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街話§神保巷塵[108]共栄堂でカレー [神保町]

[承前]

先週、会社OB会の会合で一か月ぶりの神保町。11時集合して約2時間ほど事務仕事などをこなして13時頃に解散。

さすがに腹が減ったので神保町ランチである。どこにしようかと考えた、その一瞬後には共栄堂に足が向いていた。

ランチョンと同じビルの地下に共栄堂はあって、12時の昼時には並んで待つ繁盛ぶりだが、13時ともなると客席はほぼ埋まっているが、手際よく相席のテーブルに案内される。

注文したのはポークカレー、ご飯三分の二。ご飯が少なめなので、ソースが多いと感じてしまう……共栄堂ではルウとは言わずソースと呼ばれているのだ。

ややあって、ソースポッになみなみとポークカレー、そしてご飯……さらにカップに入った不思議なポタージュスープがテーブルにやってきた。

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不思議なポタージュは“野菜と小麦を数回オーブンにかけルーを作り、コーンと生クリームを合わせたもの”と店のホームページにあったが、カレーを食べる合間の佳き相棒である。

そして真っ黒な“スマトラカレー”だが、肉以外の材料はすっかりソースに溶けこんで、どんな野菜を使っているのかわかりようがない。今時のようにパンチがきいた辛さがというわけではなく、見た目よりも味はまろやかと感じられるが、どうだろう。

そんな共栄堂は、1924年(大正13年)創業。何と今年が百周年となったのだ。東京のカレー・エリア神保町にあって、独自の位置を占めていて、何となく食べに行きたくなる店の筆頭なのだ。
                               [続く]

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働話§午前様と朝帰りの時代 [神保町]

何とも不規則な仕事を20年ほど続けていた……体力がまだまだあったのだなと、今振り返れば感心するような勤務実態だった。

定時は9時30分~17時30分、週休二日だったが、定時出社&退社したことはその20年の間に数えるほどしかなかった。遅い朝に起き出し、出社の途中で昼飯を食べて、会社のタイムレコーダーを押印すれば、そこからが勤務時間となって業務スタートだが、途中で夕食を食べて……そこからが本番のようなものである。

そんな仕事をしていた1970年代から90年代前半にかけては、非効率的な手作業がメインだったから、その日やるべき作業が片付くのは常に深夜に及んでしまうのだ。

規則で23時以降はタクシー帰宅が認められていたが、そんな時間にならずに電車で帰宅できたのは、月20日勤務のうちで2日くらいのものだった。

そんなわけで、帰宅するのはほぼ午前様。それどころか3時、4時、5時という日もままあって、朝日を背に首都高速を帰宅することも珍しいことではなく、時には気まぐれに一番電車に乗って帰宅……の直前、駅ナカの蕎麦屋で朝定食をつまみにビールを呑んだりしたことも。

そんな勤務形態に別れを告げられたのは20世紀も終わりになる頃、勤続20年となったある夏の日のことで、思いがけない人事異動のおかげで、7月のはじめには夜型生活から別れを告げることができたのだ。

そこから定年退職までの17年ほどは、まあまあ人間らしい勤務ができたようである。

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街話§神保巷塵[107]馴染みの店が閉まること [神保町]

[承前]

神保町で宮仕えをしていた37年半の間、多くの飲食店のお世話になったが、気がつくと行きつけの店が閉まっていることなど珍しくはなかった。

何の予告もなく、月末とかのタイミングで閉じてしまい、少しごぶさたして久々に出かけてみると“閉店のお知らせ”が貼ってあって、眼にした瞬間にうろたえてしまうことも珍しくなく、なぜ気がつかなかったのかと歯ぎしりすることになるのである。

一番にショックだったのは、神保町すぐ隣の小川町にあった居酒屋“鶴八”が閉店したことだった。気がついたのは2006年になってすぐあたりだから、2005年には閉店していたのだろう。

劇込みすることもなく、客入りもほどほどのカウンターでゆるゆると桝酒を呑んで、気の利いた酒肴を楽しめた店だった。そんな店がなくなってしまうのは本当に痛恨事だったのである。

その後、2014年夏には、神保町から少し離れた神楽坂の割烹“渡津海”が閉店……定年退職するまで通えると思っていた店だったのに、定年まで一年を残しての閉店だった。

そうして閉店したほとんどが個人営業の店で、チェーン系など片手にも満たない。そうして定年退職した後の神保町は、雨後の筍のごとくラーメン屋があちこちで開店しては閉店を繰り返す無限ループが起きているのだ。
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週話§土曜枯寂~洋食クルミ発見!~ [神保町]

