限話§繰り返される炎上~ネットの黄昏~ [インターネット]
また起きた。過去に起きた数多くの“迷惑行為”がまた繰り返されてしまった。そして、この先も懲りずに迷惑行為を犯してしまうことだろう。
当人たちは、軽い気持ちでの悪ふざけ程度としか考えていないのだろうが、その行為がひとたびネットに流れていったが最後、それは“炎上”となり、迷惑行為を行った人間が徹底的に糾弾されることになる。
事を為した人間にしてみれば、仲間内の他愛ない冗談のつもりでしかなく、ネットの向う側の広大さに思いを馳せることができない……その時点で既に失格なのだが。ネット社会の大きさに気がついた時はもう遅い。
彼らが為した痕跡はインターネットが存在する限り消え去ることはなく、事あるごとに記憶が呼び覚まされることになるのだ。
インターネット以前、パソコン通信を始めたのは30年前。その時すぐに、このツールが狭い世界でしかないなどとは思わず、それに気づいた時点で用心用心を重ねてきたつもりである……それでもまだ十分なのかどうかわかってはいない。まあ、ネットでうろうろしている時点、それだけで注意する必要はあるのだが。
もう一度警告する……ネットという空間の巨大さに思いを馳せるべきだ。
《インターネットのトピックス一覧》
当人たちは、軽い気持ちでの悪ふざけ程度としか考えていないのだろうが、その行為がひとたびネットに流れていったが最後、それは“炎上”となり、迷惑行為を行った人間が徹底的に糾弾されることになる。
事を為した人間にしてみれば、仲間内の他愛ない冗談のつもりでしかなく、ネットの向う側の広大さに思いを馳せることができない……その時点で既に失格なのだが。ネット社会の大きさに気がついた時はもう遅い。
彼らが為した痕跡はインターネットが存在する限り消え去ることはなく、事あるごとに記憶が呼び覚まされることになるのだ。
インターネット以前、パソコン通信を始めたのは30年前。その時すぐに、このツールが狭い世界でしかないなどとは思わず、それに気づいた時点で用心用心を重ねてきたつもりである……それでもまだ十分なのかどうかわかってはいない。まあ、ネットでうろうろしている時点、それだけで注意する必要はあるのだが。
もう一度警告する……ネットという空間の巨大さに思いを馳せるべきだ。
《インターネットのトピックス一覧》
如話§さよなら二月 [日常]
2月が終わる。
ローマの初代皇帝アウグストゥスが8月を自分の月として命名し、30日しかなかった8月を、当時一年の終わりになっていた2月から一日くすねてきて大の月にしてしまったのだという。
その結果、それまで大の月は奇数月だったのが、8月、10月、12月とずれてしまった……これすべてアウグストゥスの身勝手によるものだのだそうだ。
なるほど“支配者が時を支配する”という言葉の意味がよくわかるではありませんか。
自分のためなら、月の日数が著しくいびつなものになってもかまわない……権力者、そして権力は民を疲弊させるものであるのだ。
《日常のトピックス一覧》
ローマの初代皇帝アウグストゥスが8月を自分の月として命名し、30日しかなかった8月を、当時一年の終わりになっていた2月から一日くすねてきて大の月にしてしまったのだという。
その結果、それまで大の月は奇数月だったのが、8月、10月、12月とずれてしまった……これすべてアウグストゥスの身勝手によるものだのだそうだ。
なるほど“支配者が時を支配する”という言葉の意味がよくわかるではありませんか。
自分のためなら、月の日数が著しくいびつなものになってもかまわない……権力者、そして権力は民を疲弊させるものであるのだ。
《日常のトピックス一覧》
散話§花粉症のこと [健康]
我が身に花粉症疑惑が生じたのは定年退職した翌年の7年前、2016年3月のことである。
どうにも眼が痒くてたまらず、あるいは?と眼科に駆け込んだら、医者曰く「檜花粉でしょうかねえ」と診立てた。だが調べてみれば、檜花粉は時期がもっと後のことではないかと訝しんだが、とりあえずは処方された点眼薬を注し続けた。
症状はほどなく改善してくれ、重くなることなく済んだのはありがたいことだが、問題は再発しやしないかとということだ。
汲々として迎えた翌年の3月……あーら不思議や、症状がそよとも出てくれない。これはいかに?と思っても、わざわざ医者に出向いて「僕はどうして花粉症にならないのでしょう?」と聞くわけにもいかず、それならいいやと放置。
結局、2016年3月のあれは何だったのだろうとは、今でも思っていることでその後も花粉症が発症することもなくここまで来た。
