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節話§一日一句~薄っすらと冠雪して~ [俳句]

季語は・・・冬の山

朝七時 遠く奥多摩 冬の山

【去年の今日】週話§日曜恬淡~町の中華屋~
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懐話§昭和三十年代~お年玉~ [年末年始]

[承前]

子どもにとって、新年にもらうお年玉はまさに大きな臨時収入なのだった。

小学生時代は、少なくても100円、多ければ500円程度のものだったが、それでも“塵積”だった。そんな額を増やすべく考えたのが、父親にくっついて年始回りの荷物持ちをすることだったが、これは効率がよく、親の手伝いをしていると見えるのが好印象を演出したのである。

それで、数軒も回れば1000円近くなってくれるのだ。何とも実入りがよろしく、子供のくせにせこいことを考えたものだ。

ところが、正月が終わりに近づいたところで上手が存在した。母親が「お年玉を貯金する」と徴収するのである。そして通帳を広げて「このとおり」と見せてくれる。

さっさと何かを買って使ってしまえばいいところを、それもそうだと貯めることに唯々諾々とするのだが、人がいいというか何というか……何か月かする間に、お年玉預金のことなどどこかにすっ飛んでしまい、何というか……貯金そのものが有耶無耶になってしまうという不思議なことが起こるのだ。
                               [続く]

《昭和のトピックス一覧》
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援話§黒衣~動くものに眼が~ [歌舞伎]

歌舞伎舞台を観ている時、いかんいかんと思いながらも、ついつい視線を向けてしまうのが黒衣や後見の人たちだったりする。

歌舞伎という伝統芸能の舞台は“いるはずのない人”が下支えの仕事を敢えて観客に見せてしまうのだ。

役者に小道具を渡したり、舞台衣装の引き抜きをしたり……特に小道具をやり取りしつつ舞台上を片付けるのは歌舞伎にとって大切なことなのである。

大がかりなところでは、舞台で死んだ役者まで、布で隠しながら舞台上からいなくすることまでやってしまう。

それが歌舞伎だとわかっていても、何かをやっている黒衣に眼が行ってしまうのは、集中力がないからか、それともこれはもうしかたがないことと考えるしかないのだろうか。

常に芯の役者を引き立てるのが歌舞伎という舞台芸術で、そのために様々な工夫をしているのだが、自分がかつて携わっていた仕事が、ある意味で下支えのような性質だったりしたがゆえかどうか、黒衣や後見を務める人たちの仕事ぶりが気になってしかたがない……というのは言い訳なのだけれども。

《歌舞伎のトピックス一覧》
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