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寛話§尾瀬の山小屋は [尾瀬]

尾瀬はすっかり無人の冬に入っている。山小屋の稼働シーズンは6か月ほどで、その間にせっせと登山客を受け入れるのだ。山小屋の今は冬囲いの中。

尾瀬ヶ原と尾瀬沼には、合わせて16軒の山小屋があって、それぞれ雰囲気のある様子で客を迎えている。そんな山小屋のうち宿泊利用したことがあるのは5軒……尾瀬ヶ原では弥四郎小屋、尾瀬小屋、龍宮小屋に。尾瀬沼は長蔵小屋。それから裏燧は御池のロッジだった。

そしてアルバイトをしたのは尾瀬小屋と長蔵小屋で、それぞれ2年ずつ働いた。だから、従業員として&宿泊客として双方から山小屋を体験できたのである。

山小屋での仕事については何度か書いたことがあるので、それを読んでもらうことにして、いちいちは書かない。

宿泊客としての山小屋は、歩いてしか行くことができない場所に、よくこれだけの設備を建てて維持しているものだと感心するばかり。生鮮食料品は、歩荷(ボッカ)が登山口から数十kgを背負って日々運んできてくれるし、それ以外の食料品その他もヘリコプターが定期的に、それぞれの山小屋に運んでくれるのだ。

アルプスなど山の上の多くの山小屋になくて尾瀬の山小屋にあるのが風呂である。ある人が“尾瀬は水が豊富だから”と言ったようだが、単にそれだけではないだろう。数時間をかけてたどり着いて、そこに風呂があるありがたさなのである。

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そして食事……豪華とはいえないが品数も量も申し分なく、そして尾瀬の水のうまいことは、ご飯や味噌汁の味に反映している。最後に、これまで宿泊した中での推しの山小屋といえば、尾瀬ヶ原中田代の龍宮小屋にとどめをさしたい。尾瀬ヶ原ど真ん中にぽつんと建つ一軒宿の食堂から、至仏山を眺めながらの夕食&朝食の充実していることは言うまでもない。

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週話§土曜流転~小屋閉めの頃~ [尾瀬]

最近の尾瀬の山小屋は10月中旬の終わり頃に小屋閉めをするようになっているが、大学時代にアルバイトしていた時は、文化の日を目安に小屋閉めしていた。

一度だけ、小屋閉めの手伝いに入ったことがある。10月の終わりから4日ほどで、山小屋に着いた時には既に窓の冬囲いは済んでいて、もっぱら小屋内部の片づけが主で、なるほど4月のゴールデンウィーク前まで深い雪に閉ざされる準備はこうするのかと思ったのだ。

最終日の夜は小屋主以下、手伝った人たちとお疲れ大宴会が行われ、翌朝は群馬県側の戸倉に下りる我々と檜枝岐に戻る小屋主とが別れ別れに、尾瀬ヶ原を歩いていく……半年のシーズンの終わりである。

冬枯れの尾瀬ヶ原を横断し、山ノ鼻から鳩待峠まで戻っても戸倉へのバスはなく、戸倉までの3時間ほどを淡々と歩いて下るのだった。
 
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昏話§尾瀬のシーズン終了 [尾瀬]

この土日で尾瀬の山小屋は営業終了。半年の冬の眠りに入る。

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とうとう今年は一度も入ることができなかった。足の問題もあるが、右手のCM関節症まで合わせ技で加わっては“手も足も出ない”ではないか。若い時だったら多少の無理はするかもしれないが、古稀の身では御身大切でいくしかない。

山小屋でワチャワチャと話していた時、ふと「尾瀬って5、6月が春、7、8月が夏、9、10月が秋……11~4月は冬だよね」と冗談めかして言ったら、激しく同意されたので、みんな同じことを考えているのだなと思ったのだ。

今年尾瀬に入るのをためらったのは手と足のトラブルが大きいが、もう一つは我が家から登山口の戸倉まで車を3時間走らせるのがしんどいということも大きな理由だった。高速で2回ほどトイレ休憩を挟むけれど、全走行距離200kmのうち、四分の三の高速道路を100km/hで走るのは、緊張感も持続させなくてはならず、さすがにきつくなった。