ならないで済むのは実にありがたいことで、眼が痒くなることも、鼻水が出て止まらなくなるなどということもなく、おかげで花粉症のみなさまの嘆きを申し訳ないことながら他人事として聞いているのである。
《健康のトピックス一覧》
どうにも眼が痒くてたまらず、あるいは?と眼科に駆け込んだら、医者曰く「檜花粉でしょうかねえ」と診立てた。だが調べてみれば、檜花粉は時期がもっと後のことではないかと訝しんだが、とりあえずは処方された点眼薬を注し続けた。
症状はほどなく改善してくれ、重くなることなく済んだのはありがたいことだが、問題は再発しやしないかとということだ。
汲々として迎えた翌年の3月……あーら不思議や、症状がそよとも出てくれない。これはいかに?と思っても、わざわざ医者に出向いて「僕はどうして花粉症にならないのでしょう?」と聞くわけにもいかず、それならいいやと放置。
結局、2016年3月のあれは何だったのだろうとは、今でも思っていることでその後も花粉症が発症することもなくここまで来た。
ならないで済むのは実にありがたいことで、眼が痒くなることも、鼻水が出て止まらなくなるなどということもなく、おかげで花粉症のみなさまの嘆きを申し訳ないことながら他人事として聞いているのである。
《健康のトピックス一覧》
仇話§二月大歌舞伎第三部~仁左衛門~ [歌舞伎]
鶴屋南北の『霊験亀山鉾』を観た。2002年に国立劇場で初演、2009年の松竹座に続いて三回目となるが、歌舞伎座での上演は初。いずれも仁左衛門が藤田水右衛門と隠亡の八郎兵衛に二役を務めていて、今回が一世一代となる。
やはり、役者は悪役がやりたいものだと改めて思い知らされた。因果は巡るというほど複雑な筋でないのは、初見の身にとってもありがたいことで……さすがに序幕からの一気2時間は、緊張を保つのが大変だったが、大詰まで舞台を楽しんだ。
雀右衛門の芸者おつま、吉弥の丹波屋おりき、東蔵の貞林尼と女形の好演が目に立った。
ただ、芝翫と鴈治郎それぞれが務めた二役が、自分の中で少しだけ混乱したことは、一工夫する余地があるかもしれない。
祝日だったこの日も客の入りは上々で、座った席から見た範囲でも九分以上の入りだったのではと思われる。終演は20時45分、この日も車での往復で、歌舞伎座駐車場を出たのはちょうど21時。首都高速も渋滞はまったくなく、順調に走って50分ほどで帰宅。
《歌舞伎のトピックス一覧》
やはり、役者は悪役がやりたいものだと改めて思い知らされた。因果は巡るというほど複雑な筋でないのは、初見の身にとってもありがたいことで……さすがに序幕からの一気2時間は、緊張を保つのが大変だったが、大詰まで舞台を楽しんだ。
雀右衛門の芸者おつま、吉弥の丹波屋おりき、東蔵の貞林尼と女形の好演が目に立った。
ただ、芝翫と鴈治郎それぞれが務めた二役が、自分の中で少しだけ混乱したことは、一工夫する余地があるかもしれない。
祝日だったこの日も客の入りは上々で、座った席から見た範囲でも九分以上の入りだったのではと思われる。終演は20時45分、この日も車での往復で、歌舞伎座駐車場を出たのはちょうど21時。首都高速も渋滞はまったくなく、順調に走って50分ほどで帰宅。
《歌舞伎のトピックス一覧》
週話§日曜枯寂~だそう…嫌いな言葉遣い~ [日本語]
ニュース番組などのナレーションで「だそうです」を縮めて「だそう」と言う、その言い方が嫌いである。テレビの音声を注意して聞いていれば、かなり頻繁に耳にするはずである。
何というか、中途半端な言葉の切れ方と感じ、いかにも踏ん切りの悪いもの言いとしか思えないのだ。テレビからこの言葉が聞こえてくると、何がなしお尻のあたりがもぞもぞしてしまう。
別に時間がなくなっての短縮ではあるまいに、そこまで省略してどうする?と思うのである。
この“だそう”を初めて目にしたのは、40年以上前のことで、見たとたんに言いようのない居心地の悪さに襲われたのだった。その時は書き言葉だったのだが、口からの“だそう”も文字で見る“だそう”も、変わらずに気持ちが悪いままここまで来た。
……個人の感想です。
《私事のトピックス一覧》
何というか、中途半端な言葉の切れ方と感じ、いかにも踏ん切りの悪いもの言いとしか思えないのだ。テレビからこの言葉が聞こえてくると、何がなしお尻のあたりがもぞもぞしてしまう。
別に時間がなくなっての短縮ではあるまいに、そこまで省略してどうする?と思うのである。
この“だそう”を初めて目にしたのは、40年以上前のことで、見たとたんに言いようのない居心地の悪さに襲われたのだった。その時は書き言葉だったのだが、口からの“だそう”も文字で見る“だそう”も、変わらずに気持ちが悪いままここまで来た。
