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鉄話§京王線ユーザー四十年 [京王線]

1982年3月から京王線沿線に暮らし始めた。それが去年で、ちょうど40年となっていた。

宮仕えで利用していたのは33年半ほど。京王線を利用しようと考えたのは、前々年の1980年に都営新宿線が京王線と相互乗り入れを始め、乗り換えすることなく神保町まで行けるということが大きな理由である。

そうして使ってみれば、一本で行けることの楽さと、そもそも定時出社の必要がなく、ラッシュアワーの混雑が避けられ、事実上の時差通勤は最寄駅から座って行けたのだ。乗車時間40分ほどと決して近いとは言えなかったが、乗り換えをする煩雑さがなかったのはありがたかった。

ただし、1982年頃の日中運転本数は少なく、快速と各駅停車が交互に一時間6本しか運行されていなかった……今は一時間9本と50%増しとなったが。

最初の20年ほどは、午前様&朝帰りのゆえ、帰宅のために京王線に乗ることは月に一回かそんな通勤生活だったが、最後の15年ほどは、まあまあ人間らしく、電車で往復する日々を過ごしたのだ。

すぐ南を走っている小田急ほど営業距離が長くないからかどうか、新宿から乗って仮に座れなくても、途中駅で下車する人も少なくなく、千歳烏山か調布あたりで座ることができる。小田急だと、新百合ヶ丘あたりまで座れないことも珍しくはない。

やはり、長年乗り続けてきたこともあって、乗っていて快適と感じるのは、京王線のほうに軍配を上げる。

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顧話§今日の歴史~間もなく百周年~ [京王線]

1925年3月24日、京王電気軌道の新宿-京王八王子間開業。

1982年からの京王線利用者だから、ずいぶん長いことお世話になって、今でも忠実な利用者なのだ。そもそも1913年に調布と笹塚の間が開業し、徐々に延伸を繰り返し、この年に八王子まで開業したのである。

開業当時は、甲州街道に沿って路面電車風に走り、山手線をまたぎ、新宿は追分まで伸びていた。だが、東京山手大空襲で追分までの区間が使えなくなり、終戦間際に今の京王新宿駅のあたりの地上に新駅を作って移転した。

その時もまだ路面電車として走っていて、それがゆえに今になっても京王線の軌道幅は1372ミリなのだ。そうであるからかどうか、乗っていても少しだけだが、座席と座席の間が広いような気がする。

あれこれ詳しいことはウィキペディアのこちらを参照のこと。

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渡話§気がつけば京王線・・・・・・ [京王線]

いかに電車に乗って外の風景を眺めていないことかと改めて思ったことは、気がついたら京王本線の高架立体工事が進んでいたということだった。

代田橋から千歳烏山にかけて、用地買収がほぼ完了しているようで、窓の外に視線を向けたら、あちこちに足場が組まれていて、そのうちのいくつかで本体工事も行われているようなのだ。

いかにも順調そうに進捗していると思われるが、立体工事の完成予定は何と2030年……下手をしたら我が身にお迎えが来てしまいかねない。

工事以前には“高架工事反対”を掲げている家々も目についたが、ここまで進んでいるということは、おそらく不本意ながらの撤退をしたと想像する。

時に“公共の利益”を印籠にして、犠牲を強いることは珍しくもないが、とりわけ鉄道の高架工事の類は、その犠牲になった人たちが少なからず存在しているということだ。

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顧話§今日の歴史~ヘビーユーザーなのか~ [京王線]

1925年3月24日、京王電気軌道の京王線(新宿-京王八王子間)開業。

ということは、あと3年で開業百周年ということになる。そのうち40年以上は利用者であり続けるから、立派なヘビーユーザーと言えるだろう。

神保町に通勤していたのは33年ほど。京王線ユーザーになる前々年に都営地下鉄新宿線に乗り入れていたので、乗り換えなし一本で行ける路線を選んだのだ。

都心やや東寄りの神保町という立地を考えれば、山手線の東側に住む選択肢もあったとは思うが、予備校から大学まで山手線西側で暮らしていたので、その流れの中で京王線を選んだのだった。

そして昔から、都心ターミナルの中では新宿の利用度が高かったので、それもまた京王線が使いやすい路線だったのである。

というわけで、お迎えが来るまで我が終身京王線ユーザーは確定なのだ。

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