約話§数時間とか、数人とか、数本・・・・・・ [日常]
誰だったかのエッセーを読んだ。子どもから「数時間て何時間?」とかいう質問をされて“2、3時間かなあ”と答えた……そんな話だった。
読みながら、うーん……微妙に違うなあと思ったのは、自分が覚えていたのは、数時間とは5、6時間ということで、それが沁みついていての違和感を思えたのだ。
同様に数人だったら5、6人で、数本なら5、6本となるだろう。だから、数時間を2、3時間とするのは、いかにも少な過ぎるように感じてしまう。
もちろん感じ方だから、人それぞれで違うことについては問題だとは思わない。だが、そこで相互の認識のズレが生じてしまうことに関しては、困ることがありそうだ。
というわけで、辞書を開いてみたところ……おおむね2、3時間、もしくは5、6時間程度を漠然と指す表現……とあって、どちらも正しいようではあるけれど、ちょっとさすがに曖昧に過ぎて、いかがなものかと思うのだが。
《日常のトピックス一覧》
読みながら、うーん……微妙に違うなあと思ったのは、自分が覚えていたのは、数時間とは5、6時間ということで、それが沁みついていての違和感を思えたのだ。
同様に数人だったら5、6人で、数本なら5、6本となるだろう。だから、数時間を2、3時間とするのは、いかにも少な過ぎるように感じてしまう。
もちろん感じ方だから、人それぞれで違うことについては問題だとは思わない。だが、そこで相互の認識のズレが生じてしまうことに関しては、困ることがありそうだ。
というわけで、辞書を開いてみたところ……おおむね2、3時間、もしくは5、6時間程度を漠然と指す表現……とあって、どちらも正しいようではあるけれど、ちょっとさすがに曖昧に過ぎて、いかがなものかと思うのだが。
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禍話§東日本大震災から9年~2011・3・11~ [地震]
2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。
改めて、9年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。
そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。
あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。
鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。
そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。
鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。
ゆえに徒歩帰宅は諦めて夕食を食べるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。
そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。
以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。
《日本のトピックス一覧》
改めて、9年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。
そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。
あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。
鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できだろうかということだが、地震の規模、そして被害がわかるにつれ、状況はどんどん深刻なものになっていった。
そうした時に考えるのは我が身と同居人の安否で、同居人とは連絡が取れて無事が確認できた。そうなればあわててもしかたがないと腰を据えるしかない。
鉄道が運行をやめた直後から、徒歩で都心から帰宅を始める人たちが増えていたけれど、我が家まで30km以上の道のりで、徒歩10時間はかかるに決まっているのだから、夕方から歩き始めようものなら、到着は日付が変わってからになってしまうのは必定である。
ゆえに徒歩帰宅は諦めて夕食を食べるべく、歩いて帰宅する人たちの流れに抗ってランチョンに行ってみたりしたが、会社で時間をつぶしているうち、22時過ぎに都営新宿線と京王線が運行を再開すると知り、神保町駅のホームに行ったら、すぐに電車がやって来たのだった。
そうして徐行と停止を繰り返した、およそ2時間後に最寄駅に着き、停留所で待っていたバスに乗って自宅に帰り着いたのだ。
以上、同内容のエントリーを毎年書いているのは、2011年3月11日をいつまでも記憶に留めおくためである。
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