……個人の感想です。
《私事のトピックス一覧》
週話§土曜枯寂~例によって二月~ [日常]
28日しかないから如月二月があっという間に終わりになるのは、改めて言うまでもないことだけれど、それにしても早いなあとは、毎年のことである。
4年に一度の一日多い閏年の時でさえ、たいして変わらぬ日々の早さなのだから、28日など何ぼのもんじゃい!なのである。
日の出の時刻は早まり、日没時刻は遅くなり、あと一か月もすれば昼と夜の長さが等しくなってくれるのだ。
《日常のトピックス一覧》
4年に一度の一日多い閏年の時でさえ、たいして変わらぬ日々の早さなのだから、28日など何ぼのもんじゃい!なのである。
日の出の時刻は早まり、日没時刻は遅くなり、あと一か月もすれば昼と夜の長さが等しくなってくれるのだ。
《日常のトピックス一覧》
異話§霞始靆~七十二候~雨水 [七十二候]
雨水の次候“霞始靆(かすみはじめてたなびく)”である。
気がつけば、空の青さが薄まっていたようだ。冬の間は真っ青で、そんな空を西に向かう飛行機が悠然と飛ぶ姿がよく見えたが、このところ目を凝らさないと胡麻粒のような機影を見つけることができない。
そうして少しずつ春が近づいてきていることは明らかで、ひょっとしたら来週には辛夷(コブシ)が咲き出してもおかしくはなく、枝の綿帽子もずいぶん膨らんできたと感じる。
そしてああ、来週は弥生三月ではないか。
《七十二候のトピックス一覧》
気がつけば、空の青さが薄まっていたようだ。冬の間は真っ青で、そんな空を西に向かう飛行機が悠然と飛ぶ姿がよく見えたが、このところ目を凝らさないと胡麻粒のような機影を見つけることができない。
そうして少しずつ春が近づいてきていることは明らかで、ひょっとしたら来週には辛夷(コブシ)が咲き出してもおかしくはなく、枝の綿帽子もずいぶん膨らんできたと感じる。
そしてああ、来週は弥生三月ではないか。
《七十二候のトピックス一覧》
豚話§ラグビー観戦後のお楽しみは [とんかつ]
かつて、社会人ラグビーとかトップリーグとか呼ばれていた時代があった。社会人ラグビーの頃はもっぱら秩父宮に通っていて、その時は11時キックオフと14時キックオフと2試合を入替えなしで続けて観ることができたのだ。
もっぱら、自由席だったバックスタンドに陣取って日向ぼっこをしながらののんびりした観戦だった。昼飯を用意していって、第一試合と第二試合の間にとりあえず頬張ってしのいでいた。
まだまだ“若かった”からかどうか、数時間2試合を屋外で過ごしても特に疲れることもなく、ノーサイド後は秩父宮から青山通りを渋谷まで歩いたりして、第二会場に向かったのである。
その第二会場とはとんかつ屋で、一度入ったら居心地のいい店だったので、ラグビー帰りにはいそいそと寄って、ビールを呑み呑みお腹を満たしていたのだ。
そうして重宝に使っていたとんかつ屋だったが、10年前のある時、久々にと渋谷駅西口にあった東急プラザ上階に食べに行ったら、何と閉店していて、それは大きなショックを受けたのだった。
我々にとって、ラグビーととんかつは切っても切れない関係にあって、親しんだとんかつ屋が閉店して以来は、すっかりとんかつ難民となって、今だに放浪みたいな状態が続いている。
《ラグビーのトピックス一覧》
もっぱら、自由席だったバックスタンドに陣取って日向ぼっこをしながらののんびりした観戦だった。昼飯を用意していって、第一試合と第二試合の間にとりあえず頬張ってしのいでいた。
まだまだ“若かった”からかどうか、数時間2試合を屋外で過ごしても特に疲れることもなく、ノーサイド後は秩父宮から青山通りを渋谷まで歩いたりして、第二会場に向かったのである。
その第二会場とはとんかつ屋で、一度入ったら居心地のいい店だったので、ラグビー帰りにはいそいそと寄って、ビールを呑み呑みお腹を満たしていたのだ。
そうして重宝に使っていたとんかつ屋だったが、10年前のある時、久々にと渋谷駅西口にあった東急プラザ上階に食べに行ったら、何と閉店していて、それは大きなショックを受けたのだった。
我々にとって、ラグビーととんかつは切っても切れない関係にあって、親しんだとんかつ屋が閉店して以来は、すっかりとんかつ難民となって、今だに放浪みたいな状態が続いている。
《ラグビーのトピックス一覧》
圧話§パティシエと怒声 [スイーツ]
四半世紀ちょっと前、車を走らせたところに洋菓子の店が開店した。すぐに評判になって、客が引きも切らず状態になった。
