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憑話§義経千本桜~忠信篇~立飛歌舞伎 [歌舞伎]

立川の某企業の創立百周年を記念しての、歌舞伎興行イベントを観てきた。会場は立川ステージガーデン、収容2500人という大規模ホールは、歌舞伎座よりも空間が広く、まあ……歌舞伎を観る劇場ではない。

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3階席左側のチケット最安席は、舞台下手の半分がまったく見えず、舞台上左右に吊るされた巨大ディスプレイばかりで観ることになった。

さて『義経千本桜~忠信篇~』は、伏見稲荷鳥居前から道行初音旅、川連法眼館である。

伏見稲荷鳥居前……鷹之資の忠信、笑也の静御前。鷹之資の忠信がいい。父富十郎を彷彿とさせる身体のキレが舞台を締めた。鷹之資で忠信編全部を観てもいいと思わせるものを感じた。

道行初音旅……代わって團子の忠信、壱太郎の静御前、猿弥の逸見藤太。まずもって猿弥の安定感が際立つ。團子の忠信は丁寧に安全運転の舞台。まだまだこれからに期待したい。

川連法眼館……青虎の忠信が、台詞回し、所作ともに水準以下。狐忠信の狐ことばの間が悪く、時に間延びしたり甲高い声から言葉の切れる決めなどがまるで出来ておらず。所作にもキレがなく、ジャンプは重く膝を支点にして回るところもスピード感に欠けていた。さらに手にした鼓を喜びながら回すところで、コントロールが悪くて曲がってしまったり、3人替わりした忠信の中では一番の不出来である。

93歳の寿猿が川連法眼を務めた。立ち上がる時に少しよろけたりしたが達者に務めていた。中車の横川覚範実は能登守教経、笑三郎の義経。

なお、宙乗りは舞台下手花道あたりから、3階席上手へと斜め対角線にというものだった。大量の桜吹雪で、鳥屋下2階席のお客さんは桜に埋もれた。

終演は17時15分と4時間の舞台はさすがに疲れてしまった。劇場を出て少し歩いたところにうまい蕎麦の店があると聞いていたので、軽く酒を呑み、蕎麦を手繰って帰宅。

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歴話§妹背山婦女庭訓~第二部~国立劇場 [歌舞伎]

平日昼間に芝居見物できるのは定年退職者のいいところであるか。かくして国立劇場閉場最後の公演は、通し狂言『妹背山婦女庭訓』第二部であった。そして藤原鎌足を務める予定だった菊五郎は残念ながら休演で代役は時蔵。

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序幕布留の社頭の場
「道行恋苧環」竹本連中
二幕目三笠山御殿の場
大詰三笠山奥殿の場
同入鹿誅伐の場

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第一部『吉野川』での濃密だった舞台に比べると、全体にあっさりとコクに欠けた舞台ではなかったか。

序幕の道行……梅枝の求女、米吉の橘姫、菊之助のお三輪の3人が何とも薄い。年格好からすれば申し分のない座組なのに薄いのだ。女形である梅枝の求女がミスキャストと見えてしまい、個人的には居心地の悪い舞台だったのである。

二幕目、長丁場の『三笠山御殿の場』は、芝翫の鱶七がまずもって際立っていた。長いこと芝翫の舞台には不満を感じていたが、鱶七については文句のない存在感である。これが先々も長続きしてくれればいいのだが。

歌六の蘇我入鹿は無難な出来。時蔵の豆腐買おむら、菊之助のお三輪は一通りといったところ。というわけで『妹背山婦女庭訓』は当分観なくてもよさそうだ。

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……1966年に開場した隼町の国立劇場は閉場となる。

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得話§歌舞伎の苦手な演目 [歌舞伎]

