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資話§運転免許四十年 [自動車]

気がついたら、先々月の22日が運転免許を取得してちょうど40年であった。

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結婚して住んだマンションは交通の便がよくなく、食料を調達するスーパーマーケットまで徒歩10分……当時は共稼ぎをしていて、特に同居人が難儀している様子に意を決し、重い腰を上げて、30歳での免許取得となったのだ。

会社は昼過ぎに出ていけばよかったので、午前中を教習所通いにあて、せっせと教習を受けた。コース教習と路上教習で少しずつつまずきはしたが、それでも規定の30時間+3時間オーバーで無事にクリア。3か月ほどで無事に運転免許を手にしたのである。

成人した頃、少しくらいだが自動車に興味は持っていた。けれど運転免許を取って自分が運転するとか、ほとんど考えたことなどなかった。

そうして運転免許を手にしたわけだが、この40年の間に乗った車は4台……今乗っているのは、還暦のタイミングで買った真っ赤な外装の5ナンバー。2台目、3台目は3ナンバーだったが、自分には相応ではなかったと感じている。

そして、いい経験をしたと思うことは、20年近くの海外旅行でレンタカーで走り回ったことだ。これはもう望外なことで、運転免許を取ったこと以上に海外で左ハンドル&右側通行の環境で運転するとは思わなかった。

それもこれも“あの時”免許を取ろうと決心したことが為したことである。

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匠話§ごつい自動車は苦手 [自動車]

自動車のデザインも世につれて変化してきた。新しいと思っていたデザインも、気がつけば古臭く感じて、時が人間の嗜好を変えていっているようだ。

そして今は“ごつい”デザインの車がトレンドと感じる。だが、ワタシは、ごついデザインの車は好きではない。代表的なのがこいつである。

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何というか存在が尊大で、一目見た時から好きではなかった。

そもそも、ごつい車自体には可愛げも愛敬の欠片もなく、個人的には乗りたいとも、外見を見たいとも思わない。というか、車を走らせている時に、背後から上のような車が近づいてきたりしたら“オラオラ!”感満載で、思わず「お先にどうぞ」と譲ってしまいそうになる。それにしても、どうしてこんな上から目線のデザインになったのだろう。

というわけで、これまで乗り継いできた車はといえば、尖ったデザインではなく、どれも比較的丸みを帯びてスマートめなタイプのものばかりである。

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そして、今乗っている車が最後のマイカーなのだが、もしも“次”があるのだったら、こんなコンパクトな丸っこいのを選ぶのではないのだろうか……たまに道を走っているこいつを見かけるが、思わず走り去る様子を眺めてしまうくらいだ。

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自話§オートマチック車 [自動車]

運転免許を取得した当時はマニュアル車教習しかなかったので、マニュアル免許を持っている。だが、教習していた時からオートマ車に乗ろうと決めていたのだ。

免許を取って車を購入しようと考えカタログを眺めたら、まずマニュアル車が出てきて、次にオートマ車が、そして価格もオートマのほうが高かった。

だが、オートマ車に乗ると決めたのは、日本の道路を運転するには明らかにオートマ車のほうが適していると考えたからだ。特に都市部に関して、道は狭いし、信号の数が半端なく多く、停まったり走ったりを頻繁に繰り返さなくてはならず、いちいちクラッチワークをしてギアチェンジをするのが煩わしいと考えたからだ。

1980年代前半でオートマ車の普及率は40%ほどだったようだが、これが80年代後半から爆発的な普及率となり、あれこれ調べてみたところ、10年前にはオートマ車の普及率が98%と、これはもう“特別な”車を除けば、日本の道路を走っている車のほぼ100%がオートマ車ということになる。

そんなマニュアル車優位の世界がヨーロッパなのだと思っていた。決心してドイツやオーストリアでレンタカーを運転した最初は2002年のこと。当時はネットで予約するのに、マニュアルかオートマかの選択はできず、くどいくらいにオートマ車を出してくれとお願いをしていたのだ。