評判のおかげもあって、最初は小さな店だったのが店の規模も大きくなり、支店も作って順風満帆のように思われたのだが……20年近く前だったか、突然に休業となってしまったのだ。
それから流れ聞えてきたのは、従業員が一斉に退職してしまったということで、そういえばと思いあたることがあったのは、ケーキを買いに行ったある時、品物が出るのを待つ間に、奥の調理場から怒声が聞えてきたのである。
腕のいいパティシエの経営者は、悪しき体育会的な人であったようで、どうも容赦なく従業員を怒鳴りつけるらしかった。叱責するのは珍しいことでもないが、問題は叱り方で、店先にまでその声が聞こえるのはほめられたことではない。
20年前であろうが、それはパワーハラスメントと呼ばれる類のものである。
そうして店の規模は縮小し、少人数での営業のゆえかどうか、店の様子も静かなものと見受けた。そういえば、昨年暮れに閉店したフレンチの有名店のシェフの怒声もホールまで聞こえてきていたようだが、そんな怒声を聞きながらでは、おちおち料理も楽しめないではないか。
《日常のトピックス一覧》
評判のおかげもあって、最初は小さな店だったのが店の規模も大きくなり、支店も作って順風満帆のように思われたのだが……20年近く前だったか、突然に休業となってしまったのだ。
それから流れ聞えてきたのは、従業員が一斉に退職してしまったということで、そういえばと思いあたることがあったのは、ケーキを買いに行ったある時、品物が出るのを待つ間に、奥の調理場から怒声が聞えてきたのである。
腕のいいパティシエの経営者は、悪しき体育会的な人であったようで、どうも容赦なく従業員を怒鳴りつけるらしかった。叱責するのは珍しいことでもないが、問題は叱り方で、店先にまでその声が聞こえるのはほめられたことではない。
20年前であろうが、それはパワーハラスメントと呼ばれる類のものである。
そうして店の規模は縮小し、少人数での営業のゆえかどうか、店の様子も静かなものと見受けた。そういえば、昨年暮れに閉店したフレンチの有名店のシェフの怒声もホールまで聞こえてきていたようだが、そんな怒声を聞きながらでは、おちおち料理も楽しめないではないか。
《日常のトピックス一覧》
無話§ノーサイドとフルタイム [ラグビー]
ラグビーではノーサイド(No Side)だったが、フルタイム(Full Time)と呼ばれるようになったのは1970年代以降のことのようだが、日本では相変わらずノーサイドと呼ばれ続けている。
当然ながらイングランドを中心とするラグビーの“本場”に用語の類は合わせるべきなのだが、心情的には“ノーサイド”という表現のほうを好ましく感じ、頭ではフルタイムと思いながらも結局はノーサイドを使ってしまう。
おおよそ情緒的と思われる日本人がノーサイドという表現に、佳き何かを感じ取ってしまうのは無理からぬことである。
そして“フルタイム”という言葉には、いかにも即物的なものを感じてしまうということなのだ。
そして、2019年のラグビワールドカップ日本大会で覚えたのは、スタンドオフで親しんでいた10番のポジションが“フライハーフ”という呼び名なのだということだった。
アジアの東端でポツンとラグビーに奮闘している日本だが、これまで本場との交流も少なく、なかなか新しい空気に触れられず、それこそそんな用語の一つをとっても乖離が起きていたことを認識して、望まなくてはならないと思うのである……“ノーサイド”から脱却するには、まだまだ時間がかかりそうだけれど。
《ラグビーのトピックス一覧》
当然ながらイングランドを中心とするラグビーの“本場”に用語の類は合わせるべきなのだが、心情的には“ノーサイド”という表現のほうを好ましく感じ、頭ではフルタイムと思いながらも結局はノーサイドを使ってしまう。
おおよそ情緒的と思われる日本人がノーサイドという表現に、佳き何かを感じ取ってしまうのは無理からぬことである。
そして“フルタイム”という言葉には、いかにも即物的なものを感じてしまうということなのだ。
そして、2019年のラグビワールドカップ日本大会で覚えたのは、スタンドオフで親しんでいた10番のポジションが“フライハーフ”という呼び名なのだということだった。
アジアの東端でポツンとラグビーに奮闘している日本だが、これまで本場との交流も少なく、なかなか新しい空気に触れられず、それこそそんな用語の一つをとっても乖離が起きていたことを認識して、望まなくてはならないと思うのである……“ノーサイド”から脱却するには、まだまだ時間がかかりそうだけれど。
《ラグビーのトピックス一覧》
呟話§一言つぶやき~論破って何?~ [つぶやき]
一つの考え方として“ディベート”なるものの必要性が説かれるのだが……