思い立って歌舞伎を観始めたが、一昨年で20年が過ぎていた。歌舞伎観劇歴数十年という猛者ぞろいの中にあって、20年程度とは吹けば飛ぶよなレベルである。

そんな歌舞伎の主要演目については、ほぼ複数回を観ていると思うが、一回や二回を眼にしたくらいでは、まったく歯の立たない演目もあるし、すっと芝居に入り込める演目もあるが、そんな中で総じて苦手なのは多くの舞踊。

もちろん、道成寺であったり鏡獅子、土蜘、黒塚といった演目は、むしろ欠かすことができず、演目に入っていれば必ず出向くようにはしている。

だが、中でも“追い出し”と呼ばれる、舞踊のあれこれは掴みどころが見えにくく、踊りの巧拙がわからず、冗長にしか思えない。それなら席を立ってさっさと帰ればいいのにと思うが、そこはそれチケット代に入っているものは最後まで観てしまう……貧乏性なのだ。

芝居で苦手なものはと問われれば、まあ“子どもが死ぬとか殺される”類である。それこそ『伽羅先代萩』のように舞台上で刺し殺されてみたり、そうした場面はなくても、菅原伝授の『寺子屋』や『熊谷陣屋』のように、子どもの生首(作り物)が登場するあれやこれやである。

もちろん血なま臭かったりするわけではないが、そんな芝居に江戸時代の庶民は感じ入ること多々であったのだろうが、そうした世界とはすっかり無縁になった我々には、いささかな重荷と感じてしまう。

個人的には『天衣紛上野初花』の河内山宗俊であったり『梶原平三誉石切』の梶原平三のように、気持のいい終わり方をする芝居が好きだが、多くの人もそうではなかろうか。

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歴話§妹背山婦女庭訓~第一部~国立劇場 [歌舞伎]

10月をもって閉場する国立劇場“初代国立劇場さよなら特別公演”大劇場の最後の2か月『妹背山婦女庭訓』のまず第一部を観てきた。序幕『春日野小松原の場』から始まって、二幕目『太宰館花渡しの場』から、三幕目『吉野川の場』まで。

序幕20分、二幕目30分と軽いが、三幕目は1時間55分の長丁場である。

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江戸時代の人たちは不思議な舞台を創り上げたと改めて思う。飛鳥時代という太古の昔の出来事を江戸時代に置き換えて、言わば“現代劇”に仕立て上げてしまった。たとえて言うなら、スーツ姿で忠臣蔵を上演するようなものではないか。

序幕……梅枝の雛鳥と萬太郎の久我之助の初々しさが際立った。梅枝は相変わらず古風な顔立ちが映える。萬太郎はやや幼く見えてしまうところが損。新悟の采女。

二幕目……松緑の大判事、時蔵の定高登場して、舞台が引き締まる。松緑のこしらえが個人的には老い過ぎていると感じてしまうが、以前2回観たのが幸四郎(白鸚)と吉右衛門だ、もちろん同じこしらえなのだが。坂東亀蔵の入鹿。

……という前菜のような短い幕2つの後、吉野川の長丁場が始まる。

三幕目……吉野川を挟んでの雛鳥と久我之助のやり取りに続いて、両花道の上手から大判事、下手から定高が。ここからが長い長い。動きも少なく思い入れの芝居が延々と続く。途中、2度3度と舟を漕ぎそうになりかかったのは内緒。

時蔵の安定感が際立つが、それに対する松緑の大判事も、時折口跡が割れるいつもの癖が出はするが、それでも抑制に抑制を重ねた息詰まるような演技は、見るべきところ多であった。そして深い慟哭の中で幕。

終演は15時半過ぎ。新宿に戻りデパートでも冷やかした後に夕食でも食べて帰ろうかと考えていたが『吉野川』の2時間ですっかり疲れてしまい、デパ地下で食料を買い込んであっさりと帰宅したのだった。

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播話§秀山祭九月大歌舞伎昼の部~米吉~ [歌舞伎]

