勉話§卒業した高校が合併するのは・・・・・・ [教育]
明日から、我が母校が共学校となる。いや、正確に言うのであれば、23年前から“共学の状態”にはあったのだ。
ただ、その共学というのが理数科専攻に限られていて、普通科までを含めた全校が共学になるのが明日からということなのである。
1945年、日本が敗戦国となっところに、占領軍の教育方針が示された中に、公立高校の共学化なるものがあったが、おおよそ西日本の高校では共学化が推進されたのに対し、東日本の共学化は遅々として進まずなのだった。
我が出身県もその一つで、どうやら占領軍の方針に頑強に抗った節がある。かくして我が高校生活は男子校の中で味気ない3年間を過ごす羽目になったのだ。
そうして、21世紀も20年が過ぎ、少子化という現実の中で、ようよう共学化が実現することになった。在りし日、共学でないなら“合同ホームルーム”をしようと、我が校から女子高に、あるいは女子高のほうから我が校に働きかけがあって、行われることがあった……あがいていたのである。
色々な考え方はあるとは思うが、少なくとも公立高校については共学するべきだと、ずうっと思っていて、何というか、ようやく遅まきながら我が高校が共学化をしたことは寿ぎたい。よかったよかった……1970年代に共学化していればさらによかったのだが!
《私事のトピックス一覧》
ただ、その共学というのが理数科専攻に限られていて、普通科までを含めた全校が共学になるのが明日からということなのである。
1945年、日本が敗戦国となっところに、占領軍の教育方針が示された中に、公立高校の共学化なるものがあったが、おおよそ西日本の高校では共学化が推進されたのに対し、東日本の共学化は遅々として進まずなのだった。
我が出身県もその一つで、どうやら占領軍の方針に頑強に抗った節がある。かくして我が高校生活は男子校の中で味気ない3年間を過ごす羽目になったのだ。
そうして、21世紀も20年が過ぎ、少子化という現実の中で、ようよう共学化が実現することになった。在りし日、共学でないなら“合同ホームルーム”をしようと、我が校から女子高に、あるいは女子高のほうから我が校に働きかけがあって、行われることがあった……あがいていたのである。
色々な考え方はあるとは思うが、少なくとも公立高校については共学するべきだと、ずうっと思っていて、何というか、ようやく遅まきながら我が高校が共学化をしたことは寿ぎたい。よかったよかった……1970年代に共学化していればさらによかったのだが!
《私事のトピックス一覧》
春話§弥生三月終わります [日常]
我が家周辺の桜も終わり、2021年も3か月が過ぎ去ろうとしている。
明日からは4月、新年度が始まる。ところで、日本の年度は4月に始まって3月締めなのだろうか……後で調べておこう。
そして当然ながら、学校暦も4月から3月と定まっているのだが、毎度のことではあるが、この冬もまた雪によって受験生が大学入試に行けなかったりという事態が起きてしまった。
これはもう年中行事として諦めるしかないということか。いや、いつもながら入試を薫風爽やかな5月に実施してという変更はできないものかと思う。入試が気象環境に影響されないというのであれば5月はうってつけだろう。
そうなると9月頃の秋入学というのも視野に入ってくる。多くのクリアするべき課題はあるだろうが、先々を考えるなら、9月から学校暦をスタートさせるほうが合理的であると言えないだろうか。
5月入試、9月入学については、もう長いこと言い続けてきていることで、去年、コロナウイルス流行にあわてた文科省あたりが9月入学を言及したが単なる泥縄が露呈して、あっという間に立ち消えになってしまったが、当然のことで、もっと腰を据えて考えなくてはならないことなのである。
ともあれ明日から卯月四月なのだ。
《日常のトピックス一覧》
明日からは4月、新年度が始まる。ところで、日本の年度は4月に始まって3月締めなのだろうか……後で調べておこう。
そして当然ながら、学校暦も4月から3月と定まっているのだが、毎度のことではあるが、この冬もまた雪によって受験生が大学入試に行けなかったりという事態が起きてしまった。