……それは確かに必要なことかもしれないにしても、中には「論破した」としたり顔で勝った気になるような人間がいて、だから日本ではそれを屁理屈と呼んでしまうから、ディベートが発達しないのかもしれず、そうではあっても、実際の場面で明らかに間違った事柄であるにもかかわらず、何のかんのと論破したと吹聴することに関しては容認などはできない。
《つぶやきのトピックス一覧》
……それは確かに必要なことかもしれないにしても、中には「論破した」としたり顔で勝った気になるような人間がいて、だから日本ではそれを屁理屈と呼んでしまうから、ディベートが発達しないのかもしれず、そうではあっても、実際の場面で明らかに間違った事柄であるにもかかわらず、何のかんのと論破したと吹聴することに関しては容認などはできない。
《つぶやきのトピックス一覧》
侘話§未練たらたら~フォークソング~ [フォークソング]
1960年代頃アメリカからフォークソングがやって来て、それに触発されて日本でもフォークソングブームが席巻したのは60年代の終わりから70年代半ば過ぎにかけてのことだった。
猫も杓子もフォークギターを抱え……ご多分に漏れず自分もそうだったが、せっせと“あんな歌やこんな歌”と歌っていたのだ。
もちろん、今では歌ったことが恥ずかしい曲もいくつかあって、それは我が黒歴史だったりもするのだが、さすがに歌うことのなかった類に未練たらたら失恋ソングがあって、これは男と女を問わず、失恋相手への未練を滔々と歌うやつである。
それこそ中には、ストーカーまがいみたいな歌詞もあったりして、おぉっと危ない!などと思ったりもした。
アメリカのフォークソングにだって失恋ソングはいくらでもあっただろうと思うけれど、ここまで未練を隠さない歌があったのだとうかと思ったのだ。
失恋ソングではないけれど“四畳半フォーク”なんてジャンルもあったりして、南こうせつとかぐや姫がヒットさせた一連の『神田川』とか『赤ちょうちん』あたりがそれである。四畳半フォークもまた、未練たらしい失恋ものとリンクすることになる。
《昭和のトピックス一覧》
猫も杓子もフォークギターを抱え……ご多分に漏れず自分もそうだったが、せっせと“あんな歌やこんな歌”と歌っていたのだ。
もちろん、今では歌ったことが恥ずかしい曲もいくつかあって、それは我が黒歴史だったりもするのだが、さすがに歌うことのなかった類に未練たらたら失恋ソングがあって、これは男と女を問わず、失恋相手への未練を滔々と歌うやつである。
それこそ中には、ストーカーまがいみたいな歌詞もあったりして、おぉっと危ない!などと思ったりもした。
アメリカのフォークソングにだって失恋ソングはいくらでもあっただろうと思うけれど、ここまで未練を隠さない歌があったのだとうかと思ったのだ。
失恋ソングではないけれど“四畳半フォーク”なんてジャンルもあったりして、南こうせつとかぐや姫がヒットさせた一連の『神田川』とか『赤ちょうちん』あたりがそれである。四畳半フォークもまた、未練たらしい失恋ものとリンクすることになる。
《昭和のトピックス一覧》
完話§スピアーズ対ダイナボアーズ[第8節] [ラグビー]
日曜日に初エドリク(江戸川陸上競技場)へ遠征。ジャパンラグビーリーグワン第8節のクボタスピアーズ船橋・東京ベイ対三菱重工相模原ダイナボアーズを観てきた……最高気温19度という観戦日和である。我が家からは電車を乗り継いで一時間半。
↓ちょうどバスが到着。降りてきたマルコム・マークスをパチリ
最寄駅の西葛西駅からは徒歩約20分ということで、あっさり都営バスを利用して数分で到着。真上を羽田を離発着する飛行機が頻繁に飛んでいくという環境である。
そして14時半キックオフの試合は、公式記録のとおりでスピアーズの圧勝。
D2から昇格、台風の目になりかかったダイナボアーズだったが、さすがに上位グループとの差は大きく、8トライに3トライと太刀打ちできず。
圧力、突破力ともにスピアーズが抜きんでていたし、やはり攻撃のオプションが多彩である。そして強豪チームに共通していると思われるものに、後半の強さがあるような気がした。そしてスピアーズはリーグ2位を維持した。
プレーヤー・オブ・ザ・マッチはスピアーズのファウルア・マキシでプレゼンターは関取の翔猿(江戸川区出身)。この日は元小結の松鳳山や元関脇の琴勇輝(北陣親方)も観戦していた。個人的にはラグビーと相撲と相通じるところがあるような気がしていたのを、何となくだが確認できたようである。
《ラグビーのトピックス一覧》
↓ちょうどバスが到着。降りてきたマルコム・マークスをパチリ
