吃話§今日の一枚~舞踏会の手帖~ [シューベルト]
オーストリアを旅行していた時に、アンチックの店で見つけたのがこの……
……“舞踏会の手帖”である。シューベルト生誕百周年を記念して催された(らしい)舞踏会のための手帳と思われる。ネットを駆使して調べてみたが、この舞踏会についての具体的な由来を見つけることはできなかったが、こちらに詳細が掲載されているのを見つけた。
手帳といっても、小さな箱のようになっていて、中に数枚の紙片と外側には鉛筆が差し込まれていて、舞踏会で踊る順番や、逢い引きの予定などを書き込んだ当時の淑女の“恋愛の小道具”なのだ。
まあ、携帯電話の番号やメアドを教えてもらうのと大差などなく、何百年の年月を経ても人間がやることはほとんど同じということがわかるのである。
そしてシューベルトは、先月末に生誕227年を迎えた。
《ブログのトピックス一覧》
……“舞踏会の手帖”である。シューベルト生誕百周年を記念して催された(らしい)舞踏会のための手帳と思われる。ネットを駆使して調べてみたが、この舞踏会についての具体的な由来を見つけることはできなかったが、こちらに詳細が掲載されているのを見つけた。
手帳といっても、小さな箱のようになっていて、中に数枚の紙片と外側には鉛筆が差し込まれていて、舞踏会で踊る順番や、逢い引きの予定などを書き込んだ当時の淑女の“恋愛の小道具”なのだ。
まあ、携帯電話の番号やメアドを教えてもらうのと大差などなく、何百年の年月を経ても人間がやることはほとんど同じということがわかるのである。
そしてシューベルトは、先月末に生誕227年を迎えた。
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週話§日曜有閑~シューベルト最後の~ [シューベルト]
17年ホームグラウンドとして使っていたウェブリブログが間もなく消滅するので、膨大なエントリーの収蔵庫としてSeesaaブログにデータを移転した。
データを保存しているだけでも細々とアクセスはされていて、一日に数十PVほどが記録されている。
そんなアクセスの中に、毎日“即話§シューベルト最後のピアノ・ソナタ”が読まれていて、多い時には2けたがカウントされていて、いかなる悪戯なのかと訝しんでいるのだ。
中身は、ようやくシューベルトのピアノ・ソナタが耳に入るようになってきたという他愛のない個人的な話で、アクセスしてくる理由がわからない。しかも、ほとんど毎日のように複数回のアクセスがある。
機械的な何かが、何らかの単語に反応して自動的にアクセスしているのかどうか、そんなあたりも判然としない。そうして、そんな不可解なアクセスがもう3年も続いているのだ。
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データを保存しているだけでも細々とアクセスはされていて、一日に数十PVほどが記録されている。
そんなアクセスの中に、毎日“即話§シューベルト最後のピアノ・ソナタ”が読まれていて、多い時には2けたがカウントされていて、いかなる悪戯なのかと訝しんでいるのだ。
中身は、ようやくシューベルトのピアノ・ソナタが耳に入るようになってきたという他愛のない個人的な話で、アクセスしてくる理由がわからない。しかも、ほとんど毎日のように複数回のアクセスがある。
機械的な何かが、何らかの単語に反応して自動的にアクセスしているのかどうか、そんなあたりも判然としない。そうして、そんな不可解なアクセスがもう3年も続いているのだ。
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唱話§シューベルト~歌曲の王~ [シューベルト]
長いこと歌曲しか聴くことがなかったのがシューベルトである。せいぜい、交響曲を何曲かと弦楽四重奏曲を2曲くらい……そんな程度で五十代半ばくらいまで過ごしてしまった。
これは後悔するしかないことで、つもり自分自身が彼に貼られたレッテルの“歌曲の王”という文句に、自らの視野を狭めてしまっていたことに気づいた時は遅かりし。
シューベルトは夥しい歌曲の他に、主だったところでは8つの交響曲、15の弦楽四重奏曲、21のピアノソナタと、これだけをとってもベートーヴェンにひけはとらない。
