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顧話§今日の歴史~音のない音楽~ [クラシック]

1952年8月29日、ジョン・ケージの『4分33秒』初演。

ゲンダイオンガクとは何なのだろう……ストラヴィンスキーの『春の祭典』で思考がストップしている人間にとっては、今だに答えなど出てきてくれていない世界である。

『4分33秒』の存在を知ったのは、クラシック音楽を聴き始めてまだ間もない頃に読んだ音楽の友の記事ではなかっただろうか。

記事には“無音の間のノイズを聴く”とかみたいな御託が書かれていたが、それでもピンとくることはなかった。

4分33秒は3楽章構成のピアノ曲で……

Ⅰ:TACET……33秒
Ⅱ:TACET……1分20秒
Ⅲ:TACET……2分40秒

……と指定されている。TACETは音楽用語で“長い休み”である。

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ジョン・ケージ生誕百年を記念して発行された楽譜の写真を貼っておく。

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興話§音楽のスコアを眺める・・・・・・だけ [クラシック]

我が家に数十冊のクラシック音楽の交響曲や協奏曲、弦楽四重奏曲などなどのスコアが本棚に収まっている。

初めて買ったスコアは、中学2年くらいの時でドヴォルザークの新世界交響曲だった。なぜスコアを見てみたいと思った最初の動機が何だったのか……それは記憶にはないけれど、テレビでオーケストラのコンサート中継を見た時に、指揮者が眼の前でめくっている“あれ”が何なのか興味を惹かれたのは間違いない。

それから、あのスコアの中に音楽が詰まっているのではと想像して、それを眼にしてみたいと思ったのだろう。そうして、新世界交響曲のスコアを見つけて手に入れたのは、実家近く大通りの商店街の中にあった楽器屋だった。

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半世紀以上前の全音楽譜のポケットスコアの表紙は青いビニール装幀で、その当時買ったのは、新世界とベートーヴェンの交響曲第五番の2冊である。

そして……読めないのだ。

音楽を聴きながら、1ページから目を通し始めたが、五線譜に書かれた音符であることはわかっても、それらをどのように読んでいってやればいいのかさっぱりわからなかった。

だが、しばらく同じことを繰り返しているうちに、何となく音楽を聴きながら音符をたどれるようになったのだ。だが、そこ止まりでそれ以上先に進むことはできないまま。

読譜して、頭の中で音楽を鳴らすなどということなどできようはずもなく、音楽を聴きながら楽譜をなぞるだけである。ちょっと音楽を学んだ人たちであれば、調性がどうだとか、様々な情報を楽譜から読み取ることができるところを、素人にして音楽的素養皆無の人間にできることといったらその程度でしかないのだ。

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週話§土曜流転~演奏会は2時間~ [クラシック]

もちろん伸び縮みはあるが、大雑把にクラシックの演奏会は2時間である。オペラやバレエだったら3時間とか4時間、ワーグナーの楽劇であれば5時間から6時間を要することもある。

日本における夜のコンサートの場合、19時に開演、21時が終演時刻である。欧米では、これから一時間遅い開演時刻が一般的である。もちろんマチネーも同様。

かつてお約束的にあった典型的なプログラム構成は、序曲や前奏曲が10分、協奏曲が30分、そこに20分の休憩を挟んで、最後に40~50分ほどの交響曲でちょうど2時間というもの。

そして、そこに様々な要素が入る。たとえばブルックナーやマーラーなどの交響曲は、短くても70分から90分くらいを要するので、休憩なしの一本勝負ということも珍しくない。

記憶の限りだが、オーケストラの演奏会で最も公演時間が短かったと思われるのは、1987年のザルツブルク音楽祭でカラヤンがベルリンフィルを振ってのタンホイザー序曲(約15分)、ジークフリート牧歌(約20分)、そしてトリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死(約20分)と一時間足らず……おそらくは休憩なしで3曲演奏しておしまいだったのではないか。

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これでチケット代が他と同じでは身も蓋もないなあとは、その当時に思ったことである。
 
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報話§モーツァルトの社会学 [クラシック]

歴史上の出来事と同時代に生きていた人たちとが、どのように関りを持っていたのか、個人的には興味があって調べてみたりすることがある。

例えば、アメリカが独立宣言を出した1776年、二十歳のモーツァルトはザルツブルクで宮廷音楽家として仕事の日々にあったわけだが、そんなモーツァルトが、アメリカという国の存在や、独立を宣言した……そうした出来事を知っていたのだろうかと考えたことがあった。

