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週話§日曜流転~ビデオ判定~ [相撲]

スポーツの、特に球技でビデオ判定が積極的に採用されるようになったのは世紀が明けて以降のことではなかろうか。

日本におけるビデオ判定の先鞭をつけたのは、とかく伝統的で因習に縛られていると見られている大相撲であるとは、若い人は思いもよらないかもしれない。

1969年の三月場所で、横綱大鵬が45連勝を記録したが、連勝がストップした一番は誤審だったのである。これが問題となって、翌五月場所から物言いの時にビデオを導入することになったのだ。

日本のプロ球技における導入の状況はというと、プロ野球は2010年から段階的に、ラグビーのトップリーグがTMO判定を2014年からスタートし、サッカーJリーグは2020年(ルヴァン・カップは2019年)から始めている。

早かったのはテニスの自動判定で、2006年の全米オープンから導入が始まった。だが、いずれにしても大相撲のビデオ導入の早さは圧倒的で、いかに判定が難しいかがわかるようだ。

そんな大相撲の判定のやり方も、導入時からほとんど変わらず、ビデオルームとインカムでやり取りをしてという、土俵上の勝負審判は映像を見ることなく、ビデオルームの情報で判断することが今だに続いている。それならばiPadのようなタブレット端末でも用意すればいいのにと思うのだけれど。

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悼話§寺尾さん(錣山親方) [相撲]

長兄の元十両鶴嶺山(60歳)、次兄の元関脇逆鉾(58歳)に続いて三男の寺尾が60歳で逝去した。兄弟そろって短い生涯を終えることになるとは……。

回転の速い突っ張りを武器に、軽量を生かしたスピード感溢れる相撲で人気を博した。

先月の九州場所でもテレビ解説できっぱりとした物言いが健在だったので、あまりにも突然の訃報に驚いている。享年六十

合掌

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悼話§朝潮太郎さん(ワイはアサシオや) [相撲]

現役時代は四代目朝潮太郎として、引退後は若松親方から高砂親方となり、横綱朝青龍を育て上げた……放任主義が祟ったかどうか。朝青龍は不祥事を重ねた結果横綱を引退させられることとなる。

現役時代の朝潮は、突き押しを得意に大関まで登り詰めたが、しばしば引く悪い癖を出して土俵を割る自滅も多く、横綱に届くことはなかった。

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そして朝潮の名を飛躍的に高めたのは、四コマ漫画の天才いしいひさいちによって描かれたところの『ワイはアサシオや』の力が大きい。それは同じく阪神タイガースの田淵幸一を戯画化した『がんばれ!!タブチくん!!』と並んで一大スポーツギャグ漫画となったのだ。

その後、高砂親方としては、朝乃山を大関まで昇進させたが、これまた不祥事が発覚して6場所の出場停止処分を受け三段目まで番付を落とした。この一件で、定年退職後再雇用中だった高砂から錦島に名跡変更していた朝潮は責任を問われて、その職を辞することとなった。本名長岡末弘。享年六十七

合掌

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助話§大相撲の溜席を見れば [相撲]

国技館の大相撲九月場所も大詰めが近づいた。今日はもう十二日目である。

おおよそ十両あたりからテレビ中継を眺め始める。テレビのメイン画面は、言うまでもなく正面から土俵を映して、正面の行司を挟んで左右に東西の力士がという、テレビ中継が始まって以来、変わらない構図であろう。

そして土俵の奥が向正面である。モノクロの時代から、カラーを経てハイビジョンへと移る中で、映像の質が飛躍的に向上したことで、向正面のお客さんの顔が鮮明に見えるようになった。

考えるまでもなく、向正面は行司が後ろ姿で見える、まさに向こう側というポジションで、正面からのテレビカメラに、お客さんの顔がもろ映り状態になる。

そうすると、どこかで見たような芸能人であるとか、何だかお騒がせな輩が雁首を並べているのがよく見える。正面よりは条件がやや悪いと思われる席だが、顔を売ることができると考えてのことかどうかはわからないが、ともかく、そんな下心を持ったと思しき何人かが座っているのである。彼らの名誉のために付け加えておけば、一部を除いて“相撲好き”ではあるのだが。

