森話§タモリ倶楽部が三月一杯で終了 [テレビ]
2月下旬、3月末に終了すると、唐突なお知らせに驚いた。40年半というもの、脱力系番組としてゆるーく長く続いていたのだ。
放送が始まったのは1982年秋。当時は午前様&朝帰りの日々で、ビデオ録画機も持っておらず……というよりも番組の存在自体を知らなかった。
頻繁に観るようになったのは21世紀に入ってからではなかっただろうか。強烈な記憶として残っているのは、空耳アワーの“農協牛乳!”であろうか。
メインテーマの中では“鉄”ものの水準は高め安定だったし、意外な切り口での番組構成は侮れないものが多々あった。
時に空回り、空振りの企画もないわけではなかった……歩留まりとしては、おおよそ五分五分前後というあたりというのが個人的感想である。
1945年生まれのタモリも齢八十近くとなり、持ち味のゆるさが、単なる緩みに変容していたと言えなくもなく、そりゃあ40年も続けていれば、いつかは“この日”が来ることは間違いないことだった。
ただし、その“ゆるさ”のゆえに、放送終了などという、いかにも事務的なボキャブラリーとは無縁だったように思っていたことも、また事実である。
そして最終回は、再来週の金曜深夜(土曜未明)なのだ。
《テレビのトピックス一覧》
放送が始まったのは1982年秋。当時は午前様&朝帰りの日々で、ビデオ録画機も持っておらず……というよりも番組の存在自体を知らなかった。
頻繁に観るようになったのは21世紀に入ってからではなかっただろうか。強烈な記憶として残っているのは、空耳アワーの“農協牛乳!”であろうか。
メインテーマの中では“鉄”ものの水準は高め安定だったし、意外な切り口での番組構成は侮れないものが多々あった。
時に空回り、空振りの企画もないわけではなかった……歩留まりとしては、おおよそ五分五分前後というあたりというのが個人的感想である。
1945年生まれのタモリも齢八十近くとなり、持ち味のゆるさが、単なる緩みに変容していたと言えなくもなく、そりゃあ40年も続けていれば、いつかは“この日”が来ることは間違いないことだった。
ただし、その“ゆるさ”のゆえに、放送終了などという、いかにも事務的なボキャブラリーとは無縁だったように思っていたことも、また事実である。
そして最終回は、再来週の金曜深夜(土曜未明)なのだ。
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