先月、武蔵野市民文化会館でコンサートを聴くのに吉祥寺に出かけた、早めに吉祥寺に着いて買い物の後の開演前に吉祥寺東急のレストラン街で蕎麦を手繰った。

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勘定を済ませて店を出て周りを見渡したら、KITCHENクルミという店の表示に気がついた。近くまで歩いていくと、何と!バブル期に地上げで消えたあの神保町白山通り沿いにあった店で、勝手に“洋食くるみ”と思い込んでいたが“KITCHENクルミ”が正しかったようだ。

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店の入口には、昔の神保町古書店街の写真が貼ってあって、店の由来の説明ボードもあったので間違いはない。

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出版社が集まっている神保町らしく、深夜までばりばり営業していて、夕食にと店に入ると、ホール担当のお兄ちゃんが「とりあえず、おビール?」と聞いてくるのも懐かしく思い出した。

店の名物だったかどうか、小ぶりのとんかつを半分に斜め切りした“切りカツ”がうまかったのだが、店頭のショーケースには見当たらず残念。

とりあえず、ちゃんと生き延びていたことが確認できたのだった。

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街話§神保巷塵[106]会社の同期会があった [神保町]

[承前]

一昨日のことである。

声が掛かって、会社同期会が神保町のランチョンで行われた。集まったのは7名。15時スタートという不思議な時間だが、あまり夜が遅いのも何だからという老人モードなのかどうか。

同期入社は36人(四大卒男16人、女10人、短大卒10人)で、そのうちの5人が既に亡くなっている。

定刻にはメンバーが揃って、生ビールなどで乾杯。出席者の一人は取締役まで“出世”しているから、在職中は話せなかったような生臭い話あれこれが飛び出してきて“うーん・・・・・・”と考え込んでしまうのであった。

まあ、それ以外は個々の近況であったり、在職中のエピソードを擦り合わせてみたり、他愛のない会話が続いたのだ。

そして、アラ七十の集まりゆえか、かつてのように呑み過ぎるようなこともなく、ほどほどのところで17時半過ぎにはお開きとなり、三々五々通い慣れた神保町から散開していったのである。
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街話§神保巷塵[105]神田天丼家閉店 [神保町]

[承前]

神保町三丁目南側で営んでいた神田天丼家が、10月31日を最後に閉店した。前もっての告知はなく、当日閉店のお知らせが張り出されて終わりである。

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かねてより、閉店“記念”行列を何だかなあと眺めていたので、唐突なとは思いながらも、いっそ潔いやり方ではなかっただろうか。

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元々は、神保町一丁目北側の路地裏で天丼いもやとして店を出していたが、2011年10月、今の場所に移転し“神田天丼家”として再スタートしたのだ。

天丼いもや当時は280円で食べられた天丼も、最後は700円となったが、それでも財布に優しいことに変わりはなく、あの辛口のタレは忘れられない……東京風のそれである。

最後に、今だ“若旦那”という風貌のS店主さんお疲れ様!
                               [続く]

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街話§神保巷塵[104]山の上ホテル長期休業 [神保町]

[承前]

ちょっとショックなニュースである。神保町のすぐ隣、駿河台の高台に建つ老舗の山の上ホテルが2月13日から長期休業するというのだ。

残念ながら宿泊する機会はなかったが、宮仕え時代は会社から遠くないこともあって、頻繁に利用させてもらった。事と次第によっては経費を使えたので、今はなき別館にあったカジュアルなほうのレストランには、ずいぶんとお世話になった。

あとは、本館“半地下”にあるワインバーのモンカーヴ。ただし、あそこは天井高の関係かどうか、話し声が聞き取りにくいという欠点もあったのだ。

客室フロアを歩いたことはないが、本館1階のレセプションあたりは頻繁に歩いていて、そのシックな落ち着きというものに安心感を抱けたのである。

長期休業の間に大規模改修するとのことだが、外観はもちろん、長年親しまれてきた内装もきちんと残してもらえるものか……そのあたりが気になっているところなのだが。
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街話§神保巷塵[103]職酒接近 [神保町]

[承前]

酒呑みの神保人だったら、酒の店の馴染みを数軒くらいは持ち合わせているだろう。かく申すワタクシめも、宮仕え時代には、気楽な立ち呑みの店から始まって、ちょっと洒落た居酒屋、気兼ねないビアホール、財布に優しい寿司屋にカジュアルな町中華、そして蕎麦前で呑める蕎麦屋となどなど、実にお世話になっていたものである。

