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愉話§一日一句~毎度おなじみ~ [俳句]

季語は・・・立夏

午後は雨 ちり紙交換 来る立夏

【去年の今日】別話§終活のおはなし~インターネットは~
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却話§記憶の輪郭 [私事]

過去の事は克明に覚えているのに、直近のことは見事に忘れてしまうような年齢になっている。

認知症も間近ということなのかどうかはわからないが、特に直近の記憶に関して、曖昧だったりするわけで、そのあたりの記憶の把握がどのようなものなのか、記憶の像の輪郭がぼやけてきているということか。

“そのこと”をしようとする時は、何をするべきかとか段取りであるとか、概要とでもいったものは頭の中にあらかじめインプットされている。記憶の輪郭が設定されていたのは過去の話で、この年齢まで来たら、そうした輪郭の設定が崩れてしまっているように感じてしまった。

この間も、買い物に出かけるという主目的が頭の中で大きな比率を占めていたからか、買い物メモなどなどを家に忘れてしまい、途中で取りに戻るという大失態を演じたのである。

出かける前にあれこれ忘れないような工夫をしているのだが、勝手に省略しては失敗してしまうのだ。

現状の課題としては、そうした途中の過程をすっ飛ばしてしまわないよう、少なくとも出かける時は、何か過不足がないか、ドアを開ける前にもう一度あわてずに立ち止まることが必要と思われるのだが。

《私事のトピックス一覧》
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視話§ボールの行方ばかり [スポーツ]

ラグビーやサッカー、野球のような球技を現場で観ていて気がつくことは、ボールの行方を追いがちということである。

プロ野球の試合を観たのは10回足らずのものだが、座った席はほとんど上層の俯瞰できるような位置だったが、結局は打球の行方やピッチャーの投球、そして野手のボール処理ばかり見ているのだ。

それが“肝”であることは十分にわかっているのだが、他の付け合わせを食べずにメインのステーキばかり食べているような印象を抱いてしまう。

例えば、打球の処理をしている時に他の野手がどのようなフォーメーションをしているのか、ランナーをどう牽制しているのかとか、そういったプレーはほとんど見ていない。

一度だけだが、二塁打を打ったシーンで、打者走者がどのように走っていくのかを見届けたことがあって、特に一塁ベースをどのように回っていくのかその様子がよくわかり、ボールばかり見ていてはだめだと思ったのだ。

同じことはサッカーやラグビーもそうで、近場でパス回しているのをよそにまったく別のエリアでダッシュしていくプレイヤーがいるのを見て、何がしたいのか、その意図を考えることがあった。

試合の現場にいくたびに、ボールに直接関与していないプレイヤーが何をしているのか見てやろうと考えるのだが、そうした動きを理解できているわけではないので、結局はボールを追いかける観戦に戻ってしまうのである。

《スポーツのトピックス一覧》
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