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招話§十八世中村勘三郎十三回忌 [歌舞伎]

あっという間に勘三郎の十三回忌がやって来てしまった。生きていれば来年は古稀……間違いなく、その名跡を巨大な存在にしていたことだろう。

そして“たられば”は続く……生きていたら、還暦から古稀までの10年は、我々の期待に応えて“絶頂期の勘三郎”を見せてくれたのは間違いない。

そして、生きていれば来年は古稀。円熟のその先へと向かっていくはずだっのだ。

同世代、一歳年下の稀有な役者と、お互いが元気であれば、あと10年、彼は舞台からエネルギーを発散し、我らは客席からそのエネルギーを享ける……それがもう既に叶わない。

↓ウィキペディアより
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古稀を前にした勘三郎は、どんな役を務めているのだろう。それまでの持ち役をさらに深めているのは言うまでもないが、それに加えて、例えば還暦のタイミングで助六を演ると言っていた……結局それは夢と終って、勘三郎は旅立ってしまった。

何度も繰り返すが、天国に行ってしまうような年齢などではなかったのだ。次は何を見せてくれるだろうかと、常に我々をワクワクし続けてきたのに、それほど生き急ぐ必要があったのだろうか。

そして同じく、オーストリアに生まれたモーツァルトも、1791年の同じ日に正体不明の人間に依頼されたレクイエムを完成させることなく天に召されたのである。

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悼話§市川團蔵さん(歌舞伎役者) [歌舞伎]

九代目團蔵の舞台を初めて観たのがいつだったのか、はっきり覚えている。2003年5月の歌舞伎座。演目は『極付幡随長兵衛』で、芝居の冒頭の村山座舞台『公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)』という劇中劇が演じられ、その主役である坂田兵庫之介公平を務めたのが團蔵なのだった。

坂田公平を主人公にした荒事の寸劇が芝居の発端ということだが、その坂田公平の存在感が際立っていて、後で市川團蔵という役者だと知ったが、大看板に次ぐ役回りを淡々とこなして、しかも一定の水準をコンスタントに維持している、菊五郎劇団になくてはならない役者だったのである。

↓髪結新三の弥太五郎源七
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髪結新三の弥太五郎源七から、源氏店の蝙蝠の安五郎といった小悪人、そして魚屋宗五郎の父太兵衛の老け役まで、何とも器用に務めていたのだ。ただこのところ舞台姿を見ることができず、去年11月の『マハーバーラタ戦記』も観に行った時は休演していた。どうやら最後に観たのは2021年10月の『松竹梅湯島掛額(紅長)』の月和上人。貴重な脇役がまた一人……享年七十三

合掌

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芋話§明治座十一月花形歌舞伎~勘九郎~ [歌舞伎]

明治座で歌舞伎を観るのは、2011年5月以来だから何と13年ぶり。昼の部を観る。演目は菅原伝授手習鑑『車引』から『一本刀土俵入』が1時間半、そして『藤娘』まで。11時開演、14時20分終演と気楽なスケジュール。

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さて『車引』から……座った席は2階右寄りで義太夫の床は見えない、そうであるからか、義太夫の声が届いてくれないというアコースティックに戸惑う。橋之助の梅王丸は声、所作ともピントが合わず。鶴松の桜丸はていねいな舞台で抜擢に応えた。存在感を示したのは彦三郎の松王丸で、彼の持ち味と役がマッチしていた。

続くメインの『一本刀土俵入り』は、勘九郎の駒形茂兵衛、七之助のお蔦という兄弟の顔合わせ。2020年に明治座で上演するはずがコロナ禍で中止……そのリベンジとも言える。

前半、朴訥そのものの茂兵衛の描写がいかにも勘九郎らしい。七之助のお蔦との絡みの情感も濃く、つい去年9月に観た時の幸四郎と雀右衛門の薄さを思い知らされた。後半、侠客になってからは、もう一段凄味のようなものが欲しいと思ったが、それは勘九郎のシャープさゆえであろう。1時間半の舞台を飽きずに楽しめた。

一つ気になったのは、茂兵衛が話す上州弁のアクセント……どちらかといえば栃木や茨城に近いアクセントで話されていたが、上州弁はむしろ江戸弁に近いと群馬出身者は感じている。江戸時代のアクセントまではわからないがそのあたりどうだったのか。

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最後、米吉の『藤娘』だが、これが冗長そのもの。情感もコクも乏しくて、20分ほどの長かったこと。要精進である。

