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歌話§赤い鳥とハイファイセット [フォークソング]

1960年代の終わり、フォークソング・ブームが始まるタイミングで、赤い鳥というフォークグループが結成された。

『翼をください』が大ヒットして、一気に人気グループとなった。平山泰代と新居潤子のツインヴォーカルの爽やかさが人気の源だったと思われる。赤い鳥の基本はフォルクローレで、それは西洋的なものというよりは、むしろ日本の古い俗謡のようなものをアレンジして聴かせるというものである。

だが、意外にも早く路線対立が生じて1974年にはグループが解散してしまったのだ。リーダーの後藤悦治郎と平山泰代は“紙ふうせん”というグループ名で赤い鳥の路線維持を目指した。

それ以上に驚いたのが、山本(新居)潤子、山本俊彦、大川茂の三人で結成した“ハイ・ファイ・セット”である。それまでのいささか湿っぽく感じられたフォークソング的なるものからの脱却を図って、都会的で洒落た“ニューミュージック”へと大胆な変身を遂げたのである。

音楽はもちろんスタイリッシュなファッションまで、トータル・コンセプトを考え出して構成してみせたのは誰だったのか。そこに、一つのグループを売り出すための周到なチームプレイを感じ取ったのだ。

彼らがハイ・ファイ・セットというグループでやりたかたのはこういう音楽だったのかと、最初から何となく釈然としない思いを抱き続けていたのは、ニューミュージックというジャンルを、どこか胡散臭い作り物めいていたと感じていたがゆえに、それほど共感できなかったからなのかもしれない。

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民話§その昔「帰れ!」コールが [フォークソング]

フォークソングがブームになったのは、もう半世紀前のことになっていた。

けっこうな盛り上がりを見せつけたブームだったが、ちょうど実家暮らしで高校に通っていた頃がピークにあたっていて、しがない田舎町であっても、一か月おきくらいに、ヒットメーカーのフォークシンガーたちがやって来てはコンサートが開かれていたのである。

そんなコンサートで、何とも幼稚なやり取りが繰り広げられたことを記憶しているのだが、それは舞台に登場した歌手に向かって、客席の方々から……

帰れ! 帰れ!

……と飛び交っていたのだ。

この意味不明な“挨拶”とも言えぬコールが、どのようにして始まったのか定かではなく、時には「じゃあ、帰る!」と怒って、本当に帰ってしまった歌手もいたと記憶している。

何というか、今にして思えば微妙な“アンビバレンツ”的な空気が存在していて、それが帰れコールとして表出したということなのだろうかと想像するが、実際はさしたる動機などなかったのは間違いなく、とにもかくにも意味不明で不思議な“風物詩”として、訳若布なまま消え去ってしまったのだ。

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侘話§未練たらたら~フォークソング~ [フォークソング]

1960年代頃アメリカからフォークソングがやって来て、それに触発されて日本でもフォークソングブームが席巻したのは60年代の終わりから70年代半ば過ぎにかけてのことだった。

猫も杓子もフォークギターを抱え……ご多分に漏れず自分もそうだったが、せっせと“あんな歌やこんな歌”と歌っていたのだ。

もちろん、今では歌ったことが恥ずかしい曲もいくつかあって、それは我が黒歴史だったりもするのだが、さすがに歌うことのなかった類に未練たらたら失恋ソングがあって、これは男と女を問わず、失恋相手への未練を滔々と歌うやつである。

それこそ中には、ストーカーまがいみたいな歌詞もあったりして、おぉっと危ない!などと思ったりもした。

アメリカのフォークソングにだって失恋ソングはいくらでもあっただろうと思うけれど、ここまで未練を隠さない歌があったのだとうかと思ったのだ。

失恋ソングではないけれど“四畳半フォーク”なんてジャンルもあったりして、南こうせつとかぐや姫がヒットさせた一連の『神田川』とか『赤ちょうちん』あたりがそれである。四畳半フォークもまた、未練たらしい失恋ものとリンクすることになる。

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弦話§フォークソング半世紀 [フォークソング]

グループサウンズが一段落して、フォークブームが始まったのは1970年……高校1年の頃だった。もちろん60年代には岡林信康、高石友也といった面々の活躍が勃興期で、1970年には一気に盛り上がりを見せたのだ。

生意気盛りの高校生だったがゆえに、アコースティックギターを手に入れ、1969年に創刊された音楽雑誌“ガッツ”に掲載された楽譜を見ながらギターコードを覚え、ご機嫌に歌うようになった。

ギターが少し上達すると、ただ単にかき鳴らすだけでなく、サイモンとガーファンクルや吉田拓郎あたりが弾くギターのコピーしようと試みた。いくつかは何とか形になったが、まるで手の出ないようなギター伴奏もあって、プロのテックニックに脱帽したのである。

高校の同級生の何人かは、仲間とかたらってグループを結成し、いくつかのグループと合同でホールを借りてフォークコンサートを催したりもしたが、さすがにそこまでギターがうまくなることはなかった。

その後、東京に出て行くのにギターを持っては行けず、そうこうしているうち、70年代後半になるとフォークソングに代わって“ニューミュージック”が台頭してきて、自分の中のフォークソングも終わったのである。

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