これはもう年中行事として諦めるしかないということか。いや、いつもながら入試を薫風爽やかな5月に実施してという変更はできないものかと思う。入試が気象環境に影響されないというのであれば5月はうってつけだろう。
そうなると9月頃の秋入学というのも視野に入ってくる。多くのクリアするべき課題はあるだろうが、先々を考えるなら、9月から学校暦をスタートさせるほうが合理的であると言えないだろうか。
5月入試、9月入学については、もう長いこと言い続けてきていることで、去年、コロナウイルス流行にあわてた文科省あたりが9月入学を言及したが単なる泥縄が露呈して、あっという間に立ち消えになってしまったが、当然のことで、もっと腰を据えて考えなくてはならないことなのである。
ともあれ明日から卯月四月なのだ。
《日常のトピックス一覧》
時話§雷乃発声~七十二候~春分 [七十二候]
春分の末候“雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)”である。
明日で3月も終わり、4月になる前に桜は散り始めてしまう。さすがにこれは調子が狂うではないか。
東京よりも桜の開花が数日遅い我が実家の田舎町は、ちょうど入学式の頃が桜のタイミングで、小学校の入学式はほぼ満開の桜の下なのだった。
中学や高校の時でも似たようなものだったはずだが、まったく記憶がない。小学校の時は親が写真を撮ってくれていたからそれで様子は知れたが、それ以降は写真の“し”の字もなく、味気ないといえば味気ない4月の初めを過ごしていたようだ。
それにしても、桜の散った4月の入学式などとは何とも残念である。
《七十二候のトピックス一覧》
明日で3月も終わり、4月になる前に桜は散り始めてしまう。さすがにこれは調子が狂うではないか。
東京よりも桜の開花が数日遅い我が実家の田舎町は、ちょうど入学式の頃が桜のタイミングで、小学校の入学式はほぼ満開の桜の下なのだった。
中学や高校の時でも似たようなものだったはずだが、まったく記憶がない。小学校の時は親が写真を撮ってくれていたからそれで様子は知れたが、それ以降は写真の“し”の字もなく、味気ないといえば味気ない4月の初めを過ごしていたようだ。
それにしても、桜の散った4月の入学式などとは何とも残念である。
《七十二候のトピックス一覧》
睡話§トラベルシーツが届く~尾瀬行準備~ [尾瀬]
ゴールデンウィークの頃から尾瀬のシーズンが始まる。
小屋開けのスケジュールはまちまちだが、去年休業を余儀なくされた山小屋も今年は勢揃いするはずだ。去年は尾瀬行を断念したけれど、今年は最低でも一回は上がっておきたい。
そうして山小屋のホームページを開けてみて“おや”と思ったのは、小屋によってはインナーシーツやシュラフの持参を求めているものがあったのだ。
コロナ禍の時勢ゆえ、山小屋備え付けの布団に直接寝るのではなく、そうしたワンクッションをおいてという対策であろうと思われる。というわけで、まだ予定も経たないうちに、インナーシーツを調達することにした。
値段はピンキリでどうしようかと考えたが、睡眠は大切であるによって、選んだのはトラベルシーツなる品名で中綿にシルクを使っているというもの。
サイズは220×90cmで重量160gと、ゆったり軽量なので、荷物にならないのはありがたい。これが快眠を約束してくれるのだった尚可なのだが。
それよりも、肝腎の尾瀬行が実現するものかどうか……先々、コロナの動向から眼が離せない。
《尾瀬のトピックス一覧》
小屋開けのスケジュールはまちまちだが、去年休業を余儀なくされた山小屋も今年は勢揃いするはずだ。去年は尾瀬行を断念したけれど、今年は最低でも一回は上がっておきたい。
そうして山小屋のホームページを開けてみて“おや”と思ったのは、小屋によってはインナーシーツやシュラフの持参を求めているものがあったのだ。
コロナ禍の時勢ゆえ、山小屋備え付けの布団に直接寝るのではなく、そうしたワンクッションをおいてという対策であろうと思われる。というわけで、まだ予定も経たないうちに、インナーシーツを調達することにした。
値段はピンキリでどうしようかと考えたが、睡眠は大切であるによって、選んだのはトラベルシーツなる品名で中綿にシルクを使っているというもの。
サイズは220×90cmで重量160gと、ゆったり軽量なので、荷物にならないのはありがたい。これが快眠を約束してくれるのだった尚可なのだが。