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鍛話§歌舞伎の通し上演が少ない [歌舞伎]

歌舞伎座で最後に『仮名手本忠臣蔵』の通し上演が行われたのは2013年のことで、11月と12月に、同じ大序から大詰までを役者を替えての不思議な上演だった。ちなみに国立劇場では2016年に全段上演が行われている。

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それにしても間隔が開きすぎではないか。5年ごとくらいに上演していかないと、若手へ引き継いでいけなくなるではないか……歌舞伎は、歌舞伎役者という生身の人間が、若い次世代の役者に自分が培った膨大な情報を、新しい皮袋に移して熟成を待つ作業を営々と続けているのだ。

大看板、ベテランから若手へとしなくてはならない作業が遅れているのではないかとずうっと考えていた。そうこうしているうち、團十郎(十二)が早々と逝去、吉右衛門(二)も亡くなって、今残っている大看板で、矍鑠と舞台に立っているのは仁左衛門(十五)ただ一人で、白鸚(二)と菊五郎(七)はもはや覚束ない。

早くしないと間に合わないではないかと、しがない客が心配するのも無理はないが、ここにきてようやく松竹歌舞伎座が重い腰を上げたようで、来年の3月に『仮名手本忠臣蔵』を、9月に『菅原伝授手習鑑』と10月に『義経千本桜』の通しを一挙上演してくれる。

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ああやれやれ……遅いくらいだが、とにかくこの上演が若手のための修練の場になってくれることを期待したいのだ。くどいようだが、こうした通し上演を繰り返さないと、歌舞伎の体力は確実に落ちていくのだ。

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演話§歌舞伎の年齢~芯の人たち~ [歌舞伎]

本格的に歌舞伎を観始めたのは2001年秋の平成中村座からだから、ようやく観劇歴20年を超えたばかり。まだまだ“ひよっこ”だ。

その頃には“前世代”と言えばいいか……十七世勘三郎、二世松緑、六世歌右衛門といった名優たちは既に亡く、舞台の中心にいたのは1940年代前半に生まれた、菊五郎(七)、白鸚(二)、團十郎(十二)、仁左衛門(十五)、吉右衛門(二)が五十代半ば過ぎて最盛期に入りつつあり、女形には、1950年生まれの玉三郎(五)、そして前世代最後であろう四世雀右衛門が踏ん張っていた。

そして彼らの後には、1950年代半ばに生まれた十八世勘三郎、十世三津五郎が虎視眈々と後を窺っていたのである。

そして2024年の今、團十郎、吉右衛門、勘三郎、三津五郎は亡くなり、菊五郎、白鸚も衰え、仁左衛門が孤軍奮闘しているような状況だ。次世代の芯となるべき役者としては、幸四郎(十)、菊之助(五)、松緑(四)、勘九郎(六)あたりを考えればよく、四十代から五十代に入って脂がのりつつあるはずだ。

問題は女形で、彼らの世代の女形といえば七之助(二)が四十代、彼に続くのが、まだ三十代の時蔵(六)、壱太郎(初)、新悟(初)、米吉(五)で、まだまだ未知数で、あと10年は熟成を待たなくてはならないだろう。

それなりに脇の人材は育ってきていると思われるが、我々にしてみれば、團十郎以下、脂の乗り切った芯の役者の死が及ぼした影響と空白は、あまりにも大きいのだ。

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流話§秀山祭九月大歌舞伎~大歌舞伎の空気~ [歌舞伎]

9月も半ばになったというのに、先週土曜日の東京の最高気温は34.1度……極力日向に出ないよう考えながら、電車を乗り継いで東銀座の歌舞伎座へ。二代目吉右衛門が生きていれば80歳の秀山祭九月大歌舞伎夜の部を観た。

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まず『妹背山婦女庭訓』“太宰館花渡し”と“吉野川”が、合わせて2時間40分の長丁場である。吉野川を観るのは2007年に初めて観て以来、4回目。今回ようやく内容への理解が追い付いてきたと感じたが、まだまだである。

まず、20分ほどの“花渡し”は軽いジャブといったところだが、吉之丞の蘇我入鹿に悪の大きさが感じられず、そこは役者の格が必要だと痛感した。

そして“吉野川”は、両花道から続く本舞台の吉野川を挟んで、上手が大判事(松緑)の屋敷、下手が定高(玉三郎)の屋敷、そして左右に義太夫が並んでそれぞれの屋敷の様子を語り分ける、大きなスケールの2時間近い舞台。