最寄駅の西葛西駅からは徒歩約20分ということで、あっさり都営バスを利用して数分で到着。真上を羽田を離発着する飛行機が頻繁に飛んでいくという環境である。
そして14時半キックオフの試合は、公式記録のとおりでスピアーズの圧勝。
D2から昇格、台風の目になりかかったダイナボアーズだったが、さすがに上位グループとの差は大きく、8トライに3トライと太刀打ちできず。
圧力、突破力ともにスピアーズが抜きんでていたし、やはり攻撃のオプションが多彩である。そして強豪チームに共通していると思われるものに、後半の強さがあるような気がした。そしてスピアーズはリーグ2位を維持した。
プレーヤー・オブ・ザ・マッチはスピアーズのファウルア・マキシでプレゼンターは関取の翔猿(江戸川区出身)。この日は元小結の松鳳山や元関脇の琴勇輝(北陣親方)も観戦していた。個人的にはラグビーと相撲と相通じるところがあるような気がしていたのを、何となくだが確認できたようである。
《ラグビーのトピックス一覧》
熱話§ラグビーを観る~観客動員~ [ラグビー]
ドイツやオーストリアを旅行している時、ホテル客室のテレビに“ユーロスポーツ”というスポーツ専門チャンネルが見られるようになっていることが多い。
おかげでかっこうの時間つぶしになってくれる。それを見ているととにかくどんなスポーツにも人々が熱心に足を運んでいることに驚かされる。それは屋外、屋内を問わずなのだ。
翻って日本ではどうかというと、特定のスポーツの観客数は多いけれど、少しマイナーになると、とたんに少なくなってしまう。むしろ、これが人気とかメディアで紹介されると、どこからか湧き出したかのように人が集まってくる。
2019年のラグビワールドカップ日本大会の時など、連日スタジアムは数万人の観客で満員御礼だったりしていた。ところが2019~2020年のトップリーグがコロナ禍で中止となって、ワールドカップでの勢いが殺がれることになってしまった。
翌年、トップリーグ最後のシーズンの観客動員数は一試合平均3425人、最多でも8747人となり、ワールドカップの人気を維持できず、元の鞘に収まったのである。
リーグワンも2年目となって、少しだけ観客が戻ってきたのではと感じなくもないが、上位グループに位置付けられるブレイブルーパスの観客動員が芳しいとはいえず、5000人入ったのは一度か二度に留まってしまっている……まあ、観客動員戦略にセンスが感じられず、客席の熱気も感じられないが。
リーグワンとしては、一試合あたりの観客数目標を8000人と設定しているけれど、サントリーやワイルドナイツのような人気チームであっても、1万人入場はごく稀でしかない……我々が観た第3節のサントリーサンゴリアス対キヤノンイーグルスは、ファフ・デクラーク人気もあって1万人を超えた。
残念ながら海外からの有名人気選手に客寄せを頼るしかなく、そのあたりをいつ脱却できるものかが喫緊の課題ではないか。
《スポーツのトピックス一覧》
おかげでかっこうの時間つぶしになってくれる。それを見ているととにかくどんなスポーツにも人々が熱心に足を運んでいることに驚かされる。それは屋外、屋内を問わずなのだ。
翻って日本ではどうかというと、特定のスポーツの観客数は多いけれど、少しマイナーになると、とたんに少なくなってしまう。むしろ、これが人気とかメディアで紹介されると、どこからか湧き出したかのように人が集まってくる。
2019年のラグビワールドカップ日本大会の時など、連日スタジアムは数万人の観客で満員御礼だったりしていた。ところが2019~2020年のトップリーグがコロナ禍で中止となって、ワールドカップでの勢いが殺がれることになってしまった。
翌年、トップリーグ最後のシーズンの観客動員数は一試合平均3425人、最多でも8747人となり、ワールドカップの人気を維持できず、元の鞘に収まったのである。
リーグワンも2年目となって、少しだけ観客が戻ってきたのではと感じなくもないが、上位グループに位置付けられるブレイブルーパスの観客動員が芳しいとはいえず、5000人入ったのは一度か二度に留まってしまっている……まあ、観客動員戦略にセンスが感じられず、客席の熱気も感じられないが。
リーグワンとしては、一試合あたりの観客数目標を8000人と設定しているけれど、サントリーやワイルドナイツのような人気チームであっても、1万人入場はごく稀でしかない……我々が観た第3節のサントリーサンゴリアス対キヤノンイーグルスは、ファフ・デクラーク人気もあって1万人を超えた。
残念ながら海外からの有名人気選手に客寄せを頼るしかなく、そのあたりをいつ脱却できるものかが喫緊の課題ではないか。