それで、ネットの中を自分が考えられる範囲で調べてみた。残念ながらモーツァルトとアメリカとの関りあいについて日本語で書かれた資料を見つけることはできず。

ならばと、1989年……モーツァルトの死の前々年に起きたフランス革命について、どれほど知っていたのだろうかと。これも調べてみたが、日本語については見つけ出すことができなかった。

はたしてアマデウスは“幼なじみ”のマリー・アントワネットが、断頭台で最期を迎えたこととかをどれくらい知っていたのだろうか。

さすがに新大陸の出来事については知らなくとも、お隣さん同然の国の大事件を知らないはずはあるまい。

個人的には、こうした事象について興味を持ったりしているわけだが、史学では、学問的に興味を持たれることなく、個人的な事象として顧みられることはなさそうだ。

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週話§日曜流転~電子チケット~ [クラシック]

電子チケットを最初に利用したは、日本ではなくドイツのコンサート会場でのことだった。

↓ベルリンでコンセルトヘボウを聴いた
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旅行前、日本からインターネット予約をするのだが、予約サイトでチケットの引き取り方法を尋ねられ、そこで「電子チケットを発行するから、プリントアウトしたものを持参するか、スマホにチケットをキャプチャーして」と指示され、これは何とも便利なものだと感心したのである。

そして相変わらず日本はこうしたソフト面でのサービスが遅れて、どうしてさっさと導入しないのかと思っていたのだが、10年前あたりだったか、ようやく電子チケットを発券するところが現れてきたが、本当に動きが遅い。

そうしたら、電子チケットの発券システムが複数出現してきていて、中には「スマホを持っていないと使えません」なんていうのもあって、ガラケーを今だに使っているワタシはどうなるの?なのである。

しかも、ドイツの電子チケットを購入したときは、券面のチケット代のみでそれ以外のシステム利用料は発生しなかった。ところが、日本の電子チケットにはシステム利用料を取るところもあって、何とケチ臭いことよと、我が国の希薄なサービス精神を嘆くのであった。

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昏話§クラシック喫茶なるものが[下] [クラシック]

[承前]

さて、頻繁に足を運んだのは中野の“クラシック”という喫茶店であった。これがいつ崩れ落ちてもおかしくない、中に入ると素人普請ではないかというような傾いた階段や2階の床……中野駅北口を出て、中野ブロードウェイ手前の路地にあった。

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店の中は薄暗いので、うっかり踏み外したらやばいという、迷宮のような店内だが、これが何とも居心地がよく、一度行ったら病みつきになってしまったのだ。

というわけで、お世辞にもきれいとはいえない店内に妙なる楽曲が流れて、そんな中でコーヒーを啜るのだが、その当時コーヒー1杯150円は、貧乏学生にはありがたかった。そしてミルクピッチャーとして使われていたのは赤いマヨネーズの蓋、お冷やが入っているのはワンカップ大関のそれだった。

入り口を入ってすぐ、小さい黒板が置かれていて、客がリクエストを書き込むようになっていた。黒板のスペースはすぐ一杯になってしまうから、我慢強く待つのである。

当然ながら2時間くらいはあっという間に過ぎてしまい、ようやく自分がリクエストした音楽が流れだす。そしてコーヒーをもう1杯。

クラシックに通っていたのは2年かそんなものでしかない。大学帰りのついでの寄り道で、行けたのは月に一回もあったかどうか……画家でもあった店主は1989年に逝去。家族が後を継いだが、その家族も亡くなり、クラシックが閉店したのは2005年のことである。

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昏話§クラシック喫茶なるものが[上] [クラシック]

クラシック喫茶とかジャズ喫茶なるものがある。膨大なLPレコードを所有して、客のリクエストに応えるというのが大雑把なシステムである。ジャズ喫茶は行ったことがないのでわからないが、クラシック喫茶の中には“会話禁止”を打ち出している店もあった。

大学時代、そんなクラシック喫茶に何軒か通ったことがある。板橋の赤塚に下宿していた時、成増の駅から吉祥寺までのバスが走っていて、時折バスに乗って吉祥寺のクラシック喫茶に出かけた。最初に入ったのが“こんつぇると”というクラシック喫茶。ここは小ぢんまりしていて、店に入ると店員が「会話できませんがよろしいですか」と聞いてくる。

2回ほど行った記憶だが、それっきりになってしまったのは、そんな店の雰囲気が気詰まりになったようだ。

回数を重ねたのは、かつての近鉄百貨店裏の“バロック”という店。ここも私語禁止とあったが、店の雰囲気が穏やかなことと、ほとんどは独り客ゆえに居心地はよかった……こんつぇるとだって独り客ばかりだったが。

