遊話§旅の目的は観光地では・・・・・・ [海外旅行]
“観光地”とは何だろうか……単に由緒ありそうな建物やモニュメントなどを呼びならわしているのだろうかと単純に考えてしまう。
例えば、パリのエッフェル塔、ベルリンのブランデンブルク門、ロンドンの時計台、あるいはニューヨークのエンパイアステートビルとか、そうしたものが観光名所というのであれば、我々の旅行とはほとんど無縁だったりしているようだ。
パリ、ロンドン、ニューヨークには行ったことがないが、ベルリンに行ってブランデンブルク門を眼にしても、その偉容よりは、門の西側の道路を走る2列に並べ埋め込まれた、幅30cm足らずの敷石ラインに眼がいってしまう。そのラインは1961年から1989年まで、東西ベルリンを隔てていた“ベルリンの壁”が建っていた後に留めるべき記憶として敷設されたのである。
↓グーグル・ストリートビューより
ブランデンブルク門の偉容は言うまでもないが、お手軽な市内遊覧観光バスに乗れば、門の前は通り過ぎるだろうが、壁の跡はバスの下を通り過ぎるだけ。
我々の旅の目的の大部分を占めているのは、オペラや演奏会に行くことで、オペラハウスやコンサートホールの建物だけをいくら見ても、音楽が聴こえてくるはずもなく、その中に入ることが第一に必要なのだと……もっとも、主目的以外の旅の日々は相当に怠惰であることは白状しておくことにする。
《海外旅行のトピックス一覧》
例えば、パリのエッフェル塔、ベルリンのブランデンブルク門、ロンドンの時計台、あるいはニューヨークのエンパイアステートビルとか、そうしたものが観光名所というのであれば、我々の旅行とはほとんど無縁だったりしているようだ。
パリ、ロンドン、ニューヨークには行ったことがないが、ベルリンに行ってブランデンブルク門を眼にしても、その偉容よりは、門の西側の道路を走る2列に並べ埋め込まれた、幅30cm足らずの敷石ラインに眼がいってしまう。そのラインは1961年から1989年まで、東西ベルリンを隔てていた“ベルリンの壁”が建っていた後に留めるべき記憶として敷設されたのである。
↓グーグル・ストリートビューより
ブランデンブルク門の偉容は言うまでもないが、お手軽な市内遊覧観光バスに乗れば、門の前は通り過ぎるだろうが、壁の跡はバスの下を通り過ぎるだけ。
我々の旅の目的の大部分を占めているのは、オペラや演奏会に行くことで、オペラハウスやコンサートホールの建物だけをいくら見ても、音楽が聴こえてくるはずもなく、その中に入ることが第一に必要なのだと……もっとも、主目的以外の旅の日々は相当に怠惰であることは白状しておくことにする。
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潤話§尾瀬文月往還[6]段小屋坂から尾瀬沼 [尾瀬]
[承前]
重い腰を上げて弥四郎小屋を後にしたのは7時頃のこと。尾瀬ヶ原から尾瀬沼に行くためには段小屋坂を延々だらだらと登っていかなくてはならない。尾瀬ヶ原の標高は1400m、尾瀬沼は1660m。その間に白砂峠(白砂乗越)を越える必要がある。峠の標高は1680m。標高差280mを登らなくてはならぬ。
昔から上るのは大嫌い。急な登りも嫌いだが、だらだら登りはもっと嫌い。なので、最初から足取りは重く、百歩も歩かぬうちに休憩となってしまう。ゆえに、2年前までは30分ほどで歩いていた尾瀬ヶ原からイヨドマリ沢までも、50分近くかかるという体たらく。普段は沢の涼しさで長居するのだが、この日はそそくさと歩き始めたのだ。
昨今は、手軽な鳩待峠と尾瀬ヶ原を日帰りで往復する人が増えているので、尾瀬ヶ原と尾瀬沼を繋ぐ段小屋坂の利用者は少ないぞ……と思っていたら、白砂峠にたどり着く直前に、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
何ぞと思って休憩がてら待っていたら、保育園児の団体さんが元気に通り過ぎていった。毎年、長蔵小屋に泊まり、翌日は尾瀬ヶ原を横断して山ノ鼻で2泊目。翌日は至仏山の手前、小至仏山に登るという、大人顔負けの5歳児のお通りだったのである。
無心に歩く姿を見たら、我が身を恥じるしかなく、白砂田代を経て沼尻に着いたのは十字路からちょうど3時間の10時。さらに歩を進めて大江湿原から長蔵小屋に着いたのは11時半前のことだった。
[続く]
《尾瀬のトピックス一覧》
重い腰を上げて弥四郎小屋を後にしたのは7時頃のこと。尾瀬ヶ原から尾瀬沼に行くためには段小屋坂を延々だらだらと登っていかなくてはならない。尾瀬ヶ原の標高は1400m、尾瀬沼は1660m。その間に白砂峠(白砂乗越)を越える必要がある。峠の標高は1680m。標高差280mを登らなくてはならぬ。
昔から上るのは大嫌い。急な登りも嫌いだが、だらだら登りはもっと嫌い。なので、最初から足取りは重く、百歩も歩かぬうちに休憩となってしまう。ゆえに、2年前までは30分ほどで歩いていた尾瀬ヶ原からイヨドマリ沢までも、50分近くかかるという体たらく。普段は沢の涼しさで長居するのだが、この日はそそくさと歩き始めたのだ。
昨今は、手軽な鳩待峠と尾瀬ヶ原を日帰りで往復する人が増えているので、尾瀬ヶ原と尾瀬沼を繋ぐ段小屋坂の利用者は少ないぞ……と思っていたら、白砂峠にたどり着く直前に、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
何ぞと思って休憩がてら待っていたら、保育園児の団体さんが元気に通り過ぎていった。毎年、長蔵小屋に泊まり、翌日は尾瀬ヶ原を横断して山ノ鼻で2泊目。翌日は至仏山の手前、小至仏山に登るという、大人顔負けの5歳児のお通りだったのである。
無心に歩く姿を見たら、我が身を恥じるしかなく、白砂田代を経て沼尻に着いたのは十字路からちょうど3時間の10時。さらに歩を進めて大江湿原から長蔵小屋に着いたのは11時半前のことだった。
[続く]
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