《スポーツのトピックス一覧》
顧話§今日の歴史~2年半を要して~ [キリスト教]
1582年2月20日、天正遣欧少年使節が長崎港を出港。
コロンブスのアメリカ発見から百年足らず、マゼランの世界一周達成からも60年という、まだまだ航海技術もどれほどのものかはわからないが、日本からヨーロッパに少年使節を派遣したということがいかに難事業であったことかと思わせられる。
とにもかくにも記録を見ると、長崎からインド西部のゴアについたのが1年10か月後、ヨーロッパの地ポルトガルには1584年8月20日だから2年6か月の航海……今だったら飛行機で12時間ほどの旅程ではないか。
かくして彼らが、ヨーロッパの地を踏み、そして帰ってきた初めての日本人ということになるのだ。
しかもローマ滞在中には、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見したと思ったら、4月10日に逝去。次に即位したシクストゥス5世の“戴冠式”に列席するという経験もしている。
少年使節のヨーロッパ滞在は2年に及び、1586年4月にリスボンから帰途に就いたが、1590年に帰参してからは、バテレン追放令からキリスト教禁教へと進む中で、棄教した者、殉教した者と悲劇的な運命となってしまった。
《歴史のトピックス一覧》
コロンブスのアメリカ発見から百年足らず、マゼランの世界一周達成からも60年という、まだまだ航海技術もどれほどのものかはわからないが、日本からヨーロッパに少年使節を派遣したということがいかに難事業であったことかと思わせられる。
とにもかくにも記録を見ると、長崎からインド西部のゴアについたのが1年10か月後、ヨーロッパの地ポルトガルには1584年8月20日だから2年6か月の航海……今だったら飛行機で12時間ほどの旅程ではないか。
かくして彼らが、ヨーロッパの地を踏み、そして帰ってきた初めての日本人ということになるのだ。
しかもローマ滞在中には、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見したと思ったら、4月10日に逝去。次に即位したシクストゥス5世の“戴冠式”に列席するという経験もしている。
少年使節のヨーロッパ滞在は2年に及び、1586年4月にリスボンから帰途に就いたが、1590年に帰参してからは、バテレン追放令からキリスト教禁教へと進む中で、棄教した者、殉教した者と悲劇的な運命となってしまった。
《歴史のトピックス一覧》
暮話§4階は遠くて3階は・・・・・・ [私事]
結婚して暮らし始めたマンションは5階建てで、住んでいたのはその4階。5階建てまではエレベーターを設置する必要はなく、なのでせっせと歩いて上り下りしていたのだ。
その当時、二十代から三十代後半までだったからか、特にきついとかそうしたことはさほぼ感じることなく上り下りをしていた。
四十代に入って引っ越した次のマンションは4階建ての4階。あれっと気がついたら、エレベーターなしの4階は、少しばかりきついかなと感じてしまうように……というほど大げさではないが、3階の踊り場で“もう1階あるのか”と思ったりはしたのである。
この先、七十代、八十代になったら上り下りに難儀するようになるのではと考えたわけではないが、最後となった引っ越しで3階に住むようになったらこれが楽なのである。4階までは先が長いと思わせるのに、1階違うだけでさっさと上がれてしまう不思議……今のところだが。
そして、いずれ遠くないいつか、階段の上り下りが不如意になってしまって難儀することは十分に考えられることだが“その時”が、もっともっと先になることを願うばかりなのだ。
《私事のトピックス一覧》
その当時、二十代から三十代後半までだったからか、特にきついとかそうしたことはさほぼ感じることなく上り下りをしていた。
四十代に入って引っ越した次のマンションは4階建ての4階。あれっと気がついたら、エレベーターなしの4階は、少しばかりきついかなと感じてしまうように……というほど大げさではないが、3階の踊り場で“もう1階あるのか”と思ったりはしたのである。
この先、七十代、八十代になったら上り下りに難儀するようになるのではと考えたわけではないが、最後となった引っ越しで3階に住むようになったらこれが楽なのである。4階までは先が長いと思わせるのに、1階違うだけでさっさと上がれてしまう不思議……今のところだが。
そして、いずれ遠くないいつか、階段の上り下りが不如意になってしまって難儀することは十分に考えられることだが“その時”が、もっともっと先になることを願うばかりなのだ。
