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煙話§だからタワーマンションには・・・・・・ [地震]

いよいよ“南海トラフ巨大地震”が現実味を帯びてきた一か月前の日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震である。

そうして高層マンションの林立模様を見ていると、小さからぬ不安を覚えてしまうのはしかたないことではないだろうか。しかも、今も夥しい数の高層マンションが湾岸地域に建設されていて、それを購入しようと人々が群がっているのだ。

だが、ひとたび大地震が発生した時に高層マンションにはどのような状況が現出するのだろう。例えば停電である。停電したらどうなるか、まずもってエレベーターはストップしてしまう。あるいは自家発電機などの予備電源を用意しているマンションもあるだろうが、それとて長時間の運用に耐えられるとは思えない。

30階や40階といった高層階に住んでいる人たちの生活はどうなるだろうか。買い物するにも、1000段にもなりそうな階段を上り下りしなくてはならず、日常生活を営むことは難しくなってしまうだろう。

そして湾岸地域の埋め立て地で憂慮するべきは、液状化現象である。もしも高層マンションの周辺で液状化現象が発生でもしたら……対策が講じられているとは思うが、地震の強さによっては何が起こるものか想像できない。

そうした可能性を考えても、高層マンションに住んでみたいという発想の類は持ち合わせていないのである。

……高層マンションが地震で蒙るあれやこれや以外にも、高層マンションが不利だというそんな話は稿を改めて書く。

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愁話§故郷とは・・・・・・根無し草 [地震]

故郷(ふるさと)とは何なのだろうと、老境の身は考える。1月1日、能登半島を大地震が襲った。おびただしい家屋が倒壊し、長期にわたって断水が続いた地域も少なくなかった。

そんな中、自分の故郷を守ろうと奮闘する人たちは数多くいる。そして改めて“故郷”なるものを考えることになったのである。

自分はといえば、実家のあった町は好きであると自信を持って言うことはできるけれど、そこに定住しようとは思わなかった。そして東京住まいを始めて半世紀が過ぎた。半世紀の中で引っ越ししたのは、今で7軒目……まさに根無し草と言っていいだろう。

そうして引っ越しを繰り返している間に“故郷ロンダリング”が行われたようで、故郷に対する愛着はあるが、故郷に対する執着といったものは存在などしていない。

同じことを、地震の被災者の人たちにあてはめることは本当に難しい。もはや住み続けることが叶わなくなった自分の住処を前にしてもなお、そこに住み続ける道を模索し続けることは、膨大なエネルギーを使うことではないかと考える。執着と断念……どちらを選んでもそれは苦しい道である。

そうして、死ぬまで根無し草の我が身であるが、もちろん、どこに行こうが“住めば都”などとは思いもしていない。

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厄話§東日本大震災十三年 [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時から13年が経過した。

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改めて、13年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに、徒歩帰宅は諦めて夕食をとるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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遜話§自然を畏れよ [地震]

元旦に能登半島を中心に発生した最大震度7の“能登半島地震”では海岸線が85kmにわたって最大4mも隆起したと聞いて驚いた。これほどの地殻変動を見るなどとは想像だにしなかった。

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写真は輪島の皆月漁港で撮られたものだが、ちょっと信じられないような光景である。これがもし、半島西岸の志賀原発で起きたとしたら……大惨事は免れなかったのは間違いないとしか言いようがない。

阪神淡路大震災や東日本大震災を経験してもなお、自然を侮っているように感じられるのは、まったく反省から学んでいないとしか思えない。地震を抑え込めるほどの知恵も力などまったくないのが人類なのである。

そうして、アイスランドでも火山活動が活発になってきていて、噴き出たマグマが住宅地まで達して、大規模な火災も発生している映像を目のあたりにした。



その様子を見ていると“畏怖”という言葉がふさわしいくらいに、人智の及ばない黙示録的な何かを想起させられる。

我々が不遜にも、自然界を変えられる所業としては、ただ単に二酸化炭素を垂れ流すことで、地球を温暖化させるという“天に唾”的な悪行くらいしか思いつかないのだが……。

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深話§震度四と五の狭間 [地震]

能登半島の先端で地震が頻発している。震度4は珍しくもなく、最大震度は5にも及んで、被害が発生してしまった。

先月は、それこそ日本各地で震度4レベルをあちこちで観測した。ゆめゆめ油断することなかれである。

自分自身が実際に経験した最大震度は2011年の東日本大震災の震度5強というものだった。この時は比較的新しい9階建てのビル8階にいて、船酔いをしそうなほどに我々がいたビルの上階が弓なり状に揺れていたのだ。

それ以外に震度4はおそらく数回くらい……10回まではいかないだろうか。そうした経験から導き出されるのは、震度4と5の差の限りない大きさである。

一度だけの震度5の時は、頭の中で“尋常ならざる揺れ”と恐怖を覚えて、あるいはビルが崩壊するのではないかとすら覚悟したのだった。

それが震度4となると、多少長めにグラグラと揺れていても“まあこんなものか”と値踏みして、たいしたことはないと高を括ってしまう。3以下だとさらに冷静さは増すが、同じ震度でも直下に近かったりで、揺れ方の違いでひとしきり考えを巡らすこともある。