三連休最終日、秀山祭昼の部を観てきた。この日も世間はとんでもない残暑に見舞われ、表を歩くのが本当にしんどい状況だった。

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お目当ては一本目の『祇園祭礼信仰記-金閣寺』で、雪姫が米吉と児太郎のダブル配役だが、この日は米吉の雪姫。若手女形の中では群を抜いて“かわいい”役者である。ただ、雪姫は“人妻”である。そうすると、見た目があまりにも娘と見えてしまうが、それははまあしかたがない。それはそれとして、芝居はきっちり丁寧に務めている。

歌六が国崩しの悪役である松永大膳をふてぶてしく務め、舞台を締めた。それに相対する勘九郎の此下東吉は、個人的には見た目爽やかと感じたのは。松永大膳との対比を考えてのことかとも考えたが、東吉の策略からすれば、もう少しアクのようなものが表に出てもよかったかもしれない。

菊之助が雪姫の夫直信を……後ろ手に縛られて、舞台上手から出て花道へと引っ込むだけのお役。福助の慶寿院尼、歌昇の十河軍平。

『金閣寺』は、過去に何回か観ているが、1時間半の芝居の中にいくつもの要素が詰め込まれていて筋を掴めずにきたが、今回ようやくあれやこれやが頭に入ってきてくれた。

二本目『土蜘』は、幸四郎の僧智籌実は土蜘の精、又五郎の頼光などなど。 『金閣寺』を堪能したからか、いささか温い舞台に、昼食直後とあって眠くなることしばし。幸四郎は凄味のないままで、ひと通り。

最後に『二条城の清正』が、20分ほどの舞台。白鸚の清正、染五郎の秀頼。船の上で清正が“思い出話”のようなものを語る“だけ”の不思議な芝居。これまで、白鸚の変な口跡に頭を抱えて敬遠していたが、なぜかこの日は、きちんと台詞が聞えてきて、普通にやっていれば、きちんと聞こえるのだと思った。一か月前に81歳になったばかりの白鸚はさすがに衰えている。

最後に、1階ロビーに飾られていた吉右衛門三回忌の設えを貼っておく。

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悼話§市川猿翁さん(歌舞伎役者) [歌舞伎]

それまで、3階席上の幕見席で何回か観ていた歌舞伎をきちんと観ようと、1階2等席を張り込んで出かけたのが、三代目猿之助と玉三郎の顔合わせによる『義経千本桜』だった。1992年のことである。

白状するも何も、それまでも歌舞伎については何もわからずだったのだが、この時も同様で、ろくに筋も知らずに観て、記憶に残っているのは、猿之助の“けれん”や宙乗りといったものだけだった。

その数年後、再び猿之助で『當世流小栗判官』を観たが、これまたけれんを楽しんでおしまい。まだまだ歌舞伎を楽しむ余裕のようなものはなかったようだ。

その後、2003年の公演中に体調不良を訴え、パーキンソン症候群を発症して舞台から遠ざかったが、2012年に二代目市川猿翁を襲名し『楼門五三桐』で真柴久吉を務めたのが最後の舞台となった。

記憶に残っているのは、1992年のバイエルン国立歌劇場来日公演で、猿翁が演出したリヒャルト・シュトラウス『影のない女』の新演出上演。これは、視覚的に非常にわかりやすい舞台で、オペラのメルヘン的なところを巧みに表現していたのである。

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まさに“稀代の風雲児”と言うことができただろう。享年八十三

合掌

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播話§秀山祭九月大歌舞伎夜の部~車引~ [歌舞伎]

暑さが戻った日曜日の午後、秀山祭九月大歌舞伎夜の部を観てきた。吉右衛門没して、早いもので三回忌である。

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一本目の菅原伝授手習鑑『車引』が秀逸な出来。又五郎の松王丸、歌昇の梅王丸、種之助の桜丸と、一家親子兄弟の顔合わせ。

