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週話§土曜流転~つまらない記憶~ [記憶]

小学校時代の何人かの同級生の誕生日を覚えていたりする。それこそ半世紀以上顔を合わせたことのない人間も何人かいるが、誰それの……というと、即座に誕生日が口から出てくるのだ。

確か小学校5年生の時、教室の壁に全員の誕生日を表にして貼り出していて毎日眺めているうち、自然に覚えてしまっていた。

A輔は1月7日、H美は3月31日、M保子は7月5日、A部は9月14日……という塩梅である。もちろんクラス全員を覚えていたわけではないけれど、二けたくらいは意味もなく軽く覚えているのは何とも不思議なことである。

こうして人間は覚えていたからといって役に立つことなのない記憶は保持され続けていって、忘れないでほしい記憶は、どこか記憶の引き出しの奥底に埋もれて見つけられないままに朽ち果てていってしまう。

何というか、記憶の選別装置みたいな機能が脳のどこかにあってほしいぞと切に切に願う高齢者なのである。
 
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週話§日曜流転~記憶違いは指摘して~ [記憶]

記憶というものは、年月が経てば経つほどその内容が変化していってしまうことは珍しくもない。

ずうっと“そうだ”と思い込んでいたことが、実はまったく違っていたということが、第三者の指摘で判明したことがあった。

新宿西口に雑然とした呑み屋街がある。その中に一軒の町中華があって、いわゆるB級の王者然として下世話な中華料理を出してくれる。その中に焼きそばが、何とも日本酒に合うということに気がついたのだ。

その焼きそばを、長いことソース焼きそばだと思い込んでいたのである。

original.jpg

そうしたら、その焼きそばは塩味で調理された、横浜あたりでは“炒麵”と呼ばれている類だとSNSで指摘があったのである。そんな指摘のおかげで長いこと食べていなかった焼きそばの味が甦ってきたのだった。

そんな焼きそばを出してくれるのは、新宿西口思い出横丁の“岐阜屋”という店である。

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刻話§記憶力のいいところ、そうでないところ [記憶]

定年退職このかた、鋼鉄の記憶力もすっかり赤錆びてしまったようである。

一度衰えてしまった能力を復活させるのは、まずもって不可能であることは間違いない。こうなってしまった以上は、可能な限り食いとめるしかない。

何度か書いていることだが、直近……昨日のこととか、数時間前のこととかの記憶が抜け落ちてしまったりするのに、何十年も前の些末なことを覚えているというのは、いかなる脳内メモリーの為せる技なのか。

もちろんのことながら、忘却の彼方へと消えていってしまった記憶などは、限りなく存在している。覚えているようでいて覚えていないのは、宮仕えの日々のようなもので、37年半というもの、あれだけせっせと通って仕事していたのは間違いないのに、そうした中の細かいあれこれなど覚えていない。

忘れたい物事だけを忘れてくれて、必要なものは留めておく……そんな都合のいい記憶力などあろうはずなどないことはわかっているが、そのあたりの使い分けができてくれればなあと、昨日のことすら忘れてしまった自分を恨みがましく思うのである。

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屈話§地理的記憶力は・・・・・・である [記憶]

記憶力は人並み+αくらいは持ち合わせていると自負している。もっとも、最近は抜け落ちも眼に立つようになって、そうそう自慢できるとはいかなくなってきつつはあるけれど。

そんな記憶力の中でも“これは!”と思えるものに地理的記憶力があって、それはもう自分でも感心するレベルだと任じている。

オーストリアアルプス端っこのあたりを20年近く車で走ったのだが、最初はともかく、数年も経つとすっかり地図が頭の中に入って、その地域であればどこに行くのも自由自在までになってしまった。

↓こんな山道だって走れちゃう
DSC00755.JPG

もちろん、旧市街地のような複雑かつ狭いとかいうことはなく、単純だし、一本道だしと、走るのが日本より楽なくらいだった。だから過去の話になりはしたが、今でも頭の中にそのあたりの道の様子が頭に浮かんで、まだまだ走れるような気はする。

