告話§ビッグイシュー435号発売中! [ビッグイシュー]
ビッグイシュー435号は7月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。キム・ジウォンが表紙。
表紙&スペシャルインタビュー キム・ジウォン
リレーインタビュー レ・ロマネスク TOBI(ミュージシャン)
特集 海の季節。水中遺跡へようこそ
「水中遺跡」を研究する“水中考古学”が誕生したのは、今から60年ほど前。海や湖、河川、洞窟などの水面下に沈む古代以来の人類史の痕跡は、星の数ほどあります。いま、新たな測量機器や撮影技術、水中ロボットの開発などにより、歴史的な新発見が相次いでいます。
時には、戦争や災害の悲劇的な歴史についても証言する水中遺跡。木村淳さん(東海大学准教授)、中西裕見子さん(大阪府教育庁文化財保護課総括主査)にインタビューしました。
海に親しむ季節。水底に眠る人類の秘められた歴史に触れてみませんか。
[国際記事]
ウィリアム王子のビッグイシュー販売体験
[連載記事]
浜矩子の新ストリート・エコノミクス
日本のフリーランスはホントに自由な槍か
コミック 『マムアンちゃん』 ウィスット・ポンニミット
ホームレス人生相談×枝元なほみの悩みに効く料理
男性と上手におつき合いができません☆ミルクゼリーとスイカ☆
「さわるハザードマップ」 視覚障害者にリスク知らせ、避難助ける
池内了の市民科学メガネ ダイコンの上手な食べ方
販売者に会いにゆく スイス『サプライズ』ゲブレミケル
[その他]
《ビッグイシューのトピックス一覧》
表紙&スペシャルインタビュー キム・ジウォン
リレーインタビュー レ・ロマネスク TOBI(ミュージシャン)
特集 海の季節。水中遺跡へようこそ
「水中遺跡」を研究する“水中考古学”が誕生したのは、今から60年ほど前。海や湖、河川、洞窟などの水面下に沈む古代以来の人類史の痕跡は、星の数ほどあります。いま、新たな測量機器や撮影技術、水中ロボットの開発などにより、歴史的な新発見が相次いでいます。
時には、戦争や災害の悲劇的な歴史についても証言する水中遺跡。木村淳さん(東海大学准教授)、中西裕見子さん(大阪府教育庁文化財保護課総括主査)にインタビューしました。
海に親しむ季節。水底に眠る人類の秘められた歴史に触れてみませんか。
[国際記事]
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「さわるハザードマップ」 視覚障害者にリスク知らせ、避難助ける
池内了の市民科学メガネ ダイコンの上手な食べ方
販売者に会いにゆく スイス『サプライズ』ゲブレミケル
[その他]
《ビッグイシューのトピックス一覧》
富話§豆腐の日常 [豆腐]
また少しばかり食事の量が減ったようだ。数年くらい前だったら食べられていた量が、三分の二ほどしか食べられないようになっている。
そんな中にあって“安定の存在”として豆腐がある。一年三百六十五日春夏秋冬、豆腐を切らしたことがない。
多少、食欲がない時でも、豆腐をどうにかすれば問題なく食べおおせるのはありがたく、我が命脈も豆腐に負うところ大なのだ。
普通に湯豆腐とか冷奴にして食べているが、湯豆腐を食べながら思い出すのは、明治維新の立役者の一人である長州藩出身の村田蔵六(大村益次郎)のエピソードである。
出汁昆布と豆腐を入れた鍋を七輪に置き、それを自分の足元に据えて、酒を呑むことが楽しみだったと聞いた。そうして“豆腐一丁、酒一合”の塩梅を律義に守っていたのだった。
ある日、西園寺公望が京に上って滞在していた蔵六から夕食に呼ばれた。逗留先の宿に向かうところで一人の公家さんに会って、行き先を告げると「村田さんのところに行っても、また湯豆腐でっしゃろ……」と、祇園に誘われたので“そっちのほうがいいな”と訪問をやめたのだ。
そんなその日、蔵六に恨みを抱く暴徒の襲撃を受けて致命傷を負い、一か月後にこの世を去ったのである。危ういところで難を逃れた西園寺は、その後90歳までと長寿をまっとうしたのである。
《日常のトピックス一覧》
そんな中にあって“安定の存在”として豆腐がある。一年三百六十五日春夏秋冬、豆腐を切らしたことがない。
多少、食欲がない時でも、豆腐をどうにかすれば問題なく食べおおせるのはありがたく、我が命脈も豆腐に負うところ大なのだ。
普通に湯豆腐とか冷奴にして食べているが、湯豆腐を食べながら思い出すのは、明治維新の立役者の一人である長州藩出身の村田蔵六(大村益次郎)のエピソードである。
出汁昆布と豆腐を入れた鍋を七輪に置き、それを自分の足元に据えて、酒を呑むことが楽しみだったと聞いた。そうして“豆腐一丁、酒一合”の塩梅を律義に守っていたのだった。
ある日、西園寺公望が京に上って滞在していた蔵六から夕食に呼ばれた。逗留先の宿に向かうところで一人の公家さんに会って、行き先を告げると「村田さんのところに行っても、また湯豆腐でっしゃろ……」と、祇園に誘われたので“そっちのほうがいいな”と訪問をやめたのだ。
そんなその日、蔵六に恨みを抱く暴徒の襲撃を受けて致命傷を負い、一か月後にこの世を去ったのである。危ういところで難を逃れた西園寺は、その後90歳までと長寿をまっとうしたのである。
《日常のトピックス一覧》