又五郎以下、小柄な一家だが、小柄を感じさせない歌昇の梅王丸が大きい。所作、台詞の荒々しさ、荒事がみちり詰まっていたようだ。又五郎の松王は重しとして無難な印象。種之助の桜丸は少々引っ込み気味と感じられたが、もう一歩前に出るつもりでいればいいのに。歌六の時平、鷹之資の杉王丸、吉二郎の金棒引藤内。

二本目に菊之助、丑之助親子で『連獅子』が……このところ、勘九郎&勘太郎親子あたりから、松緑&左近親子などなど『連獅子』の連打で、またかと思いつつの舞台。ざっと調べてみるとどうやら“最年少”9歳の子獅子で、同じ9歳で勘太郎が務めたが、公演中に10歳となった。ゆえに10歳までまだ2か月の丑之助が最年少となった。

菊之助の親獅子は、彼らしく丁寧な踊りだったが、親獅子という存在は、切れ切れにしか眼がいかず、客の焦点が子獅子に向くのはしかたがない。丑之助はさすがに小柄と感じられ、年齢と相まって“安全運転”で務めていた。毛振りの回数も少なめで無理をしない安全運転。間狂言は種之助の僧蓮念と彦三郎の僧遍念。

最後三本目に長谷川伸の『一本刀土俵入』が、幸四郎の駒形茂兵衛である。これまで観る機会がないままここまで来てしまった。

茂兵衛がお蔦(雀右衛門)に、四股名の由来を語るところで「上州の勢多郡は上広瀬川の駒形生まれ」と出てきた瞬間“ああ、グンマー!”生まれだったのかと納得。赤城山麓、両毛線沿いの関東平野北端の光景が、一気に眼前に広がってきたのである。

……個人的事情はさておき、幸四郎の茂兵衛は“ニン”ではないだろう。前半の下っ端相撲取りでは、色々と工夫の跡が見られたが、相撲取りの役にしては線が細く、後半の渡世人で落ち着きを取り戻したけれど、どこか居心地の悪さを感じたのだ。

そして雀右衛門のお蔦の性格付けが今一つ曖昧で、有り金や簪と一切合財を恵むという心情まで汲み取ることはできず。二階から三味線片手に歌ったのはお蔦の生まれ故郷の越中おわら節と聞こえたのだが……。

そういえばしきりに“横綱の土俵入り”みたいな言い方をしていたが、当時は大関が番付最高位で、横綱が番付に登場したのは1890年のことで、そのあたりはちょっと気にはなってしまった。

終演は20時10分過ぎ。電車の接続がよく、木挽町からちょうど一時間で最寄駅到着。帰宅して、ラグビワールドカップ・フランス大会の日本対チリ戦の後半を少しだけ見ることができた。42対12で初戦勝利である。

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酔話§八月納涼歌舞伎第一、二部~勘九郎~ [歌舞伎]

東京の最高気温32.3度の真夏日。立秋を過ぎてもまだまだ暑い中を歌舞伎座八月納涼歌舞伎千秋楽の日に第一部と第二部を観てきた。

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第一部は次郎長外伝『裸道中』と『大江山酒呑童子』の二本立。まずもって勘九郎の酒呑童子が抜群のすばらしさ。萩原雪夫が十七代目勘三郎のために作り、中村屋の芸として孫の勘九郎まで引き継がれている。

前ジテの童子では、酒を呑んで狂ったように踊る様子が、圧倒的に見事……稚気と踊りの凄味に見惚れるばかり。今さらながら、歌舞伎界随一の踊り手であるのは言うまでもないが、勘九郎の踊りの中に古臭さのようなものは微塵もなく、シャープな所作の中に現代性が横溢しているように感じられるのだ。歌舞伎の舞踊を観ていてそれが感じられるのは勘九郎ただ一人なのだ。

第一部一本目『裸道中』は、かつて次郎長の世話になった一文無しの博打打ちが、自分の家で次郎長一家をもてなそうと悪戦苦闘をする……新国劇から歌舞伎舞台化された喜劇仕立て。獅童と七之助の貧乏夫婦の絡み、とりわけ獅童の弾けっぷりの居直りがおもしろく、彌十郎の次郎長が大親分らしい貫禄を見せていた。

