告話§ビッグイシュー461号発売中! [ビッグイシュー]
ビッグイシュー461号は8月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。フジコ・ヘミングが表紙。

表紙&スペシャルインタビュー フジコ・ヘミング
リレーインタビュー ジェーン・スー(音楽プロデューサー)
特集 こころに、自然を取り戻す
あなたは“自然欠乏症”にかかっていませんか?
高い山、秘境など“大きな自然”に出合うためには、体力とそれなりの準備が必要。一方で、公園の緑など身近な“小さな自然”を眺めているだけでは物足りない。もう少し“自分の心に自然を取り戻す”ことができればと思いませんか?
空中、道なき道、野辺など、ちょっと意外な、自然を感じ“取り戻せる”場にアプローチする、魅力的な術をもつ、3人の方に心得と楽しみを聞きました。
1つは、ハンモックハイキング。日帰りで休憩や昼寝なら、すぐにでも気軽に始められると話す、二宮勇太郎さんです。
2つは、山伏トレイル。かつて炭焼きで利用していた西伊豆の古道を約40㎞のトレイルとして再生してしまった、松本潤一郎さんです。
3つは、四季の“摘み菜”。野山や街なかで見つかる草や木などを食べたり飾ったりして暮らしに取り入れ楽しんでいる、平谷けいこさんです。
[国際記事]
オーストラリア 20年に及んだ、ホームレス生活の終わり
[国内記事]
表現する人:奥直子
[連載記事]
浜矩子の新ストリート・エコノミクス
英国を揺るがすファラージ VS.クーツ銀
コミック 『マムアンちゃん』 ウィスット・ポンニミット
ホームレス人生相談×枝元なほみの悩みに効く料理
3歳の子の電車愛が熱すぎます☆トマトと黄色ズッキーニのマヨグラタン☆
池内了の市民科学メガネ 気になる薄毛や抜け毛
販売者に会いにゆく 『カプファマケン』販売者ラモナ
監督インタビュー 『福田村事件』森達也監督
[その他]
《ビッグイシューのトピックス一覧》

表紙&スペシャルインタビュー フジコ・ヘミング
リレーインタビュー ジェーン・スー(音楽プロデューサー)
特集 こころに、自然を取り戻す
あなたは“自然欠乏症”にかかっていませんか?
高い山、秘境など“大きな自然”に出合うためには、体力とそれなりの準備が必要。一方で、公園の緑など身近な“小さな自然”を眺めているだけでは物足りない。もう少し“自分の心に自然を取り戻す”ことができればと思いませんか?
空中、道なき道、野辺など、ちょっと意外な、自然を感じ“取り戻せる”場にアプローチする、魅力的な術をもつ、3人の方に心得と楽しみを聞きました。
1つは、ハンモックハイキング。日帰りで休憩や昼寝なら、すぐにでも気軽に始められると話す、二宮勇太郎さんです。
2つは、山伏トレイル。かつて炭焼きで利用していた西伊豆の古道を約40㎞のトレイルとして再生してしまった、松本潤一郎さんです。
3つは、四季の“摘み菜”。野山や街なかで見つかる草や木などを食べたり飾ったりして暮らしに取り入れ楽しんでいる、平谷けいこさんです。
[国際記事]
オーストラリア 20年に及んだ、ホームレス生活の終わり
[国内記事]
表現する人:奥直子
[連載記事]
浜矩子の新ストリート・エコノミクス
英国を揺るがすファラージ VS.クーツ銀
コミック 『マムアンちゃん』 ウィスット・ポンニミット
ホームレス人生相談×枝元なほみの悩みに効く料理
3歳の子の電車愛が熱すぎます☆トマトと黄色ズッキーニのマヨグラタン☆
池内了の市民科学メガネ 気になる薄毛や抜け毛
販売者に会いにゆく 『カプファマケン』販売者ラモナ
監督インタビュー 『福田村事件』森達也監督
[その他]
《ビッグイシューのトピックス一覧》
汲話§井戸在りしこと [昭和]
地方都市の本通りから入ったところの我が家及び両隣の長屋には、上水道も下水道も引かれてはいなかった。昭和三十年代までの地方都市におけるインフラ整備などは、その程度の進捗だったことがよくわかるというものだ。
それでどうしていたかといえば、3軒が共同で一つの井戸を使っていたのである。おおよそ昭和三十年代の終わり頃まで、井戸水による炊事洗濯その他諸々が行われていたのだった。ちなみにその当時、町内には数か所の井戸があって、それぞれ近隣の住人が管理利用していた。
今思えばずいぶん乱暴な話だが、保健所のような公的機関による水質検査など、一度として行われたことはなかったと記憶していて、よくもまあ腹を壊さなかったものだとは思う。
というわけで、井戸水の“産湯”を浸かった時から数えて10年、井戸水を飲み続けたのである。巷間言うとおりで“冬温かく、夏冷たい”井戸水がどれほど重宝したかといえば冷蔵庫のない我が家では、例えば夏場に西瓜やら胡瓜を冷やすのに使ったりしていた。
年に一度くらい、井戸の木蓋を開けて中を掃除していたのだが、上から覗くと真っ暗な空間が伸びていて、子ども心に怖かった記憶だ。
それにしても、そんな町中にあって、単に裏店だったから、上水道のラインから抜け落ちてしまっていたからなのか、ようやく自治体が気がついたのかどうか、各戸に上水道が引かれたのは東京オリンピックの年のことで、さらに遅れに遅れて下水道が引かれたのは、1970年のことである。
《日常のトピックス一覧》
それでどうしていたかといえば、3軒が共同で一つの井戸を使っていたのである。おおよそ昭和三十年代の終わり頃まで、井戸水による炊事洗濯その他諸々が行われていたのだった。ちなみにその当時、町内には数か所の井戸があって、それぞれ近隣の住人が管理利用していた。
今思えばずいぶん乱暴な話だが、保健所のような公的機関による水質検査など、一度として行われたことはなかったと記憶していて、よくもまあ腹を壊さなかったものだとは思う。
というわけで、井戸水の“産湯”を浸かった時から数えて10年、井戸水を飲み続けたのである。巷間言うとおりで“冬温かく、夏冷たい”井戸水がどれほど重宝したかといえば冷蔵庫のない我が家では、例えば夏場に西瓜やら胡瓜を冷やすのに使ったりしていた。
年に一度くらい、井戸の木蓋を開けて中を掃除していたのだが、上から覗くと真っ暗な空間が伸びていて、子ども心に怖かった記憶だ。
それにしても、そんな町中にあって、単に裏店だったから、上水道のラインから抜け落ちてしまっていたからなのか、ようやく自治体が気がついたのかどうか、各戸に上水道が引かれたのは東京オリンピックの年のことで、さらに遅れに遅れて下水道が引かれたのは、1970年のことである。
《日常のトピックス一覧》