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暇話§一日一句~歌舞伎座の午後~ [俳句]

季語は・・・夏めく

昼の部の はねて夏めく 木挽町

【去年の今日】鍵話§ピアノを聴く~ウィーン~
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顧話§今日の歴史~紛うことなき黒歴史~ [歴史]

1978年5月20日、成田国際空港開港。

空港の用地買収を巡ってのこじれにこじれた成田農民と国との関係は、今だに続いていて、新しい滑走路とターミナルを繋ぐ誘導路が曲線のままなのはそうした経緯があったがゆえのことである。

力で事を為そうとすれば大きな抵抗にあうことは簡単に理解できることなのに、力を恃んだ結果が成田空港を不幸な存在にしたのは間違いない。

きちんと粘り強く話し合いを続ければ、あるいはこうした事態になることなく、祝福された空港となったかもしれないが、そうはならなかった。

今や、羽田空港の国際線利用度は上がり、我々のような東京西側の人間も、ルフトハンザが羽田空港運行を始めてくれたので、これ幸いと羽田ユーザーとなったが、現在はコロナ禍で中断中。

この先も、成田空港を使うことはないだろう。

《歴史のトピックス一覧》
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懐話§昭和三十年代~ヴァキュームカー~ [昭和]

[承前]

地方の中規模都市の町中に住んでいたが、昭和三十年代まで下水道は完備していなかった。家庭の汚水は、家の裏の小さいどぶ川から、町内のどぶ川に注ぎ、一級河川へと流れていったのだ。

その当時、ほとんどすべての家のトイレには“ブツ”が溜められていて、月に一度くらいのローテーションでバキュームカーがやって吸い上げていくのだった。ただし、ヴァキュームカーが普及しても、我が家のあたりは東西を走る本通りから30mほども離れていたので、ホースが届かず、かなり後までブツを柄杓で汲んで木樽に入れて運んでいた……考えるまでもなく、衛生面では相当に遅れていたということか。

そんな環境とお別れしたのは昭和四十年代半ば、我が家でも下水道工事が行われて、同時にトイレの水洗化と相成ったのである。

実家のあった町は、郊外に向かって下水道が普及していって、徐々にではあるがヴァキュームカーの姿を見かけなくなっていった。

その後、上京して大学に入って2年生の時に住んだ板橋区の奥にあった下宿のトイレがぽっとんトイレで、大都市東京といえども少し外れれば、こんなものだと思ったのだ。
                               [続く]

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