麥話§大麦ビールと小麦ビール [ドイツビール]
1516年にバイエルンで発布されたビール純粋令には、ビールは“大麦と水とホップ、酵母”のみで造られるとある。
小麦が原料として認められていなかったのは、パンの原料として小麦を使うことを原則としていたが、宮廷醸造所や一部修道院に対し、小麦ビールの醸造を特例として認めたことで、小麦ビールは“高級品”という位置付けとなり貴族のビールとも呼ばれることになった。
というわけで、今も特にバイエルン州あたりではヴァイツェン(ヴァイス)と呼ばれている小麦ビールは好んで呑まれている……ドイツ語で“ヴァイス”は“白”なので、日本では白ビールとも呼ばれている。
さて、個人的には大麦で造られている普通のビールのほうが好みで、もちろん小麦ビールも呑むには呑むけれど、やはりというか、うまい大麦ビールに軍配を上げてしまう。
いずれにしても、ドイツを旅行する時の楽しみは新鮮な樽生をマスジョッキでぐびぐびする醍醐味が一番にくるが、その合間に同じく鮮度の高いヴァイツェンのぐびぐびも捨てがたい。
↓ミュンヘン空港のエルディンガー
数年前まで、ミュンヘン空港の到着ロビーには地元エルディンガーのヴァイツェンを呑ませるスポーツバーがあったのだが、2018年8月に到着したら、店がなくなっていておおいにがっかりしたのだ。地元のビールを大事にしなくてどうするのかと思ったのである。
《ドイツビールのトピックス一覧》
小麦が原料として認められていなかったのは、パンの原料として小麦を使うことを原則としていたが、宮廷醸造所や一部修道院に対し、小麦ビールの醸造を特例として認めたことで、小麦ビールは“高級品”という位置付けとなり貴族のビールとも呼ばれることになった。
というわけで、今も特にバイエルン州あたりではヴァイツェン(ヴァイス)と呼ばれている小麦ビールは好んで呑まれている……ドイツ語で“ヴァイス”は“白”なので、日本では白ビールとも呼ばれている。
さて、個人的には大麦で造られている普通のビールのほうが好みで、もちろん小麦ビールも呑むには呑むけれど、やはりというか、うまい大麦ビールに軍配を上げてしまう。
いずれにしても、ドイツを旅行する時の楽しみは新鮮な樽生をマスジョッキでぐびぐびする醍醐味が一番にくるが、その合間に同じく鮮度の高いヴァイツェンのぐびぐびも捨てがたい。
↓ミュンヘン空港のエルディンガー
数年前まで、ミュンヘン空港の到着ロビーには地元エルディンガーのヴァイツェンを呑ませるスポーツバーがあったのだが、2018年8月に到着したら、店がなくなっていておおいにがっかりしたのだ。地元のビールを大事にしなくてどうするのかと思ったのである。
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操話§マニュアル車で免許 [自動車]
普通自動車免許を取ったのは1984年……30歳になった頃だったから、間もなく40年となる。
結婚して暮らし始めたところは、駅から徒歩15分ちょっと。歩いたところにスーパーマーケットはあったが不十分。大きなスーパーで買い物をするにはバスを使うしかなかった。要するに辺鄙な場所だったのだ。
さすがにこれはたまらぬと、暮らし始めて2年余り経ったところで、教習所通いを決意した。それまで、運転免許を取ろうとなど考えてもみなかった。
7月か8月頃から会社に向かう電車を途中下車して通い始めた。当時はオートマ限定コースはなく、マニュアル車での教習で、それまで自動車とは縁のない生活だったのであれもこれも戸惑うことばかり。
実地教習を3時間オーバーで何とかクリアし、路上での卒業検定もヘロヘロな運転ながら(たぶん)ギリギリで合格。
合格証を手に府中の試験場で受験し、無事に免許証を手にした。仕事をしながらの教習だったので、時間を作るのは大変だったが、午後から出社してもかまわない環境だったおかげで、自分としてはかなり集中していた記憶だ。
そうしてハンドルを握った車は、当時の人気車種であるホンダのワンダーシビック。車を運転する楽しさを教えてくれた車である。
《ドライブのトピックス一覧》
結婚して暮らし始めたところは、駅から徒歩15分ちょっと。歩いたところにスーパーマーケットはあったが不十分。大きなスーパーで買い物をするにはバスを使うしかなかった。要するに辺鄙な場所だったのだ。
さすがにこれはたまらぬと、暮らし始めて2年余り経ったところで、教習所通いを決意した。それまで、運転免許を取ろうとなど考えてもみなかった。
7月か8月頃から会社に向かう電車を途中下車して通い始めた。当時はオートマ限定コースはなく、マニュアル車での教習で、それまで自動車とは縁のない生活だったのであれもこれも戸惑うことばかり。
実地教習を3時間オーバーで何とかクリアし、路上での卒業検定もヘロヘロな運転ながら(たぶん)ギリギリで合格。
合格証を手に府中の試験場で受験し、無事に免許証を手にした。仕事をしながらの教習だったので、時間を作るのは大変だったが、午後から出社してもかまわない環境だったおかげで、自分としてはかなり集中していた記憶だ。
そうしてハンドルを握った車は、当時の人気車種であるホンダのワンダーシビック。車を運転する楽しさを教えてくれた車である。
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