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週話§日曜流転~米は足りているか~ [米]

先月はじめ、一週間おきに2kgずつ届いている白米が足りなくなったので、最寄の米屋に行った。その店は玄米から精米してくれる。

コロナ禍以来、外食度が減少した結果、家で食べる米の量が増えたことで、時折だが届く米だけでは足りなくなることがある。それで最寄の米屋に頼るのだが、店に入って驚いた。

いつもであれば30kg袋に入った10種類以上の銘柄米が並んでいて客を待っているのに、5種類ほどの米袋が寂しそうに並んでいたのである。確かに去年の米の収穫量は平年並みとはいかなかったが、それにしてもこんな状態になるとは……どこかで出荷調整でもしているのではないかと勘繰ってしまう。そこまで米の在庫がひっ迫しているのかと思った。

そして新米が出回りだして落ち着きを取り戻しつつあるが、米の価格も顕著に値上がりが進んだ。

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タグ: 日本 天気
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丼話§どんぶり飯 [米]

老いて、すっかり少食――食欲がないわけではない――になってしまった。それでも大学生くらいの頃は、どんぶり飯辞さずな食欲はあったのだ。

よく食べていたなあと思い出すのは、山小屋でアルバイトしていた大学時代で、尾瀬沼東岸の山小屋でバイトしていた2年間、土曜日になると決まってカレーが出るのだった。

自分ばかりではない、若い食べ盛りの連中が、一日の仕事を終え、腹ペコで従業員食堂になだれ込むや、どんぶりにご飯をてんこ盛りにし、なみなみとカレーをかけるや、それを3杯、4杯と……文字通り“カレーは飲み物”なのである。

さすがに4杯とはいかなかったが、3杯は軽々と食べていたはずだ。そんな時代もあったのだなと、およそ半世紀ほど前を思い出しては“うへっ!”と喉に違和感を覚えてしまう。

大学を卒業して宮仕えを始めた頃には、人並みの食欲となり、そりゃあ……蕎麦屋のランチでかつ丼と蕎麦のセットを頼むくらいのことはして、平然とどんぶり飯を平らげていたのだが、今はどんぶりの器を見るのもちょっとという体たらくなのだ。

ただ、ちなみに我が家でご飯を食べる時は、ご飯茶碗より大きく、どんぶりより少しだけ小ぶりな茶碗を愛用しているだが。

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稲話§お米屋さん [米]

日々食べる米だが、宅配野菜のオプションとして一週間おきに2kg届けられる。普通はその量で2週間食べられる。だが、時々だが米が足りなくなることがあって、そうした時は米屋まで買い求めに出向くことになる。

我々が贔屓にしている米屋さんは、ありがたいことに1kgから、しかも店頭で精米して売ってくれるのだ。1kgもあれば十分に間に合ってくれるし、精米したての白米をいただけるというのが何とも吉ではないか。

そうであるならば、折々にお米屋さんで買うようにすればいいではないかと思うのだが、そこは横着者であるがゆえに、一週間おきに届く白米のほうを重宝しているということなのである。

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大話§お豆腐ご飯 [米]

時折だが無性に食べたくなるのが“お豆腐ご飯”である。

海外旅行から帰ってきた、その日の晩はお豆腐ご飯を作ってもらって食べるのが恒例化していたこともあった。たぶん、旅先の食事に辟易していた反動であるのだろう。

作り方は……豆腐を温めることはせず、そのまま炊き立てのご飯の上にのせて、その上から醤油などを合わせたタレと刻み葱、胡麻油をかけて出来上がりというものだ。

まあ……タレで食べていると言えなくもなく。だが、シンプルであるがゆえにこれが侮れないうまさなのである。海外旅行から帰って来た晩、思い出を反芻しながら軽く肴をつまんで酒を呑んだ後に、さらりといただくお豆腐ご飯は何よりうまく、旅行から帰ってきた安堵とともに、あっという間に胃の腑へと収まってくれるのである。

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穀話§残ったご飯は冷凍に [米]

もはや高齢者夫婦となった二人、ご飯を食べるのは主に昼と夜で、電気釜ではなく、土鍋を使ってガスコンロで炊いている。

晩ご飯で一度に炊くのは二合。食べるのは二人で一合ほどで、残ったご飯はラップで包んで冷凍して無駄なく活用しているのだが、去年あたりから同居人が、ラップの表にフェルトペンでグラム数と日付を書き込んでいるのだ。

そうすると、その後冷凍ご飯を解凍するのに重宝するのだが、もっともっと早く気がつけば、いちいちキッチン量りを使わなくても済むのにと思った。

昼にはカレーを食べることが多いのだが、夫は200gほど、同居人は170g前後……カレーの時が一番にたくさんのご飯を食べるのである。

夕食になると少なくなって150~180g程度で満足するが、それにしても、独身時代は一人で一合を食べていたりしたわけで、いかにエネルギーを消費しなくなっているのかが、現実のものとして突き付けられているのだ。