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半日くらい長っ尻する客もいたようだが、そこに流れている音楽を2、3曲聴き、長くて3時間もいなかったような記憶である。リクエストをしたことはほとんどなかった。

そして、吉祥寺に続いて中野のクラシック喫茶については次回に。
                               [続く]

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辛話§どんどん遠くなる [クラシック]

上野の東京文化会館への足が遠のいている。年に一度か二度の東京・春・音楽祭に重い腰を上げるのがやっとになってしまった。

とにかく、我が家から山手線の東側まで出向くのがきついと感じる。じゃあ歌舞伎座はどうなのだと問われたら、まあ昼の部などは気楽に行けるし、小田急線を使えば、地下鉄を乗り継いで意外と簡単に行ける。歌舞伎座に行くのは、心理的に気楽だったりもする。

だが上野は、終演が21時としたら、家に帰り着くのが22時半を過ぎてしまうのだ……これはきつい。特にこの10年ほど夜に弱くなったので、22時とは、完全に真夜中なのだ。

そうしてクラシックの演奏会から遠のいているのも事実で、マチネーであれば、まあまあ気兼ねなく行けはするのだが。

そうして、足が遠のいたコンサートホールはいくつもある。まず横浜がアウト。神奈川県民やみなとみらいなど、もう20年以上出かけていない。さらに彩の国さいたま芸術劇場や所沢のミューズにもすっかり足が遠のいた。

結局、まあまあ何とか通えるのは、山手線西側のNHKホール、新国、オペラシティ、それに武蔵野あたりになってしまって、だから歌舞伎座通いは何としても死守しておきたいのである。

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活話§ダネル弦楽四重奏団~武蔵野小ホール~ [クラシック]

何とも痛快でおもしろいコンサートだった。ベルギーのダネル弦楽四重奏団が、ほとんど聴いた記憶のないチャイコフスキーの四重奏曲を全曲演奏するというので“全曲”好きとしてはチケットを買ってしまったのだ。それにしても会員料金2250円とは破格である。

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チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番 D-Dur Op.11
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番 F-Dur Op.22

**********************休憩**********************

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番 es-moll Op.30

[アンコール]
ショスタコーヴィチ:エレジー
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番第2楽章

さて、音楽が始まったとたんに、ニュアンスに満ちて有機的なダネルQの演奏に引き込まれてしまった。何を言っても第1ヴァイオリンのマルク・ダネルが目に立つ。感情の赴くままに右脚を高く上げたり、右脚を上げたり、さらには両脚が宙を舞う……踏ん張らなくてもいいのかなと。

個人的に、第1ヴァイオリンはアマデウスQを想起させるように感じたが、どんなものだろう。

1番の快活な終楽章が終わった後、観客の喝采がこの日の演奏がどんなものであったか、正直な反応である。動き回るダネルに比べれば、他の3人はというと、冷静にかっちりと音楽を組み立てていく……動と静の妙味なのか。

↓ショスタコーヴィチは沈潜していく


前の週に聴いたヴォーチェQがヴァイオリンとチェロが急遽入れ替わったりしたことで、不本意な消化不良に終わってしまったのに比べると、音楽の闊達さ有機的なアンサンブルと、最後まで満足のいく演奏を聴かせてくれた。

本プロ終了は21時ちょうど。バスで吉祥寺に出て電車を乗り継ぎ、22時半の帰宅。

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転話§ニーベルングの指環がディスク一枚で [クラシック]

四夜で演奏時間15時間に及ぶワーグナー畢生の大作『ニーベルングの指環』を、直径12cmのたった一枚のディスク(ブルーレイオーディオ)に収めて発売されるという。

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40年ちょっと前にCDが発売された時、ベートーヴェンの第九がCD一枚に収録されたことに人々は驚いたが、これはもはや、そうした領域をはるかに凌駕してはいないか。技術はここまでデータを圧縮できるようになった。

日本のリスナーの多くは今だにディスク信仰を持ち続けていて、だから自宅に“ブツ”としてのCDをコレクションすることで“安心”している節がある。まさに唯物信仰そのものである。

だが、欧米世界では、ディスクを所有するよりもサブスクでデータを外部から取り込むディスクレスが浸透してきている。事実、ドイツ&オーストリアを旅行する時に借りたレンタカーだが、最後の3年ほどは、カーオーディオにCDプレイヤーは装備されておらず、iPod touchやiPadなどのメディアを接続して音楽を再生するようになっていて驚いた。

