吃話§今日の一枚~びよらー~ [写真]
正しくは“ヴィオラ”であるが、ヴィオラという楽器には色々と微妙な……
……性格を持っている節があって、時にヴィオラ弾きの自嘲のようなものも漏れ伝わって来て、それはそれで皮肉なユーモアを感じなくもないのだ。
そんなヴィオラを“びよらー”と称したトートバッグを作ってしまったのはわがSNS繋がりの知り合いである。
ヴィオラ・ジョークを最後に一つ……一人のヴィオラ奏者は、演奏する前に一枚の紙片をポケットから出して読んで、それをポケットに戻していた。それが気になっていたオケの同僚が、椅子の背にジャケットを掛けているのを見つけてポケットからそっと紙片を取り出すと、そこに書かれていたのは、
ヴィオラは左手、弓は右手
《ブログのトピックス一覧》
……性格を持っている節があって、時にヴィオラ弾きの自嘲のようなものも漏れ伝わって来て、それはそれで皮肉なユーモアを感じなくもないのだ。
そんなヴィオラを“びよらー”と称したトートバッグを作ってしまったのはわがSNS繋がりの知り合いである。
ヴィオラ・ジョークを最後に一つ……一人のヴィオラ奏者は、演奏する前に一枚の紙片をポケットから出して読んで、それをポケットに戻していた。それが気になっていたオケの同僚が、椅子の背にジャケットを掛けているのを見つけてポケットからそっと紙片を取り出すと、そこに書かれていたのは、
ヴィオラは左手、弓は右手
《ブログのトピックス一覧》
吃話§今日の一枚~エレベーター~ [写真]
スイスはチューリヒ郊外のホテルに泊まった時のことである。スイスの……
……ことゆえ、自国のシンドラー製エレベーターが当然のように使われていて、それを見ながらふと思いついたのは『シンドラーのリスト』のダジャレとして『シンドラーのリフト』というものだった……御粗末。
ちなみにリフトはイギリス英語で、エレベーターはアメリカ英語であるが、それにしても、5人400kgとは、お一人様80kgということか。
《ブログのトピックス一覧》
……ことゆえ、自国のシンドラー製エレベーターが当然のように使われていて、それを見ながらふと思いついたのは『シンドラーのリスト』のダジャレとして『シンドラーのリフト』というものだった……御粗末。
ちなみにリフトはイギリス英語で、エレベーターはアメリカ英語であるが、それにしても、5人400kgとは、お一人様80kgということか。
《ブログのトピックス一覧》
吃話§今日の一枚~みかんごはん?!~ [写真]
何じゃこらぁ!である。七十年近く生きてきて初めて見たようなのだが……
↓子どもが怯えているではないか
……愛媛、学校給食の黒歴史だなどとは、いったい何があったのだろうか。それにしても蜜柑の炊き込みご飯の素だなどと、どんな味がするものなのかと思う。
ネットでレビューを眺めてみると、好き嫌いは分かれているようで、それでは!と、試してみようとは残念ながら・・・・・・である。
《ブログのトピックス一覧》
↓子どもが怯えているではないか
……愛媛、学校給食の黒歴史だなどとは、いったい何があったのだろうか。それにしても蜜柑の炊き込みご飯の素だなどと、どんな味がするものなのかと思う。
ネットでレビューを眺めてみると、好き嫌いは分かれているようで、それでは!と、試してみようとは残念ながら・・・・・・である。
《ブログのトピックス一覧》
吃話§今日の一枚~マッチポンプ~ [写真]
新連載“今日の一枚”スタートである。不定期かつ気まぐれに、インパクトある写真を貼って、簡単に一言添えるという企画である。最初の一枚は……
↓左:2008年刊、右:2014年刊
……いやはや何ともな写真である。同じ著者が、真逆のテーマで本を書いたという、まさに“マッチポンプ”以外の何物でもない。だが、右が刊行されるまでの数年間の時代劇に、何が起こったのだろうかとも思うのであるが。
《ブログのトピックス一覧》
↓左:2008年刊、右:2014年刊
……いやはや何ともな写真である。同じ著者が、真逆のテーマで本を書いたという、まさに“マッチポンプ”以外の何物でもない。だが、右が刊行されるまでの数年間の時代劇に、何が起こったのだろうかとも思うのであるが。
《ブログのトピックス一覧》
瞬話§写真は“記録”として [写真]
芸術的な写真を撮りたいとは、昔からの願望である。だが、そんな写真など
一枚として撮れた試しはない。
そういう視点とかセンスの類が決定的に欠如しているのは、今さらながら明
らかであると言うしかなく、撮りためた写真を眺めてもその事実を認めるし
かないのである。
↓何か一味足りないな
いつの頃からかは定かではないが、ファインダーを覗きながら考えているの
は、結局のところ“今!”を撮影してやるという一点に尽きるようなのだ。
記録というなら、まさに記録としての写真を撮っているような気がしていて
そうして見ると、アートよりは情報としての写真のように思われてしまう。
自分にとって、アートっぽい写真を撮ることが下手なのは、間違いなく光線
を活用できないことが大きいような気がしている……順光のよさ、逆光のよ
さを引き出してやれないことが大きいと考えている。
↓これは単純に被写体がよかっただけ
そのあたりをうまく引っぱり出してやれば、色気のある写真が撮れるのでは
と思っているのが、それができないままに、ここまできてしまった。新しい
カメラを駆使しようと試みるが、カメラが人となりを見ているようで、出て
くる写真は相も変わらず色気に乏しいものであるのだ。
《私事のトピックス一覧》
一枚として撮れた試しはない。
そういう視点とかセンスの類が決定的に欠如しているのは、今さらながら明
らかであると言うしかなく、撮りためた写真を眺めてもその事実を認めるし
かないのである。
↓何か一味足りないな
いつの頃からかは定かではないが、ファインダーを覗きながら考えているの
は、結局のところ“今!”を撮影してやるという一点に尽きるようなのだ。
記録というなら、まさに記録としての写真を撮っているような気がしていて
そうして見ると、アートよりは情報としての写真のように思われてしまう。
自分にとって、アートっぽい写真を撮ることが下手なのは、間違いなく光線
を活用できないことが大きいような気がしている……順光のよさ、逆光のよ
さを引き出してやれないことが大きいと考えている。
↓これは単純に被写体がよかっただけ
そのあたりをうまく引っぱり出してやれば、色気のある写真が撮れるのでは
と思っているのが、それができないままに、ここまできてしまった。新しい
カメラを駆使しようと試みるが、カメラが人となりを見ているようで、出て
くる写真は相も変わらず色気に乏しいものであるのだ。
《私事のトピックス一覧》