それよりも、肝腎の尾瀬行が実現するものかどうか……先々、コロナの動向から眼が離せない。
《尾瀬のトピックス一覧》
顧話§今日の歴史~かつては銅鉱を運搬~ [鉄道]
1989年3月29日、JR足尾線がわたらせ渓谷鐵道に転換。
生まれ育った町を起点に、足尾銅山があった栃木県間藤との間を往復していたのが国鉄時代の足尾線だった。
国鉄からJRに経営が変わって2年ほどで、第三セクター鉄道として再出発を始め、トロッコ列車を導入したり経営努力に努めているようだが、どれほど効果が出ているものか。
かつての足尾線時代でも何人かの同級生が通学に利用していて、中には足尾町を6時過ぎに乗り込み、一時間以上をかけて通っていた猛者もいたのだ。
渡良瀬川が穿った狭い渓谷沿いに線路を走らせている足尾線は、時に大雨による土砂崩れが起きて不通になることもあって難儀したこともあった。
《歴史のトピックス一覧》
生まれ育った町を起点に、足尾銅山があった栃木県間藤との間を往復していたのが国鉄時代の足尾線だった。
国鉄からJRに経営が変わって2年ほどで、第三セクター鉄道として再出発を始め、トロッコ列車を導入したり経営努力に努めているようだが、どれほど効果が出ているものか。
かつての足尾線時代でも何人かの同級生が通学に利用していて、中には足尾町を6時過ぎに乗り込み、一時間以上をかけて通っていた猛者もいたのだ。
渡良瀬川が穿った狭い渓谷沿いに線路を走らせている足尾線は、時に大雨による土砂崩れが起きて不通になることもあって難儀したこともあった。
《歴史のトピックス一覧》
悼話§ルー・オッテンスさん(カセットテープ) [追悼]
オランダ・フィリップスの研究者として1960年代にカセットテープを開発、世界にあまねく広めたのだ。
もちろん、1970年代から30年ほどの間はカセットテープを手放せない時代が続いていて、特にカーオーディオにおけるカセットテープの位置は揺るぎなく、2013年まで乗っていた車にはカセットデッキが健在だった。そして今やカーオーディオからCDプレイヤーすら消えつつあり、スマホに落とした音楽を聴く時代へと移りつつある。
後年、CDの開発も行っていたとのこと。享年九十四
合掌
《追悼のトピックス一覧》
もちろん、1970年代から30年ほどの間はカセットテープを手放せない時代が続いていて、特にカーオーディオにおけるカセットテープの位置は揺るぎなく、2013年まで乗っていた車にはカセットデッキが健在だった。そして今やカーオーディオからCDプレイヤーすら消えつつあり、スマホに落とした音楽を聴く時代へと移りつつある。
後年、CDの開発も行っていたとのこと。享年九十四
合掌
《追悼のトピックス一覧》
週話§日曜粛々~どうってことない蕎麦屋~ [蕎麦]
家の近くに蕎麦屋があればいいなあと思うお年頃である。すっかり食欲の類は衰退して、だから昼時に、ちゃちゃっとせいろの一枚でも手繰れればありがたいのに。
いや、あることはあるのだ。だが徒歩15分ほどかかってしまうので、今だに食べに行ったことはない。店の情報を眺めると、まさに“どうってことのない”街場の蕎麦屋さんなのだ。だから、かつ丼とか天丼といった丼物もあるし適当な蕎麦前の肴もあって、ぐだぐだするにはうってつけだったりする。
いつか行ってみようと考えていて、そろそろ外歩きがしやすい時節になってきつつすので、ゆるゆると手繰りに行ってみようかと思う。
《蕎麦のトピックス一覧》
いや、あることはあるのだ。だが徒歩15分ほどかかってしまうので、今だに食べに行ったことはない。店の情報を眺めると、まさに“どうってことのない”街場の蕎麦屋さんなのだ。だから、かつ丼とか天丼といった丼物もあるし適当な蕎麦前の肴もあって、ぐだぐだするにはうってつけだったりする。
いつか行ってみようと考えていて、そろそろ外歩きがしやすい時節になってきつつすので、ゆるゆると手繰りに行ってみようかと思う。
《蕎麦のトピックス一覧》
週話§土曜粛々~弥生三月終了~ [日常]
ついこの間、2月が終わったと思ったら、あっという間に3月が終わりを迎えてしまう。
物心がつきはじめたあたり、月日の経過を遅くもどかしく感じたが、そんなことは過去の話で、六十代も後半になったら、さらに加速度的にスピードが増したような気がする。