自分自身は、そうした状況までは何とか対応することができたが、いよいよ現実は想像の域を超えてしまった。そんな15時間のディスクを再生し嬉々として聴くような気力はないし、そうした再生装置を新たに誂えるつもりも持ち合わせてはいないのだ。

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仏話§ヴォーチェ弦楽四重奏団~フランス~ [クラシック]

ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲という好物に惹かれて、サントリーホールのローズルームへ。

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ドビュッシー:弦楽四重奏曲 g-moll Op.10
バルメール:『風に舞う断片』[日本初演]

**********************休憩**********************
ドビュッシー(バルメール編曲):
『抒情的散文』より1・2・4曲(ソプラノと弦楽四重奏用編曲)[日本初演]
ラヴェル:弦楽四重奏曲 F-Dur

[アンコール]
ドビュッシー(バルメール編曲):『抒情的散文』より第4曲「夕べ」

ヴァイオリン奏者が“体調不良”で、チェロが“諸般の事情”で、それぞれ代演が参加しての来日公演となった……やや不安なニュースではある。

1曲目のドビュッシー……座った席がステージからは左端奥で、ヴィオラ奏者が真正面に見えるからか、終始ヴィオラの音が目立って聴こえてきた。

普段、それほど注意深くヴィオラを聴くほどマニアックではなく、そのあたはおもしろかったが、肝腎の第一ヴァイオリンが、こちらからは背中を向けて演奏しているので、音が届いてくれなかった。そもそも音色が細めの奏者のようだ。

ちょいと物足りない演奏と感じたのは、2曲目の“ゲンダイオンガク”が控えていたからかどうか。パワー温存だったのかもしれない。

そんな2曲目は、ピチカートとハーモニクスが“風に舞う断片”を表していいたということか、そうはいても二度と聞く機会のない“一期一会”の音楽ということである。

休憩後、ドビュッシーのピアノ伴奏歌曲『抒情的散文』を弦楽四重奏に編曲した全4曲のうち3曲が、ソプラノの波多野睦美によって歌われた。残念ながら、彼女の歌声が弦楽器にかき消されてよくわからなかった。ローズルームは、座席やステージが固定されておらず可変で、この日は客席が横長に伸びていたが、だからなのか音が拡散していったような印象。

最後のラヴェル……ヴィオラがよく聴こえるのは変わらずだが、低音弦に負けていたヴァイオリンが、ようやく精彩ある音楽を聴かせてくれたが、音が細身であるのは変わらず。もう少し艶めかしさのようなものが感じられればと思ったのだが。

アンコールは本プロの歌曲から第4曲が歌われた。終演は21時5分。

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愉話§レパートリーは広がったか [クラシック]

クラシックを聴くようになって、そろそろ60年になるようだ。そして今だにレパートリーが超レベルに狭いままである。どうやらこのままお迎えが来そうだ。

結局のところ基本は、バッハに始まるドイツ&オーストリア系音楽で、それ以上には広がりを見せることはなかった。つまり、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワーグナーにリヒャルト・シュトラウスで8割がたを占めて、残りいくらかをドビュッシーやラヴェル、プーランクといったフランス系、そして少しショパンを聴き、現代音楽と呼べるものは、せいぜいストラヴィンスキーのバレエ音楽どまりである。

そんな狭い範囲での嗜好でしかないが、それでもこの20年ほどで、辛うじてレパートリーは広がってくれた……と言っても、上に書いたドイツ系作曲家の作品がほとんどなのだが。

20年近く通い詰めた、オーストリアの小さな室内楽の催しに出かける内に、自然と室内楽に親しめるようになった。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲だったり、シューベルトのピアノソナタ、そしてシューマンやブラームスのピアノと弦楽器のための作品とか。少しばかりだが幅は広がってくれた。

ワーグナーには喰いついて、数回のバイロイト詣もしたけれど、結局は中途半端な掘り下げすらできずに終わってしまうようだ。まあ……耳さえ喜んでくれればいいだけの話ではあるのだが。

あ、そしてブルックナーとマーラーには届きませんでした(笑

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提話§山根一仁~バッハの無伴奏~ [クラシック]

桜散る4月土曜日の午後、武蔵野市民文化会館小ホールで、若手ヴァイオリニスト山根一仁がバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲を演奏するというので聴いてきた。

14時開演、20分の休憩を2回挟み、終演は17時15分という長丁場である。

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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ1番 g-moll BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ1番 h-moll BWV1002