続く第二部は、超苦手な真山青果作『新門辰五郎』は、幕末の京都が舞台。だが、これが難物。徳川将軍上洛の供として同道した新門辰五郎と会津方との確執が描かれているのだが、そこにあれやこれやと要素が盛られているので、肝腎の主筋がまったく見えない。維新の略史を知っている程度では手も足も出ないだろう。登場人物の中では獅童の山井実久なる存在がいかなるものか何とも不可解な役。およそ2時間の長丁場はきついきつい。

幸四郎の辰五郎、勘九郎の会津小鉄とも、存在感を示していたが、主要な役者が時として群衆の中に埋もれてしまい、それも芝居全体をわからないものにしていた……まあ、もう一度観るとは思えない。

最後に15分足らずの『団子売り』が、巳之助と児太郎の夫婦でさらりと軽く踊られ、真山青果の台詞劇の長さをクールダウンしてくれた。

終演は17時前で、どこかで夕食でもと予定していたが、さすがに二部通しで観たので疲れてしまい、デパ地下で惣菜あれこれを買ってあっさりと帰宅。

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努話§通し狂言の上演について [歌舞伎]

お堀端は隼町に建つ国立劇場が、建て替えのため10月をもって閉場となる。

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大劇場でさよなら公演として9月、10月に『妹背山婦女庭訓』の通し上演が行われる……いわば“はなむけ”とも言えるかという、上演ではないか。

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歌舞伎座の本興行で、なかなか大物の通し上演を出してくれない。個人的に記憶にあるのは、仮名手本忠臣蔵を何回か、菅原伝授手習鑑を2回くらい、そして義経千本桜といったあたりだが、このあたりもここ数年音沙汰がないようだ。

商業演劇でもあるし、作品の伝承という責務も追っている歌舞伎興行において、通し狂言が行われない、あるいは行われにくいというのは、自らの首を絞めているように感じる。

既に、大看板は菊五郎、仁左衛門、白鸚の3人、立女形の玉三郎は歌舞伎座の舞台に立たないと宣言した。

こうした状況の下で大きな通し狂言を出すことが難しいのは理解できないわけではないが、歌舞伎役者たちによる芸の伝承というシステムが活かされていないように思われてならない。

このままでいくと、歌舞伎座で大掛かりな通し狂言が実現することなく、安易な見取り狂言ばかり見せられ続けるような気がする。

追記:そして新しい国立劇場の柿落としは2029年……生きているだろうか。

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遊話§アニメにもゲームにも [歌舞伎]

ここまでまったく縁のないものに、アニメ、コンピューターゲーム、テレビゲームがある。

どれだけ世間の評判になっても『風の谷のナウシカ』も『となりのトトロ』も観たことはないし、ゲームだって『スーパーマリオ』も『ファイナルファンタジー』もどんなゲームなのだか、画面の類もほとんど見たことはない。

だから普通の歌舞伎好きではあれど、新作歌舞伎として『ファイナルファンタジーX』や『風の谷のナウシカ』が上演されても、観に行くことはなかった。

理由は単純で、さすがに縁のない世界の何かを歌舞伎化されても唯々諾々と観に行くことはないのだ。あるいはもちろん、観たら観たで感銘を受けるとは思うけれど、感銘の受け度合いがアニメ好きやゲーム好きとは別の次元ではないだろうか。

新作歌舞伎を観ないわけではない。野田秀樹のいくつかの上演も、蜷川幸雄が演出したシェイクスピアものも観た。ただどうも、アニメやゲームを歌舞伎化した試みについては、そこまでして観ようとは思わないだけである。

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週話§土曜枯寂~歌舞伎座の常設展示~ [歌舞伎]