コロナウイルスのパンデミックから一年経ったなんてとても信じられない。
我が家周囲の桜も既に盛りを過ぎて、残念だと感じつつも一年後にはまた、桜があっという間に咲くのだろうなとも思ってしまうのである。
《日常のトピックス一覧》
物心がつきはじめたあたり、月日の経過を遅くもどかしく感じたが、そんなことは過去の話で、六十代も後半になったら、さらに加速度的にスピードが増したような気がする。
コロナウイルスのパンデミックから一年経ったなんてとても信じられない。
我が家周囲の桜も既に盛りを過ぎて、残念だと感じつつも一年後にはまた、桜があっという間に咲くのだろうなとも思ってしまうのである。
《日常のトピックス一覧》
呟話§一言つぶやき~ネットで1ページずつ~ [つぶやき]
ネットには、ちょっとした小ネタとかマメ知識みたいなページがあって……
……どれどれと読み始めるのだが、それらの中には、一段落1ページとか、一知識1ページという作りになっていて、肝腎の結論とか、知りたい知識まで延々とクリックさせられるわけだが、そうしてせっせとページを繰って、最後までたどり着いても、トップで紹介されていて知りたいと思ったマメ知識が存在していなかったという時の徒労感と言ったら……。
《つぶやきのトピックス一覧》
……どれどれと読み始めるのだが、それらの中には、一段落1ページとか、一知識1ページという作りになっていて、肝腎の結論とか、知りたい知識まで延々とクリックさせられるわけだが、そうしてせっせとページを繰って、最後までたどり着いても、トップで紹介されていて知りたいと思ったマメ知識が存在していなかったという時の徒労感と言ったら……。
《つぶやきのトピックス一覧》
覆話§マスクの使い分け [コロナウイルス]
コロナウイルスの騒ぎが始まって一年余。マスクがすっかり日用品と化してしまった。
一年前のマスク不足だった頃、我が家は幸いにも在庫が十分にあったし、外出頻度もさほど多くはなかったので難儀することもなく、さらに4月に入ると、古巣の会社から退職者にも50枚のマスクが送られてきたので、まったく困らずに済んだのはありがたい。
さて、ところでマスクの日常における話である。我が家もウレタンマスクと不織布マスクの2種類を用意して状況に応じて使い分けている。
すぐ近くのスーパーマーケットまで買い物といった短時間の外出時はウレタンマスクを使う。長時間、例えば都心まで出かけてくるような時には不織布マスクで臨むのだ。
もちろん、そんな使い分けとは関係なく、コロナウイルスは世間を漂っているのだから、効果的といわれる不織布マスクをメインに使えばいいのだが、30分足らずのお出かけに不織布マスクを使って処分するというのも、何だかもったいない気がして、結局はウレタンマスクでお茶を濁してしまうのである。
《日常のトピックス一覧》
一年前のマスク不足だった頃、我が家は幸いにも在庫が十分にあったし、外出頻度もさほど多くはなかったので難儀することもなく、さらに4月に入ると、古巣の会社から退職者にも50枚のマスクが送られてきたので、まったく困らずに済んだのはありがたい。
さて、ところでマスクの日常における話である。我が家もウレタンマスクと不織布マスクの2種類を用意して状況に応じて使い分けている。
すぐ近くのスーパーマーケットまで買い物といった短時間の外出時はウレタンマスクを使う。長時間、例えば都心まで出かけてくるような時には不織布マスクで臨むのだ。
もちろん、そんな使い分けとは関係なく、コロナウイルスは世間を漂っているのだから、効果的といわれる不織布マスクをメインに使えばいいのだが、30分足らずのお出かけに不織布マスクを使って処分するというのも、何だかもったいない気がして、結局はウレタンマスクでお茶を濁してしまうのである。
《日常のトピックス一覧》
時話§桜始開~七十二候~春分 [七十二候]
春分の次候“桜始開(さくらはじめてひらく)”である。
既に桜は花開いたが、2年連続して静かな花見となってしまったのである。
我が家周囲には桜の木がたくさんあって、窓からも花見はできるし、散歩がてらの花見コースといえば、丘陵から始まって、下っていけば用水に沿って流れの両側に見事なソメイヨシノが連なっているのだ。