少なからぬ日本人は、そうした値踏みとか見立てを自分なりにしていると思われるが、震度4と5の差については同じ意見ではないかと想像するのだ。

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週話§土曜枯寂~東日本大震災十二年~ [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時から12年が経過した。

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改めて、12年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに、徒歩帰宅は諦めて夕食をとるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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厄話§東日本大震災から十一年 [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時から11年が経過した。

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改めて、11年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに、徒歩帰宅は諦めて夕食をとるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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週話§日曜粛々~直下型地震?~ [地震]

2週間ほど前の夕方17時半ちょっと前のこと、ドン!と床が軽く突き上げられるような一撃があった。それから少し間をおいて、今度はグラリである。

ちょっと震源が近そうだと感じて、テレビの地震速報を待ったが、なかなか出てこない。テレビのニュースキャスターも「……赤坂でも揺れを感じたのですが、発表がありませんね」と釈然としない表情で様子を伝えていた。

けっこう待たされて地震速報(とは言えないような)が出たが、想像どおりで震源は神奈川県東部だという。

後で緯度と経度を頼りにあたってみた推定震源地が下の地図にあるように、溝の口の近辺と思われる。震源の深さは約130kmほど。

↓震源までの直線距離は20km足らず
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発表が遅れたのは震源の深さもあったのかどうか、ただ深かったということで、けっこう広い範囲で揺れを感じたようだ。

我が家では、最初のドン!で“おお!”っと構えたが、次のグラリで様子見となり、地震速報の発表を待ったのである。

我々日本人の多くが地震慣れしていると言われればそれまでだが、震度2か3くらいだと塩梅をつけると、結論が出たかのように感じる。それよりも少し震度が強いならば、その先に対して身構えたりはするのだけれど。

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動話§震度4と3の差異 [地震]

相変わらず地震が多い、我が家あたりでも身体に感じる地震が月に何回か発生する。またいつか大地震が来やしないかと気がかりである。

ところで、震度の話である。2月13日23時過ぎ、福島県沖を震源に最大震度6強の地震が発生した。我が家のあたりでも震度4を記録、久々に大きく揺れたことは記憶に生々しい。

23時頃といえば、普通はすっかり熟睡の状態にあるのだが、さすがに寝ぼけ眼で起き出してしまった。震度と震源を確認したところで、再び寝床に逆戻りした。

そうして考えたことは、震度3と4の差はけっこう大きいものがあると感じられ、過去の睡眠中に震度2や3で眼が覚めてしまったという記憶はない。

悪い意味で“地震慣れ”しているのは、地震が起きた時に誰もが“値踏み”をすることからもわかるだろう。だから、震度が2から3程度であったら、何となくそんな程度だったらと勝手に安心するのが多くの日本人であるような気がする。

地震慣れしていることが、いいことか悪いことか……ちょっとわからない。

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禍話§東日本大震災から丸10年 [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時からちょうど10年が経過したのである。

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改めて、10年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに、徒歩帰宅は諦めて夕食をとるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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揺話§2月13日の地震 [地震]

東日本大震災からちょうど10年の日が間もなくという2月13日の土曜日夜、宮城と福島で震度6強の地震が発生した。震源が深かったことで津波は起きなかったが、各地で建物が破損したりと被害が起きた。

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老人の早寝で、21時頃にはベッドに入ってしまうものだから、発生した23時過ぎは、まさに佳境の熟睡状態にあった。震度2程度であれば、気がつかずに寝ていたかもしれないが、我が家あたりでも震度4ということで、さすがに寝ぼけまなこで起き出して、テレビで状況を確認したのである。本震後、朝6時頃までの余震は26回を数え、先々数日間は要警戒とのこと。

とはいえ眠気には勝てず、そこそこでベッドに逆戻り、朝までしっかり熟睡したのだ。

夜中の地震は冗談抜きで困る。今回は起き出したが、あるいは熟睡したまま気がつかず、とんでもないことにならないとも限らない……もちろん、24時間、いつ起きても困るのだが。

ともあれ、2011年3月11日を前に、自然界からの警告が発出したと思うことにする。

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週話§日曜粛々~阪神淡路大震災26年~ [地震]

1995年に発生した阪神淡路大震災が26年が過ぎた。しかし、記憶は少しずつ薄れていって、激しい地震と大きな被害、それにいくつかの地震直後の映像くらいなものとなってしまっている。

数えるまでもなく、小さな地震は週に一度くらいの頻度で発生して体感しているし、日本という国が地震の発生する地勢にあることもまた不幸な宿命であることは避けようがない。

そうして2011年3月には東日本大震災が発生。その後も熊本を震源とした大きな地震が発生して、地震が起きないことはないと思い知らせるのだ。

だが、しばしば“喉元過ぎれば……”とやらで、わかっていても忘れてしまうのが人間であることはわかっているのだが、為政者のような位置にある人間まで、忘れがちになって、やらずもがなの政治を行うようなことだけは、何としても押し留めなくてはならない。

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禍話§東日本大震災から9年~2011・3・11~ [地震]

2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。

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改めて、9年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。

そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。

あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。

鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。

そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。

鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。

ゆえに徒歩帰宅は諦めて夕食を食べるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。

そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。

以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。

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