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緩話§遅刻癖・・・・・・ [時間]

昨年末、遅刻癖が原因で漫才コンビが解散した。そういえば、遅刻し放題でレギュラー番組を降板させられたアナウンサーもいた……プロではない!と改めるまでもなく思う。

ワタシ的には色々とだらしないところは多いのだが、遅刻については、実にまじめで、記憶する限りあれやこれやに穴を開けるような遅刻をしでかしたことは一度もないはずである。

どういう来し方があったのかはわからないが、時間を守るということに関しては何というか“神経質”のようなところがあるのだ。だから、時間に遅れても、蛙の面然としている人の考えていることは理解することができない。

昔々、小耳に挟んだエピソードに……某大学教授Kと俳優にして小説家Fの対談が企画されたのだが、二人とも遅刻魔で名を轟かしていたとのことで、開始時刻から2時間が経過しても二人とも現れなかったことを思い出した。

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律話§開場時刻には [時間]

どちらかというと“まじめ”なほうなので、おおよそ30分から40分前に開場するクラシックの演奏会だが、開場時刻のタイミングで到着していることが多い。

開演10分前に着くとか、それはさすがに余裕がないと感じてしまう。だから30分前には入場して、時間によってはビュッフェでコーヒーを頼んで、持参したサンドイッチなどを腹に収めておく。そうして、開演近くにはトイレを済ませ“万全”の態勢で臨むのである。

これがラグビー観戦となると、観戦者も多く、開門が1時間半から2時間前となるので、遅くとも一時間前には到着するように心掛けていて、そうした時間に着くと、スタジアムの入りは三分の一にもなっていない。

席にたどり着いても、冬であったら様々な防寒具を用意し、セッティングが完了したところで、おにぎりを頬張り、お茶を飲む。

キックオフ15分くらい前にはトイレを済ませ、準備OKである。もちろん、10分前に着いたって、何の問題もないのだが、それっておもしろくないだろと思う……(個人の感想です

かつて、開演時刻を勘違いしたことがある。帝国劇場『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観に行った時、早めに着いたと(勝手に)思って、地下の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、店のスピーカーからテーマ音楽が流れてきていて“へえ、ずいぶん気が利いているな”と思っていたら、どうも様子が変だと、そこでそれが劇場からのモニターだと気がついて、慌てて入ったことがあった。こうした勘違いをすることもあるのだ。

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愕話§江戸時代の人が二十一世紀に [時間]

“時間”は、過去から現在、未来へと淀みなく流れていって留まるところを知らない。17世紀という過去が21世紀の今と繋がって交流があるなどとは、残念ながらあり得ないことである。

だがSF的興味からすれば、何とか過去の人間と交流できたらなあとは、しばしば考える見果てぬ夢なのだ。

もしも、江戸時代に生きている人が、タイムトラベルで今に現れたら、一番何に驚いたりするのだろうか。

いきなり東京都心に立って周囲を見渡した瞬間、聳え立つ超高層ビル群に肝を潰し、行き交う自動車のスピードに眼を回し、歩いている人たちの姿に驚くことであろう。

江戸時代に3階建て以上の建物はないし、スピードの出る乗り物といえば、せいぜい馬くらいだろうが、江戸市中をそれほど馬がいるとも思えない。

そしておそらくは、溢れんばかりの騒音に耳を塞ぐのではないか、ありとあらゆるノイズが耳を襲ってきて、そのことに驚くような気がする。江戸時代の、例えば日本橋界隈の繁華街であっても、人の声は聞こえるだろうが、それ以外に何が聞こえるものだろうか、そうして考えると騒音に驚く可能性は大きそうだ。

まあいずれにしても、いくら想像を巡らしても何に驚くものか、想像することは難しいだろう。

それに近い……とまではいかないけれど、20年近く訪れていたオーストリアの素朴な田舎に住み続けている知り合いを日本に呼んだらどうだろうと想像したことがあった。

今や、しがない存在になってしまった日本ではあるが、辛うじていくつかは“どうだ!”とさり気なく自慢してみたいものがあって、その最たるものとして、あの“デパ地下食品街”があるのだ。

彼の国のデパートにも食品街はあるけれど、日本のそれのバリエーションと質の高さには目を丸くするだろうし、想像もしなかった世界が広がっているのを目のあたりにするような気がする。

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間話§時間に遅れて来る人の個人的事情 [時間]

ワタクシ、個人的には時間を守るほうだと思っている。まずもって時間に遅れたことはなく、数分前には確実に“その場”に着いている。

そして“必ず”遅れてくる人がいて、その人が言うには「道に迷って……」なのだ。

どうやら“方向音痴”ということが薄々とわかり、その人の行動の流れを考察すれば「この場所に時間どおり着くには、こう行けばいい」と、それはまあ、ごく普通の考え方で、誰もがそう考えると思われる。

……なのだが、その人は“方向音痴”で、道に迷っているうちに時間に遅れてしまうことが常態化しているようだ。

つまり要するに、その人が為すべきことは、道に迷っている時間を加味して臨むことだ、ということである。

ところが、そういう人の多くが、なぜか“時間どおり”に向かうという発想でしか行動していないという……残念な身のほど知らずで動いているのだ。

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