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過話§上京五十一年~予備校の日々~ [東京]

選択肢に乏しい地方都市の中学生が、一応“進学校”と呼ばれる高校に入りはしたものの、ほどなく落ちこぼれとなって、志望していた大学からはことごとく門前払いをされて、浪人生活を送ることになった。

ずいぶん前から目論んでいた東京脱出が、こんな形ではあるが叶ったわけで窓の外をオレンジ色の中央線が行き来する代々木の三畳間で独り快哉を叫んだとは、以前にも書いている。

かくして浪人生活が始まり、四谷にある予備校の午後部に潜り込んだ。当時まだ国鉄の時代の四ツ谷駅を降りて、新宿通りを新宿方向へ数分歩いた路地裏に予備校はあった。既にその頃から“尻尾まで餡子が入っている”ことを売り物にしていた有名鯛焼き屋の先に校舎があった。

代々木の下宿を出て、駅近くガード下で立ち食い蕎麦を食べ、総武緩行線で四谷に向かう。折しも午前部の浪人たちの下校時……そんな集団中にスラリと背が高く、ミニスカートで何とも目立つ女性が、と思ったら、テレビで人気になりつつあった“檀FM”である。そういえば彼女も浪人生活を始めたと聞いた記憶が微かに。

授業は13時から17時半あたりまで一時間ずつが4コマ、英語の比率が高く、それで点を稼ぐのだという方針だったかどうか、そんな中に“名物講師”と呼ばれる存在が何人かいて、さすがに教え方がうまく、実戦で役立ったのは間違いない。

現代国語の講師に池山廣という、これまた名物講師がレギュラーで教えていて、授業の途中にボソッと「芥川賞候補になったことがありまして。受賞者は……井上靖だった時でした」と、後で調べたら1949年下期のことだった。

そんな多士済々の中で揉まれたからかどうか、一浪の後に、自分的に納得できる大学に合格したのである。

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