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吟話§一日一句~気がつけば東の空に~ [俳句]

季語は・・・春の月

有明の刻 ひっそりと春の月

【去年の今日】燃話§なぜ炎上する動画を投稿するか?
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転話§蟄虫啓戸~七十二候~啓蟄 [七十二候]

啓蟄の初候“蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)”である。

二十四節気も啓蟄となり、いよいよ春めく予感がしてきた。

特に東京の桜は、気象庁の予想では15日頃には開花するなどと御託宣があったから、あと10日ではないか。ということは、それに先立つ辛夷が咲くのも間もなくということになる。

この冬は“三寒四温”らしきものも感じることがなかった。というか厳しい寒さに震えるようなことがほとんどなかったように思うのだ。これもまた、地球温暖化なのだろう。

我々のような高齢者は30年も生きることなくお迎えがやって来るが、十代や二十代、三十代の人間にとっては、生きている間にあれこれ蒙ることが間違いないわけで、我々も声を上げていくが、より大きな声がそうした世代の人間から発せられてほしいと切に願っている。

《七十二候のトピックス一覧》
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懐話§昭和三十年代~小学生時代~ [昭和]

[承前]

昭和三十年代後半の1961年、小学校に入学した。ベビーブームは終わっていたとはいえ2学年上は6クラス。我々は5クラス……男女合わせて200人。

戦後しばらくして作られたと思われる校歌の歌詞には“よい子二千の……”とあって、団塊の世代の児童数が半端なかったことを物語っているのだ……この歌詞は我々が4年生くらいの時に、二千のところに校名を入れるという変更が行われている。

校舎は戦前の木造と、戦後増築した木造モルタル塗りが並んでいたが、団塊の世代が卒業していったことで教室がどんどん余るようになってしまった。それで余った校舎を活用しようと、新たに幼稚園を併設するようになったのだ。

そんな児童数だったから、休み時間ともなればそこそこ広い校庭も、芋の子を洗うような混雑だったし、秋の運動会もプログラムが盛りだくさんで、地域の一大イベントで、屋台も数軒くらい並んで、昼飯を挟んで朝から15時くらいまで、それは賑やかな催しなのだった。

そんな昭和の時代から元号が2回変わった今、思い立って調べてみたところ母校の児童数は、最盛期の十分の一となる6学年211人となっていたのだ。
                               [続く]

《昭和のトピックス一覧》
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