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稲話§お米は野菜です [米]

日本人にとって“米”は主食という位置付けをされているが、ヨーロッパを旅行していて“あれっ?”と思うことがあった。

彼のエリアにおいて“米が主食”という概念は存在せず、あくまでも野菜の一つとして捉えられていたのだ。

我々にとって寿司は、主食である米とおかずが一体化したものとして捉えているが、酢で味付けされた米はサラダの野菜という認識ではないかと感じたのである。

機内食で申し訳の巻き寿司が2、3個出ることがあるが、彼の国の人間たちにすればサラダのようなものという受け留め方をしているのは間違いない。

我々日本人が主食という概念を持っているからといって、他国の人間たちが同様の発想で食生活を送っているわけではないのだ。

重ねて付け加えておくが、彼らには“主食”という概念はない。いつだったか、西洋史の偉い先生がテレビ番組の中で「フランス料理はソースがうまいので、彼らはそれを楽しむために、バゲットをたくさん食べるのです」とか言っているのを聞いて、思わず主食とおかずという日本的な概念が頭に浮かんだが、その先生はパンを主食と見なしていたのかどうか。

それを聞いた当時は、ヨーロッパでも主食という概念があるのだろうと発想していたから“さもありなん”と思ったのだが、そんなにたくさん食べられるパンとは、彼らにとってどういう存在なのだろう?

……少なくとも米=パンでないのは間違いなさそうだ。

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米話§ほか弁屋の消長 [米]

ずいぶん前の話だが、気がついたら“ほか弁屋”がなくなっていた。車を走らせる必要はあったが数分くらいで行けるところに2軒あったのだが……。

ご飯もおかずもほっかほかだったのに、どうしてなくなってしまったのだろうと、相変わらず鈍い頭で考えていたら「そうだ!コンビニ!」だと思いあたったのである。

そこまでわざわざ出向かなくても、あちこちにあるコンビニ行けば、弁当ばかりでなく、おにぎりもサンドイッチも、そして副菜も豊富に置かれているではないか。

弁当そのものは、保冷ショーケースに置かれているが、レジに持って行けば“レンチン”してくれるから、再加熱にしても温かい弁当を食べることができるのだ。

そうであるなら、それぞれの店舗で出来立て弁当を作っても、さっさと行けるコンビニに太刀打ちすることはなかなかに難しかったのだろうと考えた。

個人的には“ほか弁”は好きで、店があった頃は月一くらいには車を走らせて買いに行っていた。食べるのは決まって一番安い海苔弁当。なぜかと言えば、おかずの白身魚フライの衣のカリカリが気に入っていたからである。

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装話§ラップ使い~今さらながら~ [米]

コペルニクス的展開……いや、コロンブスの卵……違うなあ……という話である。

我が家では夕食にご飯を炊いている。ガスコンロに土鍋を仕掛けて一度に炊くのは二合。だがそれを老夫婦では食べ切れない。たぶん夕食で食べるのは二人で一合とちょっとで、残ったらラップに包んで冷凍保存しているのだ。

冷凍ご飯は、適宜昼食あるいは夕食に解凍するのだが、つい最近まで適当にラップに包んでいたのだが、適当に包むものだから一つの包みがどれくらいの量なのかわからずにいて、その都度料理ばかりで150gとか200gとか量って電子レンジにかけていた。

ある日、同居人がふと気がついて、ラップしたご飯を料理ばかりにのせて、何グラムなのかを、ラップにフェルトペンで書いたのである。なぜ、そのことに長いこと気がつかなかったのか……そうしたら、それが何とも便利で、一目でご飯の量がわかり、さっさと冷凍庫から取り出すことができたのだ。

ラップに何グラムなのか書いておく、こんな簡単な思いつきをした同居人は本当に偉い!……という他愛のないお話である。 

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穀話§硬めご飯が好きです [米]

どちらかといえば、硬めに炊かれたご飯のほうが好きだったりする。それはたぶん、汁かけ飯みたいなのを好んで食べている間に、そんな嗜好になっていったのではないかと思われる。

ご飯がべちゃべちゃだったりすると、汁をかけたら台無しになってしまうようで、パラパラというのはいただけないが、米粒一つ一つが独立しているくらいに見える硬さがうれしい。

牛丼屋に行っても“汁だく”をリクエストすることがないのは、汁かけ飯であっても、そこここに白いままのご飯が少しばかり残っていてほしいほうだからなのだ。

カレーを食べる時も同様で、満遍なくカレーがかかっているのよりは、白飯の姿があってほしいのは、時折“カレー口”の口直しとして、白飯を残しておきたいのである。

そうして、卵かけご飯であれ、ご飯に何かをかけて食べる時には、硬めで白米の存在を否定しないのが、我が食べ方の流儀ということなのだ。そして、そろそろ新米の季節となって、いよいよご飯のおいしいシーズンが始まるのだ。

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