そして最近話題になっているのが“溜席の妖精”と呼ばれている、きれいな服で背筋を伸ばし、国技館場所は精勤賞の妙齢の女性がいらっしゃるのだ。

追記:大関3人のうち、正代は九日目に負け越して来場所はカド番。カド番だった御嶽海は昨日の取組で負け。来場所は関脇に陥落する。

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定話§二横綱四大関が理想か [相撲]

2週間前に初場所が終わって、三月場所まで夕方の楽しみがないので、私見のようなものを書き留めておく。

稀勢の里が横綱に昇進、三人横綱になったと思ったら、あっという間に引退し、鶴竜も引退。白鵬が再び一人横綱になったところで照ノ富士が横綱昇進を果たしたが、去年七月場所の全勝優勝を最後に引退。そして、あたかも行き違うように照ノ富士が九月場所から横綱を務め始めた。だが、新横綱にして一人横綱という緊張を強いられる立場にあるが、九月、十一月と連続優勝を果たした。

だが初場所は、緊張の糸が切れたか、膝の状態が悪化したか、後半は息切れして11勝4敗という不本意な成績に終わってしまう。優勝したのは関脇御嶽海で、大関昇進も手にしたのだ。

ということを踏まえて、大相撲にあって個人的な理想形は二横綱四大関だと考えている。横綱は東西に一人ずつでよく、張出横綱は要らない。そして、大事なのは四大関である。

今の正代や貴景勝のようにカド番を繰り返すのは論外で、4人の陣容としては、次の横綱に昇進できそうな実力を持った力士が二人。横綱をうかがう力量はないが、しぶとくコンスタントに10勝をあげられるような重しとしての存在感ある大関がいてほしい。

だが、そう考えても都合よくいくはずもなく、クンロク(9勝6敗)だらけの大関陣だったりして“大関互助会”などと揶揄されることしばしばである。イキのいい大関はさっさと横綱に昇進してくれればいいだけのこと。

ということを考えながら、大相撲観戦歴も60年を数えてしまっていたのだ。

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過話§備忘録的な何か~2021年9月29日付~ [相撲]

9月27日……大相撲の横綱白鵬が引退するというニュースが伝わってきた。

既に何年も前から体力の衰えは感じられ、膝の故障に苦しめられた。少なからぬ横綱がそうであったように、出場と休場を繰り返すようになって、当然ながら世間の眼も厳しいものになっていくのはしかたがない。

幕内最高優勝45回(全勝優勝16回)と、史上最強の横綱であると言っても、言い過ぎではないだろう。時に行動が批判されることも少なくはなかったが、これは本人の不徳の部分である。

引退後は親方になって“後進の指導”という既定の道筋をたどることになるだろうが、あまりにも強い現役時代であったがゆえに、白鵬の前途がどんなものになっていくか……先々を予測することが実に難しい。

初土俵を踏んだのは2001年三月場所。20年半の土俵人生であった。

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転話§朝之山の行く末 [相撲]

緊急事態宣言下であるにもかかわらず、大関朝之山がスポーツ紙記者と会食を重ねていたことが発覚し、六場所(丸一年)出場停止の処分が下されたのは2週間ほど前のことである。

一緒に“遊び回っていた”スポーツ紙記者は諭旨解雇処分となった。

一年前には小結も務めた阿炎のキャバクラ通いが発覚して三場所出場停止の処分が下されたのに、自分だけは大丈夫と遊びを繰り返していたその発想はどこからくるのだろうかと、それあたりは理解できるものではない。

2年前には幕内優勝を果たし、昨年七月場所には大関に昇進。恵まれた体躯に、がっぷりと四つに組んでの取り口を見て、これはもう横綱になるのも時間の問題だろうと見立てていたが、何ともはやな期待外れに終わりそうだ。

一年の出場停止となると、幕下のさらに下、三段目まで番付が落ちることは必定で、仮にもせよ元の位置に順調に復帰しようと奮起しても、さらに一年合わせて2年……30歳に近づくことになる。