そしてたぶん、来年入ることができたら、それが“尾瀬納め”になるようなそんな気がしている。思えば、中学2年の時に初めて歩いて以来、宮仕えの30年以上の間に入れたのは3度ほどというブランクを経て、細々と年に一回か二回ではあるが、還暦過ぎての尾瀬行を楽しめたのは佳き思い出である。

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銭話§バイト代は一日2千円 [尾瀬]

大学1年から4年までの夏休みすべて+αを尾瀬の山小屋のアルバイトで過ごしていた。主な仕事は客室の掃除、寝具の整理とあらゆる雑事であった。

忙しいのは午前中に集中している。宿泊客のチェックアウトは8時。朝食を済ませたタイミングで客室の掃除を始め、掃除などでまとめたゴミを共同の焼却施設まで持って行く。

14時頃からお客さんが少しずつ到着するので、客室への案内諸々を行うが、週末以外はのんびりしたものである。

そんなこんなで夏休みの2か月近く、50日ほどをアルバイトして過ごした。そのアルバイト代は4年間変わらず一日2000円だった。それに交通費が少し出たが、何よりも三食+十時と三時のお茶という賄いが付いたから、実質は3000円近くだったかもしれない。

だからつまり……金を使うことがまったくなかったのだ。アルバイトが終わる前日に、50日のバイト代をまとめて支払ってくれた。懐に入ってきたのはおよそ10万円という大枚……貧乏大学生にとってこれは半端な額ではない。

その他に、3年と4年の2年間10か月ほどを、大学近くのデパート上階の小洒落たフランス風カフェでギャルソンのアルバイトをしていたが、ここの時給が最初380円、すぐに400円に上がったというありがたやだった。デパートの開店から閉店(当時は10時から18時)までフルに働くので一日3200円、週に3日くらい出ていたから月12日くらい……月4万近くの手取りがあった。

3年と4年の頃は、それまでの2年間にしっかり単位を稼ぎまくっていたので、大学に行くのも週3日程度で済んでいて、空いた時間はせっせとバイトしていたことを懐かしく思い出すのだ。

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今話§尾瀬のシーズン間もなく [尾瀬]

今年も尾瀬のシーズンが始まる。4月下旬、ゴールデンウィークが始まる直前から山小屋が半年の冬眠から再開して、木道を歩く人たちが戻ってくる。

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尾瀬ヶ原まで山小屋の屋根の雪下ろしに向かったスタッフがSNSで「雪が少ない」と写真入りで伝えていたが、本当に少なくて、ゴールデンウィークの小屋開けの頃と似たような積雪に驚いた。

ということは、今年の水芭蕉もあまり期待はできないかもしれない。今年はどのあたりのタイミングで入ろうかと考えている。齢七十を迎える今、まず我が家から3時間車を走らせて登山口まで向かうのがしんどくなっている。

そしていつもの鳩待峠からはのんびり下り、目的の山小屋まではゆっくりと3時間。のんびり歩きはさほど辛いわけではないが、車の運転がなあと……考えるようになってしまった。

目論見としては、12時頃には鳩待峠から山ノ鼻に下り立って、そこから尾瀬ヶ原をゆっくり2時間ほどかけて、その日の山小屋には15時前にたどり着ければというものだ。

その歩程は、今の自分に優しいはずで、だからあとは車の運転をあせらず、慌てずご安全に走らせることを考えてやろうと思っている。

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霜話§2023年十一月終了のお知らせ [尾瀬]

今年も残すところ12月一か月だけとなってしまった……嗚呼

そして年末っぽくないと思うのは、11月になっても残暑を引きずりまくってしまったので、明らかに季節感が狂ってしまっている。

そういえば尾瀬では、10月下旬にすべての山小屋が閉じた後も、11月上旬の前半までバス運行が行われていた。下界の陽気が夏日だったりするものだから、尾瀬もそうだろうと考えたのかどうか、公衆トイレも閉じられた尾瀬ヶ原に向かう登山客がいると、某山小屋主が驚いていた。