《私事のトピックス一覧》
異話§土脉潤起~七十二候~雨水 [七十二候]
雨水の初候“土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)”である。
立春もあっという間に終わって、雨水に移った。潤ってくる候とあるが、まだまだ世間は乾燥している。
水が温んで、潤いを帯びた陽気になるには、まだ一か月ほどは必要だろう。
春は名のみでしかなく、厚い上着でないと表を出歩くこともできない。おまけに、この時期の関東こそ、南岸低気圧が頻繁に通過するようになって、積雪の可能性が一番に大きいのである。
いつ降ってもいいよう、プラスチックの雪除けシャベルの準備も怠りない。
《七十二候のトピックス一覧》
立春もあっという間に終わって、雨水に移った。潤ってくる候とあるが、まだまだ世間は乾燥している。
水が温んで、潤いを帯びた陽気になるには、まだ一か月ほどは必要だろう。
春は名のみでしかなく、厚い上着でないと表を出歩くこともできない。おまけに、この時期の関東こそ、南岸低気圧が頻繁に通過するようになって、積雪の可能性が一番に大きいのである。
いつ降ってもいいよう、プラスチックの雪除けシャベルの準備も怠りない。
《七十二候のトピックス一覧》
週話§日曜枯寂~理解者~ [私事]
一人の叔父が、我が人生最大の理解者だったと……それは今もって疑いのないことである。
父には二人の弟(プラス伯母と叔母が一人ずつ)がいた。そのうちの一人が、ずうっと気にかけてくれていることはわかっていて、常にポジティブに生き方の指針を示してくれたのだ。
彼らの父親(祖父)が早逝してしまったことで、十分な学歴を得ることなしに生きていくしかなかったが、三人兄弟の中では一番にアグレッシブだった。
自衛隊の前身である警察予備隊に入っている間に大型特殊の運転免許まで取得し、四十代直前に会社を興したのが盛業となったのだが、20年ほど過ぎた頃、病を発症したところで会社を人手に譲り、療養生活に入った。それから数年ほど65歳での早い死を迎える。
時折でしか会う機会はなかったが、短い言葉であっても、常に励まされる、そんな言葉を受け取れたが、それだけに悔やまれる死だった。父は、どちらかといえばネガティブな発想の持ち主で、叔父に比べると発する言葉が身になることはなかった。
そして四半世紀が過ぎ、気がつけばとっくに叔父の年齢を超えていたのだ。
《私事のトピックス一覧》
父には二人の弟(プラス伯母と叔母が一人ずつ)がいた。そのうちの一人が、ずうっと気にかけてくれていることはわかっていて、常にポジティブに生き方の指針を示してくれたのだ。
彼らの父親(祖父)が早逝してしまったことで、十分な学歴を得ることなしに生きていくしかなかったが、三人兄弟の中では一番にアグレッシブだった。
自衛隊の前身である警察予備隊に入っている間に大型特殊の運転免許まで取得し、四十代直前に会社を興したのが盛業となったのだが、20年ほど過ぎた頃、病を発症したところで会社を人手に譲り、療養生活に入った。それから数年ほど65歳での早い死を迎える。
時折でしか会う機会はなかったが、短い言葉であっても、常に励まされる、そんな言葉を受け取れたが、それだけに悔やまれる死だった。父は、どちらかといえばネガティブな発想の持ち主で、叔父に比べると発する言葉が身になることはなかった。
そして四半世紀が過ぎ、気がつけばとっくに叔父の年齢を超えていたのだ。
《私事のトピックス一覧》
週話§土曜枯寂~2階の職員室~ [教育]
お願いごとがあって地域の小学校を30校ほど回ったことがある。
あれっと思ったのはどの学校も職員室が2階にあったことで、生徒の教室は1階にあるということだった。
学校が襲われて生徒に被害がという過去の事例を持ち出すまでもなく、なぜ職員室が2階なのだろうという素朴な疑問を抱いたが、我々が小学校や中学校に通っていた時の職員室は1階にあって、それが普通のことだと思っていたからなのだ。
疑問は単純で、職員室を2回に置く合理的な理由は何かということである。
《日常のトピックス一覧》
あれっと思ったのはどの学校も職員室が2階にあったことで、生徒の教室は1階にあるということだった。
学校が襲われて生徒に被害がという過去の事例を持ち出すまでもなく、なぜ職員室が2階なのだろうという素朴な疑問を抱いたが、我々が小学校や中学校に通っていた時の職員室は1階にあって、それが普通のことだと思っていたからなのだ。
疑問は単純で、職員室を2回に置く合理的な理由は何かということである。
《日常のトピックス一覧》