高砂部屋の環境がそうであるのかどうか、常に稽古量不足を指摘されているので、休場している間に心を入れ替えて稽古に邁進できるかどうかが、この先の朝之山の行く末を決めることになるだろう。

最後に、昨年末定年退職して高砂から錦島に名跡変更して再雇用にあった、元大関朝潮は、私的外出禁止期間に朝乃山や付け人の力士を近くの飲食店に連れ出したり、知人と複数回会食をしていたことで、相撲協会を退職した。

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顧話§今日の歴史~外国出身力士初~ [相撲]

1987年5月27日、小錦が大関に昇進。

“ハワイの黒船”と呼ばれた小錦八十吉は、初土俵から5年で外国出身力士初の大関昇進を果たした。

入門当時で175㎏、最大で275㎏を記録……恐るべき破壊力で快進撃を続けていったが、時として下半身の脆さをつかれて、巨体が簡単に崩れてしまうことも珍しうなく、それが弱みとなって膝を傷め、大関在位39場所を務めた後大関から陥落したのだ。

それまでの“慣例”のようなものとして、大関の地位から落ちたら引退するのが当然と言われていたのが、小錦は大関から陥落してからも相撲を取り続けた、ちょうど丸4年24場所を務め、最後は幕尻に近い前頭14枚目で引退となったのである。

引退後の現在は“KONISHIKI”という芸名で芸能活動に携わっているのだ。

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顧話§今日の歴史~仕切りに制限時間設定~ [相撲]

1928年1月12日大相撲実況ラジオ放送開始。

その昔……昭和三十年代の情報源はラジオだった。商店の中には、日がな一日ラジオをつけたままだったりすることも珍しくはなかった。

銭湯も同様で、プロ野球のナイター中継はもちろん、夕方の早い時間に行けば、番台に置かれたラジオで大相撲中継が流れていたのである。

1928年にラジオ中継が始まったことで、その11年後に取り組まれた双葉山が安藝ノ海によって70連勝を阻まれた一番も全国放送され、当時の人たちは、こぞって受信機にしがみついていたことだろう。

かくして、ラジオ中継が始まったことで、放送時間内に取組を終了させる必要が生じたがゆえに、仕切りに制限時間が設定されることとなった。それまでは無制限だったということで、さぞや延々と仕切りを繰り返していたことだろう。

こうしてスポーツの形態がメディアによって変容するという如実なケースだが、今もって野球ばかりは試合時間が不確定で、完全中継と断らない限り、試合途中でも、アナウンサーが「残念ですが、このへんで中継を終わらせていただきます」と無情に宣告するのである。

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顧話§今日の歴史~大相撲が両国に戻る~ [相撲]

1984年9月23日、蔵前国技館が秋場所千秋楽をもって閉館。

終戦直後、新装なった蔵前国技館で大相撲興行が再開したのは1949年のことで、その時から何となく仮住まいのような扱いで、相撲協会にしてみれば、両国に国技館を戻したいということは悲願のように思われていた……記憶では、大相撲中継の時でも「両国の国技館が」のような物言いを頻繁に聞いていたような気がする。

そんなわけで、両国国技館が竣工したのは1984年の秋、新国技館の完成と同じ時期に開催された9月の秋場所が蔵前国技館最後の興行となり、優勝したのは平幕の多賀竜。どうといって目立つ力士ではなかったので、何と言うかドサクサで優勝をさらっていったのだった。

両国の新しい国技館を建てるにあたって、相撲協会は借金を一切することがなかったのは、蔵前国技館の跡地を東京都に売却し、それらが大きな原資となったということだ。

なお、1985年初場所で両国国技館の相撲興行が始まったが、優勝したのは横綱千代の富士。そして同じく横綱の北の湖は、初日から三連敗した翌日に引退を表明した。

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呆話§阿炎の件 [相撲]

奔放といえば奔放なことが人気を呼んでいる大相撲幕内力士“阿炎”が、夏場所のさなかにキャバクラ通いをしていたことが発覚した。

しかも通った回数をごまかしたり、同行した幕下力士に口止めをさせたりとまあ“せこい”ことこの上ない行状が問題視されたのだ。

キャバクラ通いが発覚した時点で、錣山親方が素早く休場させ、協会が処分をどうするか決める前に引退届を提出したり、反省の姿勢を見せていたが、協会の処分は“引退届預かり、出場停止3場所”といった、言わば執行猶予とも読める内容だった。

