上は、年に一度くらいは出向いているのは、芦原義信が設計した駒沢オリンピック公園の陸上競技場と体育館、その間の広場にはオリンピック記念塔が建っていて、落ち着いて凛とした佇まいを見せている。

さらに、勤めていた会社の近くには山田守が設計した日本武道館が伝統的な姿で存在を主張している。

武道館.jpg

最後に、丹下健三が設計した代々木屋内競技場のフォルムの美しさよ。これらが、建築されて60年経ったとはとても思えない。まさにレガシーと呼ぶにふさわしい建築群ではないか。

代々木屋内.jpg

……それに比べて、直近で行われた東京オリンピックにレガシーはあるか?オリンピックを開催し、競技場を建築するにあたって、関係者たちが口々に「レガシー!」「レガシー!」「レガシー!」と謳ったにしては、何一つ記憶に残る建物が見当たらない。

これほどに、今の日本には確固たる理念の欠片も存在しないのだろうか……そりゃあ、60年前の建築群が“たまたま”レガシーとして残ってくれたとは手前味噌なのかな?

《スポーツのトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 

週話§土曜有閑~やった・・・・・・だけ~ [オリンピック]

開催中から何の興味も持ち得ることのなかった“東京オリンピック”だが、去年の今日が開会式だった。

開会式も閉会式も観ていなければ、その間の競技も観てはいない……まあ、過去のオリンピック中継も(時差の問題もあるが)それほど観ているわけでもない。

そして“レガシー”とやらである。オリンピック開催が決まると、関係者が口々に「レガシ、レガシー」と声高に吹聴していたことを覚えているが、去年のオリンピックにレガシーなるものは存在したのかと聞かれれば、即座に“否!”と返すだろう。

それほどにレガシーなど存在していないことは明白で、そうであるならば、1964年の東京オリンピックで造られた、代々木屋内競技場、駒沢の体育館と陸上競技場、そして武道館の際立つ存在感の前には、今回のオリンピックの“レガシー”とやらなど、吹けばあっという間に消え去ってしまうしかないのだ。

コロナ禍という異常な状況の中、無理矢理“やりましたよ”という印象しか持つことがなかったのである。

《スポーツのトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 

輪話§彼らは知らない……我々が知らない [オリンピック]

バイロイト音楽祭に行った時のことである。10年ぶりとかに、現地の知り合いと久々の再会をした。相変わらず拙い英語などでやり取りをしていた時、夫人が同居人に向かって「あそこにいるのは、誰それという芸能人なのよ」と少しばかり興奮気味に教えていた。

だが、我々にしてみれば、クラシック関係のアーチストはそれなりに知っているけれど、テレビに出てくるタレントや、テレビドラマに登場する役者のことなどまるで知らないのである。

翻って彼らが日本に来たとして、街中を一緒に歩いていて『孤独のグルメ』の松重豊とすれ違って、我々が興奮気味に「今すれ違ったのは、今人気の俳優だ」とか教えても、ピンとなどくるはずはないだろう。

我々は少しばかりだが、ドイツやら他のヨーロッパ主要国の首相や大統領、閣僚の何人かは知っていたりするが、逆に彼らが日本の首相以下閣僚の顔や名前を知っているなどとはゆめゆめ思わない。

我々の眼は西欧に向きがちだが、彼らの眼が極東の日本に向いている可能性はかなり少ないのではないか。

ロンドン・オリンピックの時、エリザベス女王(本人)を登場させ、007のエスコートでヘリコプターに搭乗し、開会式の競技場に(女王のスタントが)パラシュート降下。



オープニング・パフォーマンスではサー・サイモン・ラトルが指揮する横でミスター・ビーンが映画『炎のランナー』で走っている夢を見ているという……こうなると日本のオリンピック開会式は惨敗である。



《日本のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 

顧話§今日の歴史~オリンピックの黄昏~ [オリンピック]

1900年5月14日、第2回パリ・オリンピック開催。

この日始まったパリ・オリンピックは会期が10月28日と5か月半に及んだ。同じ年に開催されたパリ万国博覧会の“附属大会”として行われたということで、いったいどのような競技日程だったのかと思ってしまう。

ちなみに現在はオリンピック規則で“16日間”と決まっていて、数か月に及ぶような大会ではなくなっている。

それよりも、東京オリンピックである。非常事態宣言を繰り返しても、感染者数に歯止めはかからず、医療態勢が逼迫しているような状況であるにもかかわらず、医療関係者をオリンピックのために召集するとか、選手のための医療施設を確保するとか……はっきりいえば、正気の沙汰ではない。このままでは東京都民、日本人は人柱にされてしまうことになってしまうだろう。

既にして、過去にあったようなオリンピックは影も形もなく、まさに商業主義の権化が如く、選手を食い物にするだけの存在に成り下がったのである。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
オリンピック ブログトップ