それが、いつの頃だったか、2010年頃あたりと記憶するが、ネットから簡単にリクエストして希望通りに出てくるようになった。その頃のヨーロッパにおけるマニュアル車の比率は70%ほどもあったのだが、最近の調査ではそれが逆転して、オートマ車が70%を超えたのだという。

ヨーロッパにおいてマニュアルの比率が高かったのは、町中はともかくも、郊外に出れば信号などはほとんどなく、ギアチェンジする必要もなく長距離を走れたりしたからではないかと想像しているのである。

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思話§初めての自動車はワンダーシビック [自動車]

結婚して暮らし始めた多摩丘陵のマンションは交通が不便だった。最寄駅からは緩い坂道を上がって15分ちょっと。さらにスーパーマーケットをはじめとした商店街までは歩いて10分。当時は共稼ぎだったので、買い物には本当に難儀した。

2年我慢した……よくもまあ2年も我慢したものだと思うが、そこで運転免許を取ろうと決心したのだ。自動車の運転にさほど興味があったわけではなかったが、背に腹は代えられぬ。

そして1984年10月、無事に運転免許を手にして車を購入した。厳密に言うと免許を取るより早い10月上旬、フライング気味にホンダのディーラーに赴いて、かねてより“これ!”と決めていた赤のワンダーシビックの納車をお願いした。

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免許を手にして10日後くらいだから11月に入っていたと思うが、我が家に赤いシビックがやって来た。ルイ・アームストロングが歌う『ワンダフルワールド』のコマーシャルを見てデザインが気に入り、乗るならこれ!と、早くから決めていたのだ。



特に気に入っていたのはハッチバックのデザイン。赤い塗装にハッチバックの黒がよく似合っていたのである。

そして8年間、本当によく走ってくれた。若かったということもあったが、年間1万kmずつ、8年で8万kmも走ってくれたのだ。

そして今の車は四代(台)目……二代目と三代目は濃紺のボディカラーだが、四代目は還暦記念だったので、赤のボディカラーを復活させたのである。

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安話§左足ブレーキで四十年 [自動車]

以下は、既に何度か書いていることである。そしてあくまでも個人の責任で行っていることである。

運転免許を取得したのは1984年10月。当時はオートマ限定はなく、マニュアルで教習を受けたのだった。そうして無事に運転免許を手にして、オートマ車を購入したのは、最初から決めていたことだった。

そして、もう一つ決めていたのは、左足でブレーキを操作しようということである。これはもう周到に準備をしたつもりで、いきなり最初から左足を使いだしたわけではない。

マニュアル車でクラッチを扱うのは左足。ブレーキ操作と違って、ガツンと踏むのがクラッチペダルだから、左足でブレーキを踏むなとは、教習所で繰り返し指導されたことである。

だが“個人的”には、右足をアクセル、左足でブレーキと踏み分けるほうが合理的であろうと思い定めたのだ。

まず最初は運転中には使用せず、車を始動させる時や、バックする時に左足でブレーキペダルを踏むようにして、足慣らしをした。加えるなら、上り坂で停車している時も左足でブレーキを押さえておいて坂道発進をした。

そうして、運転時の実践に取りかかったが、そこまで慎重に事を進めたからかどうか、特に戸惑うこともなくスムーズに左足でブレーキをコントロールできたのである。

今さらながら、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故の多さに、どうにかならないかと考えるが、だからといって、声を大にして左足ブレーキをとは声を上げにくい。否定的な論調も少なくないからだ。

だが、40年というものを左足でブレーキを踏んできた経験から言うならば、せめては駐車場みたいな、徐行やバックを必要とする場所では左足でブレーキを押さえるようしたらどうかと思うのである。

なお、左足ブレーキの短所は何かと聞かれたら、ペダルの位置が右足寄りになっていることで、それが若干使いにくいと言えなくもない。右足で踏むようになっているから、あたりまえなのだが。

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活話§自動車の運転度激減 [自動車]

ここ一年ほど高速道路に乗っていないことに気がついた。クレジットカードの請求明細にETC利用の記載がないのだ。

ということは我が家周辺でしか運転していないということではないか。そういえば走行距離も伸びてはいない。このところロングドライブというと往復400kmで尾瀬歩きをする時に運転くらいのものである。