サラリーマンのアフター5で、必ず名前が挙がるのは新橋というのがお約束なのだが、勤め人が勤務先から新橋の駅に向かいながら立ち寄るという流れになっているようだ。

そこへいくと神保町は、町内の到るところに酒食を楽しむ店が点在していてまさに職酒接近そのものと言えるのではないだろうか。

極端なところでは、仕事場の通用口を出たすぐの路地裏には瀟洒な居酒屋があって賑わいを見せていた。ただし、あまりに職酒接近し過ぎてしまって、店に入ると見たような顔ばかりがカウンターにということになって、個人的には敬遠して、少しばかり歩いたところに通っていた。

人によっては、六本木だの麻布などと遠征していたりもしたようだが、神保人の基本はあくまでも神保町呑みで、結局はホームタウンに戻ってくるのである。
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街話§神保巷塵[102]思ひ出の神保町 [神保町]

[承前]

神保人だったのは1978年4月から2015年9月までだった。もっとも神保町という行政区画にいたのは11年ほどで、残りは神田猿楽町だったり、靖国神社近くが仕事場だったりした。

そんな神保町暮らしの中で便利に使わせてもらった店は多いが、その中の多くもまた、惜しくも姿を消してしまって既にない。そんな懐かしい店を思い出すままに書き連ねていってみようか。

亀半……定食屋というか居酒屋というか、神保町2丁目南側さくら通りの路地裏の小ぢんまりとした店。ランチもやっていたが、もっぱら夜の食事のために使っていた。売りは焼き魚定食、麦とろご飯の定食などなど。軽く1杯喉を潤してという店。世紀が変わる頃に閉店したはず。

くるみ……神保町2丁目北側、白山通り沿いにあった洋食屋。神保町の飲食店らしく、深夜まで営業していたので、遅くなっての夜食に利用していた。店に入るとホールの優しそうなお兄ちゃんが「とりあえずおビール?」と聞いてくるので、もちろん“応”である。地上げで店を閉め、銀座あたりに移転したと聞いたが行方知れずである。

纏寿司……神保町2丁目南側靖国通りの一筋裏の路地で店をやっていた、渋い寿司屋。夜もいいが、ランチの鯵のたたき定食が佳き。何しろご飯がうまかったのだ。

末広……神保町2丁目南側さくら通り、亀半と同じ区画にあったカウンターだけの定食屋。厨房も一人がやっと入る大きさだったがゆえに、徹底的に合理化されていて、記憶に鮮やかなのは豚汁を注文した時。まず店主が、豚バラ肉を胡麻油で炒め、そこに大鍋の味噌汁をお玉で注いで出来上がり。これはアイデアだと感心したのだった。おそらく亀半と似たようなタイミングで店を閉じたと思われる。

また、いくつか思い出したら、続編はある……かもしれない。
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街話§神保巷塵[101]金ペン堂閉店 [神保町]

[承前]

SNSで、神保町1丁目北側の金ペン堂が店舗での営業を終えたと知った。ネットでの営業は続けるが、店舗は既になくなっている。

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筆記具にこだわりのようなものは持っておらず、万年筆もいい物を1本持ってはいるが、とんと使うこともない。

そんな天邪鬼は自分だけだと思っていて、世の中には金ペン堂の店頭販売がなくなったことを嘆く声が溢れている。

時折、店の前を通りかかるが、店構えの律義さに頭を下げそうになるのだ。

こうして、また一つ“神保町”が消えていく。
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街話§神保巷塵[99]閉店の・・・・・・ [神保町]

[承前]

神保町に直接足を運ぶのは月に一回程度。そんな頻度であるからか神保町の変化は見て取れる。

それよりも、インスタグラムのようなSNSで神保町について発信しているのを見ると、さらに顕著に街の変化を知ることができて、それは、かつての神保人にしてみれば、目まぐるしさで眼が回るようなのだ。

にしても、毎日神保町まで通っていた身にしてみたら、その頃はもう少しだけ落ち着いていたのではなかったか。

定年退職する頃から、神保町界隈にラーメン屋が雨後の筍のごとくに開店のラッシュが始まって、その波は靖国通り沿い古書店街の間にまではびこるようになってきた。

そして、開店した時はどの店も元気がよくて、そこそこ行列ができたりもするのだが、その勢いが3か月も続いてはくれず、様々な試行錯誤を繰り出した揚句、白旗が上がり、ある日気がつくと敢えなく閉店しているのである。

ついこの間も、靖国通り沿いの神保町1丁目南側の一等地のラーメン屋が閉店していて、閉じられたシャッターには“テナント募集”の貼り紙がされていた。

“あわよくば一旗!”と勇んで店を出すのだろうが、結局は体力が続かず、本意ではない撤退となる。そうして見ると、神保町で半世紀、一世紀と店を維持していることの大変さを改めて思い知るのである。
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街話§神保巷塵[98]一人すき焼きの店 [神保町]

