弄話§客との距離感~芸人必須~ [落語]
本当に気が向いた時、ふらりと寄席に行ってみることがある。もっぱら新宿末廣亭なのは、交通の便がいいからであるが、何年かに一度程度である。
そこで3時間くらい落語や色物を楽しむのだが、とっかえひっかえ出てくる落語家や漫才師、その他芸人と呼ばれる人々の醸し出す空気感は人それぞれなのだ。
普通にサラリと務めてくれればそれで何の問題もないのだが、客として一番困るのが、客席との距離感を掴めない、掴もうとしない芸人がいることで、そういう人が高座に上がるって、そうだとわかると、もう心ここにあらずで引っ込むまであらぬことを考えたりしているのだ。
つまり、客のいじり方がまるでなっていなくて、それでドツボにはまってしまうかのように感じてしまう。それだけで上等な芸人とは思えず。
何がいけないのかといえば、客に媚びるような態度と見受けられることで、それが度を超すと、さすがに客のほうも気がついて、座が白けること夥しいものがある。
それが、けっこうな年齢ではと思しき芸人の中にもいらっしゃって、この人は長い間これでやってきてしまったのかと、そうした様子を暗澹とした気持ちで眺めさせられてしまうのだ。
《日常のトピックス一覧》
そこで3時間くらい落語や色物を楽しむのだが、とっかえひっかえ出てくる落語家や漫才師、その他芸人と呼ばれる人々の醸し出す空気感は人それぞれなのだ。
普通にサラリと務めてくれればそれで何の問題もないのだが、客として一番困るのが、客席との距離感を掴めない、掴もうとしない芸人がいることで、そういう人が高座に上がるって、そうだとわかると、もう心ここにあらずで引っ込むまであらぬことを考えたりしているのだ。
つまり、客のいじり方がまるでなっていなくて、それでドツボにはまってしまうかのように感じてしまう。それだけで上等な芸人とは思えず。
何がいけないのかといえば、客に媚びるような態度と見受けられることで、それが度を超すと、さすがに客のほうも気がついて、座が白けること夥しいものがある。
それが、けっこうな年齢ではと思しき芸人の中にもいらっしゃって、この人は長い間これでやってきてしまったのかと、そうした様子を暗澹とした気持ちで眺めさせられてしまうのだ。
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歌話§赤い鳥とハイファイセット [フォークソング]
1960年代の終わり、フォークソング・ブームが始まるタイミングで、赤い鳥というフォークグループが結成された。
『翼をください』が大ヒットして、一気に人気グループとなった。平山泰代と新居潤子のツインヴォーカルの爽やかさが人気の源だったと思われる。赤い鳥の基本はフォルクローレで、それは西洋的なものというよりは、むしろ日本の古い俗謡のようなものをアレンジして聴かせるというものである。
だが、意外にも早く路線対立が生じて1974年にはグループが解散してしまったのだ。リーダーの後藤悦治郎と平山泰代は“紙ふうせん”というグループ名で赤い鳥の路線維持を目指した。
それ以上に驚いたのが、山本(新居)潤子、山本俊彦、大川茂の三人で結成した“ハイ・ファイ・セット”である。それまでのいささか湿っぽく感じられたフォークソング的なるものからの脱却を図って、都会的で洒落た“ニューミュージック”へと大胆な変身を遂げたのである。
音楽はもちろんスタイリッシュなファッションまで、トータル・コンセプトを考え出して構成してみせたのは誰だったのか。そこに、一つのグループを売り出すための周到なチームプレイを感じ取ったのだ。
彼らがハイ・ファイ・セットというグループでやりたかたのはこういう音楽だったのかと、最初から何となく釈然としない思いを抱き続けていたのは、ニューミュージックというジャンルを、どこか胡散臭い作り物めいていたと感じていたがゆえに、それほど共感できなかったからなのかもしれない。
《日本のトピックス一覧》
『翼をください』が大ヒットして、一気に人気グループとなった。平山泰代と新居潤子のツインヴォーカルの爽やかさが人気の源だったと思われる。赤い鳥の基本はフォルクローレで、それは西洋的なものというよりは、むしろ日本の古い俗謡のようなものをアレンジして聴かせるというものである。
だが、意外にも早く路線対立が生じて1974年にはグループが解散してしまったのだ。リーダーの後藤悦治郎と平山泰代は“紙ふうせん”というグループ名で赤い鳥の路線維持を目指した。
それ以上に驚いたのが、山本(新居)潤子、山本俊彦、大川茂の三人で結成した“ハイ・ファイ・セット”である。それまでのいささか湿っぽく感じられたフォークソング的なるものからの脱却を図って、都会的で洒落た“ニューミュージック”へと大胆な変身を遂げたのである。
音楽はもちろんスタイリッシュなファッションまで、トータル・コンセプトを考え出して構成してみせたのは誰だったのか。そこに、一つのグループを売り出すための周到なチームプレイを感じ取ったのだ。
彼らがハイ・ファイ・セットというグループでやりたかたのはこういう音楽だったのかと、最初から何となく釈然としない思いを抱き続けていたのは、ニューミュージックというジャンルを、どこか胡散臭い作り物めいていたと感じていたがゆえに、それほど共感できなかったからなのかもしれない。
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