顧話§今日の歴史~ナポレオンの石~ [歴史]
1813年8月26日、ナポリタン戦争“ドレスデンの戦い”始まる。
ナポレオンの石(Napoleonstein)なるものがドレスデン旧市街に存在する。
↓左がエルベ河、背後に宮廷教会
アウグスト橋を渡って旧市街に入るとすぐに宮廷協会が建っていて、そこから少し左に行った宮殿広場の中に、ナポレオンの頭文字“N”を彫った石が埋め込まれているのだ。
その場所は、ナポレオンの司令部となっていて、そこから軍を動かしていたのだった。戦いは26日、27日の2日間というもので、ナポレオン率いるフランス軍に対峙したのは、プロイセン、ハプスブルク帝国、ロシア帝国の連合軍で、双方合わせて5万人近い死傷者が出た。
ナポレオンの石を見つけたのは9年前、2013年に旅行した時のことで、わざわざ、敷石に中にある“N”の石を探そうとする人などがいるはずもなく、最初はちょっと、在り場所を見つけられなかったが、難儀するほどのこともなく見つかった後は、さり気なく何枚かの写真を撮影したのである。
ちなみに、この年の5月にライプツィヒで生まれたのが、あのリヒャルト・ワーグナーである。何とも世情騒然とした時に生まれたものだ。
《歴史のトピックス一覧》
ナポレオンの石(Napoleonstein)なるものがドレスデン旧市街に存在する。
↓左がエルベ河、背後に宮廷教会
アウグスト橋を渡って旧市街に入るとすぐに宮廷協会が建っていて、そこから少し左に行った宮殿広場の中に、ナポレオンの頭文字“N”を彫った石が埋め込まれているのだ。
その場所は、ナポレオンの司令部となっていて、そこから軍を動かしていたのだった。戦いは26日、27日の2日間というもので、ナポレオン率いるフランス軍に対峙したのは、プロイセン、ハプスブルク帝国、ロシア帝国の連合軍で、双方合わせて5万人近い死傷者が出た。
ナポレオンの石を見つけたのは9年前、2013年に旅行した時のことで、わざわざ、敷石に中にある“N”の石を探そうとする人などがいるはずもなく、最初はちょっと、在り場所を見つけられなかったが、難儀するほどのこともなく見つかった後は、さり気なく何枚かの写真を撮影したのである。
ちなみに、この年の5月にライプツィヒで生まれたのが、あのリヒャルト・ワーグナーである。何とも世情騒然とした時に生まれたものだ。
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溌話§活動範囲狭まる [日常]
気がつけば、来月で定年退職から丸7年を迎える。何とも早いものである。
まだ車が手元にあるので、鉄道利用の混雑を避けて都心に出向く時には重宝していて、手放すのはもう少し先になりそうだ。
だが、やはり活動の範囲が狭まってきたのは、しかたがないということか。宮仕えをしていた間は、月曜から金曜までは自宅と会社を電車で往復するので、その移動距離はけっこうなものになってくれていた。
だがもう、何か出かける名目でもひねり出さないと、どんどん活動の範囲は狭まっていってしまう。
今のところはコロナを名目に出不精を決め込んでも十分な言い訳になってくれるけれど、コロナが落ち着いた時にはそんな言い訳も通用しない。
ともあれ、狭くなった活動範囲の中で、どれだけ積極的に動くことができるか……今後の課題としておく。
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まだ車が手元にあるので、鉄道利用の混雑を避けて都心に出向く時には重宝していて、手放すのはもう少し先になりそうだ。
だが、やはり活動の範囲が狭まってきたのは、しかたがないということか。宮仕えをしていた間は、月曜から金曜までは自宅と会社を電車で往復するので、その移動距離はけっこうなものになってくれていた。
だがもう、何か出かける名目でもひねり出さないと、どんどん活動の範囲は狭まっていってしまう。
今のところはコロナを名目に出不精を決め込んでも十分な言い訳になってくれるけれど、コロナが落ち着いた時にはそんな言い訳も通用しない。
ともあれ、狭くなった活動範囲の中で、どれだけ積極的に動くことができるか……今後の課題としておく。
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