間もなくの古稀を控えて、運転納めも近づいていることを自覚している。自分なりの目論見としては75歳で車を手放そうと考えているので、残り5年というところか。

……とは思っているが、走行距離と車の維持費のバランスシートが良好とは言えない。そして今回を入れると、あと3回の車検を行わなければならず、何とも“費用対効果”に見合ってくれないような気がしてならない。

考えられることは、あと3回をあと2回にして、車の返上を早めることで、それでも生活するうえで困ることは、さほどなさそうな気はしている。

運転免許を取って車の運転をし始めた頃は、運転納めをするなど考えるはずもなく、延々と運転しているような気になっていたが、昨今の高齢運転者のトラブルあれこれを見ていると、とても他人事とは思えなくもなっていて、まあ“潮時”を自覚するタイミングが近づいているということだ。

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週話§土曜流転~大きな車~ [自動車]

今年で、運転免許取得からちょうど40年となる。30歳になったタイミングで取ったから、やや遅めといえば遅めな取得年齢である。

今乗っている車で4台目。排気量は1500㏄から始めて、2000㏄、2000ccと続き、4台目は1200㏄となった。

運転勝手は、今の車が断然楽ちんで、今さらながら2000㏄の車に乗る必要はなかったと思っている。第一に大きい、第二に燃費が悪い……高速を走ってもトータルで2ケタに届くことはないが、今の車は45リットル満タンにすれば、600km以上は楽々走ってくれる。下の道だけでも500kmは走ってくれるのではないか。

そもそも家族二人しかいないのに、3ナンバー&2000㏄は不要だったのだ。

というわけで、燃費のいい1200㏄の車は使い勝手がいいので重宝しているが去年で10年超となり、最後になる車と思い定めて、あと数年ほどで手放すことになる。

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費話§自動車の買い替え [自動車]

1984年に運転免許を取得してから、これまでに車を4台買い替えている。およそ10年ごとの買い替えということになるだろうか。

最初の車は8年使った。走行距離はおよそ8万kmで、実にマメに運転していたことがわかる。住んでいた場所がいささか交通不便という環境だったということもあって、とにかく土日の休みになると何だかんだと乗り回していたのだ。

その後、比較的交通至便な場所に引っ越したら、2台目以降の走行距離は激減してしまった。そうはいっても、何くれとなく運転する必要があるので、維持費には目をつぶって3台、4台と買い替えていったのである。

今の車は2013年に購入したので、今年で丸10年。あと3年で自動車税が上がることになるが、車の所有はこれで最後……なので、あと数年は乗り続けて乗り潰すつもり。

運転免許を取ったのはちょうど30歳の時で、実は車を運転しようなどとは考えておらず、先に書いたように、交通的に不便な場所だったがゆえに、一大決心をして教習所通いをしたのだった。

世間的には5年――2回目の車検の直前――に下取りに出して乗り換えるというらしいが、そこまで車に凝るつもりもなかったので、こんなカーライフになったのである。

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道話§かわいそうな自動車たち [自動車]

20年近くドイツやオーストリアでレンタカーを走らせてきた。アウトバーンも毎回必ず数百kmは走っていて、ちょっとだけ日本よりスピードを出しては楽しんでいる……もちろん緊張もしたが。

アウトバーンを走っている時、現地の人間もスピード狂は掃いて捨てるほど存在していて、ポルシェであったり、時にはフェラーリといったスポーツタイプの車に出くわすことも珍しくない。

そして彼らが、伸び伸びと信じられないスピードで追い抜き去っていくのを眼にしては呆れ返っていた。とにかく半端ないスピードでやってくるのだ。

速度の遅いトラックを2台ほど追い抜こうとして、十分に後続を確認して車線変更をし、速やかに追い抜いて走行車線に戻ろうとするのだが、気がつくと、けっこうなスピードでピタリと背後にいる。140、150km/h程度でタラタラ走ってるんじゃねーよという声が聞こえてくるかのようで、もちろんさっさと走行車線に戻る。

