顧話§今日の歴史~人生楽ありゃ苦もあるさ~ [テレビ]
1969年8月4日、TBSテレビ系で時代劇『水戸黄門』放送開始。
葵の紋の印籠を手に「こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも、前副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」とまあ、お約束の“身バレ”で、悪人は成敗される……正義の味方によって解決されるカタルシスの見本のような時代劇が2011年12月まで42年の長きにわたって放送された『水戸黄門』である。
そんな御長寿番組であるから、当然のように出演者は代替わりを繰り返し、水戸黄門は初代の東野英次郎から里見浩太朗まで六代も変わっていった。
複雑な筋立てはない……“善人”が“悪人”に苦しめられていて、いよいよ危機一髪というところで、黄門さまが登場して悪人をバッタバッタとなぎ倒し、最後は印籠を出して鎮め、めでたしめでたしなのだ。
この世は、そんな印籠を出したくらいで事が解決するほど簡単ではないが、そんなヒーローが現れてくれればなあと心の片隅で考えるのもまた人情。
だがヒーロー願望もまた、諸刃の剣であると肝に銘じておかなくてはならない。
そういえば、6月下旬に三代目黄門さまの佐野浅夫が96歳で逝去していた。
《歴史のトピックス一覧》
葵の紋の印籠を手に「こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも、前副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」とまあ、お約束の“身バレ”で、悪人は成敗される……正義の味方によって解決されるカタルシスの見本のような時代劇が2011年12月まで42年の長きにわたって放送された『水戸黄門』である。
そんな御長寿番組であるから、当然のように出演者は代替わりを繰り返し、水戸黄門は初代の東野英次郎から里見浩太朗まで六代も変わっていった。
複雑な筋立てはない……“善人”が“悪人”に苦しめられていて、いよいよ危機一髪というところで、黄門さまが登場して悪人をバッタバッタとなぎ倒し、最後は印籠を出して鎮め、めでたしめでたしなのだ。
この世は、そんな印籠を出したくらいで事が解決するほど簡単ではないが、そんなヒーローが現れてくれればなあと心の片隅で考えるのもまた人情。
だがヒーロー願望もまた、諸刃の剣であると肝に銘じておかなくてはならない。
そういえば、6月下旬に三代目黄門さまの佐野浅夫が96歳で逝去していた。
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麥話§エーデルシュトフの馥郁 [ドイツビール]
ビール好きであると任じ、恬として恥じるところはない。かつては、一日に1リットルを呑み干していたこともあった。
ドイツあたりを旅行している主な目的は演奏会やオペラを観るためだったりして、そこにビール行脚が加わった。第二の目的といえばそのとおりだが、大食いでもグルメでもない我々にとって、ドイツでの食事は、けっこうな難行苦行なのである。
まずもって、大皿にドーン!とのった肉の塊など、一口頬張れば御馳走様。そんなわけで、食事の悩みはさておき、ことビールに関しては天国そのものとしかいえず、年に一度のチャンスを有効に使おうと腐心するのだ。
そんな中、ようやく出合ったのがアウグスティナーブロイのエーデルシュトフなのだった。少しずつだが情報が集まるようになり、そこでミュンヘンのビール好きが“一番うまい!”と太鼓案を押しているのがエーデルシュトフなのである。
そして、ようやく口にすることができたのは2005年のことで、1リットルのジョッキから黄金の液体が喉の奥へと流れ込んだ瞬間に、コペルニクス展開が起き、我がビール観が根底から覆されたのだった。
↓2008年9月、巻寿司と枝豆と葱チャーシュー
まずもって苦みは感じられず、むしろ甘みらしきものが濃厚な麦汁の中から姿を現したのだ。それはまさに“馥郁”というべきもので、過去に呑んだ、いかなるビールとも異なる独特な存在だったのだ。
何とも残念なのは、滞在期間中に呑めても2リットルがせいぜいで、しかも日本で呑める機会はほとんど考えられない。
さらに残念なのは、2005年からアウグスティナーケラーのビアガルテンに繰り込んだのは5回かそんなものでしかないのだ。
《ドイツビールのトピックス一覧》
ドイツあたりを旅行している主な目的は演奏会やオペラを観るためだったりして、そこにビール行脚が加わった。第二の目的といえばそのとおりだが、大食いでもグルメでもない我々にとって、ドイツでの食事は、けっこうな難行苦行なのである。
まずもって、大皿にドーン!とのった肉の塊など、一口頬張れば御馳走様。そんなわけで、食事の悩みはさておき、ことビールに関しては天国そのものとしかいえず、年に一度のチャンスを有効に使おうと腐心するのだ。
そんな中、ようやく出合ったのがアウグスティナーブロイのエーデルシュトフなのだった。少しずつだが情報が集まるようになり、そこでミュンヘンのビール好きが“一番うまい!”と太鼓案を押しているのがエーデルシュトフなのである。
そして、ようやく口にすることができたのは2005年のことで、1リットルのジョッキから黄金の液体が喉の奥へと流れ込んだ瞬間に、コペルニクス展開が起き、我がビール観が根底から覆されたのだった。
↓2008年9月、巻寿司と枝豆と葱チャーシュー
まずもって苦みは感じられず、むしろ甘みらしきものが濃厚な麦汁の中から姿を現したのだ。それはまさに“馥郁”というべきもので、過去に呑んだ、いかなるビールとも異なる独特な存在だったのだ。
何とも残念なのは、滞在期間中に呑めても2リットルがせいぜいで、しかも日本で呑める機会はほとんど考えられない。
さらに残念なのは、2005年からアウグスティナーケラーのビアガルテンに繰り込んだのは5回かそんなものでしかないのだ。
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