前半は緊張が続かなかったが、後半……大判事が久我之助(染五郎)を、定高が雛鳥(左近)を手にかける場面の充実がすばらしかった。舞台の空気が一気に大歌舞伎へと昇華していく様を眼にしたのだ。これで、松緑の口跡がもう少しキリっとしてくれたらなあと思った。だが、4回目にして“吉野川”がようやく見えてきたようだ。

35分の休憩があって『勧進帳』はきついものがあった。何もこんな大物を一晩で観せてくれなくてもと思えど、そこは秀山祭だからしかたがない。そして『勧進帳』という題名の後に“二代目播磨屋八十路の夢”と銘打たれて、甥の幸四郎が弁慶、義理の息子の菊之助が富樫、そして幸四郎の息子染五郎が義経を務めた。

……だったが、弁慶と富樫の息がもう一つ噛み合わず、問答などももどかしく感じた。勧進帳という芝居への意気込みと、弁慶と富樫それぞれの表現が大きくずれてしまっていて、もったいない勧進帳だった。これはもう、この先末長く数を重ねて、密度の濃い舞台を構築していってほしいものである。

終演は20時50分過ぎ、電車を乗り継いで22時半前の帰宅はちょっと辛い。

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謡話§『お富さん』のおかげで(笑 [歌舞伎]

1954年、春日八郎が歌った『お富さん』がミリオンセラーとなった。題材は歌舞伎の『与話情浮名横櫛』で、ご存じ“お富与三郎”である。



いつの間に覚えたものか、とんと記憶にはないのだが、歌詞をほとんど覚えてしまっていて、調子よく歌うことができてしまう。

♪粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店♪

歌のおかげかどうか、初めて歌舞伎の舞台に接した時も、おもしろいくらい内容を理解することができたのには我ながら笑ってしまった。歌詞が情景を表したり与三郎の心情を巧みに描写していて、まんま芝居のダイジェストに仕立てられていたからだ。

ところが、作詞した山崎正は歌舞伎をまったく知らず、作曲の渡久地政信に至っては“歌舞伎は大嫌いで観たこともない”という……それでも何とか、一曲に作り込んでしまうあたりはお見事な手腕と言うべきか。

その後“二匹目のどじょう”を狙って『白浪五人男』を題材に『弁天小僧』を三浦洸一が歌ったが、お富さんほどのヒットにはならずに終わったのだ。

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鵑話§八月納涼歌舞伎~勘九郎の新三~ [歌舞伎]

八月納涼歌舞伎。日曜日に11時開演の第一部と第二部を続けて観てきた。第二部の終演は17時半頃。

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第一部は『ゆうれい貸屋』と『鵜の殿様』と軽いジャブの二本立て。だが、山本周五郎原作という『ゆうれい貸屋』が薄味。巳之助の桶職弥六、児太郎の芸者の幽霊染次、勘九郎の屑屋の幽霊又蔵は、17年前にそれぞれの父親が務めた役を引き継いだが、特に児太郎の染次の蓮っ葉さは父福助には勝てない。そして94歳の寿猿が務める爺の幽霊の矍鑠ぶりが際立った。むしろ二本目の『鵜の殿様』での幸四郎&染五郎親子……特に鵜をさせられた染五郎の身体を張った奮闘ぶりが客席をさらっていたのだ。

さて第二部、お目当てはもちろん梅雨小袖昔八丈『髪結新三』である。勘九郎の新三が観たいとかねがね切望してきた舞台がようやく実現。

白子屋の娘お熊の婿取りひとしきりがあって新三が登場。門口から様子を窺う立ち姿は、小悪党というより、もっと大きな悪を感じさせる。少しばかり力みを感じるようなところもあったが、それも初役のゆえか。七之助の手代忠七との永代橋川端の場あたりから凄味ある悪が迫力満点。

そうして“新三内”では幸四郎の弥太五郎源七をやり込めた後、彌十郎の家主長兵衛とのおなじみの場面でのアンサンブルが絶妙で、丁々発止のやり取りを楽しめた。下剃勝奴は巳之助……父親の新三で勝奴を演りたかった勘九郎だが叶わず、三津五郎で勝奴を務められた、そんな流れでの巳之助勝奴なのである。鰹売りはいてうで、これがまた活きのいい魚屋を演じてくれた。