もちろん、それなりの装備で向かうのであればかまわないが、ちょっとした高原の紅葉狩りみたいなつもりで出かけるのだったら、気軽に過ぎるのではなかろうか。

問題は、山小屋などの有人施設が尾瀬ヶ原や尾瀬沼のすべてで閉鎖されていても、バスが運行されているというのは、いささか整合性を欠いているように思うのだ。

交通機関で行けるとなれば、行こうと考えるのが人間なわけで、そこに気象状況がどうかなどと考えることはない。こうして、天気が急変して、雪でも降ろうものなら……どうなることだろう。尾瀬ヶ原も尾瀬沼も標高1500mという高地なのだから。

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楽話§登山道の整備 [尾瀬]

やって来る登山客が安心して歩けるように登山道の整備は欠かすべからざることである。話は尾瀬の登山道についてで、場所によってコンディションが極端に違っているのだ。

尾瀬の入山者のおよそ6割が利用する、鳩待峠から山ノ鼻のルートを見るならば、全長3km余りの登山道は良好に整備されている。木道の耐用年数は、およそ10年だが、メインルートということもあるのかどうか、順調に交換が行われていると感じる。

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そうして尾瀬ヶ原についても、山ノ鼻から牛首分岐を経て、龍宮小屋が建つ中田代、群馬と福島県境までは、鳩待峠からの日帰り客が多いこともあって木道はよく整備されていて、本当に歩きやすい。

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だが、ガクッと登山客(観光客)が激減する沼尻川の先福島県に入ると、木道の整備は遅々として進んでいない。

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上の写真は今年5月のもので、下田代十字路の山小屋群近くまでようやく木道が交換されてきた。

さらに尾瀬ヶ原から尾瀬沼に向かう段小屋坂の状況はどんどん悪くなって、下の写真がそれだ。

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途中、木道のあるところとないところとまちまちで、ないところの路肩を歩くのは、路肩側が沢筋へと落ちているので不安なものがある。

そして、かつてのメインルートである大清水から三平峠を越えて尾瀬沼へと向かうルートの中には、こんなところもあって、往年の面影などはない。

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一番下に1989年から2015年までの年間入山者数の表を貼っておくが、10%を切って5%に近づいているようでは荒廃していくのも無理はないだろう。

最後に、尾瀬ヶ原から御池に向かう裏燧林道の写真を一枚。

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あちこちの木道などは、なべて写真と似たようなもので、用を為しているとは残念ながら思えない。尾瀬で歩荷をしている人たちがクラウドファンディングでお金を集めて木道整備をと行動したが、行政をはじめとして、もう少し木道整備に目配せをしてほしいと願っておく。

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銀話§フィルムで写真を撮っていた [尾瀬]

尾瀬でアルバイトをしていた大学生時代、それでも写真を撮ってみようと、しょぼい機能しか付いていない一眼レフのカメラを手に、いそいそと尾瀬に入っていた。

もちろん当時はフィルム・カメラなわけである。予算が限られていたから、何本も何本も潤沢に持って行けるわけではなかった。だから買ったのは36枚撮りを10本だけである。2か月のバイト期間の間に360枚しか撮れないのだ。

デジタルカメラであれば、メモリーカードの容量にもよるが、数百枚単位で撮影できるのが今の時代である。

そんな限られたフィルムなので、それは大事に撮るしかない。さらに、装填する時、ギリギリに入れると36枚プラスもう一枚撮れる“裏ワザ”を使ったりもした。

というわけで撮影する時も慎重に構えていたから、構図を決めてシャッターを押すまで、けっこう時間をかけていたという記憶だ。

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そんな慎重さがデジカメになっても残っていて、シャッターを押すまでの時間が長く、同居人からは「さっさと押す」と注意されることもしばしばである。

今のデジカメに入れているメモリーカードの容量は楽々千枚を撮影できたりするが、2泊3日の尾瀬行で撮る枚数は300~400カットというところか。

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謀話§弾丸登山はやめろ~山のルール~長文 [尾瀬]