そんなだから、日本だって歩き慣れた場所は何の問題もなく歩き回ることができる。このところ、新宿西口の地下広場が上のデパートの工事の関係で、あちこちの通路がふさがったりして、以前のようにまっすぐ歩くことができなくなって、往生している人も少なからず見かけるようになった。

そんな迷路状であっても、工事以前の記憶を頼りに、目指す場所にたどり着くことができる……もっとも、そこまで地理感覚を持ち合わせていない同居人であっても、それほど苦にすることなく歩いているので、自慢するほどのことではない。

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刻話§記憶のメモリーとハードディスクと [記憶]

人間の脳の記憶システムはどのようになっているのだろう。そしてどれほどの記憶を貯め込んでいるものなのだろうか。

さらに不思議なのは、数十年前に経験した出来事は鮮明に覚えているのに、つい直前、トイレの蓋を閉め忘れたりして、そりゃあ年齢的な物忘れの度合いは順調に進んでいるとは思うけれど。

どうやら人間の脳内にも、ハードディスクと新しい記憶を一時的に保持するメモリーとの2種類があって、特にそのメモリー機能が劣化しつつあるのではないか、だから直近の記憶もさっさと消去されてしまうような気がする。

そしてまあ、残念なことにハードディスクの記憶も少しずつ少しずつ消えていっているようなのだ。きちんと取り出せる記憶もあるが、切れ切れな断片として、繋ぎあわせることのできない過去が頭の中に散乱しているようだ。

そんな記憶の断片の中で、最古と――曖昧だが――思われるものは、2歳か3歳の頃。ラジオから流れてくる音楽に合わせて何やら踊っていたら、家族がおもしろがって囃し立てている……そんな様子であるが。

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商話§顔を覚える人覚えない人 [記憶]

月に2回か3回くらい買い物に出向く店がある。

レジは、何人かが交代で受け持っているが、その中の一人はいつの間にか顔を覚えていてくれて、店に入った瞬間にこちらの希望の物をさっさと出してくれる。もちろん品物を入れる袋も要らないこと、レシートも不要なことも先刻承知なので、処理が早いこと。

もう一人の店員は、覚えているのかいないのか……多分覚えていないのだろう。なので、店に行くたびに同じ注文を繰り返すことになる。さらに袋は要るか、レシートは?と、毎度変わらぬ塩梅である。別に愛想がないとかそうしたことなどはない。

何軒かの店を出入りしていると、顔を覚えてくれている人とそうでない人と分かれることが顕著だと感じるのは、一人の店員だけが、カードでの電子マネー決済をするのかどうか、相変わらず聞いてくることで、表情を見ていても“ああ、この人は人間に興味がなさそうだな”などと思ってしまう。

別に、顔を覚えていてくれなくてはならぬとか、覚えているべきだなどとはゆめゆめ思わないが、もう少し……とは考えないでもない。ちなみに、人の顔は比較的すぐに覚えるほうで、しばらく見ていない顔でも、記憶の名簿をめくって“ああ、あの人だ”と認識はできるほうなのだ。

というわけで、人それぞれの違いと片づけてしまうしかないことだろうか。

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タグ:記憶 日常 商売
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却話§えーと・・・・・・何だったかなあ [記憶]

我が身がまだ“ぼけ”なるものと無関係だった頃まで遡っても、パソコンを前に、ウィンドウを開けた途端に、何をするべきか、なにを検索して調べようか、肝腎なことを失念してしまうことは珍しいことでも何でもなかった。

ほんの、つい数秒前まではウィンドウズを開けてこれこれをやろうと身構えていたはずなのに、いざ窓を開けてしまったらやるべき(ToDo)をきれいさっぱりと忘れてしまっているのだ。

これは記憶細胞による、どのようないたずらというか作用であるものか……調べようと思ったら消え去ってしまうような事柄など、それほど重要な調べものだったのかどうかということもある。