そんなピアノソナタの何曲かを聴き始めたのは、ほんの10年前のことでしかない。そうして、聴き込んでいくいくと、もっと早く聴いていればと後悔させられたこと大だったのである。特に最後の3つのソナタの奥深さは、ベートーヴェンの最後のソナタ3曲と同様、末永く付き合っていくべき音楽だと思ったのだ。
かくも膨大な歌曲だけでなく、それ以外にも膨大な作品を残したにもかかわらず、シューベルトをして“歌曲の王”という称号だけで片づけてしまっていたことを、後悔する日々なのである。
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これは後悔するしかないことで、つもり自分自身が彼に貼られたレッテルの“歌曲の王”という文句に、自らの視野を狭めてしまっていたことに気づいた時は遅かりし。
シューベルトは夥しい歌曲の他に、主だったところでは8つの交響曲、15の弦楽四重奏曲、21のピアノソナタと、これだけをとってもベートーヴェンにひけはとらない。
そんなピアノソナタの何曲かを聴き始めたのは、ほんの10年前のことでしかない。そうして、聴き込んでいくいくと、もっと早く聴いていればと後悔させられたこと大だったのである。特に最後の3つのソナタの奥深さは、ベートーヴェンの最後のソナタ3曲と同様、末永く付き合っていくべき音楽だと思ったのだ。
かくも膨大な歌曲だけでなく、それ以外にも膨大な作品を残したにもかかわらず、シューベルトをして“歌曲の王”という称号だけで片づけてしまっていたことを、後悔する日々なのである。
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愁話§シューベルト―マイカテゴリー― [シューベルト]
シューベルトを聴くといえば、長いこと『冬の旅』や『水車屋の娘』あたりの歌曲、それに2つ3つの交響曲といった程度でお茶を濁してきた。
遅ればせというか、この10年ほどの間に弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタまで少しではあるがレパートリーが増えてきたように思う。ピアノ・ソナタにしても、せいぜい後期の数曲くらいのものではあるけれど。
そうして、特に最後のソナタ3曲を聴くと、31歳で夭折したシューベルトが五線譜を前にして、性急にペンを走らせる様が目に浮かぶような気がする。そして「書きあがったのだけれど、聴いてくれるかな?」と何がなし伏し目がちな物言いをするのだろうと想像してしまう。
それは、最後まで“俺様”な生涯を過ごしたベートーヴェンとはまた対極の存在であったのではないだろうか。
人生も終わり近くになって、31歳という自分の半分以下しか生きることができなかった天才の作品を耳にして、ようやく何がなしの感慨を覚えるようになったのは、シューベルトに対して申し訳ないような気がしないでもない。
才能の成熟と年齢は無関係であるのだと、シューベルトが自身の身をもって示してくれているのだ。
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遅ればせというか、この10年ほどの間に弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタまで少しではあるがレパートリーが増えてきたように思う。ピアノ・ソナタにしても、せいぜい後期の数曲くらいのものではあるけれど。
そうして、特に最後のソナタ3曲を聴くと、31歳で夭折したシューベルトが五線譜を前にして、性急にペンを走らせる様が目に浮かぶような気がする。そして「書きあがったのだけれど、聴いてくれるかな?」と何がなし伏し目がちな物言いをするのだろうと想像してしまう。
それは、最後まで“俺様”な生涯を過ごしたベートーヴェンとはまた対極の存在であったのではないだろうか。
人生も終わり近くになって、31歳という自分の半分以下しか生きることができなかった天才の作品を耳にして、ようやく何がなしの感慨を覚えるようになったのは、シューベルトに対して申し訳ないような気がしないでもない。
才能の成熟と年齢は無関係であるのだと、シューベルトが自身の身をもって示してくれているのだ。
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