腐話§納豆の幸福 [納豆]
発酵物に好き嫌いがあるのはしかたのないことである。そして、苦手であることを克服しようという気持ちはよくわかるが、無理矢理に挑戦してあえなく撤退ということも珍しくなどはない。
そこで納豆の克服法の一つを書き記しておきたい。このやり方で食べれば、食べられないことはないのではないかと思うのであるが……。
それは“大根おろし”と一緒に混ぜ混ぜすることで、そうすれば納豆特有の癖や臭いを感じることなく、大根の辛みもほどよいことで、おいしく食べられる“はず”なのだ。
もう一つ、克服できるかもな裏ワザは納豆の中に卵を落として混ぜ混ぜしてやるというものである。これも卵の風味に納豆の癖あれこれが隠れてくれるのではないかと思われる。
我が納豆はといえば、そのまま醤油や辛子で食べるが、そうして大根おろしや卵を合わせることで楽しくおいしく食べることができるのだが、ある人がご飯などにかけるのではなくて、納豆“だけ”をひたすら食べている様子にさすがにそれはできないと……やはり、ご飯あっての納豆ではないかと首を傾げたのだった。
《B級グルメのトピックス一覧》
そこで納豆の克服法の一つを書き記しておきたい。このやり方で食べれば、食べられないことはないのではないかと思うのであるが……。
それは“大根おろし”と一緒に混ぜ混ぜすることで、そうすれば納豆特有の癖や臭いを感じることなく、大根の辛みもほどよいことで、おいしく食べられる“はず”なのだ。
もう一つ、克服できるかもな裏ワザは納豆の中に卵を落として混ぜ混ぜしてやるというものである。これも卵の風味に納豆の癖あれこれが隠れてくれるのではないかと思われる。
我が納豆はといえば、そのまま醤油や辛子で食べるが、そうして大根おろしや卵を合わせることで楽しくおいしく食べることができるのだが、ある人がご飯などにかけるのではなくて、納豆“だけ”をひたすら食べている様子にさすがにそれはできないと……やはり、ご飯あっての納豆ではないかと首を傾げたのだった。
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労話§定年退職後の再就職 [日常]
早いもので、2015年9月の定年退職から9年が過ぎようとしている。37年半勤め切った自分をほめてもやりたいが、それにしてもあっという間の9年である。
ところで、退職後については希望すれば嘱託として古巣に再就職することは可能だった。どうしようかと迷っていた時に、高校の同級生から「退職したらどうするんだ?」と聞かれた。彼は総合病院で要職にあったのだ。
「特に予定がないのだったら、うちの広報の仕事をやってくれないか?」と打診された。条件は週2日で一日6時間勤務、ギャラも申し分なく、断る理由もない。なかなかおもしろそうと感じられて引き受けることにした。
その後、会社の人事から再就職を希望するかどうかという面談があったが、かくかくしかじかでと伝えると、何だかほっとしたような顔をされた。再就職のポスト探しも大変なのかなと思った記憶である。
さて、半年ほどの失業給付を終えた翌年の4月から仕事に出向いた。主な仕事は、年4回発行する広報誌の編集制作で、材料集めに手間はかかるが、集めてしまえば、それをまとめるのはさしたる手間ではなかった。
既に4月発行は終わっていて、7月発行分に取り掛かることになったが……そんな最中、ゴールデンウィークが終わって出勤したら、同級生の姿がないのだ。事務局長に聞くと“入院されました”と言う。
しばらくしたら、別の病院から戻ってきてそのまま入院したので、病室まで会いに行くと「実は……」と告げられたのは、余命いくばくもないという。彼が亡くなったのは7月の終わり。
そんな彼の誘いで仕事を始めたこともあって、そのまま続けることもできはしたが、あまりにも早い旅立ちのショックに仕事を続ける気力を失い、手をつけていた広報誌を仕上げたところで職を辞すことにした。ほんの5か月の再就職はこうしてあっけなく終わりを迎えたのだった。
《私事のトピックス一覧》
ところで、退職後については希望すれば嘱託として古巣に再就職することは可能だった。どうしようかと迷っていた時に、高校の同級生から「退職したらどうするんだ?」と聞かれた。彼は総合病院で要職にあったのだ。
「特に予定がないのだったら、うちの広報の仕事をやってくれないか?」と打診された。条件は週2日で一日6時間勤務、ギャラも申し分なく、断る理由もない。なかなかおもしろそうと感じられて引き受けることにした。
その後、会社の人事から再就職を希望するかどうかという面談があったが、かくかくしかじかでと伝えると、何だかほっとしたような顔をされた。再就職のポスト探しも大変なのかなと思った記憶である。
さて、半年ほどの失業給付を終えた翌年の4月から仕事に出向いた。主な仕事は、年4回発行する広報誌の編集制作で、材料集めに手間はかかるが、集めてしまえば、それをまとめるのはさしたる手間ではなかった。
既に4月発行は終わっていて、7月発行分に取り掛かることになったが……そんな最中、ゴールデンウィークが終わって出勤したら、同級生の姿がないのだ。事務局長に聞くと“入院されました”と言う。
しばらくしたら、別の病院から戻ってきてそのまま入院したので、病室まで会いに行くと「実は……」と告げられたのは、余命いくばくもないという。彼が亡くなったのは7月の終わり。
そんな彼の誘いで仕事を始めたこともあって、そのまま続けることもできはしたが、あまりにも早い旅立ちのショックに仕事を続ける気力を失い、手をつけていた広報誌を仕上げたところで職を辞すことにした。ほんの5か月の再就職はこうしてあっけなく終わりを迎えたのだった。
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