その瞬間、彼らはアクセルを踏み込んで“遅いスピード”から解放されようとする。そして間違いなく200km/hは出していることだろう。

そしてしみじみ思うのは、ポルシェであれフェラーリであれ、走るべき場所で走っているのだなと思う。大きなお世話だし、人の趣味を云々しようとは思わないが、そんな車を日本で走らせたら車に申し訳ないとか、オーナーはそんなことなど考えもしないのだろうな。

まあ、そんな代償として起きた事故は半端ない。何度かアウトバーンでの事故の処理現場を通り過ぎたが、ほとんど原形をとどめない残骸がクレーンでトラックに積み込まれていたのだ。

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快話§高速道路とドライブレコーダー [自動車]

この7月で丸10年乗ることになる、これが最後となりそうな我が愛車が、先月ようやく、走行1万4千kmを超えた。1984年の秋、一番最初に買った車は8年で8万km走ったのに比べれば、何という乗らなさ加減であろうか。

それでも、このところ毎年のように尾瀬の登山口まで車を走らせるので、それだけで往復ちょうど400kmは稼いでくれる。そうして一度給油すると600km以上は楽々と走ってくれる。あるいは20km/ℓというエコノミーさである。

高速を走っていても滅多にアクセルを踏み込んでの加速をすることは、まずやらない。走っていての経験則だが、おおよそ80km/h+30kmあたりでアクセルペダルを塩梅してやるのが効率的に走れるような気がしているのだが。

まあ、ターボ付き1200ccという小回りだけはよく利いてくれるやつだから、人生最後に選んだ車としては上々だったと思って、何の後悔もしていない。

さて、オプションでドライブレコーダーを取り付けたのも正解だった。今時どんなトンデモな輩が理屈も何もないような狼藉に及ぶことなど珍しくなどなく、それはもうありがたい御守りとしてありがたく使わせてもらっているが、同時に我が身の運転状況のチェックにも役立っているはもちろんだ!

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交話§不思議な信号機 [自動車]

我が家からほど近いところにある交差点の信号の話である。

記憶の限りだが、車を走らせていて一度も赤信号に引っかかって停車したことは、これまで一度もない。

ある時、ふと“そういえば信号が赤になったのを見たことがない”と気がついて以降、一度も赤信号で停まったことはないのだ。

系統化されていないからかどうか、一つ手前の信号で停まっても、青信号の時でも、まったく関係なく“その信号”が赤になることは一度も経験していないという不思議である。

ちなみに逆側、あるいは交差点左右の道からは赤信号で停まることしばしばなのだが“その方向”からは青信号で通過するばかりで、同居人に教えたところ「なるほど停まりませんねー」と不思議がってくれた。

このことに気づく以前がどうなのだったか、思い出せればいいのだが、残念ながら記憶の外でしかない。

目下の興味は、この先にフリーパスで通っていた信号機が赤に変わって戸惑いながらも停止することが起きてくれるだろうか?

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転話§団地のマイカー事情 [自動車]

中古で購った現在居住中の我がマンションだが、間もなく築40年を迎える。躯体がしっかりしているというお墨付きをもらっているようで、お迎えが来るまでは十分に暮らせるだろう。

とはいえ、そこに暮らしている住民も同様に歳を取った。四十代で入居した人は八十代に、三十代の人は七十代となって、リタイア人生を送っている。

自身の高齢化に伴ってマイカーを手放す人も増え、四半世紀前に増設した駐車場にも空きスペースがずいぶんと目立ってきた。団地管理組合としては、管理費以外の貴重な収入源でもあり、車が減ることは痛し痒しなのだが。

そして、まだ乗り回している現役世代のマイカー事情にも変化が生じてきたと感じる。

彼らが乗っていたのは、ステーションワゴンやバンといった、ファミリーでドライブすることを目的にして購入した車種がメインで駐車場の中でも高い比率だったが、子どもが成長して親離れをした結果、多人数を乗せる車が必要なくなってしまったのだ。

この間見たら、大きなワゴン車から少しばかり尖り気味のスポーツタイプのセダンに替わっていて、ようやく自分が乗りたい車を買うことができたのだなと思ったのである。

そして、我がマイカー人生も残すところあと数年となってしまったようだ。

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自話§最初からオートマ車で [自動車]