去年で言えば、用水沿いの花見コースだが、平日だったらそれほどの人出ではなく、個々人のディスタンスは十分に保たれていた。
おそらく今年も似たような花見の光景となるだろうが、我が家の場合は、わざわざ“桜の名所”とやらに出向かずとも、徒歩圏内に花見の名所はいくらでも存在しているのである。
《七十二候のトピックス一覧》
既に桜は花開いたが、2年連続して静かな花見となってしまったのである。
我が家周囲には桜の木がたくさんあって、窓からも花見はできるし、散歩がてらの花見コースといえば、丘陵から始まって、下っていけば用水に沿って流れの両側に見事なソメイヨシノが連なっているのだ。
去年で言えば、用水沿いの花見コースだが、平日だったらそれほどの人出ではなく、個々人のディスタンスは十分に保たれていた。
おそらく今年も似たような花見の光景となるだろうが、我が家の場合は、わざわざ“桜の名所”とやらに出向かずとも、徒歩圏内に花見の名所はいくらでも存在しているのである。
《七十二候のトピックス一覧》
愉話§呑藝春秋[82]呑み会は断ります [酒]
[承前]
なぜ殊更に“呑み会は断らない”と強調するのだろう。そうしたことが自慢になること自体が、古い体質を容認し、引きずってきていることに気づかない不思議。間違いなく利害関係が絡んでいるがゆえとしか思えないのだが。
どうしても断れない呑み会など本当はないはずだが、当事者はなかなか確信をもって“ない”とは思えないのだろう。
取引相手との、言わば“公的”な呑み会なるものは、年に一回もなかったと記憶しているし、まして見ず知らずの相手と呑むことなどあるはずもなかった。
官僚の、それも上に位置するような人たちが、まったく面識のない人間たちと酒席を共にすることなどあるのだろうか。何らかの関係があるに決まっているではないか。
記憶力に優れた彼ら彼女らが、酒席を共にする人間のことを何も知らない、記憶にないとかいう白々しい答弁を聞きながら、日本の根幹の激しい劣化に愕然とするのである。
というわけで、ちんけな宮仕えサラリーマンの湿気た呑み会のごときは、行こうが断ろうが、何の支障もなかったのだが。
[続く]
《酒のトピックス一覧》
なぜ殊更に“呑み会は断らない”と強調するのだろう。そうしたことが自慢になること自体が、古い体質を容認し、引きずってきていることに気づかない不思議。間違いなく利害関係が絡んでいるがゆえとしか思えないのだが。
どうしても断れない呑み会など本当はないはずだが、当事者はなかなか確信をもって“ない”とは思えないのだろう。
取引相手との、言わば“公的”な呑み会なるものは、年に一回もなかったと記憶しているし、まして見ず知らずの相手と呑むことなどあるはずもなかった。
官僚の、それも上に位置するような人たちが、まったく面識のない人間たちと酒席を共にすることなどあるのだろうか。何らかの関係があるに決まっているではないか。
記憶力に優れた彼ら彼女らが、酒席を共にする人間のことを何も知らない、記憶にないとかいう白々しい答弁を聞きながら、日本の根幹の激しい劣化に愕然とするのである。
というわけで、ちんけな宮仕えサラリーマンの湿気た呑み会のごときは、行こうが断ろうが、何の支障もなかったのだが。
[続く]
《酒のトピックス一覧》
呟話§一言つぶやき~夢は常に意味不明~ [つぶやき]
先月中旬、もう15年前に亡くなった父親が夢に出てきてしまったのだが……
……それは、たまたま自宅に帰省したというシチュエーションで、実家に上がったら父親が“剃髪”して、頭ツルツルだったという内容に、はてさていかなる意味やメッセージが含まれているものかと頭をひねれど、当然ながら深い意味などないことに気がつくのが関の山でしかない。
《つぶやきのトピックス一覧》
……それは、たまたま自宅に帰省したというシチュエーションで、実家に上がったら父親が“剃髪”して、頭ツルツルだったという内容に、はてさていかなる意味やメッセージが含まれているものかと頭をひねれど、当然ながら深い意味などないことに気がつくのが関の山でしかない。
《つぶやきのトピックス一覧》
寒話§冷たい手 [老化]
プッチーニが作曲した傑作オペラ『ラ・ボエーム』の中のアリアではない。