残念なのは幸四郎の弥太五郎源七で、どうしても“いい人”然として恰幅がいいとは言えず。その他、扇雀の白小屋お常、鶴松のお熊、中車の藤兵衛、亀蔵の善八、歌女之丞の家主女房おかく、長三郎の丁稚長松。

新三の後に出た『艶紅曙接拙』が、何だか訳のわからない踊りで、クールダウンにもならず、やっぱりお先に失礼してもよかったか。

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申話§七月大歌舞伎~三番叟?~ [歌舞伎]

七月大歌舞伎夜の部『裏表太閤記~千成瓢薫風聚光~』を観てきた。1981年に三代目猿之助が上演した舞台を大幅改訂しての再上演。

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うーん……おもしろかったか、楽しんだかと聞かれたら首を傾げてしまう。第一幕は光秀の本能寺謀反、第二幕は秀吉の高松城水責め、それぞれにまつわる舞台で、一応の歴史的経緯は頭の中に入っていたので何とかなったが、さて、芝居としての完成度がどうかと聞かれたら、首を縦に振ることはできない。

時代物として観るなら台本が薄くて全体に厚みが感じられず、先を見通しにくく、捉えどころがないと感じてしまった。三幕それぞれが1時間、1時間20分、50分と長く、もう少し台本を刈り込めばテンポ感のある舞台になってくれたのではないか。

さらに……第三幕が孫悟空登場という意味不明なと思いきや、何ことはない猿と呼ばれていた秀吉から引っ張ってきたという強引さに加えて、三幕後半は、夢から醒めた秀吉が、三番叟を踊るという意味不明な幕切れ。

力技と言えなくもないが、記憶に残っている見せ場が、本水と宙乗りでは、いささかな企画倒れではなかったか。

幸四郎の秀吉、染五郎の鈴木孫市、白鸚の大綿津見神、松也の光秀、ほか。板付きで登場の白鸚は、さすがに老いが目に立つ。それに比べて94歳の寿猿が舞台上を動き回って、台詞もはっきり聞こえてきたのは驚異的である。

追記:七月大歌舞伎は、昼夜とも宙乗りがあって、さすがに「食傷した」とお冠なのは、某演劇評論家の今月の歌舞伎評

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糸話§六月大歌舞伎~襲名昼の部~ [歌舞伎]

萬屋の襲名興行昼の部を観てきた。獅童と菊之助の『上州土産百両首』から『義経千本桜~所作事時鳥花有里~』があって、最後に時蔵襲名披露狂言の『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』まで。萬屋と播磨屋勢揃いである。

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まずは獅童と菊之助の百両首。1時間半と長い芝居だったが、雰囲気を感じさせる舞台。獅童と菊之助はそれぞれの持ち味を出していたが、菊之助にはもう少し喜劇風味を盛ってほしい。

義経千本桜の“時鳥花有里”は、2回ほど観ていたようだが、舞台が華やかという印象しかなく、今回も同じだった。

そして、梅枝改め時蔵の襲名披露狂言『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』である。やや面長で古風な顔立ちの時蔵は、将来の立女形として期待されているのは間違いなく、襲名披露狂言でもその実力を如何なく発揮してくれたと思う。劇中で行われた襲名披露口上は、仁左衛門の豆腐買おむらを芯に、右に新時蔵、左に新梅枝と簡素なものである。

御殿に登場する“いじめ官女”が、萬屋と播磨屋8人……歌六、又五郎、錦之助、獅童、歌昇、萬太郎、種之助、隼人という大ごちそう。通常公演だったら陰湿に見えないこともない場面だが、その手前で留まっていたのではないか。

松緑の漁師鱶七(金輪五郎今国)は、存在は大きいものの、時折口跡が悪く、台詞が聞き取れないとこがいくつか。萬壽の求女(藤原淡海)、七之助の入鹿妹橘姫。

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童話§六月大歌舞伎~襲名興行~ [歌舞伎]

六月大歌舞伎は萬屋“初代中村萬壽、六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝初舞台”合わせて中村獅童の息子二人陽喜と夏幹の初舞台である。

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祝幕が2枚出るのは珍しいのではないか。萬壽、時蔵、梅枝は千住博の滝であるが、欧文では“饅頭”と読めてしまったりで成功しているとは思えない(個人の感想

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獅童の息子二人の祝幕はビートたけしによるもの。

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浅草歌舞伎卒業組の同窓会のような『南総里見八犬伝~円塚山の場~』は、8人が顔を合わせた“だんまり”で終わった30分の舞台。

