悼話§マウリツィオ・ポリーニさん(ピアニスト) [クラシック]
実演を複数回聴いたピアニストの一人である。初めてポリーニを聴いたのはショパンの練習曲集の録音で、第1曲からその技巧の見事さに腰を抜かしそうになった。完璧とは何かを思い知った瞬間だった。

その後、初めて実演を聴いたのは1976年のNHK交響楽団定期公演。岩城宏之の指揮でショパンのピアノ協奏曲第2番だったが、演奏の記憶はまったくない。ただ、その後アンコールで弾かれたポロネーズ第5番の打鍵の強さにこれがポリーニなのかと思わされたのである。
1989年に東京文化会館でシューマンとショパンのプログラムを聴いた時は、あまりにもな会場のピリピリした緊張感にくたびれ果てた記憶があるのみ。
最後は1998年にサントリホールで2回、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ3曲ずつ。記憶に残っているのは28番の終楽章。一瞬、指がもつれたように聴こえた。その直後から感情を顕わにして弾き始めたように感じたのだ。
あるいは、その頃には往年の技巧が失われてしまっていたということか……残念ながら素人風情の耳には感じ取れなかったのである。享年八十二
合掌
《追悼のトピックス一覧》

その後、初めて実演を聴いたのは1976年のNHK交響楽団定期公演。岩城宏之の指揮でショパンのピアノ協奏曲第2番だったが、演奏の記憶はまったくない。ただ、その後アンコールで弾かれたポロネーズ第5番の打鍵の強さにこれがポリーニなのかと思わされたのである。
1989年に東京文化会館でシューマンとショパンのプログラムを聴いた時は、あまりにもな会場のピリピリした緊張感にくたびれ果てた記憶があるのみ。
最後は1998年にサントリホールで2回、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ3曲ずつ。記憶に残っているのは28番の終楽章。一瞬、指がもつれたように聴こえた。その直後から感情を顕わにして弾き始めたように感じたのだ。
あるいは、その頃には往年の技巧が失われてしまっていたということか……残念ながら素人風情の耳には感じ取れなかったのである。享年八十二
合掌
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動話§モチベーションの喪失? [私事]
定年退職して、今年の秋で9年となる。ついこの間退職辞令をもらったような気がするが、時の流れはあまりにも速い。
退職から半年経った翌年の4月、高校の同級生に頼まれた嘱託仕事だったがあえなく頓挫。それ以降は年金で食い繋いでいるが、まあまあ何とか暮らすことはできている。そんな呑気な年金生活なのだが、残念ながら、確固とした“モチベーション”とでもいった何ものかがあるのかといえば“ない”のだ。
宮仕え時代は、日々せっせと会社に行くという大きなモチベーションが存在していたが、それに匹敵するようなモチベーションなど存在しようもない。
せめてもは、せいぜいブログを途切らせることなく、毎日欠かさず綴っていくこととか、あまり怠惰になることなく日々やるべきことをきちんとこなしていくことで、定年ライフを維持しているといえるのだろうが、37年半過ごした時間のスケールにはかなわない。
“空の巣症候群”なるものがあるようだが、そうした症状はがでてきていないのは、37年半を完走したという自分の中にささやかながら充足感があるわけで、自分の中が“ゼロ”になるわけではなく、ある意味、そんな達成感が支えになっているということなのだろうか。
《私事のトピックス一覧》
退職から半年経った翌年の4月、高校の同級生に頼まれた嘱託仕事だったがあえなく頓挫。それ以降は年金で食い繋いでいるが、まあまあ何とか暮らすことはできている。そんな呑気な年金生活なのだが、残念ながら、確固とした“モチベーション”とでもいった何ものかがあるのかといえば“ない”のだ。
宮仕え時代は、日々せっせと会社に行くという大きなモチベーションが存在していたが、それに匹敵するようなモチベーションなど存在しようもない。
せめてもは、せいぜいブログを途切らせることなく、毎日欠かさず綴っていくこととか、あまり怠惰になることなく日々やるべきことをきちんとこなしていくことで、定年ライフを維持しているといえるのだろうが、37年半過ごした時間のスケールにはかなわない。
“空の巣症候群”なるものがあるようだが、そうした症状はがでてきていないのは、37年半を完走したという自分の中にささやかながら充足感があるわけで、自分の中が“ゼロ”になるわけではなく、ある意味、そんな達成感が支えになっているということなのだろうか。
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