歌舞伎座の各階ロビー、特に2階の大間付近には、数多くの絵画や松竹創立者である大谷竹次郎、白井松次郎、九世團十郎、五世菊五郎、初代左團次といった名優の胸像が飾られている。

休憩時にそれらを眺めるだけでも、けっこうな目の保養になってくれるが、そんな中にあって、3階西側の“休憩コーナー”がミニギャラリーに仕立てられて、錚々たる画家や名優の小さな作品が額装されて並んでいて、これがなかなか楽しい。

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特に目を惹かれるのが上の額で、見れば横山大観、下村観山、小林古径、川合玉堂、松林桂月、高村光雲といった面々が、興に任せて描いたと思われる“板絵”がずらりと並んでいて、これはもう壮観である。

歌舞伎座が単なる入れ物の芝居小屋ではなく、どれほどの歴史を積み重ねてきたかを知る一端が、こうした“常設展示”なのだ。

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闘話§七月大歌舞伎昼の部~宙乗り中車~ [歌舞伎]

七月大歌舞伎昼の部を観てきた。三代猿之助四十八撰の内『菊宴月白浪~忠臣蔵後日譚~』を、市川中車が主役の定九郎を務めた。原作は鶴屋南北。

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早野勘平に撃ち殺されたはずの斧定九郎が、浪士討ち入りの後も生き残って御家再興のために奔走するという“義士外伝もの”なのだが、ただの外伝ではなく、あちらこちらに忠臣蔵の場面や台詞が散りばめられてのパロディー劇として楽しむものである……仮名手本忠臣蔵だけでなく、伽羅先代萩から摂州合邦辻、はては河内山の台詞まで使われていて、これはもうある程度は歌舞伎観劇経験がないと理解できない“応用編”であると思ったのだ。

もしもこれを20年前に観ていたら、訳若布だったことは間違いなく、よくも20年の間を頑張って観続けたものだと、我が身を褒めたい。



さて、塩谷(塩冶)家が高野(高)家の家宝を巡って芝居は進むのだが、主要な役を若手が務めているがゆえかどうか芝居が薄味に進んで、南北が目指したパロディーが活かされているとは思えなかった。筋立てもあっちへ飛んだりこっちへ来たりと、もっと本編に筋が通っているように作り込んでくれればよかったのに。

獅子奮迅の舞台を見せたのは主役の中車。大げさに言えば澤瀉屋存亡の危機にある中、歌舞伎役者として11年の意地を見たような気がする。前回も加古川を務めた笑也の存在感が際立っていた。猿弥の仏権兵衛、壱太郎の金笄のおかる。定九郎の父九郎兵衛を『半沢直樹』などに出演していた浅野和之が務めていたが、わざわざ新劇役者を使う必然があったとは思えず。

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上手と下手の天井にロープが渡され、下手から大凧の宙乗りで上がり、下手から最初は大凧に乗っていたのが、途中で落ちるところを傘を広げて着地。これはダイナミックな見ものであった。

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石話§六月大歌舞伎昼の部~壱太郎のおとく~ [歌舞伎]

不思議な吃又を観たと感じた。今まで何度も観てきたのと違う“猿之助型”と言われるバージョンである。

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幕が開いて土佐将監閑居の場。通常なら百姓たちが虎を追い詰めるところ、いきなり又平とおとく夫婦が花道から登場。ひとしきり土佐の名前を欲しいという件の後、百姓たちと虎が出てくるというもの。

そして先々も、通常バージョンとはずいぶん異なる舞台が展開していった。

まず中車の又平をどう捉えたらいいのか、自分の中で整理がつかない部分があちこちにあって……それは他の役者が又平を務める時もそうなのだが、抑え目な演技をする役者と、オーバーアクション気味に演じる役者といるが、中車は過剰と思えるほどの又平を務めたが、やり過ぎと考えるか、それとも又平の心情を彼なりに理解した上での演技となったのか……。

