顧話§今日の歴史~国鉄戦後五大事故~ [鉄道]
1962年5月3日、国鉄三河島事故。
1950年代に起きた桜木町事故、洞爺丸事故、紫雲丸事故と、1960年代に起きた三河島事故、鶴見事故を国鉄戦後五大事故と読んでいる。5つの事故とも死者百人を超えている……洞爺丸事故は死者1155人を数える。
50年代の事故の記憶などはないが、60年代の三河島、鶴見と二つの事故は、小学校低学年の時に起きたものだが、はっきりと記憶している。ニュースの映像も、列車が折り重なった生々しいもので、子ども心に“なぜ、こんな大事故”が、それも立て続けに起きてしまったのだろうかと思ったのだ。
ATC(自動列車制御装置)が設備された東海道新幹線が開通したのは、2年半後の1964年10月。それから2年後の1966年にATS(自動列車停止装置)が国鉄全線に設備された
《歴史のトピックス一覧》
1950年代に起きた桜木町事故、洞爺丸事故、紫雲丸事故と、1960年代に起きた三河島事故、鶴見事故を国鉄戦後五大事故と読んでいる。5つの事故とも死者百人を超えている……洞爺丸事故は死者1155人を数える。
50年代の事故の記憶などはないが、60年代の三河島、鶴見と二つの事故は、小学校低学年の時に起きたものだが、はっきりと記憶している。ニュースの映像も、列車が折り重なった生々しいもので、子ども心に“なぜ、こんな大事故”が、それも立て続けに起きてしまったのだろうかと思ったのだ。
ATC(自動列車制御装置)が設備された東海道新幹線が開通したのは、2年半後の1964年10月。それから2年後の1966年にATS(自動列車停止装置)が国鉄全線に設備された
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酪話§チーズケーキ・・・・・・?~粉と卵~ [スイーツ]
チーズケーキの存在を知ったのは大学1年か2年の頃だったかと記憶している。実際に初めて口にしたのは2年の時だった。
存在を知ったソース元は、おそらく雑誌か何かだったのだろうとは思うが、半世紀近く前に、グルメ雑誌の類などあるはずもなく、ファッション誌あたりで見つけたのではなかろうかと想像。
大学から1駅隣に、老舗らしきケーキ屋が喫茶店も併設しているのを知っていそいそと出かけたのだ。
そうしてチーズケーキを注文。出てきた“ブツ”は、表面黄色の焼きチーズケーキ……一口食べてみれば、どうも自分が想像していた味とは違っていて乳製品の酸味が奇妙に強く感じられ、ちょっとがっかりした記憶が大きい。
どうやら、焼きチーズケーキはそんな感じだと何となく理解できたのだが、どうも腑に落ちない。そうこうしているうち、ふとしたことで代々木公園の裏、富ヶ谷にある“粉と卵”という店に行き着いた。そこで注文したのが、レアチーズケーキである。
真っ白い表面を見て“おおっ”と思い、食べてみればチーズ風味に柑橘系の味が混じっていた。チーズケーキ本体の中にレモンカスタードらしきものが忍ばされていたのだ。これは瞬時に気に入ってしまった。
場所柄と経済的事情もあって頻繁に行けるはずもなく、せいぜい年に一度か二度出向いては、タルトやケーキを必ず!2個注文したのだが、そのうちの1個は必ずレアチーズケーキと決めていたのだ。粉と卵の店舗は既にない。
《私事のトピックス一覧》
存在を知ったソース元は、おそらく雑誌か何かだったのだろうとは思うが、半世紀近く前に、グルメ雑誌の類などあるはずもなく、ファッション誌あたりで見つけたのではなかろうかと想像。
大学から1駅隣に、老舗らしきケーキ屋が喫茶店も併設しているのを知っていそいそと出かけたのだ。
そうしてチーズケーキを注文。出てきた“ブツ”は、表面黄色の焼きチーズケーキ……一口食べてみれば、どうも自分が想像していた味とは違っていて乳製品の酸味が奇妙に強く感じられ、ちょっとがっかりした記憶が大きい。
どうやら、焼きチーズケーキはそんな感じだと何となく理解できたのだが、どうも腑に落ちない。そうこうしているうち、ふとしたことで代々木公園の裏、富ヶ谷にある“粉と卵”という店に行き着いた。そこで注文したのが、レアチーズケーキである。
真っ白い表面を見て“おおっ”と思い、食べてみればチーズ風味に柑橘系の味が混じっていた。チーズケーキ本体の中にレモンカスタードらしきものが忍ばされていたのだ。これは瞬時に気に入ってしまった。
場所柄と経済的事情もあって頻繁に行けるはずもなく、せいぜい年に一度か二度出向いては、タルトやケーキを必ず!2個注文したのだが、そのうちの1個は必ずレアチーズケーキと決めていたのだ。粉と卵の店舗は既にない。
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