疲話§ゴーアラウンドを見つけた [飛行機]
けっこうな強風が吹いていた3月2日の午後、何気なくフライトレーダーを眺めていたら、下のような航跡で羽田に着陸する飛行機に気がついた。
南紀白浜からの日本航空機で、最初はB滑走路に着陸する予定が、おそらく横風に邪魔されたようで、着陸をやり直して上昇。川崎上空から東京湾へと左旋回し、千葉県を経て東京上空の“新ルート”からA滑走路へと再着陸を試みたのだ。
機内で到着を待っていた乗客にしてみたら「えー、やり直し?」という心境だったことは当然のことで、着陸まで再び長い時間を過ごしたことになる。
この飛行機は一度の“ゴーアラウンド”で着陸できたが、コンディションによっては二度が三度と繰り返すこともあるので、機内の徒労感は大きなものがあるだろう。
これまで数十回の離着陸を経験しているが、幸いにも着陸をやり直したことは一度もない。ただし着陸直後、機内に異臭が漂って滑走路上で緊急停止、消防車を引き連れてフィンガーまで何事もなくたどり着いたことはあった。
2009年、ミュンヘン国際空港でのハプニングである。
《天気のトピックス一覧》
南紀白浜からの日本航空機で、最初はB滑走路に着陸する予定が、おそらく横風に邪魔されたようで、着陸をやり直して上昇。川崎上空から東京湾へと左旋回し、千葉県を経て東京上空の“新ルート”からA滑走路へと再着陸を試みたのだ。
機内で到着を待っていた乗客にしてみたら「えー、やり直し?」という心境だったことは当然のことで、着陸まで再び長い時間を過ごしたことになる。
この飛行機は一度の“ゴーアラウンド”で着陸できたが、コンディションによっては二度が三度と繰り返すこともあるので、機内の徒労感は大きなものがあるだろう。
これまで数十回の離着陸を経験しているが、幸いにも着陸をやり直したことは一度もない。ただし着陸直後、機内に異臭が漂って滑走路上で緊急停止、消防車を引き連れてフィンガーまで何事もなくたどり着いたことはあった。
2009年、ミュンヘン国際空港でのハプニングである。
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悔話§想い出の歌舞伎俳優~歌舞伎座三階~ [歌舞伎]
歌舞伎座の三階席下手側通路には“想い出の歌舞伎俳優”と謳われて、明治期に活躍した九代目團十郎、五代目菊五郎といった面々に始まる肖像写真が並んでいる。
久々にじっくりと眺めていたら、一番最後に去年11月に逝去した四代目坂田藤十郎の写真がかかっていた。
藤十郎の上には十代目坂東三津五郎があって、彼が死んだのは2015年のことだったから、5年空いていたことになる。
それにしてもと思うのは、十八代目中村勘三郎から十二代目市川團十郎、そして三津五郎と、働き盛りの役者が立て続けに歌舞伎界からいなくなってしまったことで、彼らの空白は、どうしても埋めようがないとしか思えない。
2001年に逝去した六代目歌右衛門から四代目雀右衛門までの面々は、およそ天寿を全うしての死だったが、五十代から六十代にかけて彼ら三人の急逝は返す返すも取り返しのつかないことなのだ。
そしてふと、エネルギッシュな役者人生を送った勘三郎が、もし仮に生きていたとしたら、このコロナ禍の窮屈な状況の中で大きなストレスを抱えることになっていたかもしれぬと考えてしまった。
《歌舞伎のトピックス一覧》
久々にじっくりと眺めていたら、一番最後に去年11月に逝去した四代目坂田藤十郎の写真がかかっていた。
藤十郎の上には十代目坂東三津五郎があって、彼が死んだのは2015年のことだったから、5年空いていたことになる。
それにしてもと思うのは、十八代目中村勘三郎から十二代目市川團十郎、そして三津五郎と、働き盛りの役者が立て続けに歌舞伎界からいなくなってしまったことで、彼らの空白は、どうしても埋めようがないとしか思えない。
2001年に逝去した六代目歌右衛門から四代目雀右衛門までの面々は、およそ天寿を全うしての死だったが、五十代から六十代にかけて彼ら三人の急逝は返す返すも取り返しのつかないことなのだ。
そしてふと、エネルギッシュな役者人生を送った勘三郎が、もし仮に生きていたとしたら、このコロナ禍の窮屈な状況の中で大きなストレスを抱えることになっていたかもしれぬと考えてしまった。
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