二本目が萬壽、時蔵、梅枝襲名披露狂言『山姥』で、金太郎(坂田金時)の成長譚。梅枝襲名披露にふさわしい、ほのぼのとした一幕……山姥の踊りは、ちょっと退屈だったが。菊五郎以下、歌六、錦之助、芝翫と賑やかな舞台。

↓新潟は久保田の“萬壽”
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さて、最後が獅童の『魚屋宗五郎』である。禁を解いて酒を呑む場面は、やはり手強かったか、雑に酔っぱらっていってしまったように感じられた……いい役者だと、酔っていく段階を“5”くらいで演じ分けるところ、獅童は3段階くらいで酔いを回りきってしまったのだ。

おおよそ。茶碗3杯目で酔いが回ってくるところ、2杯目で酔っ払いだしてしまって、その先はぐずぐずの酔態ではなかったか。次第次第に酔っていく様子を、もう少し丁寧に順を追って演じてほしかったと思うのだが。

七之助の女房おはま、権十郎の父太兵衛、萬太郎の小奴三吉、孝太郎の召使おなぎ、隼人の磯部主計之助他、いい座組だっただけに惜しい芝居である。

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週話§日曜流転~芝のぶの八汐……歌六休演~ [歌舞伎]

『マハーバーラタ』から半年後、まさか芝のぶの八汐を眼にするとは思いもしなかった。

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5月20日、中村歌六が体調不良で休演。松島を務めていた中村芝のぶが代役として八汐を務めると知った。ならば一幕見席でと、12時に発売が始まる翌日の幕見席を慌てて確保。勇躍そして久々に天井桟敷からの観劇である。

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そして席につけば、いつもであれば外国からのお客さん度が高い幕見席であるところ“同好の士”が勢ぞろいしたようで、幕が開く前から不思議な一体感に包まれたのだったのだ。

それにしても、よもや芝のぶが八汐を務めるとは……『マハーバーラタ』について書いた時は、ほんの軽口のつもりだったし、そもそも八汐は立役が加役として務めるもので、これまでも段四郎、仁左衛門、そして今回の歌六といった立役の面々を観てきて、真女形が八汐を務めたのは観たことがない。

だが、まさかの芝のぶ抜擢代役とは。そんな幕見席急遽参上連中が固唾を呑んで見守る中、芝のぶの八汐が登場。立役の八汐が“作り物”だったのに比べると、芝のぶの八汐はまさに悪女がそこにいる“女度”の高い、怖さ満点のファム・ファタール(魔性の女)なのである。そして芝のぶ渾身の舞台である。いつか本役で観ることができるだろうか。

かくして幕見席の一体感の中、我々は“芝のぶの八汐”を見届けることができた。あらかじめチケットを買っていた3階席以下のお客さんとは、一味も二味も違う、初めて味わった4階ならではの楽しい空気感と言えるだろう。

追記:千秋楽は歌六が復帰。芝のぶの八汐は25日までの6日間だった。

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薫話§五月大歌舞伎~團菊祭にもかかわらず~ [歌舞伎]

思ったほど気温が上がらず、体感的には涼しいくらいだったので長袖シャツを引っ張り出してちょうどよかった日曜日、團菊祭五月大歌舞伎夜の部を観てきた。

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二本立てで『伽羅先代萩~御殿、床下~』と『四千両小判梅葉』それぞれが一時間半超えの舞台……日曜日というのに客の入りが渋い。座ったブロックの我々の列と前2列などはスカスカ。2階上手桟敷も半分は座っていたか、連休直後であるにしても、これが團菊祭の客席かと思うほど。

まず『伽羅先代萩』は、菊之助の政岡、歌六の八汐、雀右衛門の巴御前、米吉の沖の井、芝のぶの松島(これも抜擢)である。

だがまず、菊之助の政岡が一幕通して薄い。淡白なのは音羽屋の芸風ではあるけれど、とりあえず段取りどおりに芝居を進めましたという印象しか残らない。そんな芯の政岡に引っ張られて、歌六の八汐もネチネチさが足りないようだったし、雀右衛門の巴御前もそうだが、全般中途半端な舞台に終始したと感じたのだった。

御殿に続いて、10分足らずの床下は右團次の荒獅子男之助、團十郎白猿の仁木弾正。昼夜と漏れなく登場する白猿だが、夜の部だけにしたのは、床下の弾正には一言もセリフがないからである。