尾瀬の山小屋でアルバイトしていた時から、山をなめた行動をする人たちを散々見てきたので、昨今の富士山弾丸登山が後を絶たないというニュースを眼にしても驚きはしない。

やりたい人は懲りもせず、勝手次第に繰り返していくだろうが、何かあった時、多くの人の手を煩わすことを腹立たしく思うのだ。

話は単純で、3000m級の山に登るに見合った装備で臨むこと、完全予約制の山小屋なのだからきちんと予約して登っていけ、天候が芳しくなかったら、無理をせず潔く撤退しろ……それが富士登山における三大基本ではないか。

話を尾瀬のほうに戻す。もちろん、厳しさは富士山の比ではない。まして、鳩待峠から尾瀬ヶ原までは下っていくだけという簡単さに、軽装の人たちを多く見かけるのも当然だと思うしかない。

だが、下界では桜が散って新緑になろうとする頃、尾瀬ヶ原や尾瀬沼はまだ雪の下にある。そして、東京あたりで30度の真夏日を観測しかねない10月半ば、尾瀬では朝晩の気温が氷点下を記録して真っ白い霜に覆われたりする。

山に行くのだという認識の人間は、そうした山の気象状態に応じた装備を用意して臨むけれど、観光&物見遊山の人たちは、どう都合よく解釈するのかわからないが、銀座や原宿を歩くのと同じスタイルで鳩待峠から下ってくるのだ。

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上の写真のように、女性はぺらんぺらんのパンツに靴の裏はと見れば、見事に真っ平らのつるんつるんで、雨でも降れば滑ること必至であろう。

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ついこの間も、鳩待峠から山ノ鼻に向かう、少し急な階段から男性が沢に滑落したことを聞いた。登りと下りの写真を貼っておくが、ここはすれ違ったりする時に十分な注意が必要な場所なのである。

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最後に、去年龍宮小屋でのんびりしていた14時に撮った1枚。

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女性一人、男性3人のグループで、女性はブランド物のポシェットを肩に、全員がスニーカーで、いとも気楽に鳩待峠から日帰り往復を楽しんでいるようだったのだ。だが、龍宮小屋から山ノ鼻経由で鳩待峠に戻る標準的なコースタイムは、約3時間ということで、鳩待峠到着はちょうど17時頃となる。

なお、鳩待峠発最終バスは16時40分……彼らがどのような末路をたどったのか、その後のことはわからない。ちなみに、写真の日の朝と翌朝は、大霜に見舞われ、外気温は氷点下4度だった。

追記:数十年にわたって歩いた尾瀬で、歩いているところは、木道が敷かれて迷うはずなどはないが、年齢などを考慮して3泊4日五百円の登山保険に加入している、写真のような急階段で何かあったらを見越してのことだ。

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緑話§道刈りに半日かけて行き帰り [尾瀬]

夏休みにせっせと働いていた山小屋アルバイトの3年目と4年目のちょうど今頃、小屋の人たち数人と連れ立って、登山道に伸びた笹や草などの刈り払いをしたことがある。

尾瀬ヶ原にいた2年間は機会がなかったが、尾瀬沼では「刈ってきなさい」と言われたので、ほいほいと行かせてもらった。

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尾瀬沼東畔から小淵沢田代へ直登、その先の送電線が横切っているあたりから刈り始めて、赤安山頂上北側を巻いている道あたりまで。手にした道具は長柄の草刈り鎌一丁。

東の鬼怒沼湿原から黒岩山を経て、尾瀬沼へという縦走路だが、シーズン中でも登山客は多くない。夏休みであっても刈り払いの間に出会うパーティーはせいぜい2、3組。尾瀬沼から奥鬼怒温泉郷どちらからでも歩程約10時間という長丁場なので、奥鬼怒温泉郷から鬼怒沼湿原を往復する人はいても、尾瀬沼まで歩き通す人は少ない。

それくらいの利用度の道だが、何もしなければ荒れてしまうのは必定なのでこうして道刈りをして道を維持するのである。

朝飯を食べたら、弁当をザックに詰めてスタート。3時間くらい作業したところで弁当を遣うが、これがうまい! 本当は黒岩山近くまで刈り払えればいいのだが、赤安山で時間切れ。作業を終えて小屋に戻るのだが、おおよそ15時過ぎには小屋に着いていた。

