行話§竹笋生~七十二候~立夏 [七十二候]
立夏の末候“竹笋生(たけのこしょうず)”である。
筍は“好き嫌い”という範疇には入らない。好きでも嫌いでもないが、積極的に食べたいという類でもない。歯応えはともかく、淡白な味は、わざわざ食べてやろうという積極的な思いは抱かせてくれない。
一度だけ、筍をうまいと思ったのは高校を卒業した直後、京都を旅行した時だった。知り合いの知り合いを紹介してもらって訪れたのは“筍の里”と呼ばれている地域。初対面の人に、何ともさり気なく、自分の所有する竹林に連れて行かれ、筍掘りで“よっこいしょ”と、やや小ぶりなのを一本掘りだして持たせてくれた。
その日、京都から夜行急行で東京を経由して実家に戻り、新鮮な筍を母親に炊いてもらった何かで食べたが、何ともみずみずしかったのではなかったかという記憶であるが、二十歳にもなっていない若造風情に、筍の繊細さなどわかろうはずなどなかったのが正直なところだろう。
《七十二候のトピックス一覧》
筍は“好き嫌い”という範疇には入らない。好きでも嫌いでもないが、積極的に食べたいという類でもない。歯応えはともかく、淡白な味は、わざわざ食べてやろうという積極的な思いは抱かせてくれない。
一度だけ、筍をうまいと思ったのは高校を卒業した直後、京都を旅行した時だった。知り合いの知り合いを紹介してもらって訪れたのは“筍の里”と呼ばれている地域。初対面の人に、何ともさり気なく、自分の所有する竹林に連れて行かれ、筍掘りで“よっこいしょ”と、やや小ぶりなのを一本掘りだして持たせてくれた。
その日、京都から夜行急行で東京を経由して実家に戻り、新鮮な筍を母親に炊いてもらった何かで食べたが、何ともみずみずしかったのではなかったかという記憶であるが、二十歳にもなっていない若造風情に、筍の繊細さなどわかろうはずなどなかったのが正直なところだろう。
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