いずれにしても、どうして直近の記憶を頭の中で固定化することができないでいるのか、ほんのちょっとした隙に、記憶がすっ飛んでしまうというのは何とも納得がいかない。

まあ、今の我が身に関して、検索してみようと考えてグーグルにかけてみることの9割以上が、単なる“調べようか”程度の思いつきでやっていることなので、先々の身の上にもまったく影響するものではありませんから(笑

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週話§土曜粛々~バス停の記憶~ [記憶]

電車で乗り降りする駅名を覚えているのは当然だと思っていたが、バスの停留所の名称については、何ということか曖昧だったり覚えていなかったりということが少なくない。

乗車する時、スイカやパスモのようなICカードをタッチしなくてはならないところ、うっかちタッチし忘れると、降車停留所で運転手からどの停留所から乗ったのかを確認されるのだ。

それが、日頃から乗り降りしている最寄り停留所の名前を忘れてというか、最初から覚えていないので、あたふたしたことがあった。

でまあ、そんなの自分だけかと思ったら、そんなことはまったくなくて、同居人が目撃したのも、やはり同じく乗ってきたバス停の名前を失念してあたふたする老婦人の図なのだったが、同居人によれば、あと2人ほど同じ停留所から乗ったのに助け舟を出す人がいなかったということで、気が利かなかったのか、あるいはその人たちも停留所の名前を覚えていなかったということか……。

というわけで、何があるかわからないから、自分が乗り降りするバス停留所の名称はきちんと覚えておきましょう。

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誤話§小説を読み返してみたら・・・・・・ [記憶]

トーマス・マンが書いた『ブッデンブローク家の人びと』は、岩波文庫でも上中下の3巻という大部である。

初めて読んだのは、三十代に入ってからではなかったかと記憶しているが、実に難儀して読みつつ、あれやこれや感じ入ったこともまた事実で、北ドイツの一家族の興亡を興味深く読んだ。

数年前だったか、何を思ったのか、ふとした弾みに読み返そうとして、読み始めたら、最初に読んだ時と、二度目とでは、まったく別の小説を読んでいるのではというくらい、ストーリーを覚えていないというか、ストーリーが全然違っていることに愕然とした。

さすがにここまでひどい読み方をしていたのかと、我が身の呆れ返るばかりな愚かさを呪うしかない。

ただ、読み始めればおもしろいものだから、結局は最後まで読み切ったのはご愛嬌である。

こんな間抜けな読者を相手にしなくてはならないのだから、小説を書く人たちも大変だなあと同情するしかないが、それにしてもここまでストーリーが変わっているというのもまたどういうことだったのだろうと、改めて首を傾げるばかり。

『魔の山』という、同じくトーマス・マンが書いた長編小説があるけれど、さすがにこいつをもう一度読み返す気力はない。そもそも読んでいる途中でどうにも歯の立たない登場人物二人の問答が延々と続いているのに辟易してその部分を大きくすっ飛ばしてしまったのだった。

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憶話§人の顔を覚える件 [記憶]

週に一回程度で買い物に行く店がある。対面販売で、店員3人くらいが代わる代わる担当しているのだが、その中の一人が客の顔を覚えてくれているのだ。

行くごとに彼女が接客してくれるわけでもなく、顔を合わせるのはせいぜい月に一回かそんなものだが、覚えてくれている。客としても悪い気はしないので、何とも得な“特技”である。

かく申す自分も、他人様の顔を覚えてしまうほうで、頭の中には覚えた顔が何らかの法則に従ってファイリングされているようだ。

時折だが、町を歩いていたりしてすれ違う人の顔を見た瞬間に、ファイリングの検索機能が動き出して、その人がどういう人であるのか数秒もしないうちに結果が出てしまう。

そんな検索機能が働くのは親しい人とかではなくて、たまにしか利用しない店の人と判明したりして、我がファイリング機能の幅の広さというか脈絡のなさは本当に不思議だと感じる。

そんな“無駄な能力”が働いたのは、尾瀬の山小屋でアルバイトをしていた時のことだった。水芭蕉の時期に泊った3人組だったかが3か月後くらいに再訪した時、即座に「あの時に来られたみなさんですね」と思い出したのだが、まあ……あまり役に立つような技能でもない。

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