**********************休憩**********************

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ2番 a-moll BWV1003
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番 d-moll BWV1004

**********************休憩**********************

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ3番 C-Dur BWV1005
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ3番 E-Dur BWV1006

↓チケット代は千円也!
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ステージ空間には何もなく、ヴァイオリンとその演奏者が聴衆と対峙する構図である。不思議なもので、あの譜面台ですら奏者と客を隔てているように感じることがあるので、ここまでの雰囲気は自分的には珍しい。

出を待つ間、袖から調弦する音がまったく聞こえず、ステージでもまったく調弦をしないで演奏を続けるというのはなかなかできないことではないか。確かヨーヨー・マ(チェロ)もステージ上では調弦をまったくしなかった。

演奏は、奇をてらわず、けれん味もなく、正面からバッハと向き合い、かつ自己主張もはっきりと聴いてとれるもの。曲間で調弦をしないから、あまり間をおかずに演奏していくから、客席の緊張感も良好に保たれたように思われる。

ノンヴィブラートのピリオド奏法にしてはらしい臭さもなく、豊かなニュアンスで6曲飽きずに聴き通すことができたのは演奏者の力量ゆえであろう。

ただ、6曲目、最後に演奏されたホ長調のパルティータは疲れもあったからか、ディテールがはっきりしなくなって弾き飛ばしたのではと感じた。帰り道、同居人が「シャコンヌと並んで一番聴かれる曲だから、普通に演奏しようとか思わなかったのでは」というような感想を言ったが……同感である。

バッハの無伴奏ヴァイオリン曲を全曲聴き通すという稀有な体験は、山根一仁の稀有な集中力の賜物によるものだった。

バッハは偉大なり!

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悼話§マウリツィオ・ポリーニさん(ピアニスト) [クラシック]

実演を複数回聴いたピアニストの一人である。初めてポリーニを聴いたのはショパンの練習曲集の録音で、第1曲からその技巧の見事さに腰を抜かしそうになった。完璧とは何かを思い知った瞬間だった。

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その後、初めて実演を聴いたのは1976年のNHK交響楽団定期公演。岩城宏之の指揮でショパンのピアノ協奏曲第2番だったが、演奏の記憶はまったくない。ただ、その後アンコールで弾かれたポロネーズ第5番の打鍵の強さにこれがポリーニなのかと思わされたのである。

1989年に東京文化会館でシューマンとショパンのプログラムを聴いた時は、あまりにもな会場のピリピリした緊張感にくたびれ果てた記憶があるのみ。

最後は1998年にサントリホールで2回、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ3曲ずつ。記憶に残っているのは28番の終楽章。一瞬、指がもつれたように聴こえた。その直後から感情を顕わにして弾き始めたように感じたのだ。

あるいは、その頃には往年の技巧が失われてしまっていたということか……残念ながら素人風情の耳には感じ取れなかったのである。享年八十二

合掌

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圧話§LPレコードのミスプレス [クラシック]

LPレコードを聴いていたので、1970年代半ば過ぎのことである。無謀にもアルバイトでもらった給料をはたきまくって、アルヒーフ・レーベルが売り出した百枚組のバッハ大全集を買ってしまった。

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その当時、バッハの作品はというと、ブランデンブルク協奏曲あたりとかフルートソナタ、有名なオルガン曲くらいしか知らず、いい機会だと張り込んでしまったのである。

下宿の部屋に並んだ全11巻百枚組は壮観で、さてそれでは何から聴こうかと最初に目をつけたのがマタイ受難曲……バッハといえばマタイ受難曲ではないかと、厳かにプレイヤーの針を下ろした。

1枚目A面……何やら延々かつ淡々ととオルガンの音楽が鳴り続けるばかりで、人間の声が一向に聴こえてこない。業を煮やしてB面を聴いてみると、妙なるソプラノのアリアが聴こえてきたのだが、それではA面の音楽は何であろうか。どうやらマタイ受難曲とは別物なのではないか。

購入して一か月も経たないある日、アルヒーフから一通の手紙。内容は……

「マタイ受難曲1枚目A面に、誤ってフーガの技法をプレスしてしまいました。申し訳ありません。プレスし直したレコードをお渡しします。なお、ミスプレスのレコードはそのままお持ちください」



……というもので、何とまあ間違って別の音楽をプレスしてしまったのだ。そして待つことしばし、正しくプレスされた1枚目が到着し、仕切り直し。改めてしっかり“まじめに”何度も繰り返し聴いたのだった。

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