そして昨今の道刈り事情はと問われれば、エンジンで動く草刈り機を持って行って作業しているのを目にしたことがある。作業効率はいいだろう。

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逍話§最後の登山靴 [尾瀬]

今履いているのは、登山靴というにはいささか大げさな、浅めのトレッキングシューズみたいなやつである。おそらく最後の山靴になるだろう。

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登ろうと思えば――登らないが――燧ヶ岳や至仏山ぐらいなら無問題だし、真っ平らな尾瀬を歩くには十分過ぎるのだ。

アルバイトをしていた頃は、身分不相応なくらい足首までの立派な登山靴を履いていたが、まさに“宝の持ち腐れ”というやつだった。

その後、しばしのブランクがあって、久々に山靴を新調したのが定年退職で尾瀬行をした時。あまり大げさな靴は……と考えて選んだのが、写真にあるようなタイプの靴である。

重さもほどほど、そして足首の下までの靴なので、足首の自由が利いてくれるのはありがたい。そしてまあ“身分相応”かなと思う。

尾瀬ヶ原を歩くのであれば、ウォーキングシューズ程度のほうが楽といえば楽なのだが、ほんの少々とはいっても、山道のようなところも歩くわけで、そんな時に雨に降られでもしたら、さすがに困ったことになってしまう。いくら楽な山とはいっても、足回りはきちんとして臨むのに越したことはないのだ。

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週話§日曜枯寂~尾瀬は夏だろう~ [尾瀬]

ニッコウキスゲ目当てで7月の尾瀬に出かけたのは、ちょうど5年前の今頃だった。

残念ながら尾瀬ヶ原のニッコウキスゲは、鹿に喰い荒らされて見る影もないくらい。辛うじて尾瀬沼で愛でることはできたが、かつてのような大群落とまではいってくれず、不完全燃焼なまま下山したのである。

↓尾瀬沼のニッコウキスゲ
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今年は、6月中から咲き出しているであろうことは間違いなく、尾瀬ヶ原も鹿柵の設置が進んでいて、場所にもよるが柵の効果でニッコウキスゲを堪能できるかもしれない。

いやもう、盛りは過ぎつつあるかもしれず、今年の尾瀬の花の状況が、先々どうなのか、まるで予測がつかないのだ。

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表話§尾瀬で写真を撮ること [尾瀬]

かつて、もう半世紀近く前。尾瀬でフィルムカメラの時代を過ごした。山小屋のアルバイトで7月半ばから9月上旬まで、ほぼ2か月を、毎日せっせと働いていたのだ。

毎朝4時過ぎに目覚め、夜は21時頃には就寝。掃除、宿泊客の世話、その他雑用諸々と立ち働いている合間、ほんの2時間くらいの休憩時間が撮影タイムなのだった。

そのために、一番安い標準レンズだけの一眼レフを手に、尾瀬に入山する直前、既に西新宿にあったヨドバシカメラでフィルムを買うのだが、好き放題というわけにはいかず、自分で決めていたのは36枚撮り10本である。当時は不遜にもリバーサルフィルムを使っていて、もっぱらコダクロームと、気まぐれにエクタクロームを2本ほど……深い意味などはない。

フィルムカメラは、一枚一枚、1シャッターが勝負なのだくらいは、ど素人でも理解できることで、だからそれなりに写真を撮る時は色々な意味で集中らしきものはしている。

そして、どのように撮れたのか、山から下りて写真屋に現像に出し、それが戻ってくるまでわからないのだ。

かくして“一シャッター入魂”でこれは!と思いながら撮影を試みはしたものの、現像されて仕上がった“力作”を見やれば・・・・・・・・・・・・で、脱力してそっと片づけるのだった。

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邂話§尾瀬で出会う人たち [尾瀬]

山に登っている時、すれ違う人たちと挨拶を交わし合うということは、尾瀬に初めて入った時に覚えたことだった。そういえばオーストリア・アルプスの端っこで本当に軽い山歩きをした時にも“ハロー!”とか言い合ったのは当然のことだった。