運転免許を取得したのは1984年。当時はまだオートマ教習はなかったので、マニュアル車で運転を覚えた。

だが、元よりマニュアル車を運転するつもりはなかった。東京のような細かい道路が縦横かつ複雑に通っているところで、マニュアル車を動かそうとは考えなかったのである。

教習所を無事に卒業しそうなタイミングで、ディーラーでおめあての車を買い求め、免許取得とほぼ同時に納車して運転を始めた。

その時、既に考えていたことを実行に移した。左足でブレーキ操作をすることで、マニュアル車を運転する場合、左足でクラッチ操作をするのに、思い切り踏み込んでクラッチを切るから、左足を使って同じ動作でブレーキを踏もうとしたらとんでもないことになってしまう。

だからいきなり路上では操作せず、まず最初は駐車場での入庫操作で試すことにして、バック時に左足をブレーキペダルに置いてコントロールすることを努めた。それから次に、坂道発進を試してみて、その後徐々に範囲を広げていったのである。

今は、右足でブレーキ操作することは稀でしかなく、およそ40年を大過なく運転してきた。

しばしばニュースで、駐車場でのアクセルトブレーキの操作ミスでの事故が取り上げられるが、せめて駐車場でだけでも、左足でブレーキを操作していれば、事故の何割かはなくなってくれるのではないかと考えているのだが。

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石話§セルフのガソリンスタンドで [自動車]

もうずうっと同じガソリンスタンドで給油をしている。系列店で年会費無料のクレジットカードを持っているのだ。それで支払うと、1リットルあたり2円割り引いてくれるので、律義に利用し続けている。

もう20年以上の付き合いになるが、ずうっとスタッフが給油をして、窓ガラスを拭いてくれたりの“フルサービス”がお約束の流れだった。

それが、数年前にセルフスタンドに変わってしまった。多くの人は戸惑うこと多々だったと思うが、こちとら20年ほど海外でレンタカーを借りてドライブをしているので、現地のセルフスタンドにすっかり慣れてしまったおかげで、戸惑うことはない。

ただし、給油作業をする時はより慎重にしているつもりだ。ディスプレイで設定した後、給油ノズルを出す前に静電気除去パッドにしっかりとしつこく触って給油を始める。

海外旅行先で慣れているとはいっても、頻繁に給油するわけでもなく、せいぜい2か月か3か月に一度くらいだから、やはり慎重にならざるを得ない。

このところ月に一回か二回の歌舞伎座通いの往復に走ったりするので、給油頻度は上がっているが、その程度の間隔で済んでいるのは、とにかく燃費がいい車だから、高速を活用すれば燃費は1リットル20km近く、満タンにすれば、軽く600kmは走ってくれるかもしれないという何ともなお得感なのだ。

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顧話§今日の歴史~回転エンジン~ [自動車]

1967年5月30日、東洋工業(マツダ)がコスモスポーツ発売。

自動車を走らせるのは、ピストンを往復させる“レシプロエンジン”と呼ばれているシステムが主流で、ほぼ100%のシェアである。

往復しているエンジンをタイヤを回転させるためにはエンジンとタイヤの間に回転させるメカニズムが必要だ。だが、エンジンそのものが回転していれば、そんな中間のひと手間を省くことができるという至極当たり前の発想を具現化したのが、当時東洋工業だった今のマツダが開発したロータリーエンジンで、それを初めて搭載したのが1967年の“コスモスポーツ”だった。

この時、中学1年生だったが、いかにもスポーツカーらしいデザインに惹かれたことははっきり記憶している。そして、実物を眼にしたいものだと思いながらもそれは難しいだろうと考えていたのだ。

↓写真はウィキペディアから拝借
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だが、発売から半年足らずで、我が田舎町を走っているのを眼にした時は、半端なく興奮した。まさか実物を眼にすることになるとは!なのだった。

そんなロータリーエンジンだが、マツダのみでの販売に留まり、実車の生産はなく、エンジンのみを作り続けていると聞いた。そうしてガソリンエンジン車は間もなく製造されなくなり、ロータリーエンジン搭載の車を眼にすることはないということだ。

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