週話§土曜有閑~水泳~ [スポーツ]
泳げるようになったのはいつからだったかというと、小学校2年の時のことである。
小学校1年で初めてプールに入ったが、その年は水遊びレベルでしかなく、泳ぐなど思いもしてなどいなかった。もちろんいつかは泳げるようになりたいとは思っていたけれど。
小学校2年になって、プール開きからほどなく、まずは浮かぶことに挑戦。プールの底から足を離して曲げた膝を両腕で抱えるようにしたら……浮いてくれたのだ。
浮いたとわかったところで、しばらく浮く状況に慣れるようにして、その次に、見よう見まねで平泳ぎをと水をかいてみたら……まあ何とかなった。
教えてくれる人などいなかったので完全に自己流だが、3年生になったら、25mプールを泳ぎ切れるまでになったので、次にはクロールを試し、最後に背泳まではたどり着いたが、最後までモノにならなかったのはバタフライである。
さすがにバタフライは教えてくれる人がいないと無理で、物になることなく今だにバタフライはできない。
こうして自己流でも何とか泳げるようになり、6年生の夏休みは“赤帽”と呼ばれていた、当番の教師を補助して、一緒にプール内の簡単な管理をするメンバーにも選ばれたのだ。40人の1クラスから選ばれるのは3人くらいとほんの20人足らずだったから選ばれるのはけっこう自慢だった。
《スポーツのトピックス一覧》
小学校1年で初めてプールに入ったが、その年は水遊びレベルでしかなく、泳ぐなど思いもしてなどいなかった。もちろんいつかは泳げるようになりたいとは思っていたけれど。
小学校2年になって、プール開きからほどなく、まずは浮かぶことに挑戦。プールの底から足を離して曲げた膝を両腕で抱えるようにしたら……浮いてくれたのだ。
浮いたとわかったところで、しばらく浮く状況に慣れるようにして、その次に、見よう見まねで平泳ぎをと水をかいてみたら……まあ何とかなった。
教えてくれる人などいなかったので完全に自己流だが、3年生になったら、25mプールを泳ぎ切れるまでになったので、次にはクロールを試し、最後に背泳まではたどり着いたが、最後までモノにならなかったのはバタフライである。
さすがにバタフライは教えてくれる人がいないと無理で、物になることなく今だにバタフライはできない。
こうして自己流でも何とか泳げるようになり、6年生の夏休みは“赤帽”と呼ばれていた、当番の教師を補助して、一緒にプール内の簡単な管理をするメンバーにも選ばれたのだ。40人の1クラスから選ばれるのは3人くらいとほんの20人足らずだったから選ばれるのはけっこう自慢だった。
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