山で人に出会うというのは、なかなかに楽しいことで、ごくごくたまにだが山小屋で知り合った人たちと仲良くなることがあるが、これは望外の楽しみと言えるだろう。

先月の尾瀬で同宿だったご夫婦は、ほぼ同い年であることと、近いところで生まれ育ったことがわかり、それはまたかなりちょっと得をした気分にさせてもらったのだ。

もちろん、そんな偶然などそうそう転がっているわけではなく、たまたま同じ共同体験をした同士ということもあって、会話が気安くはずむのだろう。

そうして翌日には、それぞれの写真を撮り合って、送るということも今時であれば、メイルに添付すれば、簡単に送ることができ、山旅の思い出もまた倍加してくれるということだ。

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直話§居り尾瀬の日々[5]鳩待峠へ“急登” [尾瀬]

[承前]

↓名残りの燧ヶ岳
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山ノ鼻に到着したのは8時過ぎ。何と!……1時間30分ほどで歩き通してしまった。意外なことである。しかも、そこそこ立ち止まってはシャッターを切っていたのにである。

↓リュウキンカが元気だった
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と、まあここまでは落ち延びた。そしていよいよ自分自身の課題である、鳩待峠まで戻る大プロジェクトが、否応もなく眼の前にやってきたのだ。

四の五の言ってもしかたがない。山ノ鼻の公衆トイレで用を足し、小休止をして歩き始めた……無理はしない、無理はしない。

↓至仏山荘前。右に行くと尾瀬ヶ原、左が至仏山
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そのために、龍宮小屋6時半発にしたのだから、自分の足と話し合いをしながら、歩を進めていく。山ノ鼻から20分ちょっと、テンマ沢湿原のあたりで歩荷隊に出会った。それぞれがそれぞれのペースで山小屋へと生鮮食料品などを届けていく。この時期だと、始まって間もないので数十kg程度だが、見た目、もっとかついでいるように見える。

↓水芭蕉と歩荷のWさん。冬は杜氏をしたり、熊鈴を作ったり
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そしてテンマ沢湿原から数分したところで、まーくんとすれ違ったので、声を掛けて少し話ができた。

↓気をつけて行ってらっしゃい!
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積極的にSNSから発信して、木道修理のクラウドファンディングを立ち上げたりもしていたので、ささやかに協力もしたが、彼ら歩荷の動きはダイナミックでさり気ない。

↓出会った日の彼らのYouTube


いよいよ坂はきつくなっていくが、休みを入れて克服していく。そんな励みと言えなくない存在が現れた。山ノ鼻から45分でベンチ⑥を通過した。これが①まで、およそ1200m続いて、ワタシ的にはありがたいポイントであるが同時に坂のきつさも増していくのだ。

↓登り坂はここから始まる
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そんなベンチ⑥から40分のベンチ②を通過しようとした時だった。ここまでくればもう鼻歌だからと思いかけたところに、老夫婦がよたよたと石組階段を歩いて降り来り、いきなり話しかけてきた。

↓ここで引き返した人を見たのは初めてでした
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老夫婦「水芭蕉が見えるところまでどれくらい下るんですかのう?」

……さすがに“こんなところで?”という質問ゆえ、少しうろたえつつ……

老登山者「まあ、40分くらいは下り多めで歩きますかねえ」

老夫婦「ちゅうことは、戻るにはこの坂を登り返さなあかんのですか?」

↓そうです、登るのです
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老登山者「ええまあ、そういうことです」

その瞬間「お父さん、あかん! 水芭蕉、見れんでもかまわんから戻ろ!! 
戻る前にそのベンチで一休みや!」

↓そうはいってもラスト40分ほどはきついっす
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残り270mの登り坂を克服して鳩待峠に着いたのは……18分後のことだった。山ノ鼻から1時間40分は標準コースタイム+10分で収まってくれたのだ。

バスで戸倉まで戻り、11時前には車を走らせて、自宅に戻り着いたのは14時ちょうどのことである。

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