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節話§一日一句~寂れた街を往く~ [俳句]

季語は・・・寒念仏

寒念仏 街はシャッターだらけなり

【去年の今日】滓話§天かすを語れ!
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贄話§春の祭典~ストラヴィンスキー~ [ストラヴィンスキー]

ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽『春の祭典』は衝撃的な音楽だと初めて聴いた時から強烈な印象をもたらして、今に至っている。

1913年、ディアギレフ率いる“バレエ・リュス”によって初演された時の騒ぎは伝説にすらなっていて、どんな状況だったか誰でも知りたいと思うはずだろう。

音楽以前に作品の存在を知ったのは、中学生くらいの頃だったか、百科事典でモーリス・ベジャール振付による春の祭典の舞台写真を見た時が初めてのことだった。その時以来、何となく気になる存在なのだった。

ようやく音楽を聴けたのは大学生になってからのことで、聴いた最初は……訳若布としか言いようがなかったが、なぜかはわからねど、どこか惹かれるものがあったのかどうか、聴き続けていくうちに、音楽に引きこまれるようになってしまったのだ。

とはいえ、変拍子満載の音楽をどう捉えようかと考えた揚句、しかたないとブージー&ホークスの――高い――輸入スコアを買って聴き始めたが、素人がどうこうできるような代物ではなく、表面を眺めるだけに終始したのは言うまでもない。

そうしてようやくモーリス・ベジャール振付の舞台を観たのは、1980年代になってのことだった。音楽だけでも十分に成立はするけれど、ベジャールの舞台の衝撃は、観て40年近くが経っても強烈な印象として残っている。

そうして、我が現代音楽の限界点は“ハルサイ”どまりでもあるのだ。

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壽話§初春大歌舞伎~第二部~ [歌舞伎]

[承前]

デパート上のレストラン街で、高いがどうってことのない蕎麦を食べ、少しばかり買い物をしたら、ちょうど第二部の開場時刻となった。

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一本目は“坂田藤十郎を偲んで”と銘打たれた『夕霧名残の正月』が鴈次郎の伊左衛門、扇雀の夕霧。2005年、坂田藤十郎襲名披露興行で上演された作品を、昨年逝去した藤十郎を追善する舞台である。

残念ながら二人の息子……鴈次郎と扇雀は芯を務めるには魅力に乏しく、仇花のような一幕と感じてしまった。

休憩後は、お目当ての仮名手本忠臣蔵七段目『祇園一力茶屋の場』である。いつもの“由良さんこちら”の茶屋遊びや、赤垣源蔵以下赤穂浪士とのやり取りといった前半は省略。斧九太夫と鷺坂伴内のやり取りから、由良之助が釣灯籠で手紙に読み始める。

いつもの吉右衛門……とは思われず。いささか衰えたかなと感じた。全体に声が弱々しいまま安定せず、動きも重い。やはりというか膝が悪そうで、こんなところで合引を使うのかと思ってしまった。

言うまでもなく、今の大看板全員が七十代半ばに差し掛かり、とにもかくにも無理はできなくなっている。だから、そう感じてもまったくおかしくなどないが、ついつい全盛期の恰幅の大きさを思い出してしまうから、余計に今の衰えを見ると寂しい気持ちになってしまう。

そんな吉右衛門を、雀右衛門の遊女おかると梅玉の寺岡平右衛門が、折り目正しい芝居で支えていたが、やはり芯になる役者の衰えは如実に反映するものだと痛感した。

16時半終演、地下の駐車場から車を走らせて自宅に戻ったのは18時10分前。

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