壱太郎のおとくが上々の出来。又平に寄り添って、中車への好サポートと言えるだろう。時折、夫婦して大仰になるところもないではなかったが、それは許容の範囲である。大頭の舞では壱太郎のおとくが自ら鼓を打っていたが役者であれだけ打てればたいしたものだ。

そして何といっても歌六の土佐将監がしっかりしていて、舞台の重しとなって存在感を示していた。そして通常は北の方が出るところを、猿之助型では下女が登場……今年93歳となったばかりの寿猿が達者に務めたのは何より。

団子の修理助は遠慮がちというか、やや物足りず。むしろ、歌昇の雅楽助がきっぱりとしたらしい出来。義太夫は葵太夫が出ずっぱりで語ってくれた。

二幕目『浮世又平住家』は、銀杏の前を追ってきた四天王が大津絵から抜け出した藤娘や座頭と立ち回りを繰り広げるという猿之助型の趣向。猿弥の座頭、笑也の藤娘、新悟の鯰、青虎の奴。とはいえ中身は薄い。

傾城反魂香の後は『児雷也』と『扇獅子』……わざわざ観るほどのことはなく“追い出され”たほうがよかったか。

終演後は新宿に戻って久々に天麩羅でビールと日本酒を楽しんで帰宅した。

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鮓話§六月大歌舞伎夜の部~仁左衛門の権太~ [歌舞伎]

日曜日、夜の部を観てきた。舞台一つ一つが“一世一代”になっていくであろう仁左衛門である。

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そして、端整そのものの権太を観た。何か特別なことをしているわけでもない。だが、当然ながら計算し尽された動きの中で、権太がそこにいたのだ。

来年には80歳となる仁左衛門だが、そんな年齢など微塵も感じさせない、ちんぴら然とした小悪党で若々しい権太を観るのは、間違いなく今回が最後となるだろう。

そんな感傷も手伝ってか、最初から最後まで丁寧に見届けた気がした。意外にも権太の舞台を観るのは数回でしかなく、最初は平成中村座での勘三郎。そして仁左衛門で3回とそんなもので、観る機会が少ない。

そして脇を固める役者一人一人が、仁左衛門の権太を引き立てるべく収斂していったようだ。とりわけ歌六の父弥左衛門、梅花の母お米、さらに吉弥の妻小せん、壱太郎のお里、そして錦之助の維盛などなど。こうしたアンサンブルなかりせばいかな仁左衛門の権太が見事であっても、彼だけでは舞台が成り立たないとわかる。孝太郎の若葉の内侍、千之助の主馬小金吾。

だがそれにしても長い……『木の実・小金吾討死』から休憩後の『すし屋』は、1時間35分。役者も大変だが、観るほうも集中を強いられた。16時開演でここまでで19時近く。休憩30分からの『川連法眼館』まで観れば、終演は20時35分という長丁場。

さすがに権太で一杯一杯となった老夫婦は、申し訳ないと思いながら早退をさせてもらったのだ。帰宅したのは20時半前……歌舞伎座はまだ芝居の最中だった。

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週話§土曜枯寂~四代目市川猿之助・・・・・・~ [歌舞伎]

いったい何が起きたのか……今だに頭の中が混乱している。

確実なことは、もはや四代目市川猿之助が舞台に立つことは二度とないということとしか考えられない。あの……黒塚も、狐忠信もこの先に観ることは叶わないだろう。

前名の亀治郎から数多くの舞台を観てきた。眼から鼻へ抜ける……才気煥発そのもので、客席を沸かせてきた。二十代後半から彼の舞台を観ているが、常にわくわくさせられてきた。同じ世代の中では抜群の集客力を誇っていたはずだし、間違いなく次の大看板を背負う中心に位置していたはずだ。

いずれ詳しい事情が判明するかもしれないが、現時点で愚にもつかない憶測を広げることだけは避けておく。

そして舞台から久しく遠ざかっていた、猿之助の父である段四郎も旅立ってしまったのである。合掌

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