還暦を過ぎて何年かしたあたりからか、身体の温まりが遅いと感じるようになってしまった。特に顕著なのは手で、数年前だったらすぐにポカポカとなるところを、いつまで経っても冷たいままな時がある。
こうしたことも老化の一環ということなのかと考えるが、すぐに手が温かくなる記憶のほうが強いので、現実を素直に受け留められないままなのだ。
かつて、多少の寒さだったらものともしなかった我が身も、素直に衣類を重ね着したり、すぐに足温器の電源を入れたりと、遅まきながら知恵もついてはきた。
この先に、現状が好転する可能性はほとんどなく、かつての権勢も今は昔、時にせっせと手をすり合わせて、我が身の老いを呪うのである。
《老化のトピックス一覧》
還暦を過ぎて何年かしたあたりからか、身体の温まりが遅いと感じるようになってしまった。特に顕著なのは手で、数年前だったらすぐにポカポカとなるところを、いつまで経っても冷たいままな時がある。
こうしたことも老化の一環ということなのかと考えるが、すぐに手が温かくなる記憶のほうが強いので、現実を素直に受け留められないままなのだ。
かつて、多少の寒さだったらものともしなかった我が身も、素直に衣類を重ね着したり、すぐに足温器の電源を入れたりと、遅まきながら知恵もついてはきた。
この先に、現状が好転する可能性はほとんどなく、かつての権勢も今は昔、時にせっせと手をすり合わせて、我が身の老いを呪うのである。
《老化のトピックス一覧》
顧話§今日の歴史~それでも行ったのだ~ [オペラ]
1986年3月23日、季節外れの大雪降る。
この時のことはリアルタイムで鮮明に覚えている。前夜から降り出した春分過ぎの雪は、予想外に積もることになってしまった。
当時は多摩丘陵でも別の場所に住んでいたが、朝起きて、気がつけばとんでもない状況であることのを目の当たりにしたのである。
しかもこの日は、NHKホールでウィーン国立歌劇場『マノン・レスコー』が上演されることになっていて、確認すれば公演は行われるということだ。だがしかし、首都圏の鉄道網はほとんど運行されておらず、にっちもさっちもいかなかったのだ。
たぶん、16時過ぎだったと思うが、一部の鉄道が運行を再開し、我が家からも行けそうだということで支度をして出かけたが、雪はまだ足首の深さまで積もっていて、歩くのに苦労した。
動いていたのは小田急線の、しかも各駅。折しも卒業シーズンにあたっていて、袴姿の女子大生が難儀していた様子を目にしつつ、何とか千代田線代々木公園からNHKホールまでてくてく歩く。
ようよう到着したNHKホールに入ると、クロークなど開いておらず、あちこちにパイプハンガーが置かれて、客が上着類を勝手に掛けていたのだ。
というわけで、到着した時には既に第一幕が始まっていて、何となく忙しい中で、プッチーニの音楽を聴いたのである。指揮はジュゼッペ・シノポリでこの日が日本デビュー。マノンを歌ったのはミレルラ・フレーニである。
《歴史のトピックス一覧》
この時のことはリアルタイムで鮮明に覚えている。前夜から降り出した春分過ぎの雪は、予想外に積もることになってしまった。
当時は多摩丘陵でも別の場所に住んでいたが、朝起きて、気がつけばとんでもない状況であることのを目の当たりにしたのである。
しかもこの日は、NHKホールでウィーン国立歌劇場『マノン・レスコー』が上演されることになっていて、確認すれば公演は行われるということだ。だがしかし、首都圏の鉄道網はほとんど運行されておらず、にっちもさっちもいかなかったのだ。
たぶん、16時過ぎだったと思うが、一部の鉄道が運行を再開し、我が家からも行けそうだということで支度をして出かけたが、雪はまだ足首の深さまで積もっていて、歩くのに苦労した。
動いていたのは小田急線の、しかも各駅。折しも卒業シーズンにあたっていて、袴姿の女子大生が難儀していた様子を目にしつつ、何とか千代田線代々木公園からNHKホールまでてくてく歩く。
ようよう到着したNHKホールに入ると、クロークなど開いておらず、あちこちにパイプハンガーが置かれて、客が上着類を勝手に掛けていたのだ。
というわけで、到着した時には既に第一幕が始まっていて、何となく忙しい中で、プッチーニの音楽を聴いたのである。指揮はジュゼッペ・シノポリでこの日が日本デビュー。マノンを歌ったのはミレルラ・フレーニである。
《歴史のトピックス一覧》