二本目の『四千両小判梅葉』は、2012年に観て以来だが、その時とまったく同じ感想……御金蔵破りの動機の希薄さ、唐丸駕籠の中の富蔵と家族との別れの愁嘆場の悪目立ち。あの黙阿弥にして何という出来の悪い台本なのか、さすがに辟易してきてしまったので『伝馬町牢内~牢内言い渡し』は観ず、夫婦示し合わせて退出。20時前に東銀座を出て、最寄駅には21時過ぎ到着。

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経話§歌舞伎鑑賞歴二十年超ですが [歌舞伎]

歌舞伎を“まじめ”に観るようになったきっかけは、2001年秋の平成中村座公演で当時の勘九郎(十八代目中村勘三郎)の義経千本桜『忠信編』と『権太編』からである。とくに『すし屋』の権太の印象が強烈すぎて、はまり込むことになってしまったのである。

そして翌年から本格的に歌舞伎座本興行に突入することになった。そして、思わず張り込んでしまったのが、四代目尾上松緑襲名披露五月大歌舞伎での『寿曽我対面』だった。何と不遜にも、花道すぐ近くの桟敷席を取ったのだが、その時、花道を歩く役者の衣装の衣擦れの音にやられてしまったのだ。

……こうした“合わせ技”のおかげで、遅まきながら歌舞伎観劇の道を歩むことになったのだが、それまで観なかったことを本当にもったいないと悔やむのは、まあ当然のことだろう。ゆえに、世代的には二つ前の、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎、二代目松緑の舞台は観ていない。

↓実舞台を観たのは中村又五郎以降
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つまり観始めたのは、七代目芝翫、四代目雀右衛門、四代目藤十郎以降で、亡き十八代目勘三郎、十二代目團十郎、十代目三津五郎、二代目吉右衛門、そして今も現役で奮闘している七代目菊五郎、十五代目仁左衛門が全盛期にあって、充実した舞台を見せてくれた……それが観始めてから10年ほどの間に享受したことだった。

今、我々が観ている歌舞伎は、そうした前世代から新しい世代への移行期にあって、幸四郎や勘九郎、菊之助、松緑といった四十代バリバリ組が一層の活躍を見せてくれれば、ここ何年か続く谷間の時期を抜け出せるのだが。

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菜話§四月大歌舞伎~於染久松色読販と神田祭~ [歌舞伎]

すっかり桜も散って、今年の我が家周辺は花水木(ハナミズキ)が期待外れの咲き具合。という4月下旬が始まったところで歌舞伎座に行ってきた。四月大歌舞伎夜の部である。

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お目当ては2018年、2021年に続いて三度目となる仁左衛門&玉三郎コンビによる『於染久松色読販』と『神田祭』の二本立て。

もう、何も言うことはなく、仁左玉が持てる魅力を振り撒き尽くした贅沢な時間だった。とにかく仁左衛門の“悪”の凄みは比類なく、それが玉三郎と共演することで魅力が二倍にも三倍にも膨らんでいく。脇を固めた橘太郎の久作、錦之助の清兵衛、彦三郎の太郎七などなど、手堅くまとまっていた。

そして“お口直し”に置かれた『神田祭』の贅沢なこと。二人が“じゃらつく”様子は、まさに恋仲の二人の濃密さで、ほぼ満員の客席の喜ぶまいことか。

1970年に始まった孝玉から仁左玉へと、半世紀以上続いた稀有なコンビだがもう終わりは遠くないところにあるだろう。せいぜい、舞台に登場する時を待ち構えて、せっせと通わなくてはと思う。

最後に『四季』が、春“紙雛”~夏“魂まつり”~秋“砧”冬~“木枯”と踊られたが、相変わらず舞踊は苦手なのと、さすがに冗長な踊りばかりで、帰ってもよかったかと思っていたら、最後に冬の木枯の冒頭、群舞の中の一人がバレエの“トゥール・アン・レール”で三回転して見せたのでびっくりした……心の準備ができていなかったのだ。

まったく予想などしているはずもない唐突なことだったが、それにしても、名題下の役者の中にバレエの経験者でもいるのか……まさか、たった一回の回転のためにエキストラを呼んだとも思えないし。

夜の部は19時半と珍しくも早い時間の終演。ちょっと軽いと思わないでもなかったが、それでも帰宅は21時過ぎだった。

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