仏話§牧神の午後への前奏曲~ドビュッシー~ [ドビュッシー]
美しい音楽である。ドビュッシーが作曲したこの音楽を初めて聴いたのはいつのことだったか……記憶をたどると微かに高校生の頃だったと思われる。フランス語は“Prélude à l'après-midi d'un faune”となる。
バッハからリヒャルト・シュトラウスへと連なっていったドイツ音楽の構造とはまったく違う。何とも捉えようのない音楽に惹かれたのだが、それは、曲のイメージが、尾瀬とぴったり重なりあってしまったからだ
冬の積雪期は別にして、尾瀬にいると季節を問わず、頭の中で勝手に牧神の午後への前奏曲が鳴り出すのである。それはもう上の写真を見ればたちどころに理解できると思うが、どうやら水と林と草原という合わせ技で、そこに牧神が現れるのではないかという段取りである。
ドビュッシーと尾瀬の関わり合いについて、もう一曲紹介しておこうと思うが、それはフルート独奏のための『シリンクス(シランクス)Syrinx』というわずか36小節の音楽だが、個人的には“牧神”と表裏一体を為している作品と考えていて、牧神とシリンクスとは切り離すことのできない関係なのだ。
かつては考えられなかったことだが、この御時世ならタブレットに音楽を仕込んで現地で聴くことも可能になった。だが、自分としては音楽を流すより自分の頭の中で自然に鳴ってくれるほうが好ましい。
《クラシックのトピックス一覧》
バッハからリヒャルト・シュトラウスへと連なっていったドイツ音楽の構造とはまったく違う。何とも捉えようのない音楽に惹かれたのだが、それは、曲のイメージが、尾瀬とぴったり重なりあってしまったからだ
冬の積雪期は別にして、尾瀬にいると季節を問わず、頭の中で勝手に牧神の午後への前奏曲が鳴り出すのである。それはもう上の写真を見ればたちどころに理解できると思うが、どうやら水と林と草原という合わせ技で、そこに牧神が現れるのではないかという段取りである。
ドビュッシーと尾瀬の関わり合いについて、もう一曲紹介しておこうと思うが、それはフルート独奏のための『シリンクス(シランクス)Syrinx』というわずか36小節の音楽だが、個人的には“牧神”と表裏一体を為している作品と考えていて、牧神とシリンクスとは切り離すことのできない関係なのだ。
かつては考えられなかったことだが、この御時世ならタブレットに音楽を仕込んで現地で聴くことも可能になった。だが、自分としては音楽を流すより自分の頭の中で自然に鳴ってくれるほうが好ましい。
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描話§ドビュッシー―マイカテゴリー―牧神 [ドビュッシー]
初めてドビュッシーを聴いたのはいつのことだったか、記憶がはっきりしない。気がついたら耳に入っていたような気がする。
一点一画も揺るがせにしないベートーヴェンの古典的作風から、一気に印象主義と言われるドビュッシーの音楽が何と新鮮で刺激的に聴こえてきたことか。
まずもって『牧神の午後への前奏曲』冒頭、ゆらゆらと陽炎が立ち上るようにフルートのソロが奏でられた瞬間、一気にドビュッシーの魔力に憑りつかれたのは間違いなかった……ここまで絵画的と聴こえる音楽が存在していたことに何より驚かされたのだ。
その後、ぽつりぽつりとドビュッシーに親しんでいったが、中でもお気に入りといえば、ピアノ独奏の『映像Ⅰ・Ⅱ』や『前奏曲集』で、これらの曲はドビュッシーの本領であると思っている。
さらにフルートを吹いていたこともあって、無伴奏の『シリンクス』を何とか吹けるようになりたいと齧りついてみたものの、体裁らしきあたりまではなったが、実際に曲としてどう聴こえたかまでの自信はない。
ドビュッシーの音楽がすんなり耳に入ってきた理由の一つとして、日本的な五音階を使っていたことも大きいのではと想像できるが、何よりも彼独特の“揺らぎ”の表現が、日本人の感性と合っているような気がする。
交響詩『海』が、葛飾北斎の版画である富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』からインスピレーションを得ての作品だということも忘れてはならない。
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一点一画も揺るがせにしないベートーヴェンの古典的作風から、一気に印象主義と言われるドビュッシーの音楽が何と新鮮で刺激的に聴こえてきたことか。
まずもって『牧神の午後への前奏曲』冒頭、ゆらゆらと陽炎が立ち上るようにフルートのソロが奏でられた瞬間、一気にドビュッシーの魔力に憑りつかれたのは間違いなかった……ここまで絵画的と聴こえる音楽が存在していたことに何より驚かされたのだ。
その後、ぽつりぽつりとドビュッシーに親しんでいったが、中でもお気に入りといえば、ピアノ独奏の『映像Ⅰ・Ⅱ』や『前奏曲集』で、これらの曲はドビュッシーの本領であると思っている。
さらにフルートを吹いていたこともあって、無伴奏の『シリンクス』を何とか吹けるようになりたいと齧りついてみたものの、体裁らしきあたりまではなったが、実際に曲としてどう聴こえたかまでの自信はない。
ドビュッシーの音楽がすんなり耳に入ってきた理由の一つとして、日本的な五音階を使っていたことも大きいのではと想像できるが、何よりも彼独特の“揺らぎ”の表現が、日本人の感性と合っているような気がする。
交響詩『海』が、葛飾北斎の版画である富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』からインスピレーションを得ての作品だということも忘れてはならない。
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