素話§アマチュア無線の免許~ハム~ [私事]
中学3年の時にアマチュア無線(ハム)の免許を取った。当時は、東京の試験会場に出向いて“電気回路”と“電波法規”の2科目を受けたのだ。
同級生何人かと語らって、週一くらいに勉強会と称して集まって、対策を講じたのである。4人が受験して3名が合格しかたら、合格率としては上々であろう。
個人的に、電波法規は解けたとは思ったが、電気回路はさっぱり理解できず合格したのは奇跡といってもよかった。
合格通知が届いた後、健康診断をしたりして免許の申請手続きを行い、受験して3か月余で無線従事者免許証が届いた。無線従事者免許証は人間に対して公布されるもので、無線機を設置して無線局を開設するには無線局免許状が必要なのだ。無線従事者免許は終身、無線局免許は5年ごと更新である。
↓従事者免許は終身なので、中学生の時のまま
というわけで、何とか物にしたアマチュア無線の免許で、無線局開設の暁には、コールサインも手に入れたが、JA、JHに続くJR1C**と比較的早い部類のコールサインも、実家にいる間は50メガ帯で通信はしたものの、7メガ、21メガといった周波数で電波を遠くに飛ばして通信したかったが、それは叶わぬまま、東京に出てきてしまったことで、アマチュア無線からは縁遠くなってしまった。
せっかく取得したJR1のコールサインも期限切れとなってしまったまま。再取得申請すれば、昔のコールサインの復活も可能なのだが、もうそこまでやろうとは思わない。
《私事のトピックス一覧》
同級生何人かと語らって、週一くらいに勉強会と称して集まって、対策を講じたのである。4人が受験して3名が合格しかたら、合格率としては上々であろう。
個人的に、電波法規は解けたとは思ったが、電気回路はさっぱり理解できず合格したのは奇跡といってもよかった。
合格通知が届いた後、健康診断をしたりして免許の申請手続きを行い、受験して3か月余で無線従事者免許証が届いた。無線従事者免許証は人間に対して公布されるもので、無線機を設置して無線局を開設するには無線局免許状が必要なのだ。無線従事者免許は終身、無線局免許は5年ごと更新である。
↓従事者免許は終身なので、中学生の時のまま
というわけで、何とか物にしたアマチュア無線の免許で、無線局開設の暁には、コールサインも手に入れたが、JA、JHに続くJR1C**と比較的早い部類のコールサインも、実家にいる間は50メガ帯で通信はしたものの、7メガ、21メガといった周波数で電波を遠くに飛ばして通信したかったが、それは叶わぬまま、東京に出てきてしまったことで、アマチュア無線からは縁遠くなってしまった。
せっかく取得したJR1のコールサインも期限切れとなってしまったまま。再取得申請すれば、昔のコールサインの復活も可能なのだが、もうそこまでやろうとは思わない。
《私事のトピックス一覧》
疲話§ゴーアラウンドを見つけた [飛行機]
けっこうな強風が吹いていた3月2日の午後、何気なくフライトレーダーを眺めていたら、下のような航跡で羽田に着陸する飛行機に気がついた。
南紀白浜からの日本航空機で、最初はB滑走路に着陸する予定が、おそらく横風に邪魔されたようで、着陸をやり直して上昇。川崎上空から東京湾へと左旋回し、千葉県を経て東京上空の“新ルート”からA滑走路へと再着陸を試みたのだ。
機内で到着を待っていた乗客にしてみたら「えー、やり直し?」という心境だったことは当然のことで、着陸まで再び長い時間を過ごしたことになる。
この飛行機は一度の“ゴーアラウンド”で着陸できたが、コンディションによっては二度が三度と繰り返すこともあるので、機内の徒労感は大きなものがあるだろう。
これまで数十回の離着陸を経験しているが、幸いにも着陸をやり直したことは一度もない。ただし着陸直後、機内に異臭が漂って滑走路上で緊急停止、消防車を引き連れてフィンガーまで何事もなくたどり着いたことはあった。
2009年、ミュンヘン国際空港でのハプニングである。
《天気のトピックス一覧》
南紀白浜からの日本航空機で、最初はB滑走路に着陸する予定が、おそらく横風に邪魔されたようで、着陸をやり直して上昇。川崎上空から東京湾へと左旋回し、千葉県を経て東京上空の“新ルート”からA滑走路へと再着陸を試みたのだ。