[承前]

“ぼっち食”だなどと揶揄されるお一人様の食事だが、個人的には必要でない限りは、一人で呑み食いするほうがずうっと気楽と感じている。

神保町は比較的一人で食事しやすい場所ではないかと考えているが、そんな中にあって、世紀が変わる頃まで“すき焼きはらの”という一人鍋を提供する店があった。

確か一度だけ入った記憶で、カウンター一つ一つに一口ガスコンロが置かれていて、すき焼きあるいはキムチチゲなどなどを食べることができた。お勘定は1000円でお釣りがくるというお得さだった。

隣が人生劇場という名のパチンコ屋だったので、おそらくはそこのお客さんが食事をするのにうってつけということもありそうだ。

そこそこ流行っていたと思っていたが、ある日“しゃぶっち”というしゃぶしゃぶの店に変わった……そのあたりの迷走の理由はよくわからないが、それからほどなく店は閉じられてしまった。

結局今は、どうってことのない居酒屋に変貌していて……既に面影はない。

まあ、昨今は一人だろうがグループだろうが、テーブルを囲んでそれぞれが思い思いに楽しんでという、あの頃の一人すき焼きの場末感のようなものはもはや存在していないのである。

                               [続く]

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街話§神保巷塵[97]神保人 [神保町]

[承前]

こんなしがない身の上でも、37年半を神保町で過ごしたのだから“神保人”の端っことか頭数に入れても罰は当たらないだろう。改めて、神保町というエリアで過ごすことのできた我が身のを、謙虚に“よくやった”とほめてやりたいと思う。

何度か書いているように、同じ区の中にあって、永田町、霞が関、日比谷、大手町とは無縁だった。就職を考えた時もまったく眼中にはなく、それこそ自分の柄ではないと考えていた。あるいは、法学部とか経済学部で学んでいたりしたら、そのあたりでと考えたりしたかもしれないが、しがない文学部専攻にはお呼びでない場所で、むしろ神保町のほうが似つかわしかったのである。

今でこそ高層ビルみたいなものが少しはあるが、神保人成りたてだった頃の神保町は、首都高速を挟んだ南側一帯とは、一線を画す如きの佇まいだったのだ。

それは古書店街を中心に、下世話な商店や食べ物を商う店、そして出版を生業とする会社などから構成された、独特の空気感を醸し出しているエリアなのだった。

その空気感は、霞が関や大手町とはまったく違う、より自由かつ気ままな、らしき雰囲気の町だったのである。
                               [続く]

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週話§日曜枯寂~街歩きでボケ防止~ [神保町]

先月、会社OB会の用事で神田猿楽町界隈を散策することがあった。OB会から散策してきたものを文章にまとめろとの指令があって、いそいそと出かけてきた。

2人のスタッフと歩き始めたら、これが思い出すのである。今営業中の店に始まって、同じ場所にあった先代、先々代の店まで何を商っていたのかが、記憶の底から浮かび上がってくるのである。

そんな自分の様子に“これはボケ防止になってくれるかも”と思い至った。もちろん、在職中に店が入れ替わったりした時でも、自分と関係が希薄な店だったら、過去にどんな店があったのかわからなかったりするが、馴染みとかだったりすると、泉が湧き出るように様子を思い出すのだ。そんな“頭の体操”をしながら一時間ちょっと散策したのだった。

たまたま、神保町のような雑多な町で仕事をしていたからということもあろうが、都心にあってとりわけ下世話なエリアのことゆえ、そうした街歩きにはうってつけなのかもしれない。

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街話§神保巷塵[96]神保町交差点近くの更地 [神保町]

[承前]

先月半ば、会社OB会の集まりで神保町に行った。地下鉄から地上に出たらポッカリと空間ができていたので、近づいてみたら、10年前に破産宣告が行われたスーパーマーケットの跡地だったのである。

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↓ありし日の建物
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2013年7月末、何の予告もなく、店頭にお知らせの紙一枚が貼られていただけだった。

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当時も“夜逃げ”とか“計画倒産”とか噂されていて、なかなかの騒ぎだったと記憶している。

そしてそんな跡地の様子がこんな感じなのだ。

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今現在、神保町交差点を中心にコンビニエンスストアが10軒ほども存在していて、多少のことだったら十分に用は足せるだろうが、それでもそれなりの規模のスーパーマーケットはあってほしいと考えるほうなのだが。

かくして倒産から10年して建物は跡形もなく解体されたのである。
                               [続く]

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