日頃の軽めな行状からすれば、協会としてはギリギリ寛大な温情処分だったと感じるが、本人がどこまでそれをきちんと受け留めて先に進んでいくものかである。

しがない相撲好きの端くれとして、阿炎の性格だが“蛙の面に小便”という印象が強くて、半年ほどの謹慎によって日頃の態度が直るものかどうか……途中で放り出してしまう可能性がないとは言えないが、新婚ほやほやなる現実が、何か別の化学変化を引き起こすものかどうか、この半年は注視するつもりだ。

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顧話§今日の歴史~盛夏の本場所~ [相撲]

1958年7月6日、大相撲名古屋場所開催。

大相撲の本場所は、1月、5月、9月の東京国技館と、3月の大阪、11月の福岡、そこに名古屋が最後に加わり、年6場所となって今日に至っている。

かつて、1960年代半ばまでは民放各局も大相撲生中継を行っていたが、今はその面影もない。

大相撲といえども人気商売であるから、国技館以外の場所の動員数の上下は顕著にあって、このところでいうなら福岡の九州場所の平日空席が目立つ。

名古屋も苦戦していた時期があったが、テレビ画面から見る限り、そこそこ健闘してるのではないだろうか。

そういえば、大規模なエアコン設備がなかった時代の名古屋場所では、各所にむき出しのパイプが設置され、そこから冷気が放出されていたが、あれはドライアイスか何かだったのだろうか。

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辞話§大関豪栄道引退 [相撲]

両国国技館の初場所で負け越し、大関陥落が決定していた豪栄道が引退を発表した。

もう、この何場所かというもの、すっかり精魂尽き果てたという感じで、気力を振り絞っての土俵だったという印象である。

豪栄道が全勝優勝をした2016年九月場所11日目を観に行っていて、その時の豪栄道は本当に強かった。11日目の相手は稀勢の里だったが、稀勢の里の悪い癖が出て引き技に出たところを逃さず食いついて渡し込みで勝ったのだ。

決して器用な相撲取りとは言えず、まじめさが取り柄だったと思われるが、まさに燃え尽きてしまった感が強い。

お疲れ様でした。

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闘話§大関陥落・・・・・・上がったり下がったり [相撲]

国技館の大相撲初場所も終盤戦になってしまったが、それにしても大関陣が不甲斐ない。年に三場所行われる両国国技館の本場所も、必ず一日ずつでも出かけていたのが、このところとんとごぶさたである。

この3年ほど、大関昇進と陥落が頻繁だったことがあっただろうかと思う。2017年七月場所に昇進を果たした髙安に続いて、2018年七月場所には栃ノ心が昇進、さらに2019年五月場所には貴景勝が大関に昇進した。

……ところが、その3人が大関陥落という憂き目に遭っている。栃ノ心も貴景勝も昇進した大関最初の場所で休場してカド番に。栃ノ心は一度はしのいだものの、貴景勝は連続休場して関脇に落ちたが、栃ノ心との“入替戦”で勝って再昇進したのだ。

そして大関から陥落して、今場所を関脇で迎えた髙安もまた、10勝以上の成績をあげることができず、大関への復帰は叶わなかった。さらに昨日、カド番の豪栄道が朝乃山に敗れて負け越し。大関からの陥落が決定した。

このところ休場力士の多さが目立つのは、負傷が癒えないままに無理をして出場を続けることで、怪我を悪化させ、結局は番付を大きく落としてしまったりするのだ。

異能の力士として人気の高かった宇良などは、2017年に膝の大怪我で番付を落としたままで、今場所は序二段で相撲を取っているくらいである……今場所はここまで6連勝と好調である。

かつては“公傷制度”があって、三役以下の力士でも一場所の休場であったら番付が落ちることはなかったが、これが廃止されたことが力士に無理を強いて休場が多くなったのではと思われる。審査を厳密にした上で公傷休場を認めるべきだというのが個人的な意見なのだが。

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