機内で到着を待っていた乗客にしてみたら「えー、やり直し?」という心境だったことは当然のことで、着陸まで再び長い時間を過ごしたことになる。
この飛行機は一度の“ゴーアラウンド”で着陸できたが、コンディションによっては二度が三度と繰り返すこともあるので、機内の徒労感は大きなものがあるだろう。
これまで数十回の離着陸を経験しているが、幸いにも着陸をやり直したことは一度もない。ただし着陸直後、機内に異臭が漂って滑走路上で緊急停止、消防車を引き連れてフィンガーまで何事もなくたどり着いたことはあった。
2009年、ミュンヘン国際空港でのハプニングである。
《天気のトピックス一覧》
悔話§想い出の歌舞伎俳優~歌舞伎座三階~ [歌舞伎]
歌舞伎座の三階席下手側通路には“想い出の歌舞伎俳優”と謳われて、明治期に活躍した九代目團十郎、五代目菊五郎といった面々に始まる肖像写真が並んでいる。
久々にじっくりと眺めていたら、一番最後に去年11月に逝去した四代目坂田藤十郎の写真がかかっていた。
藤十郎の上には十代目坂東三津五郎があって、彼が死んだのは2015年のことだったから、5年空いていたことになる。
それにしてもと思うのは、十八代目中村勘三郎から十二代目市川團十郎、そして三津五郎と、働き盛りの役者が立て続けに歌舞伎界からいなくなってしまったことで、彼らの空白は、どうしても埋めようがないとしか思えない。
2001年に逝去した六代目歌右衛門から四代目雀右衛門までの面々は、およそ天寿を全うしての死だったが、五十代から六十代にかけて彼ら三人の急逝は返す返すも取り返しのつかないことなのだ。
そしてふと、エネルギッシュな役者人生を送った勘三郎が、もし仮に生きていたとしたら、このコロナ禍の窮屈な状況の中で大きなストレスを抱えることになっていたかもしれぬと考えてしまった。
《歌舞伎のトピックス一覧》
久々にじっくりと眺めていたら、一番最後に去年11月に逝去した四代目坂田藤十郎の写真がかかっていた。
藤十郎の上には十代目坂東三津五郎があって、彼が死んだのは2015年のことだったから、5年空いていたことになる。
それにしてもと思うのは、十八代目中村勘三郎から十二代目市川團十郎、そして三津五郎と、働き盛りの役者が立て続けに歌舞伎界からいなくなってしまったことで、彼らの空白は、どうしても埋めようがないとしか思えない。
2001年に逝去した六代目歌右衛門から四代目雀右衛門までの面々は、およそ天寿を全うしての死だったが、五十代から六十代にかけて彼ら三人の急逝は返す返すも取り返しのつかないことなのだ。
そしてふと、エネルギッシュな役者人生を送った勘三郎が、もし仮に生きていたとしたら、このコロナ禍の窮屈な状況の中で大きなストレスを抱えることになっていたかもしれぬと考えてしまった。
《歌舞伎のトピックス一覧》
週話§日曜粛々~おやつの時間~ [日常]
変わり映えしないコロナ禍の日常である。
手を変え品を変え、目先を変えて過ごしている中、おやつが目に立って浮上してきたのは、いつの頃からだろうか。甘い物が苦手でも、嫌いなわけでもないし、15時過ぎにちょっとした甘い物をいただくようになっていたのだ。
和菓子でも洋菓子でもOK。用事があって都心に出かけた折に買ってくることもあれば、取り寄せをすることもある。手っ取り早く近くのスーパーで適当な“スイーツ”を買ってきたりもするが、菓子としてはおざなりである。
とはいえ、大福餅の一個、チーズケーキの一切れが、何がなし心を和ませてくれるのは言うまでもない……こうして過ごすひと時もまた、貴重だったりするということだ。
《日常のトピックス一覧》
手を変え品を変え、目先を変えて過ごしている中、おやつが目に立って浮上してきたのは、いつの頃からだろうか。甘い物が苦手でも、嫌いなわけでもないし、15時過ぎにちょっとした甘い物をいただくようになっていたのだ。
和菓子でも洋菓子でもOK。用事があって都心に出かけた折に買ってくることもあれば、取り寄せをすることもある。手っ取り早く近くのスーパーで適当な“スイーツ”を買ってきたりもするが、菓子としてはおざなりである。
とはいえ、大福餅の一個、チーズケーキの一切れが、何がなし心を和ませてくれるのは言うまでもない……こうして過ごすひと時もまた、貴重だったりするということだ。
《日常のトピックス一覧》